トピックス015

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 こうした不適応の問題を考えると、「保護者制度」という日本の制度も大きな問題を持ちます。日本の制度では、患者さんの行動で、もし何かあったら家族もその負担をかぶらなければなりません。一番よくあるのが金銭管理の問題で、生活保護費や障害年金の範囲でうまく暮らせないとすぐにマイナスが増えてしまいます。マイナスはどうするかというとサラ金で借りたりします(サラ金は自動車の免許書ひとつですぐに貸してくれます)。その支払いを家族がしなければなりません。アパートを借りる時にも保証人を求められます。他にも何に付け、保証人、保護者を求められるのが日本の制度であり、そのために、本人が退院したり社会に出ることをためらわれる家族の方も多くなってしまうのです。入院の時に家族とケンカしていたり、迷惑をかけている人の場合は、なおさら退院について前向きな気持になりません。まだご両親が健在だというところは、親の責任として前向きにとらえていただけますが、本人と年齢の近い兄弟や離れた親戚となると、それぞれの家庭を維持するのも大変なこの時代に、保護者や保証人を求めることに義理人情だけの気安い対応ができないというのが現実問題です。現在「ぜんかれん(全国精神障害者家族会連合会)」を中心に、「保護者制度」の廃止を求める運動が行われています。欧米に行きますと、成人した個人は、まず個人として扱われますので「保護者」の必要がないのです。福祉も基本的に本人に対して直接行われます。日本は本人を含む「世帯」に行われているのが現状です。このために責任問題が家族を巻き込んで大きな問題になる。本人は逆に自分の責任制を軽く見てしまう。そうではなくてきちんと個人の問題であることをはっきりさせる取り組みが必要だということでもあります。何かあれば責任を取るのも、個人として認められているからであり、精神障害者だからといってうやむやにされるのは、社会人として認められていないからだとも言えるのです。本人に社会人としての自覚、その上で社会で暮らす一員として必要と考えられる治療を受ける責任があることも、私たちはもっと明確にする必要があると感じます。

 この意志の問題はもう少し深く考える必要があります。先にもあげましたように入院に際して必要性を自覚していない人が多いのですが、それは退院後も通院の必要性を自覚していないということでもあります。これは本人だけの問題ではなく、社会全体に精神科の病気があまり知られていないということも背景にあります。例えば、「幻聴」というと一般の人も特殊な病的な体験というふうに思ってしまいますが、実際の現象としては「声が聞える」という普通の日常の体験と何も変わりません。ただ、その声の主がそばにいないだけで「聞える」という体験は同じと言ってもいいのです。どこかで物音がした時、自分がどこかで呼ばれた気がした時、首をかしげながらもあまり気にならなければ何でもないことなんですが、これが無視できないくらいにはっきりと強く聞えて、その言葉によって状況がわからなくなるから、困るわけです。精神科では脳の病気のせいで「声が聞える」現象を「幻聴」と言っているだけです。本人にとっては「聞える現実」があるのですから、それが「本当か」「嘘か」と言っても仕方がありません。想像すれば、ちょっとしたSFの世界のような体験になってしまいます。それで「神様」が出てきたり「宇宙人」が出てきたり「テレパシー」や「電波」「電磁波」等の話になっていきます。それにつられて行動もわからないことになります。これは簡単な例えですが、いずれにしても本人の自覚と周囲の期待には少しずつズレが起こるのがわかるかと思います。周囲の人は夜中は家にいて欲しいと思っても、本人は「宇宙人」に会いに行かなくてはならないかもしれません。外に出ると襲われると思えば、家から出られません。多くの場合、ある程度治療が進んでくると、こうしたやり取りのちぐはぐさがなくなってきて、生活も落ち着いてくるのですが、課題はそのあとです。生活が安定してくると受診や薬の服用が不規則になりがちです。家族や周囲の人も「いつまでも薬なんか飲むな」と言ったりします。こうした病気は風邪のように3日薬を飲めばよくなるというものとは違います。糖尿病のように治療を継続していくことで安定すると言うものです。こうしたことを知識としても知ってもらい、意識を高める努力が必要です。

 さらに、グランドデザインの解説の中を見れば「ヘルパー」という言葉がたくさん出てきたことに気がつきます。このヘルパーに付随して大事なのが「ケア・マネジャー」という存在です。今後の福祉にもこうした人が出てきます。どんな仕事をするのかというと、ケア・マネージャーは本人と生活に必要な援助を話し合い、その人の介護度や支援費などを踏まえて、どの支援にいくらお金や時間をかけるのがもっとも適切かを決めていくのです。ヘルパーはケア・マネージャーの立てた計画にそって、1時間を基本単位として生活の援助をしていきます。料理をしてもらうのが必要なのか、買物でいいのか、掃除や洗濯なのか、お風呂に入る時の援助なのか、通院時の応援なのか、あらかじめ仕事を決めておいて、それをしてもらうのです。そうするとやはり本人が適切な希望をもって、具体的な要望を出さないといけません。これは病院や福祉が一方的に親切の押し売りでケアを決めるのではなく、本人が自らの責任で福祉を選ぶ時代に来ていることを示しています。ここでも薬を飲むのが嫌、病院も福祉も自分には関係ないという人には支援の手は行かなくなります。先に精神科に入院している人は、病気の重さによって決まるのではなく、生活の適応状態で決まると書きました。病気があっても本人が意識を持ってきちんと生活できていれば問題はないのです。そうでない時に社会的な問題として入院になる。一方で本人は入院ついて不満に思い、拒否的な気持でいる人も多いことになります。家族とケンカし続けている人もいます。この場合の本人の意志、家族の意志をどうするか、ということは重要なことなのです。病院は本人と家族の間に立ちながら、その調整役も果たしています。そうした過程がうまく解決できて、始めて、さまざまな取り組みについて、本人自らが参加するようになるというのが現状なのです。精神科のグランド・デザインを成功させるためには「意志」の問題が重要なのです。

 そして、社会も今まで精神病院にいた72000人の方が退院してくるという現実、身体・知的の障害でも施設から家庭へと戻っているという現実を考える時、それは今後の暮らしの中に今まで以上に障害をもった方が増えてくることであり、日本の社会がそれを受け容れられるのかというのが、実は最後の大きな問題になることがわかります。グランドデザインでは、精神障害の福祉施設を各地に増やしたいと言っていますが、現状では各地で多くの反対運動に直面し、なかなか政策が追いつきません。精神障害者と犯罪との結びつきを強く思っている人はまだまだ多く、そのために障害者の存在が否定的に扱われ、障害者や家族自身も社会に出ることを恐れているのです。そのため厚生労働省は精神科の病気や障害者についてより広く適切に知ってもらう必要があると考えています。そのために政府は今年からテレビや新聞などさまざまなメディアを使って精神科の病気や障害について理解を広めるような政府広告や番組の企画などを考えているようです。その目標は国民の90%が精神科の病気や障害について理解できているようにする、という非常に高いものです。これまで取り上げてきた生活習慣病(糖尿病や高血圧など)と同じレベルの理解を国民に広げたいと言っています。これは今までこの「ガタゴト」でも取り組んできたことですが、政府が率先してやっていこうとする姿勢を示したのは、今回が初めてのことです。どのように行われ、本当に生活習慣病と同様に多くの人の理解が得られるのか、期待しているところです。

 さて、グランドデザインにまつわるいろいろな側面を見てみました。本人の「意志」の問題は「温室の花」でも触れた課題ですが、すぐに解決できるものではありません。意識のある病院はすでに取り組んでいますが、安穏と入院生活を継続しているところもまだたくさんあります。精神科についてみれば、これまで身体・知的の障害の方が福祉が進んでいて、さまざまな面で遅れていますから、これが一律のサービスに統合されることは願ってもいないことではあります。しかし、一方で私たち精神科医療者にたずさわる者に対しても多くの責任を求められる時代になるわけです。平成15年はこうした問題を踏まえて、国会での討議が進む予定です。どんな討議が行われ、どんな社会が生まれるのか、それは障害者の周辺の人たちだけの問題ではなく、日本の社会で暮らす人すべてにかかわる問題と言えるのです。
夏の木
(2005/3/5記)
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