アレクサンドル・アレクセイエフ ――イラストレーションとアニメーション |
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私は思い浮かべる。1931年にアニメーションを始めたとき、私はこれを言わば未来形で見ていた。第2に、実際にアニメーションを制作するようになると、予測もできなかったようなことが次々に起こるので、私はすっかり夢中になってしまった。そして本日この問題について語ることを依頼されたとき、3番目の視点、つまり回顧的視点が姿を現した… これは、アニメーターとして出発した時に私を誘惑し熱狂させたものとは全く異なるものだ。 私が作った初期のアニメ作品のイメージを思い出してみると、私は夢幻的でほとんど神聖な世界に入っていたようである。この世界の中で私は動くイメージを創造し、子供の頃にその音楽から連想したヴィジョンを表現することができたのだ(私は画家であり、版画家だった)。そういうわけで、私は作者モデスト・ムソルグスキー自身が映像化を望んでいた曲、つまり『禿山の一夜』を映像化することに決めた。『禿山の一夜』の制作期間――この8分のフィルムを制作した18ヵ月間、我々2人は、地球上の誰も疑ったことのない巨大な秘密を所有しているという感覚を抱いていた。ありのままの話をしているのだ。それがいかに馬鹿げて世間知らずに見えようとも大したことではない。何故なら、私は何よりも真実であらねばならないと思うからだ。 続いて、我々はやむなく(あるいは幸いにもと言うべきか)コマーシャルアニメーションを制作することになった(それはCFの配給が事前に保証されていたからで――映画の配給は明らかにほとんど不可能だった)。この時期に我々はオブジェアニメーションを制作していたが、そのフィルム(最長2〜3分)の中で何かしら新しいことを追求することにしていた。技法上の新しさであれ、美学上の新しさであれ――30本のフィルム(恐らくは40〜50本――リストが手元にない)のそれぞれについて断言できるのだが――私が初めて実行し、私以前には誰も実行していない危険なプランが(最低1つは)ある。私はこの芸術家の欲求にずっと忠実だった。これは創作の単調さを避けようとする欲求であり、制作がルーティンになってしまえば、もはや創作ではない。私が何よりも避けたいのはまさにこのルーティンなのだ。従って各フィルムで新しいアイディアを探究し、実験を前提条件とすることが私には必要だった。そこで私は(自分で)カッティングして、文章のシナリオ――スポンサーに向けて――を書いた。アニメーターではない彼らには、私の追求している効果が想像できなかった。この戦術のおかげで同時に2つの目的を追求することができた。つまり、私が確実に提供するものをスポンサーに約束すること、そして新しい効果を産み出すことである。私には二者――効果的な広告と芸術――が共に新奇さを求めるという確信があったし、現在もそう確信している。 当時、私はアニメーションを未来形で見ていたのではなく、現在形で生きていたのだ。私にとって、アニメーションはどのようなものだったのだろうか? 第1作『禿山の一夜』以来、1つのことが私の驚きだった。それは制作作業そのものである。これは最重要問題の一部――最終的な産物であるフィルム上映が示すものと同じく重要なこと――であるという感覚を私は抱いていた。ピンスクリーンでは、1つのショットの3番目の動画以降、連続する動画を論理的につなぐために、私がそれまで描くこともできなかったイメージ(人物、光、コンポジション、etc.)を現実化しなければならない。私はこれを知って驚いた。 コンポジションに関しては、『禿山の一夜』を一つの傑作として思い描いていたことをお話ししておくべきだろう。その理由は、全体が運動状態にありながら、それ自身常に構成されているタブローになるはずだったからである。だが、最初のラッシュを見て、自分が犯した巨大な過ちを悟らねばならなかった。私がこの力業を実行したいと望んだとしてもそれは全く自然の成り行きだった。というのも、20年代の画家は皆ひとつのこと、すなわちタブローのコンポジションだけに関心をもっていたからだ。当時は“ダダ”の時代だった。しかし、私の野望の誤りが明らかになり、もはやそれに与することはなかった。 だが、それから次のショットをピンスクリーンで制作しながら、私は動画の――目の前にある限りこれは静止している(そして、スクリーンでは正確な位置を知っていても、絶対に見ることができない)――の持つ意味に驚いていた。とはいえ、我々(クレアと私)の制作作業を見ている人間には(1枚につき数十分はかかるだろう)、その動画がどう展開していくのかを見ることはできないことを私は確信していた。上映すると動画の1枚1枚は見えなくなってしまう。これは無駄のようでもあり、視覚認識の第一の謎の1つだった。要するに、動体の認知(観察者が動いていないとき)と、静止体の認知(観察者が動いているとき――体全体でなくても、少なくともその視線と思考が動いているとき)の違いである。 これ以後、私は視覚行動と視覚認識との差異について熟考してきた。結局、私の目の前にあるのは互いに交流しない2つの世界だったことに気づいた。静止映像の世界と運動映像の世界だ。両者の間には、ほとんど敵意とさえ言える非連続性、つまり還元不可能なものがあることを私は確認した。これは私を虜にしてきた問題の始まりに過ぎない。何故ならこれを完全に解決するにはいたらなかったからである。 立体アニメに転向して(自分でも制作風景には驚きがあった)、我々はオブジェや機械、アニメートされた照明を相手にするようになった。これらの力は劇場に可能な全てをはるかに凌駕するものだった。自分の背景美術を照明する機会があったが(モンテカルロのカジノやロンドンのアルハンブラで)(注1)、その舞台設備はたいしたことがないように思われた。自分のミニチュアと比べれば、我々は巨人のように見えていた。私にとって残念だったのは、誰も我々と共に日々を過ごしてもらえないことだった――人々はこれを凝縮された1、2分としてほんのつかの間見るだけだからだ。これは振り子や機械によるトータリザシオンの際には特に私を悲しませた。 ピンスクリーン制作時の課題は、自分の各動作に応じて、1枚だけ存在する動画に対する修正作業そのもの――あらかじめ1枚ずつ準備された動画ではなく――をコマ撮りできるのかどうかを知ることだった。その目的は画家の思考がどんなプロセスやリズムで進行するのかを発見することだ(ピンスクリーンのイメージが1u以上の広さをカバーしていることをお忘れなく)。ここには金鉱が隠されているように思われた。各動画の展開が脱落してしまうこと(1コマに記録されるのは全体像1つきりである)、これには何か不条理なものがある。そして、確かにこのコマは映写の統合作用においてそれ自身を消去することが要求されているのだ! 我々は分解的とも言うべき――理解不能なものをわかりやすくするためにあえてそう呼ぶことにする――アニメーションに何度かチャレンジした。つまり、形が不連続で唐突に変化するというアイディアだ。このようなとりとめのなさは、私の思考過程それ自体に由来している。その結果、1本の映画も――短編であっても――成功させることができなかった。1枚のイメージさえも自然に作り上げることができなかったのだ。私の思考過程は現実の体験としては面白いが、映写においてはアニメーションの本質である加速現象によって無意味なものになってしまうのだ。 現在、私は自分が歴史上の人物になったことを知り、自分の過去に回顧の眼差しを投げかけている。このことを私は先の2つとは異なる3番目の態度で見ている。まず、連続した静止イメージ(例えばコミック・ストリップ)を観察することと、スクリーンで動画を見ることとの間には、もはや関連を感じない。スピードだけが問題ではないのだ。 アニメーションの動画がスクリーン上で統合されるとき、観察者の精神には何が起きているのだろうか? 様々な議論が可能だろうし、私にも何事かを語れるだろう(恐らく、色々なことを)。逆に、視線(と関心)が1つのイメージから別のイメージへ移るとき、観察者には何が起きているのだろう? この認識活動(あるいは思考活動かもしれない――多分、両方だ)の瞬間には何が起こるのか? どのようなことが? 私にはまだわからない。従ってこの連続する静止イメージの世界(例えば私の『ドクトル・ジバゴ』のイラストレーション)――本から映画に移ることで、私はこれを放棄した――は特別な(私にとっては神秘的な)性質を持っている。時間・運動や音・言葉の流れ――これがスクリーンを前にした我々をさらってしまう――と無関係な静止イメージに対すると、何か奇妙なことが解放されるのだ。 最近の心配は、私が愛し、そして仕えている視聴覚文化、とりわけ視覚文化が(この新しい世界は多くの豊かさをもたらしてもくれるのだが)、視線による〔静止映像の〕文化を見劣りさせて、我々自身を貧弱にしてしまわないかということだ。後者はイメージと言葉を停止させてじっくりと検討する文化だ。人間が感情だけに従属するとしたら、この精神活動が衰えてしまう危険はないだろうか? 経済発展が続き、それに従って余暇が長くなれば、多くの人々がアニメーションを作って日々を過ごす方法を見つけるだろう。アニメーションはいくらでも時間を費やしてくれることを我々は知っている。 また、小型映画の発展によって、想像以上に運動創造活動の分野が拡大すると私は考えている。愛好家が自宅で自分のアニメーションを制作し、自宅で視聴して、友人や他の愛好家に見せる光景を私は心に描く。また、コンピュータや電話回線の助けで、テレビのシネマテークからアニメーションを選択し、自宅で鑑賞・再鑑賞できるようになる日も遠くないはずだと思う。私のこの20年来の夢は恐らく可能になることだろう。その夢とは、選択したフィルムを個人で見ることであり、ちょうど個人の書庫で詩の本を選ぶことに似ている。 だが、あなたがたは将来のアニメーションの進展方向に関する疑問を私にぶつけるかもしれない。芸術的進展の分野で予言者を演じることは私には全く不可能だろう。さしあたっては、アニメーションフィルム(特に漫画映画)の数が増大しつつあることや、その形態が一種の符号・コード、どんどん変化に乏しい記号システムに向けて単純化していることを我々は指摘できる――と思われる。言語の発展の過去に目をやれば、その発展は反対方向に進んでいると考えることができる。そこではヴォキャブラリーと文法的分節が洗練され豊かになっている。例えば、英語の場合、文法は単純化したかもしれないが、それはヴォキャブラリーが豊かになったためだ… だが、この分野はあまり私の得意ではないから、1つの事実を確認するに止めておこう。つまり、美的センスを要請しなければ、このまま行くとアニメーションの記号的意味作用はばらばらになってしまうだろう。だが、若者の中にはこの傾向に対抗する人々が既に存在している。 "Alexandre Alexeieff De l'illustration de livres et du film d'animation"〈原注〉「イマージュ・エ・ソン」誌 image et son 1967年6・7月第207号。サブタイトルはアレクセイエフ自身が付け加えたもの。 1.前者はモンテカルロ・ロシアバレエ団で働いたときのことか? アルハンブラ Alhambra (1854〜1936)はロンドンの有名なミュージック・ホール。 |