上映フィルム解説 |
A――解説の前にこれからお見せするフィルムはそれ自体のクォリティによって選ばれたわけではなく、それぞれの関係を確立するためのものです。 中にはアニメーションではないものもありますが、それはアニメーションと実写を分ける曖昧な領域に位置しているのです。 少し拡張したサンプルを提示したいので、15分を超えるフィルムの上映を中断しなければなりません。このことを作者の方々にお詫びします。 1本目を上映する前に私が指摘しておきたいのは、実写映画が出来事の全体を示すことは決してないということです(これはアニメーションでも同じですが)。何故なら、カメラのシャッターが(例えば)45°の開角度の時、出来事の7/8が記録から逃れているのです。もう一度言います。出来事の7/8です。この出来事が起きた時間の7/8ではありません(というのは、後者(時間)は毎秒24回(注1)の回転により計測されており、これは実写映画では撮影時も映写時も変わらないのに対して、アニメーションの場合、制作時間と映写時間の間には何の関係も存在しないからです)。 従って、フィルムの連鎖とは、コマとコマのすき間の脱落が織りなしているのだという理解は、アニメーターにとっては当然の前提なのです。 この脱落(隠蔽)は原因や使用法によって性質が違ってくるはずです。これからそれを見ることにしましょう。 B――上映フィルム解説『フランス一週間』Une semaine en France(注2)音階のように、時間の流れは色々な段階で表現することができます。アニメーターはこの段階を思いのままに操ることができます。ここでは、段階は360:1の比率です。360枚のノーマルなイメージから、1枚だけが残されています(1mあたり3mmです)。脱落した部分は単に機械的に振り落とされたもので、アニメーターが自由に選択した結果ではありません。むしろ特撮として理解した方がよいでしょう。 『隣人』Neighbours〔1952〕ピクシレーション。マクラレンは物体をアニメートするように人間をアニメートしました。この脱落は機械的なものではなく、意図的・論理的なものです。連続運動しているという錯覚を与えるために計算されています。現実の出来事から、1つの状態が選びとられています(実際に起こった足の着地は取り除かれています)。 『ゴヤ』Goya〔「絵画から映画へ」参照〕モンタージュ。ゴヤの版画では時間関係がカットされています。エメルは静止画のカットをつなぐことでこれを関係づけました。これは文の省略、例えば「僕は悲しいのに…陽気だね」で、省略した「君は」が文にダイナミズム加えることと同じです。動画としては長過ぎるショットが、唐突で不連続な運動の印象を生み出しており、ちょうど日本の扇子舞踏に似ています。 『バダブゥの旅』Le voyage de Badabou〔1955〕マクラレンが現実のモデルをアニメートしたように、グリュエル(注3)は子供の描いた絵を、関節切り紙の置き換えによりアニメートしました。このフィルムは、セリフ・動き・フォルムのスタイルの統一性によって強い印象を与えます。 『くじら』〔1952〕同じアニメーション・テクニックを大藤は影絵に適用しました。この場合、フォルムと動きはアーティストによって作り出されたものです。これは人工的なフォルムと動き、パーソナルなスタイルからなる完璧な想像的世界で、日本の版画の伝統が見られます。 『殺人』Meutre〔1964〕画家であるカムレールは絵画アニメーションを作りました。ドラマの創造でも、風景のアニメートでもありません。エメルとは逆に省略の緊張を緩和して、モビールの中にオブジェと運動を溶け合わせ、このモビールはコールダー〔モビールを発明したアメリカの彫刻家〕の作品にも似ています。 『アナリア・トゥバリ〔トゥバル年代記?〕』Annalia Toubariフリードマン Friedmann(注4)の作品には『バダブゥ』と同じ視聴覚的性質があります。動きのシンプルさがグラフィック・スタイルの厳密さと完璧に結合しています。全体はキプリング〔『ジャングル・ブック』を書いた小説家・詩人〕の小説『童話どうしてそんなに物語』Just So Stories に匹敵します。ドラマでも風景でもモビールでもありません。私たちが前にしているのは叙事物語というジャンルなのです。 『ゆかいなサーカス』Vesely Cirkus〔1950〕(注5)トルンカ。巨匠のアニメーションがいかに優雅で、詩的で、あらゆる卑俗さを免れているかは、今見た通りです。 次は数学の教育映画です。教師が解説することになっているので、サイレントです。『カルディオイド』(心臓形・杏形)を見てみましょう。 『カルディオイド』CardioideT.フレッチャー。円の回転テンポは一定で、まるで機械が書き取っているようです。このフィルムを見て美的喜び(『サーカス』の場合と同様の)を感じるとすれば、それは正弦曲線が連係する結果、全てのパーツの動きが音楽のハーモニーのように同調しているからです。 『鼻』このフィルムを完成したとき、私は思いがけない俳優、つまり光と時間が少しずつそこに住み着いていたことに気づきました。音楽(後からシンクロさせました)は中国の劇から借用しました。 『カタログ』Catalogue 〔1961〕ジョン・ホイットニーは抽象図形をトレースするロボットを組み立てています。“カタログ”という単語と“1961”という日付との分解が複合振り子を使用したトータリザシオンによって制作されました。美しいメドゥーサ〔ギリシア神話の蛇髪の怪物〕はストロボスコープのトータリザシオンによるものです。 "Presentation commentee de films"〈原注〉高等映画学院(IDHEC:Institut des Hautes Etudes Cinematographiques)での「人工運動の映画的総合」La synthese cinemato-graphique des mouvements artificiels に関する討論会の際に、アレクセイエフはフィルムの解説上映をおこなった。このテクストはIDHECにより、1966年、討論会のテクストと共に刊行された。〔IDHECはフランス文化省の保護下、撮影・編集を含む映画演出技術を教授する機関〕 1.原文の「4回転」を誤植とみなして修正 2.この作品は後のインタヴューでも言及されている。いわゆる“タイム・ラプス”である。 3.フランスのアニメ作家(1923〜)。代表作は『モナリザ』La Joconde (1957)。レニツァの『テート氏』Monsieur Tete (1969)やロール・ガルサンの『内にあふれて』Etroits sont les vaisseaux (1962)にも協力した。『マルタンとガストン』Martin et Gaston (1953)、『ジプシーと蝶』Gitanos et papillons (1954)、『ザガワのお話』Les contes Zaghawa (1966)でも子供の絵をアニメ化している。 4.『ムーカング』Moukengue (1962)や『アフリカのお話』Contes africains (1962)、『ペルセウス神話』La fabuleuse histoire de Persee (1963) の作者であるヨナ・フリードマン Yona Friedman のことか? 『スカラバス』Scarabus (1971)でアニメ・デビューしたベルギーのジェラルド・フリードマン Gerald Frydman ではないと思われる。 5.『ゆかいなサーカス』はトルンカには珍しい切り紙アニメーション。 |