ファッション研究室
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現代社会研究所 RESEARCH INSTITUTE FOR CONTEMPORARY SOCIETY  
この研究室では、ファッションの動向を研究しています。
その成果として、『繊研新聞』に寄稿中の「繊研教室」や、『FASHION VOICE』(カイハラ【株】)に連載中の「TREND NOTE」の中から、最近のコラムを転載します。なお、媒体では字数調整などが行われる場合があり、以下の文章と若干異なることもあります。

『繊研新聞』(繊研教室)

『FASHION VOICE』(TREND NOTE)

成熟文化・・・平成享保のファッション(繊研新聞,2000,10,30)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授 古田隆彦

【竜馬など現れない!】
 世の中に閉塞感が強まっているせいか、竜馬、西郷、海舟など、維新の英傑の再来が待望されている。
 テレビや新聞でも、現代を幕末に見立てて、「平成維新」とか「第三の開国」などという主張が見られるし、若手の国会議員や新進のベンチャー経営者までが、「いでよ龍馬」などという芝居を演じている。
だが、こうした見方はいずれも的外れだ。現代日本と幕末では、単に時代が違うというだけでなく、もっと根本的にベースとなる社会構造が違っている。人口社会学から見ると、現代日本は総人口が増加から減少への移行期にあるのに対し、幕末の日本は総人口が微増から急増への転換期であった。これはまさに正反対の位置である。
 人口の動きは社会の変化を敏感に反映する。幕末には、近代西欧文明の流入で、農民や町人も将来への明るい展望を持って、人口を増やし始めていたが、旧体制の維持を狙う徳川幕府が、この動きを抑えようとしたため、鬱積した大衆の不満が爆発して維新となった。龍馬のほんのひと突きで社会が変わったのは、一触即発の状態だったからだ。
 ところが、平成という時代は、社会や経済がもうこれ以上伸びない、という状況にある。多くの国民が膨らみきった欲望をほとんど満足させ、これ以上生活水準が上げれば、間もなく資源不足や環境悪化を招くことを自覚し始めている。政治や行政には不満はあるが、それは閉塞状況を突破できないからではなく、閉塞状態へ軟着陸できないことへの苛立ちである。
このように時代の基盤が本質的に違っている以上、平成を幕末に見立てるのはまったく見当違いだ。そればかりか、今後の方向を見誤ることになる。

【昭和元禄から平成享保へ】
 もし平成という時代を江戸期に見立てるなら、「享保」である。筆者は十二年も前に、新聞や著書の中で「昭和元禄から平成享保へ」の移行を予言した。「バブル経済からポストバブル経済へ」「放漫財政から緊縮財政へ」「享楽消費から堅実消費へ」などと書いたが、この予言はほとんど的中した。
 なぜ当たったのか。それは享保も平成も、ともに総人口がピークとなる時代であるからだ。享保期には、当時の社会・経済を支えた農業生産の拡大がほぼ限界に達し、また平成期には、現代日本を支える加工貿易体制がほぼ限界に近づきつつある。つまり、社会・経済の容量が満杯になる点で、二つの時代は共通している。
 とすれば、今、私たちが向かっているのは、決して「幕末」や「維新」ではなく、「享保」から「化政」に至る江戸中期の百年間なのである。この百年間とはどんな時代だったのか。
元禄バブルの崩壊後、八代将軍徳川吉宗は享保改革を断行して、社会の引き締めとデフレ政策を進めた。その結果、江戸の町は火の消えたように沈んだため、次の老中田沼意次は小バブル政策を展開して、町民の不満をなだめた。が、再び享楽主義がはびこったため、その次の老中松平定信は寛政改革で贅沢禁止とデフレ政策をとった。
 すると、「白河の清きに魚も住みかねて 元の濁りの田沼恋しき」と批判されたため、十一代将軍徳川家斉は再び大奥バブルを展開して、町民に媚を売った。しかし、やはり財政が悪化したため、次の老中水野忠邦は天保改革を実施して、やはり引き締めとデフレ政策へ向かっていった。
つまり、この百年は、農業生産が伸び悩む中で、引き締めと緩和、インフレとデフレが小刻みに繰り返された時代だった。

【江戸型ファッション社会】
 こう書くと、江戸中期はなんとなく暗い。だが、そうではない。この百年は、学問や文芸が栄える一方、歌舞伎、浮世絵、戯作などの町民文化が勃興した、まさに“高度情報化”の時代だったからだ。
ファッションの世界でも、遊廓と歌舞伎から次々に生まれた「はやり」が、「五年か八年の間にすたり」(女重宝記)といわれるほど、激しく変わった。
 遊廓からは、刺繍入りの着物、曙染めの友禅模様などが生まれたし、また歌舞伎からは、名優の衣装をまねて、水木辰之助の「水木帽子」、上村吉弥の「吉弥結び」、初世沢村宗十郎の「宗十郎頭巾」を始め、小太夫鹿子、市松染、亀屋小紋、仲蔵染などの染め模様が流行した。
 色彩でも、二世瀬川菊之丞の「路考茶」、初丗尾上菊五郎の「梅幸茶」、五世岩井半四郎の「岩井茶」など、渋茶、鶯茶、利休鼠、萌葱など、落ちついた色が主流となった。
 決定版は二世市川団十郎の「助六」。黒羽二重の無地の小袖に紅絹裏(もみうら)、浅葱の襦袢、綾織の帯、鮫鞘の刀に桐の下駄という、斬新なファッションで、東都の流行を制した。
このように、江戸中期の社会では、人口停滞で少産・長寿化が進み、インフレ・デフレが繰り返される中で、渋い色、小紋、裏地など、極めて成熟した着物文化が創造された。表面的な華麗さを“野暮”とみなし、裏側の抑えられた趣向を“通”や“粋(いき)”として尊ぶ、江戸町人の美意識である。
 そして、この美意識がその後、さらに優れた絹織物、陶磁器、漆器、印籠・根付などを生み出し、やがて幕末に欧州に輸出されて、近代日本の経済的基礎を固めていったのだ。
 人口の減少する二十一世紀の日本も、同じような時代になるだろう。そういう時代であればこそ、ファッション産業に期待されるのは、成熟した美意識を生み出す努力なのである。

部品ビジネス・・・最大公約数型から最小公倍数型へ・・・商品開発の発想転換(繊研新聞,2000,08,O7)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授 古田隆彦

【売れる商品は“部品”】
 「われわれは汎用“部品”を売るメーカーなんです」と、ユニクロを経営するファーストリティリング社長・柳井正はいう。手作りハンドバック“イビザ”で躍進中の吉田オリジナル社長・吉田茂も「うちのバッグの値うちは、売った時はまだ七割なんです」と断言する。さらに作詩家の秋元康も「これからのヒット曲は、最小公倍数から生まれます」と予測している。
 三人の言葉に共通しているのは何か。これから売れる商品とは、もはや“完成品”ではなく“部品”、“最大公約数”ではなく“最小公倍数”を狙ったもの、ということだろう。
実をいうと、筆者もまた、昨秋上梓した本の中で、今後の商品開発の方向を「最大公約数型から最小公倍数型へ移行すべきだ」と提案した(『人口が減る時の経営』)。これまで大半のメーカーは、より多くのユーザーの望むニーズの中の最大公約数を狙って、商品を開発してきた。だが、昨今では、こうした常識が通用しなくなり、これからはむしろ最小公倍数を狙うべきだ、というのである。
 なぜかといば、わが国の消費社会が大きく変わってきたからだ。つまり、@昨今のユーザーは、さまざまな消費行動を一通り経験して、ほとんどが自己実現の段階に至り、今や個性化・パーソナル化を求めている。A多くのユーザーの選択眼は、数多くの情報やさまざまな消費経験を積んで耳目を肥やし、すでにメーカーや流通業のセンスを超えている。BIT技術の進展で、大量生産の既製品だけでなく、オーダーやセミオーダーの「ワン・ツー・ワン・メーキング」が可能になりつつある。
 とすれば、供給側もまた、従来の作り方・売り方とは違った方向へ向かわざるを得ない。

【多分野で拡大する部品ビジネス】
 現に最近の消費市場では、個性化したニーズに対応する動きが活発化している。例えばシチズン時計の「時計工房マイクリエーション」では、ホームページ上に公開された腕時計の部品を自由に選んで、ユーザー自身が設計した商品デザインをメールで送ると、そのままの時計を購入できる。本田技研工業の「VTRカラーオーダープラン」は、燃料タンクやフレームなどのデザインやカラーをユーザーが自由に選べる発注システムで、マニア層の人気をよんでいる。
 家電でも、東芝の「ホームランドリー銀河21」が幾つかのカラーの中からユーザーが選べるシステムを採用したし、ソニーのEコマースサイト「ソニースタイル」では、AV機器のカラーや部品を自由に組み合わせて購入できる方式を採っている。
 ファッション業界でも、紳士服のタカキューが「ビジネス工房タカキュー・ドット・コム」で、スーツ、シャツ、ベルト、靴のサイズや生地などを自由に選べるシステムを採用した。またイッセイミヤケの新ブランド「A・POC」では、自分のサイズに合わせてカットしたり、適当に切れ目を入れ、ユーザーが自由にデザインを変更できるカットソー、スカート、パンツなどを発売している。
 こうしたトレンドに潜んでいるのは、商品創りの発想が、完成品よりも半製品、商品よりも部品へ向かい始めているという傾向だろう。まさに最大公約数型から最小公倍数型への移行である。

【最小公倍数型の開発戦略】
 いうまでもなく、最大公約数や最小公倍数という言葉は、数学の用語である。前者は「二つ以上の正の整数に共通な約数(公約数)のうち最大のもの」、後者は「二つ以上の正の整数に共通な倍数(公倍数)のうち最小のもの」という意味だ。
 だが、これらの言葉は、一般社会でもさまざまなメタファーとして使われている。「最大公約数的に意見をまとめると・・」とか「二人の希望の最小公倍数とは・・」といった具合だ。商品に当てはめてみれば、「二人以上のユーザーの求める、さまざまな値うちに共通する最大の要素」が最大公約数、「二人以上のユーザーの求める、さまざまな値打ちを実現するための最小の要素」が最小公倍数ということになろう。
 そうなると、これからの商品開発では、まず第一に、さまざまな意欲を持ったユーザーが、個々の商品の上に自ら何らかの値打ちをつけ加えるはずだ、という視点を基礎にすることが必要だろう。つまり、個々の商品にとっての最小公倍数とは何か、を的確に把握することである。
 第二はユーザーの参加意欲を刺激することだ。何か変わった使い方をしてみたい、自分勝手な使い方をしてみたい、という気持ちを抱かせるような要素、つまり参加勧誘性、多用途性、変換可能性などの要素を、さまざまな形で組み込むことである。それには、商品の用途をあまりきっちり決めないで、ある種のゆとりを持たせ、ユーザー自身に遊んでみたいと思わせるような“隙”や“誘い”を仕組むことが必要になる。
 第三に流通業でも、素材や部品の販売に加えて、指導・助言や組み立て代行などを加えることが必要だ。こうした方式を採れば、商品そのものに情報やサービスを組み合わせて売り、それによって付加価値を高めていくことが可能になる。
 このようにみれば、さまざまなアイテムとの組み合わせが可能な「ユニクロのフリース」や、使い込むことで一二〇%の味が出る「イビザのバッグ」は、最小公倍数型商品の、まことに見事な先例なのである。

文脈産業・・・広がるライフスタイルショップ(繊研新聞,2000,05,01)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授 古田隆彦

【ネットベンチャーの対抗馬】
 ライフスタイルショップが伸びている。統一した趣味やポリシーのもとに、ファッション、インテリア、生活雑貨など、衣食住の個性的な商品をそろえた店舗だ。
 先発の「サザビー」や「無印良品」に続いて、「フランフラン」や「モノコムサ」、あるいは栗原はるみの「ゆとりの空間」など、大型ホームファニシングから中小のセレクトショップまで、さまざまな店が登場している。経営主体としては、料理研究家や家具メーカーも参入しているが、ファッション関連企業も多い。ファッションが衣料だけでなく、生活全般に広がり始めた証拠だろう。
 ライフスタイルショップの増加は、先進国に共通した現象だ。ロンドンでは「ザ・クロス」や「ウェストボーン・ハウス」などが大人気だし、ニューヨークでは「マーサ・スチュアート・リビング・オムニメディア」や「クレイト・アンド・バレル」の躍進がめざましい。
 そこで、最近ではライフスタイル産業をネットベンチャーの対抗馬と見るむきもある。それは多分、生活に根ざした堅実さが、バーチュアルな世界の危うさを超えているからだろう。
 一体、ライフスタイルショップにこれほど注目が集まるのはなぜなのか。最大の理由は、ユーザーの関心が商品そのものよりも、商品をとりまく「意味づけ」に移っているからだ。
 供給過剰の進む先進国では、一通りの生活財を満喫した消費者の多くが、個々の商品の「機能」や「効能」よりも、商品をとりまく「意味」へ選択基準を移しつつある。すでに装飾品やファッションについては、ブランドや稀少性などが“意味性”を担っているが、近頃ではそれがもっと進み、より身近な生活財全体にまで広がってきた。
 そこで、ライフスタイルという、一種の「見立て」が、新たな価値を生み出す。ファッションから生活雑貨まで、衣食住に関するさまざまな品を、「望ましい生活」という体系の中に位置づけることで、それぞれの「意味」が生まれてくる。
 この「見立て」には、スノビッシュなプランナーやハイソ志向のデザイナーよりも、マーサおばさんや“はるみ”ママの方が向いているようだ。

【情報化が意味に薄める】
 以上の傾向は情報化が進めば進むほど高まる。情報化社会というと、一見、意味が溢れているようにに思えるが、実態はその逆だからである。
 意味を支える言葉(記号)とは元来、音声や文字といった「符号(シニフィアン)」と、イメージや概念などの「意味(シニフィエ)」が一体化したものだ。イヌという音声と小さな動物のイメージが結合して、「犬」という「意味」を持つ言葉が生まれる。
 ところが、昨今のネット社会では、言葉の意味がますます薄くなっている。確かに私たちのまわりでは、テレビやラジオはもとよりインターネットや携帯電話など、情報が溢れかえっている。だが、一人ひとりのユーザーにとって、無関心あるいは無縁のものである限り、いかに多くともそれらはほとんど無用だ。単なる無機質な「符号」にすぎず、いきいきとした「意味」ではない。結局、“情報化”社会とは、“符号化”社会にすぎないのだ。
 否、そればかりか、意味の薄い情報が広まれば広がるほど、私たちは本物の情報への渇きを覚える。無意味な符号が溢れれば溢れるほど、私たちは濃厚な意味を求めるようになっていく。

【コンテクストが意味を創る】
 では、どうすれば、意味が回復できるのか。
 符号の意味とはもともと、他の符号との“関係性”の中から生まれてくるものだ。「イヌ」という符号と「ネコ」という符号は、長い顔の小動物と丸い顔の小動物のイメージを、はっきりと区分けることで、初めて意味のある言葉になる。
 同じように、私にとって「意味」が生まれるのは、一つの符号が私の関心体系、言い換えれば特定の文脈(コンテクスト)の中に組み込まれた時だ。文脈が違えば、“小動物”を表すイヌという音声も“幕府の手先”を示すことになる。文脈という関係性の中におかれることで、言葉は新たな意味を持つ。
 それゆえ、ユーザーにとって好ましい意味を持つ言葉を、新たに創り出すには、単語そのものを工夫する以上に、単語を取り巻く、新たな文脈を作り出さねばならない。つまり、ネット化の進む現代社会で、より強く求められているのは、単なる“コンテンツ(内容)”産業ではなく“コンテクスト(文脈)”産業なのである。
 商品でも同じことだ。現在、先進国の消費市場にはさまざまな生活財が溢れている。だが、個々のユーザーにとって適切な文脈がなければ、新たな効用は生まれない。文脈を与えなければ、ユーザーは関心を示さず、新しい需要にはならない。
 それゆえ、ユーザーに好ましい効用を持った商品を作り出すには、カラーやデザインなどで商品そのものに工夫を加えるだけでなく、それを取り巻く文脈を作り出すことが必要だろう。
 現代の消費市場で、こうした需要の変化に最も的確に対応しているのが、ライフスタイルショップである。個々の商品をライフスタイルという文脈の中に組み込むことで、それぞれの上に新しい付加価値を生み出しているからだ。
 ライフスタイルショップとは、流通業界におけるコンテクスト産業なのである。

リメークジーンズの時代が来た!(FASHION VOICE 2000,05)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授 古田隆彦

 今年は春先から、リメークファッションがブレイクしています。手持ちのデニムのパンツやスカート、古くなったニットやシャツなどに、スパンコール、ビーズ、ラインストーンなどを縫いつけて、最新のファッションに変えてしまうものです。
 この流れに乗って、いくつかのデパートでは、リメーク調の商品を増やしています。西武百貨店の池袋店では、二十歳前後の女性向けに、ジーンズやジージャンのすそにビーズテープ、チロリアンテープなどを縫いつけたもの、花や草模様を刺しゅうでワンポイントにしたもの、古着のジーンズをほどいて別布をあて、ロングスカートに加工し直したもの、スカートのすそに別布のフリルを幾重にも重ねて縫いつけたものなどを、新しいアイテムとして揃えています。
 またプランタン銀座でも、取り扱いブランドの約半分に「リメーク調」を導入していますし、東武百貨店の池袋店では、ヤング層をターゲットに、三月まで「リメークジーンズコーナー」を設けていました。
 リメークファッションが流行るのは、一昨年来の古着ブームやフォークロア(民俗調)ブームを引き継いで、ユーザー自身が自ら手を加えたり、リフォームしたりするトレンドが広がっているからです。とりわけ、デニムでは素材が丈夫で加工しやすいことから、既存の商品にいろいろ手を加えて、作り直すリメークジーンズに人気が集まっています。
 そこで、手作り材料を扱う手芸店などでは、すでに昨春からリメーク用の商品を増やしてきました。スパンコールやビーズをテープ状にしたビーズテープ、丸・星・ひし形などの鋲(びょう)、チェーン状のラインストーン、花や草をモチーフにしたチロリアンテープ、リボンパーツ、カラー羽根といったところが売れ筋でした。その中でも鋲はジーンズやジージャンにつけたいという、若い女性が多いため、しばしば在庫切れになるほどです。
 最近の若い女性たちのファッション感覚は、もはやメーカーを追い越しています。本当に好きなものが既製品に見つからないと、自分で作ってしまう。自分で作れば安くできるし、自分だけのオリジナルのものも作り出せる。……デパートの動きは、こうした流れを追いかけているのです。
 どんな分野であれ、商品の発展プロセスは、素材や品質の「差別化」競争から始まり、それが一応満たされると、カラーやデザインのよさで売る「差異化」競争へ移り、さらにそれが充足されると、ユーザー自身の参加や自己表現などに対応する「差延化」競争へと変わっていきます。この視点からみると、ジーンズ市場もまた、差別化や差異化の時代から、いよいよ差延化の時代に入ってきたといえるでしょう。
 とすれば、新品のジーンズはもとより、生地そのものも、ユーザーが自己表現を活かすための“素材”として、その品質を再評価される時代になってきたのです。

新しいミレニアムが始まった!(FASHION VOICE 2000,02)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授 古田隆彦

 二〇〇〇年という年は、二十世紀の最後の年ですが、同時に二千年紀の最初の年にもあたります。
 キリスト教では、ユダヤ教の伝統をうけて、イエス・キリストの生れた年を紀元一年とし、百年単位で世紀(センチュリー)を数えます。だが、一千年という時をキリストの到来から再来までの期間と見立てたり、彼の再来後に至福が継続する期間ともみなして、千年紀(ミレニアム)という時間区分も採用しています。このため、今年は二千年紀の最初の年になるのです。
 そこで、昨年末から今年の初めにかけて、さまざまな記念商品が発売されたり、いくつかの記念イベントが行われました。例えば西武百貨店では、各店に「ミレニアムコーナー」を設け、「2000」のロゴが入った食器、時計、衣料、子供服、アクセサリー、化粧品、ワイン、シャンパンなど、約二百品目を販売しています。
 その中では、「2000」年ラベルの五千〜六千円のシャンパンや、二〇〇〇年に飲みごろになるワインがヒットしました。また 「01−01−00」をデザインした卓上時計と腕時計も好評でした。卓上時計では二〇〇〇年一月一日に文字盤が点滅し、腕時計では音楽が流れるしかけが受けたのです。
 一方、ホテル業界では、パークハイアット東京が、大みそかにカウントダウンパーティー「ミレニアム2000」を、パーティーのみ五万円(サービス料・税別)、宿泊込み八万円(同)で催しました。またザ・リッツ・カールトン大阪が「千年に一度の贅沢を」をキャッチフレーズに売り出した、二人で二泊三日のスイートルーム利用は、実に千二百万円(サービス料・税込み)でした。
 旅行業界でも、近畿日本ツーリストが実施した、二〇〇〇年一月一日の海外挙式ツアー「ミレニアム・ウエディング」の場合、ハワイ六日間コースが九十八万八千円(二人分)でした。日本旅行も、二〇〇〇年の初日の出を世界の各地で見る「二〇〇〇年の夜明け」シリーズを発売しましたが、豪華客船「飛 鳥」から見る初日の出ツアーは、最低一人百三十万円という高値ながら、三週間で完売したといいます。
こうしてみると、消費者の一部には、長引く不況にもかかわらず、なにか「言い訳」がつけば、かなり高額の商品でも思い切って購入しようとする気分が高まっているようです。消費停滞の一つの原因が暗い気分にある以上、ミレニアムのような「祝祭消費」が喚起できれば、それだけで消費の行方を変えることも不可能ではないのです。
 とすれば、今年から来年にかけても、二十一世紀の最初の年を迎える、さまざまな新商品や新イベントをめぐって、新たなヒット商品が生まれる可能性があります。そうした波に乗り遅れないよう、アパレル業界でも対応を急がねばなりません。

厚底ブームはどこまで続くか?(FASHION VOICE 1999,12)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授  古田隆彦

一〇代の女性たちの間で、“厚底”シューズがブームになっています。二、三年前には一〇センチ程度だった厚みが年々増して、最近では限界ぎりぎりの二〇センチ近くになっています。
今年の春、もう終わりだといわれていたのに、夏になると厚底サンダルとして復活しました。冬のブーツで一旦高いヒールに慣れてしまうと、もはや低い靴には戻れなかったのです。再び秋が来ても流行は一向に終わる気配はなく、なお厚底ブーツへと続いています。一体いつまで続くのでしょうか。
“厚底”が流行する、最大の理由は、この商品が一〇代の女性の美意識や身体感と深く結びついているからです。厚底をはくと、なんといっても足が長くなり、上半身が小さく見え、〇・五頭身分ぐらいスタイルがよくなります。そのうえ、視点が高まって、視野が広がり、優越感さえ感じられます。
さらにこの美意識の裏には、ルーズソックス以来の“コミック感覚”が潜んでいます。ボトムスの比重を高めることで、トップスを小さく見せ、全体のスタイルをコミック雑誌のヒロインのように、足長のイメージへ近づけることができるからです。
 ところが、この厚底に対して、世間の目は大変冷たい。大人たちの目には「歩く姿勢が悪い」とか「危険すぎる」と映るようですし、外国人の間からも「足を長く見せたいという“体形コンプレックス”のせいだ」とか、「みんなで同じ格好をするのはカルト教団のようだ」といった批判も増えています。
 が、こうした批判をどこ吹く風と、厚底をはく女性たちは聞き流しています。彼女たちにとって大切なのは、なによりもカッコいいスタイルなのですから、コンプレックスとか危険性はいわば覚悟のうえなのです。
 とすれば、大人たちも、厚底ファッションをもっと理解を示すべきでしょう。このスタイルは、パリやミラノの流行のまねではなく、あくまでもトウキョウ発、シブヤ発のファッションです。世界最先端のコミック、アニメ、TVゲームを発信している日本の、最も流行に敏感な少子化世代が創りだした、オリジナルなファッションとして、むしろ応援をしたほうがいいのです。
 もっとも、流行である限り、厚底ブームもやがては終わります。足の長さよりも、歩き方自体のカッコよさを重視する、新しい流行が生まれてくると、厚底も飽きられます。すでに一部のシューズ店の店頭では、底の低いパンプスタイプが売れ始めているのです。
 しかし、今回の流行が終わったとしても、コミックで養われた美意識が残る以上、ベルボトムや肉厚ブーツなど、ボトムス重視の別のスタイルとして、再び復活してくる可能性は高いでしょう。
 ジーンズ業界においても、コミック感覚に見合った、新しい商品作りがもっと必要になってくるのです。

カリスマ”ブームはなぜ起こった?(FASHION VOICE 1999,09)
現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授  古田隆彦

 “カリスマ”を頭につけた職業が、この春からブームになっています。カリスマ店員、カリスマ美容師、カリスマ料理研究家といった人たちです。
 東京・渋谷のファッションビル「109」には、ほとんどの店にカリスマ店員が配置されています。例えば、ボディーラインを強調したセクシーカジュアルの超人気店「エゴイスト」。同店のカリスマ店員の一人は、身体にピッタリのラメ入りの黒いノースリーブに、ひざ上丈のミニスカート、靴底一五センチ以上のサンダルを履いて、首には十字架のペンダントをぶら下げています。
 彼女の周りを、二〇歳前後の若い女性たちがとり囲み、あれこれとアドヴァイスを受けています。「一緒に写真を撮らせて」と記念撮影を頼まれたり、ファンレターさえ送られてきます。この店でこの店員が着たファッションが話題になると、そのまま人気ブランドになっていくのです。
 また東京・原宿のヘアサロン「アクア」では、三人のヘアデザイナーが“カリスマ”とよばれています。明るい店内にはロックやポップスの音楽が軽快に流れ、個性的なファッションに身を包んだ彼らがハサミを握って、巧みな会話を交わしつつ、顧客の魅力を引き出しています。その様子を、表通りに群がった大勢のファンが、ガラス越しに眺めています。予約の受付日になると、彼らを指名する電話が殺到し、たちまち満杯になってしまうほどだ、といいます。
 “カリスマ”人間がこれほど受けるのは、一体なぜなのでしょう。カリスマとは本来「予言を行い奇蹟を起こして、民衆に大きな影響を与える人」のことです。歴史上の人物でいえば、クレオパトラやナポレオンといった人たちですから、店員や美容師の上につけるにはちょっと無理があります。
 だが、恋愛とファッションが最大の関心事の若い女性たちには、そんな難しい話はどうでもいい。彼女たちに必要なのは、もっと身近なカリスマなのです。
 これまで恋愛やファッションをリードしてきたのは、有名タレントやトップモデルでした。だが、幼い時からブランドにとり囲まれて育ってきた彼女たちは、お仕着せのブランドを嫌って、自分なりのファッションを求めています。アイドルの恋愛記事を横目で見つつも、実際の恋愛は自分なりの価値観で進めています。
 そうなると、自己実現のモデルも、絵に書いた餅ではなく、ちょっと手を伸ばせば、確実に獲得できるものが必要です。そこで、店員のような身近な存在が、一番ふさわしいモデルになります。あるいは、自分なりの魅力をせい一杯引き出してくれる美容師こそ、一番必要な人なのです。
 今、求められているカリスマとは、盲目的に服従していく神様ではなく、自分の魅力を最大限に演出してくれる、等身大のプロデューサーなのでしょう。

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