機械による絵画について

 楽器を作ることで言葉から抽象音に移行できるようになるまで、人類はずっと声楽に満足していたに違いない。

 絵画の分野では、人が筆や絵具、定規、コンパスから踏み出すことはなかった――今世紀20年代のエアブラシの発明までは。

 短編映画フェスティヴァルの参加者の中で、1月27日の最終インフォメーション会議で上映された2本の短編の意義を理解した者は少数だった。

 我々は、多分グラフィック・コンピュータを使って描かれたフィルムの初公開に立ち会ったのだ(もちろんアメリカは既にその洗礼を受けていた。すなわちコンピュータ・グラフィックスである)。グラフィック・コンピュータは3つのユニットからなる集合体として示される。つまり、TV受像機に似た陰極管、30個程度のボタンが付いたボックス――電子屋にとっての言わばタブロー――そして“ライトペン”である。この集合体は電話回線によって、“電子メモリ”のストックを備えたコンピュータに接続されている。

 私はニューヨークのIBMでデモンストレーションを見たことがある。デモ嬢(当然若いブロンド美人だ)はライトペンの先端でこのリストの中の1つの番号にタッチし、リストを消して、ブラウン管のガラスに2個の光点を植え付け、同じペンで2点を直線で結んだ。そうしておおまかなスケッチを完成させた後で現実の立体のようにそれを空間内に展開した。こうして彼女は空間内に飛行機やトラス、橋のインダストリアル・デザインを展開させたのである。

 このようなマシンがインダストリアル・デザインのプロトタイプや(デザインの経費を80%節約できる)、布地の装飾、アニメーションフィルムのために使用されていることを彼女は教えてくれた。当然ながら――彼女は無造作に押していた――重要なことはコンピュータ・プログラミングで誤りを犯さないことである。これはMITを出た彼女にはたやすいことだ。

 そのとき私は「最も偉大な芸術作品は数々の欠点から織りなされている」という格言を思い出し、このCGが過ちの1つも犯しているだろうかと考えてしまった。彼女の作り出したものは愚かしいものであり、従って興味も湧かなかった。

 しかし、私が落胆に陥らなかったのは、トゥールの(サイバネティックスの)シネマ・デイズで見た2番目のフィルムの印象が良かったからだ(欠点もなかったとはいえ)。これは陶器のうわぐすりの反射の中にでも観察できるという反論もあるだろうが… しかし、1度目は何の関心も引かなかったが、2度目は…これもまたあまり興味を認めない…とはならなかったのだ。

 そして最終的には…サイバネティックスによって人類は自然が考えもつかなかった見事な貝殻を創造しアニメートできるようになるだろう――自然がソナタを考えつかなかったのと同様に。


  "De la peinture instrumentale"〈原注〉1967年、トゥール・フェスティヴァルの際に刊行されたテクスト

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