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最近あるところで、次のようなことを聞き、少なからずショックを受けると共に、なる程こんな表現もあるのかと思わず関心をしたことがあります。
それは「オームの信者が寺院仏閣神社を評して『風景の一部』 あるいは
『風景のようだ』と言ったそうです。」
旨い表現だと思いました。確かに日常生活の中、眼前の風景に寺院仏閣神社は何の不自然さもなく存在し、自然に溶け込んでおり、かえってなければ不自然、違和感さえ覚えるかもしれません。
しかしそれだけであったのです。彼らにとって寺院仏閣神社は眼前の風景の一部に過ぎなく、存在価値と言うか、存在理由が無かったのです。
言われてみれば云いて妙である。
しかし、関心ばかりしてはいられない。寺院仏閣神社は単に風景の一部ではなかったはずだと、そんな思いを持ちつつホームページの作成に当たっています。
ごゆっくりご参拝くださいますよう。又ご記帳の方もよろしくお願いします。 |