モデスト・ムソルグスキーの音楽による2組のピンスクリーンアニメーションのカッティング・テクニック

トーキー モノクロ35mm スタンダード
製作:ロジェ・レーナルト(注1)
監督:アレクセイエフ&パーカー
タイトル:『展覧会の絵』

 我々は映像とアニメーションによってモデスト・ムソルグスキーのピアノ協奏曲『展覧会の絵』を映像化する予定である。

 周知のように、この作曲家は映像と映像を連想させる音楽との間に密接な関係を見出していた。我々が取り組んでいる曲のケースで、これは特に明白である。ムソルグスキーが1874年にこの作品を作曲したのは、友人ヴィクトル・ガルトマン(建築家・舞台美術家、1873年6月23日没)(注2)の遺作展を“描出する”illustrer ためだったことが知られている。この音楽家はガルトマンの死に大きく心を動かされた(もちろん、作曲家の身近な死にたいしては常にそうだったはずだが)。しかし、この音楽家がガルトマンの映像を“描写する”つもりだったと考えるのは誤りだろう。つまり、「題材に関しては、(再発見された)ガルトマンの絵はこの曲の“描写”とは疎遠な関係にしかない」のである。  「ムソルグスキーは冒頭から現れ、一瞬も我々を置き去りにしない。プロムナードの主題によって、この作曲家は…事実よりもむしろ事実の結果である感情を我々に語っているのである」(注3)

 マルナ氏から更に論を進めることも可能だろう。友人の死に動揺し、同じようなケースの常として、この『ボリス・ゴドゥノフ』Boris Godunov の作者は自分自身の死についても考えたにちがいない。自分自身もいつかは消え失せてしまう…そのとき自分(ムソルグスキー)に関する何が残っているのだろう? ガルトマンのスケッチと油絵の回顧展が画家の生を永遠化したのだから、音楽家の生もまた彼が作曲した音楽的イメージの“展覧会”によって永遠化されるのではないだろうか。

 「我々に向けて、観客=作曲家の生がストレートに描写される」――マルナ氏はこうも書いている――「事実上、全てはこの観客を表現している。各部はこのプロムナードの主題の変奏である。従って、画家は全く問題ではなく――というのも、2つの主題が交互に変奏されているからで――ムソルグスキー自身が問題なのである」

 多分“全く”という表現は少し行き過ぎだろう。我々の考えでは、作曲家の人生は(どんなに偉大な作曲家であろうとも)本質的にはガルトマンのような普通人と何ら変わらないからである。だからこそ、彼の生が充分に語られるとき、それは我々各人の人生との類似によって感動させるのである。

 よって、我々制作者はアニメートしたタブローをムソルグスキーの音楽と組み合わせるつもりである。ちょうどこの作曲家が――ある種のメタファーによって――自分の音楽をガルトマンの映像に結び付けたように。このフィルムのカッティングは音楽に従うはずである。そこでムソルグスキーのこの曲の構造を検討することにする。

 展覧会を訪れたときは常にそうであるように、この曲はプロムナードと、画題の前で立ち止まることの交代で構成されている。作品全体では長過ぎるため、その中から、最初の2つの主題の「グノーム」Gnomus・「古城」Il vecchio castello と、それに先行する2つの「プロムナード」Promenade を我々は選んだ。

 『展覧会の絵』は芸術家の人生における一番重要な時期、つまり幼年期から始まる(注4)。グノーム(小人)はモデストを人格化したものであり、城は未来の『子供部屋』Detskaya(注5) の作者の実家に他ならない。そして、女城主(作曲家の母)――夢見るユーリア・チーリコワ――がピアノを演奏する。

 この主題を終止させる“絶たれた弦”はユーリアの死、そして人生の浮き沈みに対する最後の避難所の喪失を表している(注6)。

 1)プロムナード:過去の影がタブローを訪れる。すなわち、ロシア衣装の乳母が子供に授乳する。悪霊たちをモデストに指し示す乳母。玩具と霊――これは子供につきものである。

 2)グノーム:悪霊たちは子供をつかまえようとする。ユーリアが彼を護る。猫のマトロス。

 3)プロムナード:魔術的人物。モデストは母親から引き離される。彼はペテルブルクの士官学校に出発する。

 4)古城:士官学校。生家は城に、ついで宮殿に変わる。士官学校からモデストはユーリアに腕をさし伸べる(猫のマトロスへのフラッシュバック)。ピアノに向かうモデストは彼女と踊っていることに気づく。死がユーリアと一体化する。弦が中断する。ユーリアが倒れる。フェイドアウト。

 プロムナードの間、作曲家の前で展開する絵はどんなものになるだろうか? これはまず幼年期、続いて思春期の少年を取り巻く世界を表現することになる。これは現実世界であると同時に想像的世界でもあり、2つの世界は分かちがたく混合している。

 それはまず19世紀半ばのロシアの田舎であり、その後はニコライ一世〔在位1825〜55〕のペテルブルクである。河岸、宮殿、パレード、兵営、ムソルグスキーが軍隊でのキャリアを決定づけた研究をおこなった士官学校である。

 主要人物は今まで見てきた通り、モデスト、ユーリア(母親)、乳母、死、である。脇役の中には、民芸品の玩具(モデストが『子供部屋』で想起している、そこから落馬した木馬、猫のマトロス(注7)、ペトルーシュカ、木の兵隊、木の山羊など…)と、その現実のモデル――山羊と賢い猿を連れたジプシーなど――がいる。すべてのシーンと時代はロシア民話の魔術的人物であるバーバ・ヤガー(注8)と有象無象のいたずらな妖精たち――必要に応じて魔法の馬や人魚の形をとる――に取り憑かれている。

 「乳母にべったりだった私は、ロシア民話と共に幸福な時間を過ごした。この昔話のせいで眠れなくなることもたびたびだった。ドレミを習う前に私がピアノで弾いた即興演奏は、民衆的な感じ方や暮らしぶりから大きな影響を受けていた」(注9)

 後は、これらを視覚化するための特別な映像表現方法を述べるだけである(付図を見よ〔『Pages d'Alexeieff』には収録されていない〕)

 我々は大スクリーン(VEC)(注10)を撮影アトリエに据えつける。これはサイズが大きいので、パン移動しても絶対に縁は見えない。

 この前に小スクリーン(NEC)(注11)を置き、カメラレンズを遠ざけたときには縁が見えるが、カメラに近付けたときにはスクリーン一杯をおおうようにする。

 小スクリーンは一種のダンスもしくはパントマイムを大ピンスクリーンとカメラとの間の自由な空間内でおこなう。アップショットでは小ピンスクリーンはピンが明瞭に見えるまでに拡大される。

 あるときは小スクリーンが「プロムナード」で跳躍もしくは“肩を振り回し”ながら前進する――ロシア風の歩き方の特徴に似ている――あるときは小スクリーンが「古城」の崇高かつ鋭利な運動の際にそれ自体回転しながらワルツを踊る。

 2つのピンスクリーンはある種の会話、またはパントマイムのように相互にかみあっており、あるときは一方、あるときは他方、またあるときは一度に両方のピンスクリーンが見える(対話者が役割を交代するのが聞こえるように。あるいはまた、あるときはメロディに、あるときは伴奏に聞き入るように)。回転する小スクリーンは大スクリーンをおおい隠し、あるときは小スクリーンは遠ざかって大スクリーンを出現させる。このとき背景には新しい画面や新しい動画が現れる。

 (注意。我々が“大”スクリーンや“小”スクリーンと呼ぶときは、実際の寸法を問題にしている。つまり、見かけの大きさは小スクリーンの方が大きく見える)

 小スクリーンは回転しているので、そのイメージは常に前面にあるとは限らない。つまり、このイメージはしばしば異なる角度で短縮して見える。これは、遠近法的イメージのアニメーションにしか観察されたことがないものになるだろうと我々は考える。小スクリーンが回転するとき、カメラに対してその側面を見せる。つまり、小スクリーンは最初のショットのイメージをもはや全く見せず、反対に背景がほとんど完全に現れる。従って回転する間に2つのシーンが交代するのが見えることになる。最初のショットと背景のショットである。

 この交代から、新たな映画表現方法が生まれる。その結果は――我々の考えでは――言わば映画言語の新たな形式なのである。


  "Decoupage technique d'un film d'animation sur deux ecrans d'epingles d'apres la musique de Modest Moussorgsky"〈原注〉『展覧会の絵』の企画製作者へのプレゼンテーション。1981年3月にアレクセイエフが加筆している。



1.短編映画の製作者・批評家(1903〜85)。『ヴィクトル・ユゴー』Victor Hugo (1951)など約60本の短編記録映画、長編映画『最後のヴァカンス』Les Dernieres Vacance (1948) などの演出もおこなった。グリモーの『魔法の笛』La Flute magique (1946)の共同脚本やロベール・ラプジャッドのアニメーションの製作も手がけた。

2.〈原注〉カルヴォコレッシ,『ムソルグスキー』Moussorgsky

3.〈原注〉マルセル・マルナ,『ムソルグスキー』Moussorgsky (Paris: Editions du Seuil, 1962. Collection: Solfeges)

4.〈原注〉ボードレールはこう言わなかっただろうか。「天才とは意志によって再発見された幼年期にほかならない」と?〔『現代生活の画家』Le Peintre de la vie moderne (1863)からの引用〕

5.ムソルグスキーの代表的歌曲集(1868〜72) 第1曲「ばあやと」S nyanei(お話して、ばあや。あの、こわいお化けの話。お化けがどんなふうに子供たちを森へ連れてきて食べてしまったか…)、第2曲「隅に」V uglu、第3曲「かぶと虫」Zhuk、第4曲「お人形と」S kukloi、第5曲「夕べの祈り」Na son gradushchii、第6曲「子猫マトロス」Kot Matros(…傘をさがして窓を見たのよ、そしたら子猫のマトロスが鳥かごをねらってるの…)、第7曲「木馬にのって」Na datse 参考:『最新名曲解説全集』(音楽之友社, 1981)

6.〈原注〉彼は家庭の全財産を決定的に失った。

7.〈原注〉モデストは鳥篭の中のコマドリをうかがうマトロスを取り押さえる。猫が格子ごしに鳥を捕らえる瞬間、モデストは猫をたたこうとするが、格子に手をぶつけて怪我をする。

8.〈原注〉子供を喰らう鬼(『子供部屋』)

9.〈原注〉ムソルグスキーの伝記的注釈

10.〈原注〉VEC=Vieil ECran d'epingle 〔古いピンスクリーン〕

11.〈原注〉NEC=Nouvel ECran d'epingle〔新しいピンスクリーン〕

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