011 パクリはありだよ
・・・・・と、いうか、ある人が初めて「原稿」というものを書き始めるとき、あまり気負ってかかるよりも、できるだけ柔軟な考え方のほうが結果的にうまくいくような気がするのです。
わたしが、そういう人間だったから。自分を、文章修行をした人物だとか、キャリアのある人物だとか、とても想定できない現状なので、「物語の体操」(大塚英志著・朝日新聞社)のようにたいそうなことはとても言えませんが、それでも、経験を通して語るとすれば、たとえば、同人誌マンガのように既存のキャラクターや世界設定を拝借して準創造をすることは、そうそう捨てたものではないと思うのです。
わたしが、そうして始めたから。生まれて初めて、正式に他人に読ませる作品として、わたしが文章を仕上げたのは、大学2年のとき、児童文学研究会というサークルで創作作品を要請されたときでした。
2年生とはいえ、入ったばかりの「新人」だったわたしは、(1年生のあいだは、混声合唱団オンリーでした。)バイトの都合でファンタジー研究パートに出られなくて、代わりに出ていたような創作パートで、「新人月間にするから、初めての人は一作提出すること」とリーダーに言われるまで、思いもよらないことだったのでした。でも、このきっかけがなかったら、「そういえば、わたしは、日本神話をファンタジー作品に仕上げてみたいという野望をもっていたのだった・・・」という、高3時代の志(こころざし)を思い出すこともなかったはずなのです。
つまりは、野望そのものがその程度のいいかげんなものだったということですが・・・・・そうして、400字詰原稿用紙で90枚ほどに仕上げた初作品は、さんざんなものでした。題名は「スサノオ」でした。ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトを少年にしたてた創作作品でした。しかし、当時の児童文学研究会というところは、提出する作品は手刷りの印刷(・・・今どきの若者はだれも知らない、ガリ版というしろもの。)で、会員に配り、集った全員でその作品について評論する機構でした。
そういうシステムを通過するには、90枚という原稿は長編すぎる部類なのです。さらに、「合評会」と呼んでいた、作品の感想を述べあう集会は、シビアな意見を述べることが友情のあかしと考えられているような場所でした。
当時は、ファンタジー作品が異端視されていたこともあって、先輩たちから、「なぜ、この現代において(右翼思想的な)『古事記』をもってくるのか」と強く言われました。もちろん、反論などこれっぽっちもできません。どうしてわたしは、『古事記』の記述や埴輪(はにわ)でしか知らない服装をかっこよく思うのか、論理的な説明など不可能だったからです。
このとき、わたしはすっかり懲(こ)りました。合評会の意見にめげたというよりは、(・・・後から思えば、それでもなかなか好意的な意見の多い会でしたが。)次から、こういった意見をいやでも意識して書かざるを得ない自分が、いやになったのでした。
そして、わたしは、創作パートに作品を提出して合評してもらうという、言ってみれば「おもて」の創作道を見限って、「裏」創作の道に走ったのでした。当時は、児童文学研究会の分科会と認めてさえもらえなかった、ファンタジー研究パートのリーダーをしている先輩が、どういうわけかわたしを見込んで、自作を読ませてくれたのです。
・・・・・はっきり言って、目を疑いましたよ。その作品は、レポート用紙に鉛筆で書きなぐった、児童文学研究会メンバー総出演キャスティングによる、架空王国のファンタジーだったのですから・・・・・彼女が「昔の作品も見てくれる?」といって出してきたのは、いがらしゆみこ「キャンディ・キャンデイ」のパロディ続編でした。頭がくらくらしました。コミケができたかできないかの時代でしたが、同じような萌芽はどこにでもあったのだと思いますね。少なくとも、まったく同等の精神でした。
そして、わたしは、「わたしもこういうのを書きたい!」と、かけねなしに思ったのです。文句を言われることのない作品を書いてやる、というモチベーション(動機づけ)と、見てくれはどうでもいいから自分の一番好きなことを形にしてやる、というモチベーションは、かなり違った結果を生みます。
わたしが初めて、創作することのしびれるような喜びを味わったのは、鉛筆書きなぐり、パロディでもギャグでも何でもありの先輩のもとで書いた作品でした。それが、「西の善き魔女」の原型となった作品です。ただ、本当に打ち込んでみたときに、初めてわかることですが、全身全霊をかたむけて作品に向かうことになったとき、パロディであると、これは他人の創造物にのっかったものにすぎないとさとる場面がいつかやってくるものなのです。
あじけなくても自信なくても、一から自分で作りあげた人物なり世界観なりを動かさないと、本当に自分自身の作中人物にならないと、歯がみする思いで感得するときがくるのです。
それがわかったとき、わたしは『古事記』に再挑戦することにして、しまいには「空色勾玉」でデビューすることになりました。だから、創作パートでの体験を軽んじるわけにはいかないのですが、それであっても、わたしにとって一番大事だったのは、創作することの混じりけのない喜びをおしえてくれた、くだらないパロディ作品の回覧だったように思います。
・・・・・自分がいったいどんなものを求めているか、一度も書いた経験のない最初から、だれにでもわかっているはずはありません。そんなとき、公募に応じる気どった作品を書くよりも・・・あるいは、それを想定することで一度も書かずに終わるよりも・・・ごく親しい友人同士のみで楽しむような、純粋娯楽のパクリな作品をものすことは、意外と有効なのではないかと思うのでした。
もちろん、本当に(商業)作家になりたければ、そこに飽き足らなくなるステップは必要ですが。
そうは思わずに、楽しむことだけ楽しんだとしても、人生にすてきなものをつけ加えると思いますね。 ( 01/04/11 )
012 嗜好品の話
ちょっと年のいった人間(・・・どうやら、誕生日を経たせいで、こういうもの言いがしたくなるらしい・・・)として、しみじみ思うことの一つとして、嗜好品は移ろうものだ、というものがあります。
今現在のわたし、はっきり言って、ワイン党です。どうやら、アルコール分解酵素二種類を完備している、日本人として大多数とはいえないタイプであるふしがあり、むちゃなことをする大学時代を経てもなお、酒で大きな失敗した記憶というものはございません。酔ったいきおいでコクハクしてしまったとか、そういうかわいい体験も皆無なのでした・・・・・
・・・・・とはいえ、家族全員おちょこ一杯で真っ赤になる家庭に育ち、(ノリコは曾爺ちゃんに似たのだと、親には言われます。隔世遺伝ですかい。)どういうわけか、友人もつきあう人もノンアルコールの人物が多いという運命のめぐり合わせでもって、失敗するほど飲んだことがない、というだけのことかもしれません。
もっともっと飲める人間はいくらでもいるはずなのですが。日本酒は、口あたりがいいけれど、自分で加減がわからなくなり、当日翌日の頭痛のもとになるので、自宅へはまず購入しません。・・・・・店で飲むぶんには、好きかもしれません・・・・・スピリット類は逆に、キッチンドリンカーになるのがリアルに怖くて、めったに買えません。上等のジンとかラムとか風味が好きなのですが、買わないようにしています。けれどもウィスキーは、ピュア・モルトもバーボンも、それほど飲みたくなりませんね。大学時代にサントリーのダルマをたくさん飲んだせいなのでしょうか。
と、いうあたりが、わたしの飲酒歴です。あまり酒好きになれそうになく、それでもワインだけは、自分自身で少しずつ味を覚えた気がします。
ワインはどうしても輸入関税で割高になるお酒なので、日々の買い物には、自然とチリワインやアメリカ・カリフォルニア産、スペインやイタリアものを選んでいます。それも、白よりは赤、ぶどうの種としてカベルネ・ソービニヨンやスペインのテンプラニーリョが気に入っています。・・・・・これらは、けっこう重いワインです。こういうお酒が好きになると、不思議と「辛党」という言葉が真実になるんですね。甘いデザートをもらうよりも、塩味の「おつまみ」系が好きになってしまうのでした。20代半ばまで、自分がどんなにケーキやお菓子が好きだったかを思うと、ものすごい隔たりを感じてしまうものです。月日が流れ・・・・・自分が今、ここにいると、しみじみ思います。
おいしいコース料理を食べるときには、かたわらのグラスにワインがあってほしいと真実思いますね。かるくグラスをかたむけたほうが、話もはずんで楽しく過ごせるような気がします。でも、だからといって、ノンアルコールの人をつまらないと思うわけではありません。差し向かいで自分だけかたむけるのは、ちょっと、と思うだけ。わたしの古くからの畏友ウエムラさんは、徹底的なノンアルコールです。
病院に二週間入院して、思いっきりヘルシーな一日三食を過ごしてみると、一番のどから手がでるように感じたのは、お酒ではありませんでした。コーヒーでした。顕著なコーヒー党だとは思っていなかったので、思わず自己認識を修正しましたよ。そして、禁酒が続くと、意外と甘いものが食べたくなるものでした・・・・・まるで、高校生のときのように。高校生だったわたしは、一時間半かかる通学時間のあいだ、ポケットにチョコレートを切らすことはできなかったものです・・・・・
そこで思い起こすのが、C・S・ルイスの言葉でした。彼はエッセイのなかに、(・・・原典が手もとにないので、正確な引用ができませんが、)レストランで近く子どもの発言を聞いて、ふと思ったこと――自分は、その子と同じに、昔と変わらずレモネードを愛するが、今では酒類も好きである。大人になるということは、木々が枝葉を茂らせていくようなものであり、本質から変化しているのではなく、新たに嗜好品を取り込む作業だ――という文章を書いています。
そのとおりだ、と思うのでした。夢中で本を読みふけった小学生のわたしも、リアルにこの場に現存し、ワインの好きなわたしもまた、重なって存在しています。大人になるとはそういうこと。現実の時の流れほどに不可逆的ではないはずなのでした。 ( 01/04/26 )
013 古文が美しいから
・・・・・処女作とその続編が、日本神話モチーフのファンタジーだったために、「ずいぶん勉強したんですね」「資料を調べるのはたいへんだったでしょう」などと、よく言われます。でも、わたしは、上代文学を資料として調べた覚えはないし、ことさらにこの時代を勉強したなどとは、これぽっちも思っていないのでした。
根っからの野球ファンなら、ひいきの球団のスターティング・メンバーに関して、経歴から現在の成績に至るまで、信じられないほど詳しく把握しているではありませんか。ファン同士以外の世間には役立ちそうもない知識であっても、好きであれば、すんなり頭に入るものです。同じことが、あらゆる分野の学問にも言えそうです。
すなわち、損得の問題以前に、好きになってしまった分野なら、ひとは知識を得てしまうものなのでした。誉(ほ)められようと貶(けな)されようと。どうして古典文学が好きになったか・・・・・これは、なんというか、たまたまだとしか言いようがないのですが、まだ小学生だった時分に、ギリシャ神話や北欧神話、聖書物語、アーサー王物語、グリム童話やペロー童話やアンデルセン童話といった児童文学読み物と並列して、「古事記」「風土記」や「源氏物語」「枕草子」にふれていたという体験は大きいかもしれません。
先入観のない子どもにとっては、どれもが同じレベルの読み物であって、洋の東西を問わず、同じような「ものがたり」の根っこを宿した話であることは読んでいて明瞭でした。特に、ギリシャ神話と「古事記」に同じモチーフがあることは、小学生なりに印象的でした。「日本の神々のものがたりって、ずいぶんグローバルじゃん」(・・・という語彙は知らなかったにしろ、)そういう思いをもったことは覚えています。
一方で、60年以降にすごい速さで紹介された英米児童文学のなかで、「ファンタジー」とよばれる分野に心ひかれていったわたしですが、ナルニア国の存在が異世界であると同じくらいに、「枕草子」に出てくる宮廷は異世界に思えました。だからこそ、興味がもてたとも言えます。自分自身の日常とはかけはなれた、異世界におけるエピソードを楽しむ要領でもって、平安貴族の世界を楽しんだのだと思います。
・・・・・もちろん、ここまでの時点は現代語訳の古典を手にしていたわけで、この先に「古文」である文語体の壁があるわけなのですが。それでも、中学校で初めて「古文」にふれる以前に、わたしには文語体をかっこいいと感じる感情基盤がつくられていたようです。
これに関しては、あまり自信をもって言えることではないのですが、なぜかそういう感性の人間に育った原因の一つとしては、小学校三年生のころに一年間だけ、友だちの影響で日曜学校にかよった経験があげられるかもしれません。プロテスタントの日曜学校でしたから、教えはなるべくやさしい日本語にしてあり、賛美歌も同様でしたが、それでも「主のいのり」は、「天にまします我らの父よ、願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。御国(みくに)をきたらせたまえ・・・・」という古語体でした。賛美歌のいくつかもそうで、わたしはこれらの古語の響きを、たいへん美しいものと認識していたものです。
美しいと感じることは、結局、最強の強みかもしれません。中学校で初めて、「源氏物語」や「枕草子」や「平家物語」や「方丈記」などの冒頭が原文で教科書にのりますが、どうやらわたしは、古文法に四苦八苦する以前に、自然なかたちでこれらを受け入れていたようです。
・・・・・古文だろうと現代国語だろうと、文法はニガテで覚え込むことができなかった人間だったのですが・・・(だって、退屈なんだもん・・・)文法以前の段階で、不思議と読解ができていたようなのでした。今でもよく会う大学の旧友二人は、コスモポリタンな生活を送っており、毎年必ず海外へ飛んでいく人間です。けれども、英語で雑談のできる彼女たちが、なぜ、古文を苦にしないからといって荻原を驚異の目で見るのか、わたしにはさっぱりわかりません。
日本人が日本語を知っているだけで、どこにもえらいところはないと思うのですが。・・・・・言語というものは、論理や法則の問題ではないのでしょう。
そういう意味では、現在のわれわれが基盤としている「科学」にもうまく当てはまらないかもしれません。
もっと、本能的な美感に根ざすもの・・・・・物書きとしてどの程度の人間か、わたしに自分を評価することはできませんが、どういうわけか、古い日本語を美しいと思うようにできあがってきました。こればっかりは、変えようと思っても変えられるものではありません。
ただ、今、わたしはアメリカ人の脳神経科医師のエッセイを読んで、妙に後押しされる気分でいるのですが。言語習得能力は思春期以前に決まるものだと言います。ネオテニーによって出生以後の脳の発達に生物的な発展をたくした人類は、「学び」の可能性を十代前半までもっているそうなのです。古文体の日本語がじつに美しいことを・・・・・明治期に行われた言文一致体である現代日本語が、ある種の欠点もかかえた「私小説」文体であることを、理屈でなく感覚で感じられるわたしであることは、これからも大切にしていかなくてはならないでしょう。多数の賛同を得られるかどうかは問題ではなく、これがたぶん、わたしの個性なのです。 ( 01/05/08 )
014 同年代
じつは、買わなかったので、あまり大きな声では言えないですが、田口ランディ著「ぐるぐる日記」を先日読みました。
「コンセント」「アンテナ」という幻冬社から出た小説を読み、これはすごい、と素直に感じたもので、わたしが「活字倶楽部」(雑草社)アンケートの2000年マイベスト・ブックにためらいなく載せた著者の、これはインターネットで書きつづった日記系の文章なのです。
先入観なくひかれたはずなのに、同い年だとわかったという個人的な因縁もありますが、田口ランディという人は気になる女性なのでした。たぶん、わたしとかけはなれた個性をもっているから、かえって。(・・・ゆえに、わたしの作品が好きだという読者に、彼女の作品をおすすめしようとは思いません。ダークであっても耐えられる、多少のゆさぶりでは動じない精神基盤をもつ必要のある作品です。)
どうしてひかれたのか、一口に言うことはできませんが、かけはなれているにもかかわらず、わたしの知っている世界だったことはたしかなのでした。そのことを強調するかのように、「アンテナ」にでてくる主人公の男の子が「荻原くん」なのには、まいりました。とっても、まいりました・・・・・「オギワラ」って、そうそう出てくる苗字ではないんですよ。そりゃースキーのオギワラ選手が多少のアピールをしてくれましたが、たいていは「萩原(はぎわら)」と間違えて終わってしまうものです。
・・・・・ついでだから、だめもとで言ってみると、「萩原(はぎわら)」と「荻原(おぎわら)」の違いは、草かんむりの下の扁(へん)が、「のぎへん」か「けものへん」かの違いにあります。草かんむりに「秋」を書けば「はぎ」。荻原の荻は扁がちがうでしょう?
これ、日本語に堪能なはずの編集部の人間であっても、かなり大勢が、すんなりとまちがえてくれるのでした。
誤字に腹をたてるのがむなしいほどに、ファンレターのみなさんもまちがえてくれます。
いや、話をもどすと、「アンテナ」の主人公が「荻原くん」であったばっかりに、わたしは見事に感情移入していたのでした。荻原くんって、半分あっちの世界にいる人間であることが似合っているようなんだもの。(思わず弟のことを考えました。)
「コンセント」「アンテナ」が、リアルでありながら神がかったところのある小説なので、今回読んだ「ぐるぐる日記」がおもしろかったです。これらの小説ができあがる前後の日常を赤裸々(せきらら)につづった日記、という体裁なのですが、もとはマスコミ業界人ながら、現在は神奈川県足柄郡湯河原町に住む、二歳児をかかえた主婦である彼女の、ぜんぜん小説を書く環境に見えない、自分の時間がほとんどとれない毎日を書きつづった記録。
・・・・・生きていくということは、日々たえまない雑音や雑念にさらされていることなのであって、どんな小説家も、そういう雑事に埋もれながら何かを書いているのではないかと、ふとそう思えるような文章でした。「・・・3日集中できる時間があれば・・・」と、せつに願うような日々を送りながら、彼女のもとで、現実とはまったくちがうトーンをもつ「コンセント」という小説ができあがる不思議があるのですから。
忙しいから、まとまった時間がとれないから・・・・・というのは、わたしを含めて、まともな作品を仕上げることができないとき、自他ともに許す言い訳なのかもしれません。雑音・雑念を排除した場所などというものは、じつは現実には存在しないものかも。はげしく分断され、ほとんど不可能だと思うような情況のなかから、なおも書きつづられたものが、本当に優れた小説になるのかもしれない・・・・・と、いうことを考えました。
・・・・・後日談です・・・・・以上の文章を書き上げながら、数日放っていたあいだに、ふと立ち寄ったパルコブックセンターで、「同年代」という本を発見しました。なんでそんな企画が通ったのかさっぱりわからないながら、(・・・・・ショックのあまり購入しなかったので、出版社がわかりませんが、)昭和34年生まれの有名人たちに来(こ)し方を語ってもらうという本でした。
なにがショックだったかといって、NHK大河ドラマ(じつは、一回しか視聴していませんが)の北条パパで印象的な俳優、渡辺謙氏が、34年10月生まれだったこと、に、ほかありません。よしてよー。わたしが彼の半年としうえだなんて、どうしても信じられませんー(泣)。
田口ランディさんは、何月生まれなんだろう・・・・・(泣)。 ( 01/05/21 )
015 神話の危険性
神話を扱うには、注意が必要です。
この感覚を知らない人に、どのように伝えればいいのかと迷うのですが、われわれが弄(もてあそ)んでいる創作と、人類がその無意識にもち続ける精神から生み出されている神話・伝説・昔話というしろものとでは、格がまるっきりちがうのであって、創作者はへたな近づき方をしてはいけません。手に負えないこともあります。
けれども、危険と知りつつ、どうしてもこれに魅せられて、自分の創作に取り入れたいと願ってしまう創作者がいるもので・・・・・つまり、それが、ファンタジー作家なのだといえます。ゆえに、ファンタジー作家は、危険を知っている人でなくてはいけません。
神話は、土地に根づいていて、その土地がもつ風景と風物のなかで、倍音のように共振する響きを生み出します。これはむしろ、土地に根づくという言い方をするよりも、土地で育った人間たちの深層心理の問題なのかもしれません。同じ場所で育った同じ形のスイッチが、その土地のだれもにあるということかも・・・。千年二千年をかけて、形となったキャラクターとストーリーですから、個人がこれに対抗できるものではありません。
何を隠そう(・・・というか、どこかで語ったことがあるのですが)、わたしが物書きになりたいと思ってから、一番最初に興味をもった神話は、日本神話ではなくケルト神話でした。
当時、高校生でしたが、まだまだケルトに関してまとまった文献を翻訳紹介しようという気運はちまたになく、わたしが最初にふれたケルト神話は、児童文学のなかでした。すなわち、アラン・ガーナー著作「ふくろう模様の皿」(および、三部作の一と二にあたる「ブリジンガメンの魔法の宝石」と「エリダー」)、ロイド・アリグザンダー著作「プリデインものがたり」です。(両方とも評論社刊)二つの作品は、どちらも、ケルト神話として今日にのこる「マビノギオン」を典拠としていながら、まったく肌合いの違う創作でした。アラン・ガーナー「ふくろう模様の皿」は、主人公を現代の少年少女に設定しながら、ホラーといいたいほどおどろおどろしい物語、土地に根づいた因習因縁を感じさせるウェールズの、神話的予感にみちあふれた物語です。情景描写だけで読む者を別世界に飛ばすことのできる、力ある物語です。
一方、アリグザンダーの「プリデイン物語」(全5巻、別巻2巻)は、作者がアメリカ人だということもあって、「マビノギオン」を今で言えばロールプレイング・ゲームに翻案したような、根の明るいデフォルメを伴う、主人公少年のめちゃくちゃおもしろい成長物語談でした。当時のわたしは、どちらも大のお気に入りとしながらも、「プリデイン物語」により大きく反応しました。おさだまりの勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を扱っていそうな、単純きわまる物語設定ながら、きわどくそうはならない深遠な表象のあるところに、神話がもっている、たたいても死なない香気をかいだような気がしたのです。
・・・・・これは、現代人のわたしたちにとっては、一人の作者が先祖の土地をも離れ、ある意味、土地の魔力からのがれ去った立場で創作する物語であるくらいのほうが、広く受け入れやすい形をとるのではないかという、仮説の提示でもあります。
ともあれ、わたしが、まだ幼い精神で「わたしは、このような物語を書きたい」と思った最初の作品は、ロイド・アリグザンダーがアメリカで発表した「プリデイン物語」だったのでした。
だから、いまだに、わたしはケルト神話にはんぱでない興味があります。わたしが注目した当時は、ケルトに関して翻訳出版される本がごく少なかったものですから、しばらくのあいだは、全作網羅(もうら)ができていたものでした・・・・・鶴岡真弓さんなどのブームがきてからは、そうも言えませんが。何を言いたいのかというと、わたしを心から魅了したのが「マビノギオン」であったとしても、直感としかいいようのないものでもって、わたしが「マビノギオン」を直接使って物語を構築するわけにはいかないと思っていたことなのです。
アメリカ人でありながら、ウェールズ神話をとりあつかったアリグザンダーに深い尊敬の念をもちながらも、たぶん彼には、どこかに血の継承があるのだろうと思えました。東洋人のわたしが、もしも勝負するならば、それは日本人のもつ日本神話の世界を、どのようにか展開してアリグザンダーが示したような個人のものにすることだと思えました。しかしですね、当時のわたしは、それでもまだ「古事記」を甘く見ていたらしいのでした。神話というものは、われわれの心の奥底が共振する響き――波動をもつもののようです。自覚のないままに触れれば・・・・・あからさまにいうと、創作者をくらう力があります。安易なストーリーなどぶちこわし、バランスをくつがえして立ち現れようとする原始的エネルギーに満ちています。
神話を創作に取り入れる危険とは、ここにあります。はっきり言って、個人の創作では、ほとんどたちうちできないのです。密度のちがう、急に薄っぺらい様相をあからさまにしてしまうばかりで、早晩物語として崩壊するにきまっています。
なぜなら、わたしが、さんざん試みて挫折してから、もう、古事記にはこだわらずに自由に書いてみよう・・・と思い定めてつくったストーリーが、「空色勾玉」だったのですから。輝(かぐ)の三姉弟が、アマテラスたちと同じ形をとったのは、少なくともわたしにとっては、向こう(古事記)のほうから歩み寄ってきたように見えました。
そのとき、はじめてわたしは、この原型はぬきさしならずに自分のなかにある、という思いをもったものです。言いかえれば、わたしは日本人だったのだ、ってことです。それと同じような意味あいで、たとえばケルト神話には、西ヨーロッパの彼らの土地の、彼らの心性による波動があります・・・・・東洋人のわたしのものではなく。わたしという作者は、わたしの血肉になったものしか使えないのですから、異なる神話を物語に取り入れることは、たいへん難しいのです。波動の語る、自己言及の物語と、わたしがこしらえた創作世界との濃度は必ず異なってしまいます。そして、その、異なる濃度が物語世界に亀裂をもたらし、破壊に至ります・・・・・
現在、異世界ファンタジーと呼ばれるジャンルの作品を書く作家が、意外とこの「濃度」の問題に無関心であることに、最近気づいて愕然(がくぜん)としました。神話の力で破壊されていても、それなりの物語は存在しますが、それはどう繕ってみても二流にしかならない作品でしょう。どうせ創作するなら、最初から二流三流にとどまることが決まっている作品でなく、この上にはだれもいないと思わせる、第一流のファンタジーを手がけてほしいものです。そのためには、神話をあなどった手法を手がけてはいけないのです。 ( 01/05/28 )
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