グロリアが(とくに)応援したい人たち(^^;;;)


グロリアがまとめたおおざっぱな三国時代年表こちら
(ウィンドウが、別に開きます。)

まだまだ、グロリアは、勉強中です。そのため、今後、追加、入れ替え等あると思いますが、ご了承ください。
武将の人間関係は、グロリアが勝手に思いこんでいるところもありますので、その点は、お許しください。
でもこんなこと書いていると、某女性恋愛シミュレーションゲームを思い出してしまうのですが。(^^;;)))

周瑜(シュウユ)  所属=孫策軍・孫権軍(呉) 仲がいい人=孫策・魯粛 仲が悪い人=程普? ライバル=諸葛亮?
(あざな。成人してからつけられる名前。普段の生活のときはよく、こっちで呼ばれることが多かったとか。
でも、身分がある程度ある人たちに限られていたとか)は公瑾(コウキン)。
三国志の関係のサイトで、大都督といえば、彼のことを指していることが多いです。
大都督って、本当は、軍隊の身分なんですが、それほど、彼が大都督として、
活躍した赤壁の戦いは、有名。これがあるから三国志って感じが。(ちょっと、オーバー)

グロリアが、最初にこの三国志時代に興味を持たせた人です。グロリアの場合は、ゲーム真・三国無双だったけど。
そのオープンニングの彼がとってもかっこいいです。
もちろん、ゲームのとっても貴公子のような彼の剣さばきは素敵です。(真・三国無双2はもうすぐ発売)
そのゲームをプレイする前に、たしか、吉川英治の三国志、読んだ覚えがあるのですが、
そのときの彼のことは、覚えていません。たしか、赤壁の戦いの10万本の弓矢の話は、なんとなく
覚えていますが。(これは、諸葛亮の策ということになってますが)
それにたしか途中までしか読んでいません。トントン拍子に話が進むので、
すごく面白かったのですが、登場人物がすごく多くて、覚えきれなかったのかなぁと、
今では思いますが。
でも、ゲームとか映画、漫画とアニメとか、ヴィジュアル的に見ると違いますね。
もう、とくに、このゲームは、三国志なんかしらないって方でもお薦めです。
しかも、普通のアクションゲームとしてもとっても面白い。そんなに操作も難しくありません。
PS2でないと遊べないというのが、ガンですが。
>しかし、ここで、ゲームの紹介してどうする?^^;;;)))

さて、このゲームでは、めちゃ格好良くなっている周瑜さんですが、
たいていの三国志関係のものでは、劉備軍師諸葛亮さん(孔明さんと呼ばれて有名。こっちの名前のほうが聞いたこと
あるかも?)の引き立て役になってしまっていて、中には彼が、彼の幼なじみであり、親友であり、義兄弟だった孫策さんと、
(実際、双子の喬姉妹の姉を孫策、妹を周瑜が娶るので、本当に義兄弟になってしまうけど)
彼の弟の孫権さんで築いたの国が悪役になってしまっているものもあります。
(それは、そのときの情勢によって、呉の国が魏・蜀に対してつきあい方を変えるので、一見、
優柔不断と見えるのかもしれません。けれども、年表をまとめながら見てみたのですが、
みんな似たりよったりのことしているんですよね。やはり、乱世のときは、1本筋の政策だけではやっていけなかった
ということがわかります。)
たいていの三国志のものは、蜀の国劉備が主人公で、その敵役が曹操
そして、赤壁の戦いが、とくに三国志の中でのハイライトと言われるべき戦いなので、
その脇役と言う形と、後、劉備の義兄弟の関羽のお話がらみで、呉の国が、関わっているって感じが多いですね。(泣)
これは、ほとんどの作品が羅漢中(ラカンチュウ)という人が三国志にまつわる説話や戯曲を1つの小説としてまとめた
三国志演義(三国演義)を中心にして、書かれたり作られたりしたものが多いからです。
(これはこれで面白いです)
最近は、正史と呼ばれる三世紀の晋の時代の歴史学者の陳寿(チンジュ)が書いた史書を元に、
されている作品も多くなってきました。(曹操がめっちゃ、かっこいいとか、
呉の国の方からみた三国時代を描いてみるとか?)
そして、その正史と演義(三国演義)と比べてみると、同じ人なのに、
どうして、こんなに違うの?って驚くことも、しばしば。
とくに、この周瑜さんについては、その落差が大きいです。(強調)

共通しているのは、彼が名門の周家に生まれて、美周郎(美しい周家の若様)と呼ばれ、
文武に優れて(とくに音楽。酔っぱらっていても演奏者が間違えると周郎が振り返ったという。)、
呉の国の基礎を築いた孫策と、呉の国を建てた孫権に忠臣として仕え、しかも軍事・政治面では抜群の才能のある、
有能な人なのに、哀しいことに36才の若さで亡くなったということ。
(実際、こんな人が今の時代でもいたら、若い女の子たちが、キャーキャー言うかも。
まして、その義兄弟の孫策さんも孫郎と、呼ばれてなかなか好青年だったとか?)
演義では、彼は、神経質で、病気がちで、嫉妬心が強くって、感じで、孔明先生に、
散々いじめられたあげく憤死ということに。(泣)
そして、赤壁の戦いの功労者は、劉備軍と孫権軍の同盟を結ばせた孔明先生みたいになっています。
(こんな人だから、孔明先生にはかなわないみたいな。。。^^;;;)
彼が、もう少し長生きしていたら、こんな書かれ方しないのにって感じですが。
正史での彼は、たしかに、劉備たちを警戒をしていたと思いますが、
(赤壁の戦いの後の曹操軍と戦っているときに、ねらっていた?
荊州を劉備たちに押さえられた)
そんなに神経質だとか、病気がちだったとかは書いてありません。
おおらかな性格で、度量があり、多くの人の心をつかんだとあります。
(ただ、孫策さんのお父さんの孫堅の代から仕えている、程普さん(しかもまっさきに仕えた年長者)とは、
あんまり仲がよくなかったらしいです。(やっぱり、能力があったにせよ、
やっぱり、この若造がっていう気持ちもあったのかも)
でも、周瑜さんは、いつも程普さんには、
身を低くして、決して逆らおうとしなかったそうです。
その点もさすがだなと、思います。そして、いつのまにか、
程普さんと仲直り?)

100万と呼ばれる(本当は20万?)、曹操軍を8万の軍勢(実質5万?)での
決戦を君主の孫権に決断させたのは、この周瑜さんと魯粛さんです。
そして、勝利に結びつけたのは彼の知略によるものだと思います。
グロリアは、たぶん、周瑜さんは、いずれは、こういう時がくるのを
わかっていたのでは?(そのために水軍の訓練等していた)と思っているのですが。
けれども、その頃の曹操の勢いはすごいもの、そんな曹操に対して、
戦うと決意した孫権軍の人たちはすごいなぁと、思います。

彼が、もともと、病気がちだったということ。
とくに、赤壁の戦いの描写で、「東南の風が吹かないので、火計ができない」ということで、
周瑜さんが倒れることことが多いです。そして、孔明先生が活躍するのですが。
グロリアは、周瑜さんは、このときは、健康そのものだったのでは、と、
思います。
ただ、残念なのは、大勝した赤壁の戦い直後の戦いで、毒矢で、負傷したということ。
このころの時代のことですから、そんなに医療が発達していなかったと思います。
現に、この後ですが、関羽も毒矢に当たって、治療をその頃の名医と呼ばれた華佗に
治療してもらいましたが、完治したとはいえ、もう、前のように力を出すことができず、
(年をとったということになってますが)それが元で?呉軍に捕まってしまいます。
グロリアとしては、この傷が周瑜さんの命とりなったのでは、と思います。
周瑜さんが、荊州を劉備軍にうまうまと取られたために、
頭にきて、彼が憤死については、
最初は、こんなことってあるのかな?って思いました。
なんだかやりすぎって感じ。
しかし、最近、グロリアが虫歯で、歯の治療をしていたとき、
すごく、いやなことがあって、ちょっと(怒りが)頭にきたのです。
すると、ものすごい激痛が治療した歯と歯茎に!!
いや、精神的な打撃でも、痛みが感じます。
まして、周瑜さんの場合は、命が関わります。
満足な治療もない。呉の軍師として命をかけて尽くしてきた彼には、
思いっきり大打撃だったのではと思います。
そのため、やっぱり、憤死はあったかも?(涙)
でも彼が亡くなったのは、36才。(赤壁の戦いの後2年後)
同じ年で義兄弟だった孫策が亡くなったのは26才。
約10年間、がんばっていらしたのですね。

でも、考えてみれば、期間が短かったとはいえ、心から信じあえる親友と
大業を成し遂げようとしたお二人(周瑜さんと孫策さん)は、うらやましいと、思いますね。
もちろん、乱世の時代でも、現代でも、こんなことはなかなか難しいと思います。



趙雲(チョウウン) 所属=劉備軍(蜀) 仲がいい人=劉備(君主)・諸葛亮(軍師)・張飛?
字は、子龍(シリュウ)。劉備の義兄弟、関羽・張飛に並んで、劉備に仕えた忠臣な武将として、
すごく有名です。彼をまず、有名にしたのは、やはり長坂坡の戦いで、劉備の息子の阿斗(のちの劉禅)を
単身で、曹操軍から救ったこと。
この場面は、三国志の名場面のひとつでもあります。

それから、ここぞというときは、趙雲に任せれば大丈夫!という感じで軍師の諸葛亮も
かなり頼りにしていたらしいです。
とても、真面目な人だったみたいで、演義のお話とかでは、
せっかくあった、結婚話をだめにしちゃったり(彼は、ずっと独身だったという話があります)
なんか呉の策にはまった劉備にやきもきしたり。
でも、すごく、大失敗ということは、なかったらしいです。
どちらかというと、若武者というイメージが先行している趙雲ですが、
グロリアは、中国ドラマの「三国演義」のじっちゃま趙雲も大好き。(彼は、かなり長生き?したらしいですが)
年をとってもしっかり、お役目がんばるし、自分が年をとったことをさとって、
しりぞかなけばならないときは、さっと、行動にうつす。
冷静に状況判断できる彼は、すごいなぁと、思いました。


諸葛亮(ショカツリョウ) 所属=劉備軍(蜀) 仲がいい人=劉備(君主)・姜維・徐庶? ライバル=司馬懿?
字は、孔明(コウメイ)。こっちの方がなんだか有名で、聞いたことある!!いう方も多いかも?
なんだか、ゲームと演劇もこっちのほうが覚えやすい?のか、
孔明として呼ばれているのが多いです。
蜀の有名な軍師です。
中国では、「三人寄れば、文殊の知恵」が「三人寄れば、孔明の知恵」というそう?です。
グロリアは、三国志にはまるまで、てっきり、なぜか、孔明先生は、エライ学者だと思ってました。(^^;;;孔子の間違い?
彼にかかわるお話には、有名なお話が多くて、劉備が彼を迎え入れるためにとった三顧の礼とか、水魚の交わり
泣いて馬謖(バショク)を斬るとか、危急存亡の秋とかのことわざになったものもあります。
最初に彼がすごいなと、思ったのは、吉川英治さんの三国志のたぶん、赤壁の戦いでの、
藁の船で、10万本の矢を3日間(本当は一晩)で、集めてしまったというお話。
いや、こんなに知恵のあふれた人がいるなんてすごいって思いました。
(このときは、周瑜さんにあまり気がつかなかった)
最近になって、某ゲームによって呉の周瑜様の魅力(上記参照)にはまってしまって、
三国志の世界にどっぷりはまってしまうと、
グロリアがLOVEな?周瑜さんに対する、彼の態度は酷い!!ということに気がつきます。
それで、しばらく、嫌いになったのですが。。。。
彼が、生き生きと活躍するのは、劉備が生きている間。
それまでは、なんだか怖いものなしって感じですね。
ニコニコしながら、白羽扇をあおぎながら、本領発揮って感じなのです。
ところが、関羽が亡くなり張飛が殺され、劉備も死んじゃって、
しばらくは、趙雲もいて、がんばってくれていたのですが、
他の国(呉・魏)に比べてどんどん人材不足に。
魏への戦いのために軍を進めるのも彼がやらないといけないし、(しかも、
魏の軍師司馬懿にはてこずります)、
内政もやらないといけないしで、だんだん、彼の肩になにもかも覆い被さってきました。
もし、いくらか、劉禅(劉備の後を継いだ息子)が有能だったら、
こんなことには、ならなかったかも?という話も。
いくら優秀な人でもやはり多くの人の手助けがなければ、
国を支えていくことができないんだなと、思いました。
中国ドラマでの諸葛亮の最後(過労死と言われている)は(五丈原)とても哀しいものでした。
しかも、ここでは、命日が8月23日。
これって、グロリアとマイクの誕生日。(あせ)
いや、何も人の誕生日に死ななくてもって、感じですが。
(というより、人が死んだ日に生まれるなって感じでしょうか(笑)


魯粛(ロシュク)  所属=孫権軍(呉) 仲がいい人=孫権(君主)・周瑜・諸葛亮  仲が悪い人=張昭・関羽?
字は、子敬(シケイ)。
三国志関係では、周瑜さんと劉備軍の名軍師諸葛亮こと孔明先生との間にはいって、
おろおろしているのが印象的な方です。
とくにこのお二人が、名軍師同志で、有能なお二人が、同盟している国どうしのはずなのに、
なんか、争っているようなそうでないような、なんだか緊張させる雰囲気。
そんな雰囲気で、曹操軍を迎え撃とうしている。>赤壁の戦い。
なんとかこの戦いは、同盟軍に勝利を、って感じで、彼もがんばっているのですが、
華やかなお二人の影に隠れてしまって>おいおい。
しばらくグロリアもお人好しのいい人って感じしか印象がなかったのですが。
でも、最近は、彼がでてくるとうれしいのです。
周瑜さんとは、周瑜さんの軍が、兵糧がなくて困っているときに、
自分の家の倉の一つを惜しみなく与えたといわれています。
周瑜さんは、そのとき、魯粛さんが非凡であることを知って、お二人は仲がよくなったとか。
正史では、これからは、乱世の世の中になると言って、
さっそく、自分のところにいる若い人たちに武芸をやらせたとか。
(そのために変人?という噂が流れたとか^^;;;)
、赤壁の戦いが大勝利に終わったときに呉の孫権様が、わざわざお出迎えにきて
くださって、「私が、馬の鞍を押さえて、あなたを馬から下ろしてあげれば、
あなたの功を敬彰したことになるのだろうか?」と、おっしゃったとき、「いいえ、不十分でございます。
願わくは、孫権様が天下を統一して、帝王としてのお仕事を完成させて
私を安車蒲輪(天子が賢者を召し出すときの特別な馬車)によって召してくだされば、
私の功を敬彰してくださったことになるのです。」と、言っちゃったそうです。
こんなことをサラっと言ってしまう、魯粛さん。
実は本当は堂々した方かも?
周瑜さん亡き後は、彼の後を継いで、呉を支えました。
関羽とちょっと、いざこざがあって、ちょっと、裏をかかれたり、
江東の名門の張昭には、軽くみられたりしていましたが、(魯粛さんは名門出身ではなかったらしいです)
彼は、彼なりに、呉の行く末を考えていた人だと思います。
周瑜さんや、諸葛亮さんのようにパッパッと次から次へと策を出せる人ではないかもしれない。
でも、孫権さんを支えようした気持ちは人一倍あったと思います。
それで彼の取った策は、蜀と連携して、魏を倒そうということ。
実際に、蜀が亡くなってしまうと、呉の国も魏(晋)に滅ぼされてしまいます。
魯粛さんの考えがまんざら、はずれというわけでもなかったようです。


夏侯惇(カコウトン) 所属=曹操軍(魏) 仲がいい人=曹操(君主)・夏侯淵?(従兄弟?)
字は、元譲(ゲンジョウ)。
曹操軍で、片目のかっこいいおじ様がでてきたら、大抵の場合、
100パーセント、この方です。(笑)
三国志には、あまりにも人がでてくるので、
よく字幕で、お名前がでてきたりします。
最初は、みんな同じ人に見えるので(笑)
回数を重ねるうちに慣れてきて、
「ああ、このシーンで、こんなこと言う人は、○○○だ。」とか
見当がつくようになるのですが。
でも、彼の場合、字幕なしでも、彼だ!、惇ちゃん(トン)だ、って、
わかります。
曹操とは、従兄弟同士。
たしか、曹操のお父さんがこちらから養子でいらしたとか?
なんだか、子供のときから、一緒に遊んだりして、
曹操の信頼も厚い猛将だったとか?
彼が片目なのは、呂布との戦いのときに目を弓矢で射られたため。
「せっかく、親からもらった目を捨てるわけにはいかない」って、
その目玉を食べてしまったとか?
でも、すごく親分肌だったらしく、「よっしゃ、俺にまかせとけ」って
感じの人だったそうです。
曹操がなくなって、すぐ?あっという間に病死してしまいました。
なんだか、まるで、一気にやる気なくしちゃったって感じで。
きっと、堂々とした感じの人だったのではと、思います。


孫権(ソンケン)  所属=孫権軍(呉・君主) 仲がいい人=魯粛・周泰・張昭?・凌統?・甘寧? ライバル=曹操(君主)・劉備(君主)
字は、仲謀(チュウボウ)。
お父さんのパパ(同じようにソンケンと呼ばれるので区別するために、このように呼ばれることも?)、
お兄さんの兄さんが、一生懸命、がんばっていたのに、二人とも早いうちに
トントン拍子に亡くなって、彼がその領地及び軍勢を受け継いだのは、
彼が19才のとき。(17才?という説もありますが)
そして、彼のライバルは、曹操や劉備
どちらも、なかなか個性的です。
三国志のお話でも、彼らが中心で、進んでいるものが多いこと。
そのため、上記の周瑜さんといっしょに、赤壁の戦いまで、出番なし!ということが多いです。
(でも、中国ドラマの三国演義には、孫策兄さんが亡くなったときに可愛い女の子みたいな孫権さんが、
でてきたけど。)
そして、呉の武将にもなかなか個性的な武将が多くて、(周瑜・魯粛・程普・黄蓋・甘寧・呂蒙・陸遜など)
彼らが、おもいきり大活躍して、めだってしまうので、
なんだか影のような感じ。>ひどすぎ。^^;;;
でも、曹操や、劉備と違うところは、適材適所にちゃんと、能力がある人材を登用し、
配下の武将を信じて、その仕事(戦いとか内政とか)を任せたことだと思います。
配下の武将の諫言にもちゃんと聞き入れて、反省もしていたらしいです。
(上に立つ人としては、なかなか珍しいかも?)
そのため約50年に渡って、呉の国をうまく治めました。
残念なのは、これだけうまく国を治めていけるのは、優秀な配下がいるからだと、
なかなか、彼の能力を認められなかったということです。
(孫権曰く「孫呉の士人は、宮中に入ると私を拝するが、外に出ると君(張昭)を拝している。」という
言葉は、すごく可哀想な気がします。)
魯粛さんは、高く評価していたようですが。

けれども、曹操が、合肥で孫権と戦ったときは、
「孫堅も、孫策、孫権と良い息子を持ったなぁ。」と、
うらやましがっていたそうです。
さすがは、曹操閣下、見るところが違います。


関羽(カンウ) 所属=劉備軍(蜀) 仲がいい人=劉備(君主)・張飛・張遼 
字は、雲長(ウンチョウ)。
蜀の君主、劉備張飛とは、大抵の三国志のお話の最初に出てくる桃園の誓いで有名な通りに、
義兄弟です。
たぶん、このお話の「生まれた日は違えども、死ぬときは同じ日を願う」という言葉は、
きっと、関羽が死んじゃったら、まるで申し合わせたように、三国志で頑張っていた人たち(曹操・張飛・劉備・呂蒙も!)が
あれよあれよと死んでいっちゃったので、それをドラマティックにするために
作られたのかもしれません。>本当にドラマの筋書きのようにだし。
(いや、ドラマだったら、もう少し、みんな生かしておきますよ。
だって、この後すごく、三国志の舞台が寂しくなっちゃうもの。現実のストーリーってすごいって感じです)
ともかく、この人は、普段は、書物を読んで、静かな趣の人ですが、
戦場になると、めちゃめちゃ強かったそうです。
そして仁義に厚い。
そのために、曹操が関羽にぞっこん?(おいおい)。
3つの約束(1.関羽は、曹操に降伏したのではなくて、漢帝に降伏したということ。
2.いっしょにいる劉備の奥方様(2人)には、手を触れず、ちゃんと、保護すること。
3.劉備がいるところがわかったら、直ちに、劉備の元に、関羽は戻ることを許可すること。)
を曹操にさせて、ちゃんと、劉備のところに戻ってしまったということ。
ここもひとつの三国志の見せ場の一つですね。
この後、赤壁の戦いでも、ちょっと、曹操と関羽のやりとりがあるのですが、(関羽が曹操を逃がす)
関羽なら仕方がないかな?と思います。
でも、グロリアとして、残念なのは、なぜか、関羽が死んだときに、
幽霊になって、呉の武将の呂蒙を殺したとか、曹操も殺したとかの話になっていること。
確かに志半ばで殺された関羽は悔しいと思います。
でも、悔しいと思って死んでいった人はもっと大勢います。(周瑜さんだって、孫策さんだって。おいおい)
こんなに仁義あふれる人なのに、かえってこんなお話で評価を下げているような気がします。
そのために、関羽を祭っている廟があちこちにあるという話も。
領民にたいする税などを平等にしていたから商売の神様としてとか祭ってある場合もあるようです。


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