ピンスクリーン

 物体の運動には2種類の形式がある。移動と変形である。毎度おなじみの議論が起こることだろう。機械の各パーツは移動しているが、機械全体としては変形しているのか? あるいは、物体を回転させてもそれ自体は変化しないが、その物体が作る影は移動なのか変形なのか? アニメーターはこの問題を次のように規定する。スクリーン中の2つのゾーンを比較して、パンの位置関係にあり、両者の静止した形が変化していなければ移動である。それ以外の運動は全て変形である。

 このため、2次元でアニメートする場合、移動は簡単だが(範囲を区切る背景を変えれば良い)、変形は難しいという問題がある。

 立体アニメーションにおいて、この問題はもっと単純である。つまり、主題が関節で曲がる場合も回転する場合も(さらに、移動しているときに、ほんのわずかな瞬間であれカメラに対して回転するならば)、カメラ内に投影されたイメージや影は変形しているのである。しかし、関節人形の変形は機械的で、生物の運動が持つ自由度(伸縮自在のアメーバに感じるような)を全く欠いている。したがって、私の基準を満たすことはできない。

 アニメーションを始めるにあたり、我々はこの2次元平面の問題について考えた。しかし、我々は移動を変形の特殊ケースに過ぎないと見なし、イメージの変形だけに問題を限定した。このようにして、1枚1枚の紙に描かれる何千枚という動画を、変形という概念によって1枚だけに還元したのである。

 変形する物体の表現について考えるとき、初めに思い浮かぶ解決法は影絵(濃淡が様々に異なる影絵)である。だが、このような影絵や関節パーツの輪郭は滑らかさを欠いている。したがって、最良の解決法は、影を作る物体全体が極めて多数に粒子化された関節システムになるはずである。ここまで論理がたどり着いたときに生まれたのが、“影を作る物体”ではなく、それ自体が影であり、したがって表面全体で濃度が分解可能な状態というコンセプトであった。

 当時の私は版画を作るときに、アクアチント(これはレジン〔樹脂〕の粒子を利用しているのだが)の代わりに、短い平行線によるエッチングを使っていた。これは点描の原理によってダイナミックに構成するのではない。線の太さの変化――これはエッチングの腐食の深さと関係がある――が各部分のトーンの濃度を決定し、これを造形するのだ。

 こうした線の網目は、画面の表面に垂直な軸が作る影によって作り出せると私は考えた。平行な光線で照明すれば、軸の影も互いに平行な直線となり、版画の網線とそっくりになるだろう。この影の太さは軸の太さに等しいはずだ。

 線の太さは断面が楕円形になっている軸を回転させることで変えることができる。しかし、より好ましいのは、線の太さの変化を長さの変化に置き換えることである。影の長さの変化は軸の長さの変化によって表現され、これは軸が画面の表面に多少沈みこむようにすれば容易に得られる。この変化の両極は、軸が完全に沈みこみ穴しか見えないポジションでの最大の明るさ、軸が充分に突き出て影の先端が隣りの軸の根元に達するポジションでの最大の暗さである。格子状に穴を並べることで、画面全体が完全に影でおおわれるように線を配置することができる。

 これでピンスクリーンの理論的コンセプトは決定した。実行してみるとこれが有効であることが判明した。制作能力に一定の制限はあったとはいえ。

 まず確認しなければならないことは、この映像が版画家にとって充分に読み取り可能なものであり、カメラに対しては写真うつりが良いことである。したがってまず静止した状態で制作する必要があった。

 私は油絵のカンヴァスのフレームの裏側に型取り用のロウを流し、それに数千本の裁縫針を取り付け、針の先はカンヴァスの表側へ向けた。ピンの位置は正確に規則正しいものではなく、影の部分には完全な黒が欠けていた。しかし、この映像はスーラの木炭画のように魅惑的に見えた。スーラの特徴は輪郭がぼやけたデリケートな細部である。私はこれを版画で追求してきたが成功できなかったのだ。これはイメージの一体性をただちに実現させるので、私は“シルエット”や“背景”というアルチザン的発想を捨て去ることになった。

 このプロトタイプを最初に写真撮影したのはミセス・イヴォンヌ・シュヴァリエだった。太い光束を得ることができる充分なスペースがなかったので、彼女は画面の周囲に4つの光源を置いた(注1)。それぞれの軸を中心に4本の線が伸びて十字形を作る。この線は黒ではなく灰色であり、十字の端に行くに従ってぼやけていた。十字の幅は、中心にある軸の突起に応じて長短があった。

 この写真が仕上がってきた後に、我々は来るべきピンスクリーンの小さなカットモデルの制作に移った。充分な期間のリサーチを終えた我々はピンスクリーン第1号を建造した。その仕様は以下の通りである。

 広さが90cm×120cm、厚さが0.5mmのカンヴァスに、1mm径の穴を50万個、格子状に開けて、鋼鉄のフレームに張ったものである。

 テーブル上にこのフレームを裏返しに置き、ロウ布でおおったばらばらの木の板をかぶせた。これにより鋼板は板よりも5mm高くなる。片方が尖っている直径 0.9mm・長さ25mmの鋼鉄製のピンを50万本、この穴に垂直に差し込み、ロウ布にかすかに接触させ、互いに平行になるようにした(一度に40本差し込める、マガジン式のミニ・チャージャーを作らねばならなかった)。6ヵ月のリサーチと建造作業の末、鋼板の取り付けは終わり、軸の間に溶けたパラフィンを、鋼板から漏れないように流し込んだ。こうすると厚さ2cmのパラフィン層が薄い鋼板を補強し、スクリーンを立てて、ロウ布を取り外しても軸を平行に保つのである。最後に、全体を特製の架台に立てると、スクリーンの表面にも裏面にも自由にアクセスできるようになる。鋼板の表面は白色に塗装した。

 最初の写真撮影で思いがけなく好都合な事実が判明した。白地の中にある穴をふさぐ問題が未解決だったのだが、何の問題も生じなかったのである。写真を露出オーバー気味にすると、この小さな黒点は簡単に消えてしまった。1つの奇妙な現象が起きた。照明の光度がどうであろうが、軸がとび出した部分では、光は白地まで到達できないので、全く露光しないのである。光を強くするほど、軸がひっこんでいる部分の白色とのコントラストによって、黒はますます黒く見えることになり、黒の部分が全く光を反射しない、撮影には理想的な表面が実現される。

 逆に、大変な数の軸を動かすので、一度に5cm以上の画面を動かすと、軸の摩擦が大きすぎることが明らかになった。これを緩和するために、私は直径約4cm・長さ1〜18cmの円筒形ローラーを使用した。18cmのローラーは広範囲の作業用である。

 パラフィン層の厚さ(2cm)と軸の長さ(2.5cm)から、その差5mmが突起の最大となる。この5mmはタブローの表面や裏面に現れるか、あるいは両面に分配されることになる。

 一言で言えば、ピンスクリーンの外見は白地に黒毛のベルベットのタブローのようなものであり、この毛は手にした金属製ローラー(印刷工が持っているローラーに似ている)によって少しずつ“消す”ことができる。強く押すほど、明るさはより明るくなり、最後には白になる。灰色のグラデーションは簡単に、しかも最高の正確さで作り出すことができ、完全に一体である。同じように、ローラーの軸を傾けて、ぼかしを作ることも簡単であり、“動いているスナップショット”の効果を可能にする。平面に限定されて灰色やぼかしを知らないデッサン・アニメには許されないことである。黒い部分が白い部分の上にある場合、黒のぼやけた輪郭を表現するには、その縁を斜めにカットするだけでよい。ローラーの傾斜角がぼかしの大きさを決定する。油絵、版画、スケッチいずれにおいても、精密さの点でこれに匹敵するぼかしを私は知らない。反対に、線の精度は約2mmが限界で、これは0.0017の比率である〔ピンスクリーンの幅120cmに対して〕。

 ゾーンを暗くしなければならないときは、裏面で作業する必要があるが、作業自体は表面と同じである。スクリーンには両面あり、ピンはこの厚み以上の長さがあるので、ピンは少なくとも片面に突き出すことになる。そして、片面の突起が大きくなれば、もう一面の突起は小さくなることはおわかりいただけるだろう。スクリーンの厚さが入念に計測され、かつ、表面と裏面に対する2つの照明が対称的であれば、片方に他方のネガ像そのものが得られるだろう。

 4つの固定光源を等しい入射角でアトリエの四隅に配置し、コマ撮り用のムーヴィーカメラをスクリーンの真正面に置いて、装置は完成した。必要な材料は照明用の電流と撮影用のフィルム、ただそれだけである。

 アニメーションの道具である以前に、ピンスクリーンは静止画像を作る道具であり、次の性質を示す。平行光線の照明源が1つの場合、線は白い背景(この濃度は一定である)に対して黒であり、網版写真に類似した効果がある。光源が複数の場合、テクスチャーは様々な濃度に変化する。縞模様があることで、線の固さは緩和され、線はトーンに溶けこむことになる。線を引くのではない。描くのである。レリーフ用のローラーを使えば、望み通りのテクスチャーによって、単調な平板さを簡単に打ち破ることができる。しかし、それには軸の数を百万本に増やす必要がある。我々は1943年に組み立てたスクリーンで、このテクニックを実現した。

応用

 ピンスクリーンが油絵やスケッチなど、既存のあらゆるプロセスと異なるのは、“色素”を全く用いないという点である。ドライポイント版画では線に凹凸があるので、彫線のまわりの銅の削り屑にインクがまとわりつくのだが、ピンスクリーンでは突起を作ってもピンにまとわりつくインクは全くない。これは影なのだ。ピンスクリーンは浅彫レリーフに似ているところがある。それは入射光を表面でさえぎる度合いで造形しているという点である。濃度は裏側から加えられるので、スクリーンを表面からじっと観察していると、形を作る影が原因もなくみるみると“流出”してくる動きは一種の奇跡を見ているようである。読者にとってスクリーンの様子を想像するのは困難である。何故なら、人は“ピン”という言葉をもとに想像するからである。しかし、むしろ鋼鉄製のベルベットのスクリーンとして考えたほうがよい。つまり、ピンを1本も識別することができないからである。あまりに数が多いため、絵本や雑誌の絵の中に点を認識できないのと同じである(その存在を知らない人が何と多いことか!)。アニメーションを作る場合、作業速度は1日8時間労働で4〜80枚の範囲であり、これは主題や動きの複雑さによりけりである。新しく画面を制作するときは2時間も必要としなかったが、これに匹敵するイメージを版画で作ろうとしたら3日以上かかるだろう。我々は映画第1作『禿山の一夜』を18ヵ月で制作した。これは1万2千枚以上の絵から構成されている。

 ピンスクリーンのもう1つの特別な点は制作中の不安から解放されることである。修正作業は運任せで、時にはそれが不可能なこともある。このようなとき、作家なら誰もが不安を感じるものだ。しかし、ピンスクリーンのプロセスには修正という考え自体が無縁である。可塑性に富んだマテリアルを使って、造形するイメージに少しずつ近づいていけばよいのだから。アーティストは全てを決定するのではなく、予感しなければならないのだ。相手が静止したイメージである限りは。

 我々の冒険はフィルムの制作とともに始まった。私が主題を音楽家から借用することにした理由は、イラストで図解し、別のジャンルの芸術家から主題を借用しようとする私の体質や、当時出現したばかりのトーキー映画の発明の影響だった。私は音楽家の中からムソルグスキーを選んだ。彼は作曲するときに私と同じような手段を実践していた。つまり、絵画の中に主題を求めたのだ。『禿山の一夜』で、ムソルグスキーは画家に主題を提供した(アンデルセンが『絵のない絵本』Billedbug uden Billeder で既にそうしていたように)。また、私には風俗的主題(『展覧会の絵』)に着手することへの不安や、ノクターンや驚異への好み、それから自然主義的批評を避ける計算もあった。それは、大量の作業の中から、1つの重大な疑問が出現したからである。つまり、静止画像に関してなら既に構成できるし、細かいところまで完全にコントロールできる技術を私は持っている。しかし、動物や人物の最も単純な動きに関してさえ、私はどれほどのことを知っているだろうか? 幻想的主題は、日常的動作を忠実にコピーする義務(これが困難であり、しかも不要であることを今の私は知っている)から解放してくれる。私は2つの野望を抱いてこのフィルムを始めた。全て1人の人間によって造り出された映画を作ること――運動するイメージで、しかも常にそれ自体が複合体であるイメージによって。そして、少年以来、その音楽を聞く度に私の想像につきまとってくる、うごめくイメージを視覚化することである。

 そういうわけで、私はストップウォッチを片手に、全部の光景を正確に暗記するまで曲を繰り返し聞いて、この光景をまちがいなくイマジネーションによって再現した。このような言葉のないシナリオが作曲・編曲のグラフに印された。これは1mm目盛りの長い紙テープの上にトレースされ、1cmがフィルムの1コマ分だった。

 最初のシーンは雲の浮かぶ空の下で1人の酔っぱらいが荒れ果てて曲がりくねった道を歩いている様子を表現していた。人物の動きが画面のコンポジションのバランス変化を表現しており、動いている雲のメタモルフォーゼがそれを補っていた。

 このシーンを試写してはっきりとわかったのだが、映画の中では画面のコンポジションは存在し得ない。これは静止画像の性質であり、映画の場合、停止しない限りは感知されないのである。フィルムの最終シーンがまさにその例で、この笛を手にした牧人のシーンでは、フィルムが停止し、“全巻終了”となるのである。映画におけるコンポジションとはスクリーンの中の運動のコンポジションであり、コンポジションを静止画として鑑賞し、画面上で自由に視線をめぐらせるわけにはいかないことを私は発見した。酔っぱらいの動きは充分に気違いじみていたが、細部にまとまりを欠き、錯綜していた。このシーンはフィルムに登場しない唯一のリテイクシーンである。

 間髪をおかずにもう1つの教訓が現れた。予定では、大きな馬が大股でスクリーンを横切り、画面全体を占めるアップのシーンになるはずだった。だが、映写ではこの横断を識別できなかった(その持続時間を正確に見積もっていたにも関わらず)。これは4コマ分(1/6秒)の出来事だった。この馬を認知するには、シーンを一度に4回見せる必要があり、フィルムではそうした。こうして、同じイメージでもそれを理解・認識・識別する時間は異なることを私は学んだ。1/6秒間でこの馬を想像できるとしても、同じ時間内にそれを見て識別できるとは限らないのだ。緊密にモンタージュされた中で、認識・識別・感動・理解・比較・鎮静の各能力を見積もることは、映画作家の直観と経験を総合したものに違いない。このようなとき、様々な要素がからみあっているので、法則というものは存在しないのだ。これを発見したために、私はスクリーンで読み取れるかどうかという基準に照らしてシナリオをすべて見直す必要に迫られた。私は8分余りの音楽に約半時間のイメージのつながりを感じることを発見した。興味深い統計がある。つまり、このフィルムを上映すると、映写時間は8分間なのに、観客が感じる時間は平均30分間なのである。私ははじめのシナリオを大幅に削除していたのだが。

 版画アニメーションにおけるピンスクリーンの最も重要な特徴は、物質的手がかりが全くないことである。この手がかりは、シーンを撮影し、現像があがってくる前に、動画を互いに比較することを可能にするものだ。

 デッサン・アニメでは、透明セルを透かして動画の輪郭を見ることができる。下書きを見て、撮影し、映写してから、動画を修正して別のものと置き換えるのだ。ピンスクリーンでは危険に任せているように思われる。撮影が済み、描き変えられた動画は、記憶の中にとどまり、次の動画とは心の中で比較される。数十枚の動画を何日間も記憶し、構想しなければならないこともしばしばである。動きは静止した動画の形の差から生まれる。2枚の動画の差異が大きいほど、その結果、動きはより速くなる。動きのリズムはこの速度のヴァリエーションから構成され、これは連続する静止画像の差異の大小に基づいている。従ってアニメーション・アートを成立させているのは、まさに動画の差異をいかに集積・配分するかである。ピンスクリーンでは、1枚のイメージ(これは次のイメージに変形されることになる)しか見ることはできない。先行するイメージは既に破壊され、未来のイメージはまだ形をとっていない。よって、イマジネーションの中で、記憶と予感によってこの比較を確立しなければならない。別の言葉で言えば、フィルムをイマジネーションの中でゆっくりと息づかせることが必要なのだ。しばしば何十枚もの動画の状態と差異を何日間も(糸を決して見失わないようにして)記憶・保持しなければならない。しかし、このような訓練はおそらく小説家と同じである。とはいえ、彼らは書き上げたページの参照に頼っているのだが。

 また、アトリエで数日間(展開するイメージの複雑さによって多少変わるが)見ていたものを、映写では数秒間のうちに見てとらなければならない。この展開は作画の際は非常にゆっくりしたものだが、映写では加速されている。恐らく、このような制約が夢想能力(意志の力で減速状態を維持し、偏執的に反復すること)を進歩させるのだ。このフィルムの制作期間中、我々は未知の閉ざされた世界に生きているという感覚をずっと抱いていた。

 進行中にシーンをリテイクすることができないので、我々はアクアチントを制作するときのスリルを再び味わうことになった。アクアチントもまた後悔しても後の祭なのだ。間接的な創造プロセスでは(戦略はあらかじめ考えるのだが)、時が来るまで干渉を加えることができない。戦いが始まるのはスクリーンの上だけであることを我々は知った。

 動画の修正にかかる時間を短縮するために、我々はアニメートする題材の形を単純化することにした。こうして、多くのシーンで、手の5本指を4本に減らし、ピンスクリーンを4つ折判〔約24×30cm〕の表紙と同じ広さのつもりで始めた。だが、そのように変えてみてもなお、多くのシーンにおいて複雑なメタモルフォーゼを同時にコントロールすることが要求された。例として、裸の魔女が腕と足を別々に動かして、雲の浮かぶ上空をバックに急旋回するシーンを選ぶことにしよう。この人物はスクリーンの縦一杯を占めている。

 まず、私は対象の形を立体的に把握しなければならなかった。これは2次元の動画に変えられるが、私はこれが連続回転する状態を表現するつもりだった。従って、選択したアングルからの画面に――画家が人物を“効果的に描写する”camper と呼ぶもの――満足するわけにはいかなかった。このようなイメージはそれと知らずに1つの動きの様々な動作の合成から成り立っている(ロダンがリュードのネー元帥像に関してグゼルに説明したように)(注2)。このような多くの様態から構成されたイメージは、鎖の輪に使用することはできないのだ。動画を描くときには、矛盾したポーズに固定されて見え、スナップ写真のように動きがストップしていなければならない。アニメーションにおける動画は、それ1枚だけとってみれば矛盾して見えてしまうが、これは論理的に展開する連鎖の一部なのである。魔女はどんな視点からも忠実に表現しなければならない。その後の動画ときれいにつながることが要求されるのだ。

 従ってまず動画の1枚目をちゃんと描かなければならない。これはピンスクリーンでは非常に容易なことだ。だが、充分に正確に描く必要がある。何故なら、腕を1本でもミスしただけでも、たちまちその後の展開が不可能になってしまうからだ。

 また、(想定した視点での)パースペクティヴの深度を選択しなければならない。短縮法の消失点の深度が人物の距離感を決定するからだ。私は観客と魔女の距離を近づけたいと思っていた。そのため、腕が回りこむ時に伸びたり縮んだりする際に、最初に選択したパースペクティヴの遠近感を維持しなければならなかった。

 同じように、人物の想定照明角度はこの最初の動画のときに決まってしまう。

 人体は設定した垂直軸上に一定速度で回転する。これは1回転当たりの動画を一定にすることで表現される。それに加えて、この回転軸を水平移動させようと私は考えた(全体の動きはワルツの回転に似ている)。

 私はこの裸体を彫像として考えることにして、回転にアクセントをつけるとか、腕をそれぞれ動かすといった装飾を省略した。

 動画の1つ1つで、この彫像の表面を全て描き変えねばならない。そうしないと修正しなかった部分に遅れが生じて、たちまち立体は壊れてしまうのだ。

 私はスクリーン正面のカメラの対物レンズを想定上の視点として設定した。そして、水平線より上に位置する腕は下から見上げた円を描き、この腕は近付けば上昇し、遠ざかれば下降することになる。足は上から見下ろした円に沿って回転する(観客が裸体の近くにいるとすれば)。

 腕が一番短くなる時に、スクリーンでの指の移動距離は最大になる。反対に、腕を横にひろげた動画の時に、指の移動距離は最小になる。中間にある動画はこの両極の間を段階的に移行する。このようにして、腕が規則的に回転する様子は一定のパースペクティヴ(これは直感によって決められる)に従って位置を変えることで画面として表現される。一番速い動きこそが一番簡単な動きであり、一番微妙な変化は最大のコントロールを要求する――動きがガタつくのが怖くて、あえて触れないままにしておけば別だが。

 しかし、全ては相互関係にあった。例えば、ある動画では腕が上半身の上に影を落とすことになった。面倒だなどとは言っておれない。この影のせいで、上半身の曲面を造形する必要がない時でさえも、その曲面のイメージをずっとコントロールし続けなければならなかった。これによって、次の動画で曲面の側面が見える時に、その輪郭のカーヴを準備しておくのだ。結果的には、一度にたくさんの要素を考えなければならないとき、これは邪魔になるどころか、仕事を楽にする。というのは、描き変えのミスは、静止画のミスとしてただちにわかるからだ。

 この映像(これはスクリーンの上にマシンガンのスピードで連射される)に対しては、理論上、一瞬たりとも持続心を失うことは許されない。その結果生まれた動画(これは静止状態で制作される)はこれまでで一番大胆な素描家のレパートリーを完全に超えることになる。ただし、“描写”していく中で、予想もしなかったイメージを前にして驚かされることはあるかも知れない。あるイメージはティエポロを想起させ、あるイメージはルドンを想起させる…

 このような結果に喜んだ私は、シーンの展開に前もって目印をつけて、映写の際にそれを見分けようとした。だが、映写スクリーンでこれを見つけることは不可能であり、運動が連続していく中で、催眠状態を払いのけることも“注目する”こともできず、受け身を強いられた自分を発見した。これが『禿山の一夜』から受けとった第三の教訓で、映写ではそれぞれの動画は消失してしまうという結論に私は達した。これは作者によってさえも別々に認識することができない。映画フィルムは、異なるイメージが連続しているというよりも、動画の差異が連続していると理解する方がより確かだろう。動画が運動を表現するメディアになっているのだ。

 このフィルムを制作するとき、上映時間の8分間が18ヵ月間の制作期間にスローダウンされていた。スクリーンに現れる動きはアニメーター自身にも予想できない発見である。この加速比がアニメーションフィルムの密度を生み出しており、繰り返し見ても汲み尽くされることはない。実写映画が何回も見直すことには耐えられないのとは対照的である。

 このフィルムのヴィジュアル面に関してはムソルグスキーの短いシナリオからはあらすじだけを借りている。実際にその中に登場する主題――案山子、山高帽、切断された首、牧人、風車、天使と魔女、白馬の死骸、埋葬、爆発、蘇生(私はこれらを何回も登場させた)など――はこの夢幻的なメロディーの中に隠された要素だったのだ。このことはその後年月が経つにつれて明らかになっていった。映画による加速がこの無意識的な告白を解放し、出現させたのだと私は思っている。


  "L'ecran d'epingles"〈原注〉「ル・テクニシャン・デュ・フィルム」誌 le technicien du film 1957年4月第27号・5月第28号。アレクセイエフにより校訂済。



1.後年のインタヴューでは、光源は3つとなっている。アレクセイエフの記憶違いか?

2.
「…この像の動勢は最初の態度、即ち将軍が剣を抜いた時の態度から、次の態度、即ち剣をふりかざして、敵軍へ突き入る時の態度への変化に過ぎない。
 そこに芸術が訳出する姿勢の秘密はみんなあるのです。彫刻家は、いわば、観者を強制して一つの行動が一人物を通して起す発展を追求させるのです。今の例で言うと、眼は否応なしに脚から高く挙げた腕へと登って行く。そしてその道すじの中で、連続した瞬間を表わした像の違った部分を見てゆくと、その動勢が果されたのを見たような幻影を持つのです」(「芸術における動勢(ムーヴマン)」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳,岩波文庫,1960))
 ロダンはこれに続いて、芸術が写真よりも運動表現に関しては優れていることを述べ、例としてジェリコーの走る馬の絵を挙げている。ロダンのこのような考えは写真の出現に対する芸術家側の典型的な反応であるとともに、アレクセイエフにも恐らく影響を与えたことだろう。
 なお、リュード(1784〜1855)は動的構成を得意としたロマン主義彫刻家で、代表作はパリ凱旋門の『ラ・マルセイエーズ』la Marseillaise である。また、このネー元帥像(1853)は文学カフェ“クロズリー・デ・リラ”の横に立っている。

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