訳者後記 |
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ここまで来るのに予想以上の時間がかかってしまった。まだまだ不満は残るが、パイロット版(ロング・インタヴューとベンダッツィ「アレクサンドル・アレクセイエフ」のみを収録)や第1版(基本的な構成は本書と同じ)に比べればいくらかはましになったと思う。これで増補改訂作業は一応終えて、次の計画に移りたい。 ・反復『禿山の一夜』、そして『展覧会の絵』のかなりの部分は同一カット・動画の繰り返しで構成されている。もちろん省力化の手段であることも事実だが、それにとどまるものではない。反復によって作品は構造化され、形式を与えられる。つまり、反復は一種の韻として機能しているのである(「マルタへの手紙」参照)。ベンダッツィは詩(的映画)の要素としてリズムを挙げているが、繰り返しもその重要度では劣るものではない。さらに詩と詩的映画のアナロジーを延長して、アレクセイエフ作品にちりばめられた謎めいたイメージを、詩における“喩”の対応物として見ることもできる。・アニメーション――運動のイリュージョンアレクセイエフの関心はここに要約される。それを象徴するものがトータリザシオンである。トータリザシオンはモーション・コントロール・フォトグラフィの先駆であり、アレクセイエフ自身の言葉を借りれば“運動のアニメーション”ということになる。通常のアニメーションが虚構の運動を創造するのに対して、トータリザシオンでは各画面そのものが現実には存在しないイリュージョンであり、この二重の虚構性がトータリザシオンを特徴づけている。・「版画アニメーション」バルトーシュの『観念』が版画アニメでなかったように、ピンスクリーンもまた版画アニメではない。だがピンスクリーンと版画には共通点がある。ピンスクリーンの裏面(クレア・パーカー側)に見えるイメージは表面のネガ像であり、しかも左右が逆になっている。これこそピンスクリーンが「版画アニメーション」である由縁である。・二元論アレクセイエフの作品はテーマ・形式を問わずさまざまなレヴェルの二項対立によって織り成されている。それは例えば、善と悪、昼と夜の対決であり(『禿山の一夜』)、白の美女を脅かす黒の怪物であり(『展覧会の絵』)、全体を貫く強烈な明と暗の対比“キアロ・スクーロ”であり、右と左の交替であり(『三つの主題』)、2つの(旧と新の)ピンスクリーンの“対話”である(『展覧会の絵』)。さらに、アレクセイエフとパーカーの共同作業自体がピンスクリーンをはさんだ“対話”を構成している。・道具としてのピンスクリーンピンスクリーンはあくまでも作画用のツールであり、そのプロセスの複雑さや作業の労力だけを強調するのは本末転倒である(「生涯に4本しか制作できなかったのも当然である…」の如き)。別にピンを1本ずつ操作しているわけではないのだから。これは「数十万本のピンを上下」という表現が生んだ罠と言ってもよい。・ロシアバレエアレクセイエフの自伝(特に青年期――20世紀前半の芸術家たちの名前が綺羅星のごとく登場する)からは「パリのロシア人」と「総合芸術としての演劇」の2つのキーワードが浮かび上がる。前者は文化の中心地パリの国際性、ロシア革命による大量の人的・文化的移動(世界的移動の世紀である20世紀の中でも、量・質において第2次大戦時のヨーロッパ→アメリカ亡命と双璧をなす)、フランスとロシアの歴史的結び付きなどを象徴する。後者は文学・音楽・美術の各才能が演劇の分野に集約していったことを示す(その後は映画がこれにとってかわってかわることになる)。アレクセイエフのたどった軌跡はこのような20世紀の大きな文化状況の流れに一致している。・“芸術家”アレクセイエフアレクセイエフの芸術観は本質的に古典的・保守的であり(ダダ・シュルレアリスムの時代に青春を送った人間とはとても思えない)、おそらく彼は19世紀的な――大時代的な――「芸術家」であった。例えばアヌシー'75のアレクセイエフ展の情景を皮肉混じりに描いた次のような記事があるが、そのような「大家」を見る国内の目がうかがいしれる。これは「ファンタスマゴリー」Fantasmagorie 1975年第5号に掲載され、「Monte en epingle」(「つまらぬ事をおおげさに問題にする」の意。epingle =ピンにかけた洒落)というタイトルが付いている。「…アレクセイエフは自ら展示を準備し、そのために毎週パリからアヌシーへやって来た。それも飛行機で。アレクセイエフは駅の空気がお気に召さないのだ。展示には大金がかけられていた。午後になるとスチールとオブジェに囲まれたアレクセイエフをTVが撮影した。天井には彼の名文句が固定されていた。アレクセイエフは部屋を歩き周りながら、頭をもたげ、霊感に満ちた態度で自分の思想をとうとうと読み返した。彼の後ろにカメラマン・照明・マイクが付き従い、全員がアレクセイエフを先生を呼んでいた。撮影が失敗し、撮り直すことになって、先生はおかんむりだった。クレア・パーカーがアレクセイエフをなだめた。上映中、アレクセイエフとクレア・パーカーは貴賓用のボックス席に座った。アレクセイエフのコマーシャル全作が上映された。すばらしいものもあれば、つまらないものもあった。作品が終わる度にアレクセイエフは両手を上げた。ある作品が突然裏返しで上映された。アレクセイエフはバルコニーから怠慢を叱りつけた。ドキュメンタリーフィルムがピンスクリーンの作業を写しだした。アレクセイエフは観客に向かって解説した。会が終わり、アレクセイエフは観衆に投げキッスをしてから、一輪のバラを投げた。…」 主要参考資料1.『映像の先駆者 アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカーの世界 ピンスクリーン・アニメーションのパイオニア』(レーザーディスク、1987)自主作品全作(『禿山の一夜』『道すがら』『鼻』『展覧会の絵』『三つの主題』)、CF(『帽子のパレード』『新星』『煙』『脚韻』『汚れなき美』『地球のエキス』『オートメーション』)、『ピンボードに向かうアレクセイエフ』A propos de Jivago、スチールを収録 セシル・スターによる解説・年譜付。 2.「FILM 1/24」27号・28号合併号 特集アレクサンドル・アレクセイエフ (アニドウ、1979) 『禿山の一夜』誌上公開(40枚のフィルム焼きスチール) 「アレクサンドル・アレクセイエフとクレア・パーカー」「アニメーション映画の回想」 「ピンによるスクリーン」「『展覧会の絵』について覚え書き」 (以上4編、『Experimental Animation』より。しあにむ訳) 「ピンスクリーンの技法」(NFB製作『Pinscreen』のフィルム・ストーリー。吉成真由美訳) 「アレクセイエフ雑感」(伴野孝司) 「アレクセイエフVSムソルグスキー」(望月信夫) 3.森卓也、『アニメーション入門』(美術出版社、1966) 4.伴野孝司、望月信夫、『世界アニメーション映画史』(ぱるぷ、1986) 5. Raymond Maillet, Le dessin anime francais (Lyon: institut Lumiere, 1983) 6. Encidlopedia dello Spettacolo (Firenze-Roma, 1954) 7.アビゾワ、伊集院俊隆訳、『ムソルグスキー その作品と生涯』(新読書社、1993) 8.団伊玖磨、近藤史人、『追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』』(日本放送出版協会、1992) |