ストレスとは何か?



 最近では、色々なところでストレスに付いては取り上げられているので一般的な知識はお持ちだと思います。例えば、適度なストレスは健康のためには必要であるとか、ストレス解消にスポーツをしましょうとか、ストレスによって免疫機能の低下や癌になるとか。

 それでは、最初にちょっと原点に還えって、学術的にはストレスとは何かということをお話ししたいと思います。


ストレスは物理学(工学)用語

 もともとストレスというのは物理学(工学)から来ている用語です。金属に外部から力を加えて変形させると歪みが生じます。その歪みを元に戻そうとして、金属は応力という力を出します。作用反作用みたいなものなのですが。その金属に生じた応力のことをストレスと言うのです

 一部の解説書やらストレス読本みたいな本には、ストレスとは外部から受けた力によって生じた歪みである、というような書き方をしているものがありますが、それは実は誤りなのです。ストレスとは、本来は、けっして「歪み」のことではないということを覚えておいてください。


セリエが本当に言ったこと

 そこで、医学の世界で物理学の用語を持ち出し、ストレス理論を最初に学術的に発表したのは、チェコ生まれでカナダの大学で研究していたハンス・セリエという病理学者です。ストレス教の教祖様は「セリエ様」というわけです。

 セリエのストレスについての、最初の論文は「各種有害作因によって惹起された症候群」というタイトルでした。

 その中で彼は、生物学的侵襲(有害ホルモン、細菌)、物理的侵襲(高温、寒冷)、化学的侵襲(酸、その他)等の外界からの侵襲の種類を問わず、侵襲にあった実験動物には一定の全身的変化が出現するということを言ってます。

 この全身的変化のことを「一般適応症候群」と呼んだのです。また、外界からの侵襲については、「有害作因」と呼び、「ストレス作因」「ストレスッサー」とも呼んだのです。

 初めセリエが言ったのは、実験動物に対してですが、これを人間に置き換えても良いわけです。つまり、人間に対して外界からの侵襲、刺激が起きた場合に人間は、全身的な変化を起こすということなのです。

 ここまでで、「あれ、おかしいな」と思われる方もいると思います。ストレスッサーとして何か足りない。そう思われるかもしれません。生物学的侵襲、物理的侵襲、化学的侵襲ときて心理的若しくは、精神的侵襲というのが無い。

 現在では、ストレスと言えば「精神的ストレス」が一番の関心事ですよね。しかし、最初にセリエが言ったことは、純粋に生理学的な問題で精神的心理的な側面については全く触れていななかったのです。それは、ストレスの研究の出だしは実験動物の生理学的研究からだったのです。

 それでも、セリエが「ストレス教」の教祖たる由縁は、これから述べますが、彼以後の研究者達に強力なインパクトと発想の転換を与えたことにあるのです。それだから、ストレスと言えばハンス・セリエなのです。


ストレスとは、適応メカニズム

 まずは、セリエが定義したストレスッサーというものが何かは、お分かり頂けたと思います。次に、じゃぁセリエが定義したストレスとは、何か。それをお話ししましょう。

 セリエが定義したストレスとは、「外界からの侵襲に対して生体が適応する際の生体メカニズムのこと」なのです。そして、外界からの侵襲自体のことは、先程お話ししたようにストレスッサーと呼んだのです。

 一般にストレスというとストレスッサーのことを指す。このことは最近ではテレビや新聞などマスコミからの情報として知ってる方も多いと思います。しかし、じゃ、ストレスっていうのは本当は何なんだ?そう思ったことはありませんか?

 始めに私は、ストレスとは歪みのことではないと言いました。それでは、セリエが言ったストレスとは本当は何のことだったのか。一言で言うと「ストレスとは、適応メカニズム」なのです。

 ですから、「ストレスの無い生活を送りたい」とか「ストレスから開放されたい」「ストレスを発散させる」などは、当然間違った言葉の使い方なんです。ストレスが無くなったり、開放したり、発散させたりしたら人間は生きて行けなくなります。なにしろセリエに言わせれば、ストレスとは、適応メカニズムなんですから。適応メカニズムが働かなければ、不適応になってしまいますからね。

 しかし、学者が言う言葉と日常使う言葉が同じでなければいけないということもないので、今日ここで仕入れた知識は、知識として、誰かに「ストレスって本当は何なの?」って聞かれたときに、そっと教えてあげましょう。けっして偉そうに教えちゃ駄目ですよ。医者だって知らない人がいるくらいの話なんですから。下手に突っ込まれると立ち往生しちゃいますからね。

 それに、ここだけの話ですが、精神医学辞典とか医学用語辞典とか調べてみましたけど本当のストレスの定義が書かれていたものはありませんでした。ですから、医者だって間違えて当然なんです。

 それでは、ここから先は、私が考えるセリエの偉いところを二つお話しします。私が考えているので、偉い先生の意見ではないのであまり学術的ではありませんが、問題は現代医学の今後の課題にまでおよびますので、偉そうな話になってしまいます。


一般適応症候群

 まず最初にセリエの偉いところは、ひとつひとつの病気独自の症状からなる「疾病」と、病的状態、つまり病気に罹れば、どの病気でも起きうる「病気である状態」とを区別したことです。セリエは、疾病によって引き起こされるその疾病に特異的な局所的変化を「局所適応症候群」と呼び、非特異的な全身的変化を前にも述べたように「一般適応症候群」と呼んだのです。

 さて、ここで、大事なのは、非特異的な全身的変化ということです。変化が局所的な場合、例えば風邪をひいて喉が腫れているなどというのは局所的変化です。風邪をひいて熱を出したというのが全身的変化ということになります。もう少し簡単に言えば、バイタルチェックと言われているもので調べているのは全身的変化です。全身的変化は、各疾病独自のものでなく病気に罹れば、どの病気でも起きるようなもののことです。

 もっと大雑把に言えば、部分と全体を分けて考えようとセリエが言い出したのです。このことが何故大事なことかと言えば、医学モデルとしての人間が、機械的、合理的で単純なパーツの寄せ集めで作られているといったロボットのようなものであるという考えから、もっと複雑なシステムとして全体的に有機的な人間観に変わらずをえなかったことなのです。

 人間は、機械じゃない。そんなことは、誰でも分かることです。しかし、医学という学問は、ついついそのことを忘れてしまいがちなのです。

 何か症状があれば必ず何かの病名が付く。そんな風に考えがちです。病名が付けばその病名に従った治療方法がある。極端に言えばマニュアル通りに医療が進む。そのような思考パターンを取ってしまいがちなのです。

 そのように考えるのは、医療従事者だけでなく、医療を受ける側、つまり患者さんやら、その家族の方達も含めてのことなのです。

 西洋医学全能幻想といったものがあるとしたら、前近代的科学思想に基づいた短絡的思考から生じたものでしょうね。

 それのアンチテーゼが、東洋医学至上主義とか宗教じゃ、少し哀しい。

 人を見ずに病気を診る

 そういったことが起きてしまいます。そのことにセリエが気付いていたかどうかは分かりません。

 しかし、私は、セリエが言い出した「一般適応症候群」という言葉から、このことを考えないわけにはいきません。

 患者さんの症状の意味を考え、何がストレスッサーになっているのかを考える。当然ストレスッサーは、一つではありません。複数のストレスッサーによって色々な症状が出てきてるわけです。そのことを常に頭に入れて患者さんに接していくことが重要なことだとセリエ言っているような気がします。


防衛ではなく適応

 それで、セリエのもうひとつの偉いところは、ストレスについて外界からの侵襲に対する「防衛」って言わなかったことなんです。前に述べたようにセリエは、ストレスを適応メカニズムと定義しました。それを防衛メカニズムと言っていたらどうなったでしょう。

 防衛と言ってしまっていたら、セリエ以後のストレス理論は続かなかったと思います。何しろ防衛といえば「やったら、やりかえす」といった印象があるでしょう?敵から侵略を受けた生体が、自分を守るために戦う。そういうイメージができてしまいます。

 そうなると外界からの侵襲イコール悪い奴で、ストレス(ただしセリエの定義したストレス)イコール良い奴といった図式ができてしまいます。

 そうだと話は簡単で分かりやすかったんですが、話はそこで終わってしまうわけです。生体は、常に外界からの侵略に対して防衛をし続けなければならない。戦争に負けた敗者が患者で、戦争に勝ちはしないが(防衛戦ですから、勝利ということは無いわけです。戦いに敗れるか、負けないで防衛を続けるかしかないのです)負けもしない降着状態を続けている者が健康なのだ。そういう、消極的な考え方に陥ってしまいます。

 しかし、ちょっとややこしいですけど外界からの侵襲、いわゆる一般的に使われている方の「ストレス」、つまりストレスッサーが全面的に悪い奴ではないということは、もう広く世間で言われているので知っておられると思います。「適度なストレスは、心身の健康に必要である」とか何とか。

 つまり、そうに言われる元は、セリエがストレスを防衛(defence )というようには捉えず、ストレスを適応(adaptation)と言ったからなのです。

 その適応ということについてもう少し詳しく言います。セリエは、外部から侵襲を受けた生体が侵襲を受ける前の状態へ戻ろうとすることではなく、新しい状態へ適応していこうとするメカニズムとしてストレスを捉えたのです。新しい状態への適応。防衛戦を戦うのではなく、開拓者のように新しい状況へ積極的に踏み出して行く。それが、セリエの言うストレスなのです。

 これは、発想の転換と言うか、新しい思想と言うか、病気、疾病に対する医学、治療のあり方を変えて行く力があります。

 先に述べた局所的に診るだけでなく全身的に診るという考えと共に、ストレスッサーという侵襲に対してアクティブかつポジティブに対応してゆく。そのような医学が必要だという考えが誕生したわけです。

 例えばリハビリテーション医学などは、その良い現われでしょう。機能を回復することはもちろん重要な事ですが、完全に回復しなければ別の新しい方法を考える。新しい状況への適応方を探してゆく。セリエは、そういう考え方を私達に教えてくれたのです。

 また、健康ということが何であるか。そういう基本的な問題を人々の目の前に叩き付けたのです。

 外界からのストレスッサーから自分を守だけが健康なんじゃない。健康とは、日々新しい環境への適応であり、その状況へのチャレンジである。私には、セリエがそう言っているように思えるのです。

 つまり健康とは、五体満足ならそれでいいかという問題です。何らかの障害があったとしても、それを克服して適応していけば良いじゃないか。

 完全なる健康という幻想を捨てても良いのじゃないのか。身体には問題は無いが精神に問題があったら、それでも良いのか。そういったことを考えさせられるわけです。


まとめ

 ここでは、ストレスという言葉の本来の意味をお話ししました。

 しかし、現在では、医学界でも世間一般と同じように外部からの侵襲によって生じた状態のことをストレスと呼んでいるこも事実ですし、外部からの侵襲それ自体をストレスと呼んでいる場合もあります。

 私が、ここで、お話しして分かって頂きたかったことは、世間一般の常識が間違っているってことではなくて、セリエという人が言い始めたストレスという言葉の本来の意味を知ることによって、二つの大事な考え方が導き出されるということです。

 一つは、「人を見ずに病気を診る」ということをしてはいないかということ。もうひとつは、日々我慢の連続かもしれないが、それは見方を変えれば日々チャレンジをして行くということであるということです。



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