006 再・ファンタジーとは何か
議論はむなしいと言いながら、このわたしは、たぶん、一生同じ疑問をかかえて生きるのでしょう。以下に述べることは、独り言だと思ってくださいね・・・・・
有識者が、エンデの「モモ」や「果てしない物語」を絶賛するのを、ずいぶんと見てきました。
それに、何かというと、ファンタジーのお手本としてはル=グインの「ゲド戦記」がひきあいに出されるのを見てきました。
エンデはドイツの作家、ル=グインはアメリカの作家です。
どちらも、ファンタジー作品の大家として莫大な売れ行きを記録している人物です。
それらの作品に優れた部分があることを、わたしも重々承知しています。けれども、有識者の評価を読むと、それらはまるで、たとえば「赤ずきん」の物語を、「若い女の子が、クチのうまい男にだまされるとひどい目にあう」と、読み解くことが正しいと言っているみたいなのです。たしかにうそではありませんが、ある意味げんなりするものごとではありませんか? 物語をたのしむ力のある人間にとっては。
・・・・・・若い女の子への警句は、たしかに「赤ずきん」に含まれるものごとです。そういう隠喩(いんゆ)がなければ、この昔話の強い魅力も存在しません。
けれども、わたしたちが惹(ひ)かれる一番の接点は、そういう真実が奥底に存在するということ以上に、「赤いずきんを被った美少女」のイメージや、森のおばあさんに「お菓子とぶどう酒」をとどけるという、赤ずきんのお使いの内容や、森のなかで花をつむ楽しさの肯定や、オオカミが化けたおばあさんを見て、「なんて大きいおクチでしょう」と言うまでのやりとりの緊迫感や・・・・・という、些末(さまつ)な部分ではないでしょうか。.
そういう部分を、雑念なく思いっきり楽しむことで、ひいては裏のメッセージもいつのまにか通じている・・・・・・というのがファンタジー文学ではなかろうかと、わたしは思ってしまうのです。児童文学をかなり早くから読んでいて、イギリスの児童文学にある伝統にふれ、その伝統を受け継ぐかたちでC・S・ルイス著「ナルニア国ものがたり」を読んでしまったせいなのでした。
初めて「ナルニア国ものがたり」(全7巻 岩波書店・瀬田貞二訳)を読んだのは小学校2年生で、本当に味わうことができたのは5年生でした。「これはわたしの好きな物語だ」という思いを強くしたのは、中学3年の思春期まっさかりでした。ところが、さらに歳をとるうちには、物語の裏の寓意がかなり相当にキリスト教的であるところに、不審と反感が芽ばえはじめて、大学生から就職後数年のしばらくは、逆にこの作品をまったく読むことができませんでした。
それでも、現在は、大局的な寓意は物語にとって一番必要な部分ではないと思うことによって、この物語をふたたび愛せるようになっています。とにかく、「寓意的にはこうだ!」というものを前提にしなければ読めない物語などというのは、最終的には貧しいものに思えるのです。物語の本質は、そういうものを前提としない細部にやどっていると言えないでしょうか。
たとえば第一巻「ライオンと魔女」で語られる「街灯あと野」・・・・・・雪のつもる野原に、なぜかロンドンの街灯が一本(たぶん、ガス灯が)点っている。そのイメージが、べつに寓意を必要とはしないけれど、とても重要なのです。
それ以上に、もの言うけもののビーバー夫妻の家で、現代(と、いっても第二次世界大戦中なのだけれど・・・)の子どもたちがふるまわれた、釣ったばかりの魚のフライと、たっぷりのバターとジャガイモの夕ごはん。それが、わけもなく、すばらしいものだったりします。「朝びらき丸東の海へ」であれば、ネズミの騎士リーピチープがすごくかわいいとか、そういう本筋とは言えない部分です。
一度でいいからその毛皮の体をぎゅっと抱きしめたいけれど、彼が騎士として誇り高いネズミなので、がまんしている・・・というルーシーの述懐が、とても効いていたりします。「ナルニア国ものがたり」によって、ファンタジーを読む楽しさの基礎を知ってしまったようなわたしには、これとは異なる質感をもったファンタジーにある妙な「わかりやすさ」、言いかえれば、評論家が一番よい部分を要約して語れるようなファンタジーには、違和感を覚えるのでした。
「ナルニア国ものがたり」も、視座を転換すれば、キリスト教の訓話であることは目に見えています。「ライオンと魔女」など、これをイエスの受難劇に見立てるのはいとも簡単です。けれども、その見方にそって作品を語りなおしても興ざめするばかりで、多くの読者がいることの説明にならないのです。
そう読みたい人間もいることはいますが・・・・・一度は否定した自分だからこそ、この作品の偉大さは、意味をなさない細部にあるのだと言えます。そういうふうに、否定しても否定しきれない細部をもっているものが、本当のファンタジーだと思うのでした。寓意から離れてもまだまだ魅惑をもちえる細部というものは、ある種の作家にとっては、かなりウエイトの軽いものごとのようです。わたしは、それを軽んじてほしくないのです。たいした理由もないのに、なぜかしらひきつけられ、輝いて見える事象があるとしたら、それは、わたしたちが子ども心に肯定し、成長するにつれて忘れてしまうことの多い何かなのでしょう。フォーンのタムナスさんのお茶にでてきた、「やわらかくゆでたきれいな茶色の卵」のように・・・・・・
それゆえに、わたしは児童文学に関心があります。
児童文学の「ファンタジー」に関心があります。そして、ローリングの「ハリー・ポッター」には、久々にこの、わたしが「ナルニア国」で味わったファンタジーの味わいがあるのでした。この作品にためになる意義を求めても、はかばかしい形でなど抽出できっこありません。もったいぶって評論したい日本の論者には きっとわからないだろうと、ひそかにふんでいましたが、やっぱりわからなかったみたいですね。
はっきり言って、日本にはファンタジーを読む素養の欠落した高年齢層が現存します。
私小説の読み方の対極に位置するのが、ファンタジーの読み方なのです。 ( 01/02/28 )
007 人生の謎
人生は謎(なぞ)につつまれていると思うのは、なにも若いうちばかりではありませんね。
平均寿命の半分を生きた今でも、謎は解けることがなく、この調子でいくなら後半生にだって解明する日はこないのだと、妙なさとりが発達するばかりなのでした。わたしの人生でもっとも大きな謎は、高校2年の夏休みに見た夢と、大学3年の夜中にめざめて起こした進路変更です。
大学生活は自宅からの通学でしたが、授業料と通学定期代以外のいっさいは親にたよらないという条件ではじめたので、かなりアルバイトをしました。・・・なんといっても、教授の指定する教科書はばか高いしろものだし、サークルの春、夏、冬の合宿費用もばかにならないし、おしゃれに手が回らないとはいっても、多少のお洋服やオーデコロンやかわいいグッズが買いたいし、もちろん自分の読みたい本が買いたいし・・・・・
文学部ではなく教育学部国文に受かってしまった時点で、べつに教師をめざしたわけではないけれども、これは教師になるのがわたしの運命かな・・・と、漠然と思いさだめていました。そして、かなりいろいろな種類のバイトを経験した結果、どうもわたしは企業社会で頭角をあらわすタイプではないらしいと判断するに至って、ますます教師になるしか道はあるまいと考えていました。
3年生になると、教員免許取得の必須条項としての教育実習があります。これを母校の高校に申し込み、承諾を得たころになって、ある日の夜中に目がさめました。そして突然、「教師になりたくない!!!」と思いました。そのときまで、わたしは自分がどんなに教師になりたくないと思っているか、ほとんど気がつかなかったのでした。
「夜中に突然、教師になりたくないと思ったの」と言うと、当時のたいていの友人は笑いました。それくらい、学部のクラスメイトもサークルの仲間も教師を職業に選んた人種の多い場所でした。彼ら彼女らが、若者らしい抱負に燃えて教師となっていくのをはた目に見て、少々後ろめたかったのは事実です。けれども、わたしは、「この自分が教師になったら、わたしの何かを殺してしまう」という直感を、どうしてもぬぐえなかったのでした。
・・・・・その「何か」というものが、高校2年の夏に見た夢なのでした。
わたしが一番不安定な時期をすごした年齢が、中学2年の夏と高校2年の夏で、それは日記ノートを読んでもあからさまなのですが。客観的には、おとなしく家族旅行に出かけたり、演劇コンクールスタッフとして学校へ何度も出かけている高校2年の夏であっても、主観的には閉塞情況にある夏休みでした。 その夏、自分で自分に唯一の旅としてノートにしるしたのは、夢の中の旅でした。
強烈な印象をもつその夢のなかで、 わたしは、ヨーロッパ植民地支配時代のある総督の幼い娘でした。父が総督をつとめる北極圏の島へ船で出向くところでした。原住民部族を慰問(いもん)する旅であり、同行の人々の優越感がわたしにも伝わってきました。わたしは、そのなかでもことさらに高慢な、父親の権力と溺愛を自覚している娘でした。
わたしたちは、上陸した島の平坦な草地を歩きました。空はくもって暗く、なだらかな暗い緑の牧草地には、真っ黒な牛がたくさんいて、草をはんでいました。やがて、ぽつねんと建つ掘ったて小屋が見えてきて、その小屋には、少年がたった一人で住んでいるとわかりました。絶滅にひんした部族の最後の少年は、祖父に教えられたとおりの暮らしを一人でいとなんでいました。
少年はわたしと同じくらいの年頃・・・つまり、10歳に満たない年齢でした。政府からおくられた文明の利器を物置きに押し込み、まったく使用せずに暮らしていました。結論から先に言うと、総督の娘であるわたしは、彼にひとめぼれをしたのでありました。とても子どもらしい好意の表現として、もっていたネーブルオレンジを彼にあげました。
少年は、すぐにそのオレンジの皮をむいて、食べるのかと思いきや、むいた房をわたしにくれるのでした。それは、言葉にならないコミュニケーションでした。お互いに好きだということが、わたしにも100%わかったのです。だから、わかったというしるしに、オレンジの房を食べてみせました。こんなに幸福な気持ちでものを食べたことはかつてありませんでした。
・・・・・目がさめたとき、どこにもその少年がいないので、ひどくがっかりしたこと覚えています。
生まれてはじめて作品を書きたいと思ったのは、この半年後でした。そして、大学3年生のある夜にめざめて、失ってしまうと感じたのは、この夢の少年だったような気がするのです。すべては感覚の問題であって、さだかなことではありませんが。教師にはなるまいと決心したとき、なんともいえない解放感があったのはたしかです。わたしのなかで、死にそうな何かが息をふきかえしたように。
謎は、このときのわたしの直感はいったいどこから出てきたものか、いったいそれは正しいものだったのかということです。けれども、作品を書くたびに、わたしは自分があのときの島の少年に向かっていることを感じます。稚羽矢(ちはや)も、小倶那(おぐな)も、阿高(あたか)も、ルーンも、あの島にいた少年のヴァリエーションかもしれないのでした。
じつは、この冬に、生まれてはじめて手術入院というはめにおちいりました。
手術はなんなく終わったのですが、事後の痛み止めにも抗生物質の点滴にも過敏反応が出てしまい、よけいな症状で難儀しました。
そういうなかで、脳が過剰な反応をしていることが、自分で自覚できるほど変調をきたしている入院中のできごとではあるのですが、真夜中に真実にめざめたと感じることがら(・・・たぶん、宗教にはしる人々の「覚醒(かくせい)」は、こんな気分におちいるときなのだと思います・・・)が、何年も思い出さずにいた、17歳の夏の夢だったのでした。あのとき見た、あの夢にむかって行動をおこすのが自分の生き方なのだと、みょうに納得してうなずいたりしたのです。事実かどうかはあやしいもので、かなりバランスのくずれた精神状態だったと自分でもわかっています。それであっても、こんな年齢になるまで、あのときの夢は強い意味をもっていたのかと、ある意味感動する気分になりました。
大学3年の夜中に受けた啓示のとおりに、わたしは人生を選び変え、今ではこうして少々の商業出版をして、高校2年の夢に忠実に生きているのですが。
このわけを説明してくれる、どんな専門家もいないとわかった今、自分でなんとかこしらえなくてはならないようですが、もしかすると、どんな説明があっても拒否するだけのわたしなのかもしれないと、思ったりもするのです。
わけのわからない文章ですみませんね。 ( 01/03/04 )
008 根気と移り気
すべてのことは変化していくのが人生です。・・・・・私が、一生変えるまいと望んだことでさえも、365 日という時を刻んだ後にさだかかどうかは、ほとんど自分自身にさえわからないものごとなのでした。
どうしてなのかはよくわかりませんが、わたしという子どもは、そのことを妙に切実に感じてしまう子どもでした。自分自身が、きのうとは違うものごとを追いかけてしまう・・・・・成長期においては、それも当然と(今となっては)思うのですが・・・・・継続する何かに耐えられない自分というものが、けっこう深刻なナヤミだったりしました。7歳か8歳くらいのときだったと思います。
たとえば、一月一日の新年の誓いに「これからは、弟をいじめないで仲よくする」と願をたてたというのに、その日のうちにケンカしてしまうのでした。または、「今日から毎日日記をつける」と、だれに強制されることなく誓ったはずなのに、忘れてしまう自分がいるのでした。
さまざまな、わたしが自分から中断してしまうものごとを並べて、わたしは自分自身を「あきっぽい」と認定していました。・・・・・うそではないと思います。その後、13歳になったときには、幼稚園からはじめたピアノを惜しげもなくやめてしまいましたし、絵画教室も、英語教室も、学習塾も、長続きしたものは一つもありませんでした。学校のクラブ活動でも、中学から高校、高校から大学といったステップにまたがって継続したものは一つもありませんでした。
だから、いまだに、わたしは自分を「あきっぽい」人間だと把握しているところがあります。急に何かに興味がなくなってしまっても、わたしってこういうタイプだったのと思って、あっさり捨て去る部分が確実にあります。粘着質はキライなのです。風のように、次のなにかを探すのがいさぎよいと、かなりの部分で思っています。
・・・・・と、書いていて、わたしは上昇宮(アセンダント)が双子座なのだということを思い出しました。かなりのところまで当てはまっていますね。
ところが、わたしのなかのどこか奥深い部分では、こうした自在な変化を嫌っていて、どうやらそういう部分が、不変の何かをつかもうとし、不変の部分を生かそうとして、子どものわたしの記憶を保持しようとつとめるのでした。それが、もの書くわたしであり、昔のわたしが望んだであろう物語を語りたくなる私なのです。
はっきりいって、長編の物語を書くうえで必要なものごとは、「根気」以外のなにものでもありません。アイデアも大事、文章力も大事かもしれないけれど、要はおしまいまで書く根気の問題です。あきて当然なのが人間であって、半年以上も一つのことに執着できるほうが、あんまり普通じゃないのだと思います。
けれども、人間は、自分を継続させるものを求めていたりしませんか?
自分を長い間、努力の必要なく熱中させてくれるものごとを、必死になって求めていたりしませんか?
そういうものごとは、限りなく恋愛に似ていて、子どもでも老人でも恋愛に似た熱中をもとめているのかもしれません。
根気から縁遠いと思っていたわたしにも、やりようによっては長編の物語が書けるとわかった今、これを、わたしの太陽星座は牡牛座なのだという言い方もできますが、(・・・とはいえ、そうとう牡羊座に近い牡牛座なのよ。) 自分の本質は、そう簡単に自分自身に開示されるものではないと言い換えることもできます。
・・・自分にわからないものが他人にわかるはずがありません。それなのに、わかってしまう人がいるとしたら、そのひとがどんな職業についていようと、おおいなる奇跡です。
自分一人で考えたことが、言葉などというもので、考えたとおりに他のだれかに伝わることさえ不思議なのです。( 01/03/08 )
009 物語の価値
お金を払って作品を読んでもらう以上、いつも念頭にあるべきことではあるのですが、それにしても、物語の存在価値は何なのかと、よく考えます。
他人にとって何であるかということと同じくらい、自分にとって何なのかということを。
サバイバルの極限状態において、本・・・しかも実践知識の伝達でないものごとの書かれた本が、必要でなくなることはわかりきっています。たとえば、わたしが今、突然震災にあって、ライフラインが何日もストップするような目にあったとしたら、わたしの書くものは何の足しにもなりません。
たとえば、現在が、物資も窮乏する焼け出された大戦末期の東京だったとしたら、衣食住にこと欠く日々の生活に、夢物語の入る余地はないはずです。たとえば、わたしが、労働力を見込んで縁組するだけの昔の農家の嫁だったら・・・先祖は名もない百姓ですから、タイム・スリップすればおおいにありそうな話です・・・いぢわるな姑(しゅうとめ)につかえながら、他家で人間関係をつくることに全能力をつかいはたすような生活をして、とてもではないけれど、物語など考えてはいられなかっただろうと思います。
(・・・それを思うと、現代に生まれたわたしは、なんという幸運だったのかと、つくづく思いますね・・・わたしみたいな人間は、ぜったいに姑(しゅうとめ)にいぢわるされてしまうに決まっていますよ。労働に前向きになれないし、子どもが好きじゃないし、女社会でうまくやっていきたかったら、断言できますが、夢想にふける性質を排除することが必要ですから。)
それなのに、わたしはどうして物語を考え、物語に依存するような生活をしているのだろうと、この衝動はいったいどこからわきあがってくるのだろうかと、ずっと疑問に思っていました。
まだ作品を発表したことのなかった20代のころ、いちおう出した結論というのは、「物語はお菓子のようなものだ」というものです・・・・・今よりずっと甘いものに目がなかった当時の考えですが。
それは、アンネ・フランクの日記を読んで得た感想にもとづいていました。大戦下のドイツに隠れ潜んで生きる、極限の暮らしのなかでも、アンネは自分の配給分の砂糖をいっしょうけんめいためて、明日は「フォンダン(砂糖菓子の一種)」を作ってもらうんだと楽しそうに書くのです。アンネに共感して、わたしは思いました・・・・・生きのびる栄養素として、お菓子は必要ではないけれど、ほんのわずかでも余分があるならば、人間には「祭り」が必要なのだと。
生きるための直接行為ではない楽しみごとが、明日も生きていこうとする勇気に必要なのであって、甘いお菓子やハッピーエンドが約束された昔話は、毎日は求められないにしても必要な、人間の祭りごとだと言えるのだろうと。・・・・・現在のわたしは、どうやら辛党(からとう)になりつつあり、お菓子がなくても生きていけそうなのですが。そのかわりお酒がなくてはとか・・・・・うーん。
2週間ほど入院してみて、思いしったのは、毎日の生活における嗜好品の存在の大きさでした。健康にかんがみては完ぺきな病院食を食べながら、一番恋しかったのはコーヒー、二番がワイン、三番がケーキでしたよ・・・・・昨年12月に体験した、生まれてはじめての入院および手術でしたが、これを経てみて、わたしの見解は少し変わりました。物語はお菓子だろうという仮説もまた変わりました。
結局わたしはかなり健康に日々をすごしてきたし、なんだかんだと言っても順調に歳をとってきて、人生の節目になるような危機的情況を経験せずに、のうのうと生きてきたようです。
今回の入院で初めて、すべてが自分の考え方一つで、気分的にどん底に落ちることもできるし強くあれば前向きに生きることもできるという情況に遭遇しました。そして、わかったことが、この自分がいっさい他人の助けを受けつけないという危機的情況におちいったときに、この世を忌避(きひ)して 自殺に向かう精神状態におちいらないための防波堤として、「おはなし」をつくる能力は強みを発揮するということでした。
この能力は、あまりに高度に発展しすぎると、イエスやマホメットが神から下された啓示のようなものになるかもしれませんが、凡人にとっては生きていくための「おはなし」になります。わたしという個体を維持するために、ときには、現実には足のつかない荒唐無稽(こうとうむけい)な「おはなし」を必要とすることがあるらしいのです。このことが、たえず世の中に物語が流通していることの理由のように思えるのでした。「おはなし」のように、ものごとがすべて都合よくめでたしを迎えると信じることのできる人は、たぶんどこにもいません。現実の世界のなかに、ハッピーエンドをめざして首尾一貫したものごとはどこにも存在しません。
それでも、 ある個人が崖っぷちに追いつめられて、飛ぼうか飛ぶまいかの決断をたった一人で下さなければならないときになって、自分で自分に「おはなし」を語ることができるかどうかは、かなりの分かれ目になるのではないか・・・・・と、そう思えたのでした。そう思えば、これは生きるための知恵のように見えてきます。それも、ふつうで言えば困難な生き方をしいられる人であればあるほど、「おはなし」を語る能力は身につける必要があるように思えるのです。
まあ、つまるところは、このわたしも生きることが困難な人だったのでしょうと、さとりを開いた昨今でした。( 01/03/25 )
010 行きて帰りし物語
きのう、「物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン―」(大塚英志著・朝日新聞社)を書店で見かけて(いや、見かけたのは3度目なのですが)、買ってしまいました。
最後まで読んで、カバーの見返しを見たら、「・・・本書の元になった連載や『サブカルチャー文学論』(『文學界』連載中止)は文学方面には極めて評判が悪い・・・」と、露悪(ろあく)的に書いてありました。もしかして、評判が悪いのはふだんの行状――大塚英志が「多重人格探偵サイコ」の原作者だったりするせいでしょうか。
かくいうわたし、「多重人格探偵サイコ」のコミックスが出るたび買い求める人間ですが(もう、怖いもの見たさ・・・それに、ビジュアルのレベルの高さを率直に認めるから)、「物語の体操」をひととおり読んで、「サイコ」の原作者なのにまじめでまともな内容じゃない、と、びっくりしましたから、けっこう毒されていたかもしれません。
もちろん、「物語の体操」を実践すれば「みるみる小説が書ける」かどうか、わたしにはよくわかりません。それでも、感触として、ここにはとても誠実な態度で著者の知り得たものごとを惜しみなく書いてあると思いました。
そして、著者が「技術」だといって教えたがっているものは、直木賞芥川賞をとるために役立つかどうかはさておき、わたしがふだんから「おはなし」とか「物語」という言葉にこめていた概念の基本と、非常によく似ていると思ったのでした。著書のなかで強調されていることを、勝手に短くまとめてしまえば、世の中に流通している作品の背後には、昔話(や神話や英雄談)に共通する「おはなし」の「骨」が必ずあるのであって、その骨組を知り、骨へ自分なりに肉付けすることを知ることが大事だ、というものでしょう。
その骨のかたちを、「主題をもうける」などというお仕着せでなく体得したならば、内側に自然に芽生えてくるスタイルがあり、それが「行きて帰りし物語」だと、かなり苦心して語っていると見えます・・・・・主人公が行きて帰りしあいだに成長しているという、ごく自然に健全なテーマが浮かび出てくるはずだと。
・・・・・「多重人格探偵サイコ」をつくる人がこれを言うので、おかしいといえばおかしく、逆説的にたいへん誠実に聞こえます。「物語の体操」のなかにも、典拠がきちんとのっていますが、「行きて帰りし物語」とは、J・R・Rトールキンの「ホビットの冒険」サブタイトルを、訳者の瀬田貞二(せた ていじ)氏が翻訳した言葉なのでした。(原題は、The Hobbit or There and Back Again)
戦後日本への優れたファンタジーの紹介者である(――「指輪物語」も、ルイスの「ナルニア国ものがたり」も、彼による翻訳です――)児童文学者の瀬田貞二氏は、彼自身の考察として、幼い子どもの喜ぶ「おはなし」がもつパターンであり、同時にトールキンが全体験から会得(えとく)した哲学でもある、「行きて帰りし」骨格をもつ物語の存在を語っていました。
だから、「行きて帰りし」の存在は、少なくともファンタジーの基本を知りたいと思う人には極めて重要だと思います。わたし自身、この言葉は昔読んだときのままに体のどこかにしみついています。ただ、わたしは、これをファンタジーにかぎっての鉄則だと思っていて、小説全体に適用するには少しためらいがあったりするのですが。
それでも、けっしてうそにはならない、物書きをめざす人がみな、一度は知っていていいことだと思っています。大塚氏って、わたしより親切な人だなあと思ったりして。わたしが最近、「行きて帰りし」骨の存在ゆえに救われることで感心したのは、「バトル・ロワイアル」でした。そんなふうに、現実に力をもつ骨組です。
その他で、「物語の体操」を読んでおもしろく思ったことは、一人称三人称のエピソードでした。著者が創作講座で、既存のコミックを文章になおせという課題を与えたところ、学生の八割が一人称で書いてきたそうです。(つげ義春をもち出したのだから、そうもあろう、とは思いますが・・・・・)
そこから導いた著者の考察がふるっていて、「日本語(と、いうか近代日本の小説言葉)は、自己言及する私小説のかたちで一番語りやすいように発達した」というものでした。これには、まったくうなずいてしまいます。著書には、そのことに対する攻略法も続いて書かれていますが、まずはこの認識、するどいですね。( 01/03/30 )
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