鎖国をしていた江戸時代、一度、国外に出てしまった日本人は、原則的に帰国を禁止されていた。
たとえそれが自ら望んでいない不慮の事故の結果だとしてもだ。
史上初といわれる露和辞典編集者のゴンザ(権蔵)もそうした日本人だ。
ゴンザは薩摩地方の漁師で、11歳の時(1729年)、乗船していた船が難破して、カムチャッカに漂着した。
当時ロシアは、日本との通商を望んでおり、漂着民を保護すると、首都ペテルブルクに移送して、日本の情報を得ようとしていた。
首都に移送されたゴンザと、同じく生き残ったソウザ(宗蔵)は、ロシア語を学んで、最初の日本語教師になった。
その後、ソウザは1736年に43歳で死亡。ゴンザは1739年に21歳で死亡した。その死亡する少し前、ゴンザ18歳から20歳が、露和辞典編集の時代であった。
ただし、ゴンザはあくまで庶民であり、11歳で日本を離れてしまった事情もあいまって、辞書編集には、甚だしい苦労があったようだ。
当時の辞典の内容を編集した『新スラヴ・日本語辞典 日本版』から、日本語訳を拾い読みするだけで、ゴンザの苦労とともに、その生活といったものまでもが見えてくる。
たとえば、「女郎屋」。ゴンザの訳では、「ワルカコトスルトコロ」となる。漢字で書けば「悪かことする所」で、「悪いことをする所」の薩摩地方の方言である。
これを見つけた時、「そうか。11歳で日本の生活から切り放されてしまったゴンザ君は、まだ、そういうふうにしか教わっていなかったのね。青年期に入ったにもかかわらず、ゴンザ君の語意はまだお子ちゃまだったのね(涙)」などと、250年以上前の青年に同情してしまった。
ゴンザが編集に協力した露和辞典は、江戸期の薩摩方言を研究する資料としても有益であるという。
が、門外漢のわたしにとっては、若くして異国に散った青年の墓碑銘のようでもあり、哀しみも感じてしまうのだ。
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