| ここは「駅売りタブロイド」。心の話には不透明で不確かな話も、矛盾だらけの話もたくさんあります。 ここでは独断や偏見が混ざることを承知でそんな話をあつかっていきましょう。 よって、ここでの記事には特にご注意ください。読まれた方のご批判・ご意見・ご感想をお待ちしております。 |
心理士を囲む現状 |
| 最近、心理士やカウンセラーの仕事についての質問を伝言板やメールでよくいただきます。それだけこうした仕事の存在が注目されてきているということで、うれしい限りです。しかし、現実的に言いますと、やはり、誰もが生活していかなければならないわけで、「職業」としての現状も気になることだろうと思います。・・・ということで、伝言板での質問に答えてきたことをここでまとめておこうかと思います。(これから書きますのは平成12年7月現在での話です)。 先の「心理士の仕事」でも触れていますが、「心理士」や「カウンセラー」というものは、現在の日本の医療法の中では明確な規定が書いてありません。もちろん、国家資格などもありません。これはどういうことかと言いますと、法的には心理士というのは特に病院にいなくてもいいんだと、もっとはっきりいうとそういう存在について正式に認めてはいませんよということです。そして、それは現実問題として心理士が何をしても保険点数に反映しない、病院の収入にはならないということにもつながるわけです。日本というのは資本主義社会ですから、どんな医療を受ける場合でもお金がかかります。病院といえど奉仕活動でやっているわけではないのです。雇ってもお金を稼げない人をなぜ病院が雇わなければならないのか。これはリストラが吹き荒れる今でなくても、誰もが考えることになります。 それでちょっと目先を変えますが、では「精神療法」や「カウンセリング」というのはどういうことなのかという疑問があがると思います。現在、日本では「精神療法」は医者がやることになっています。ただし、これは今のところ内科で言う「診察」にあたるものです。ここら辺はかなりあいまいな部分です。例えば、外来で「最近の調子はどうですか」「まあまあです」というおきまりなやりとりをすると、これはもう「精神療法」をしたことになります。3分でも5分でも同じです。もちろん、これまでの経過やいろいろなことを聞くこともあるわけで、それなりに「精神療法」と呼べなくもないこともありません。でも、「精神療法」というのは、そういうことなのかと思われる人も多いと思います。現在、外来に通院されている方で、診察がすんで「ああ、精神療法を受けた」と実感される方はどれぐらいおられるでしょうか。 何か拍子抜けしたような話ですが、ようは「精神療法」や「カウンセリング」というのは話をするだけらしいから、医者と話をしたら「精神療法」にすればいいんだというようなお役所の勝手な理解が働いているようです。病院もそれでいくらかでも収入が上がるのなら、そうしてもらおうという気持ちもあります。日本の精神科医療の歴史については「温室の花」で簡単に書いていますが、日本という国はどうもこうした「心の問題」に触れたがらない、価値を認めたがらないといいますか、科学的に明確な証拠(数字や物)を見ないときちん考えられないということがある気がします。そのくせ「心の問題」というと精神論、根性論で解決しようとして「やれがんばれ」「やれ甘えるな」というだけで、本当の問題の解決には目がいきません。ここら辺でいつも話が堂々巡りするようです。 本来の「精神療法」というのはそういう単純なものではありません。確かに「話す」ということが中心ですが、その基本は「心の変化」ということに意識があります。そして、そのことによって症状や生活にも変化が起こることを考えています。これは薬によって、科学的な作用で気持ちの働きを変えるということとは違って、本当にその人の人生を振り返ったり、今後のことを考え合わせたりしていくという地道でコツコツとした作業ですが、とても人間的な作業でもあります。人間的な悩みや悲しみに苦しんでいるのだから、人間的に考えていこうというのが本来の精神療法であるわけです。病気というものに、その人の人生という問題が結びついているならば、こうした作業はとっても意味の大きいものです。普通は40分から1時間ほど、きちんと時間をとって、落ち着いたくつろげる部屋で、そうした作業に専門の訓練を受けた先生と自分とで秘密の時間を作るようにして進めて行くものです。話をわかりやすくするために、こうした特別なやりとりについて、ここからは「心理療法」といって、「精神療法(診察)」と区別しようと思います。 医者や看護婦は身体医学を中心に教育を受けてきます。国家試験もこの身体医学についての知識を問います。ここに精神科とか内科の区別はないのです。看護婦もそうです。国家試験を通ったあとに自分の専門の領域に進むわけです。もちろん、将来精神科に進もうとする医者は国家試験の前から精神科についての勉強はしています。国家試験では精神科の病気や薬での治療の仕方についての問題が出ます。でも、「人の心」について問題が出ることはありません。西洋医学が「心」について認めていないのですから仕方ありません。まして、病気を抱える患者の心のケアについて、精神的な援助について問われることはほとんどありません。看護婦でも同様です。医学の中にある「心の問題」については、それぞれが独自に学びなさいというのが、日本の現状です(こういう教育の問題は、最近は医者の患者や家族への対応の悪さということで注目を集めてもいます)。 精神科に進む医者の場合でも、こうして基本的に身体医療を学んできます。そのうえで今度は「心」をあつかう「心理療法」をどれだけ自分の治療に取り入れるかということが、それぞれの医者の個性や治療方針に反映してくるわけです。現実的にはここで薬物療法を中心に治療を行う医者と、「心」を扱う「心理療法」に力を入れる医者とに分かれてしまうようです。「心」という非科学的なものを取り上げることが個性を分けるわけです。ですから、同じ精神科の医者でも治療のあり方というのは非常に大きな違いがあります。こうした点は内科や外科の医療ではあまり見られないことです。 これはもう少しいいますと病院の経営の問題とも大きくからんでいます。先にも書いたとおり本来の「心理療法」というのは1時間前後の時間をとって、その人それぞれの心の問題について取り組もうというわけですから、時間も精神的なエネルギーも非常に使います。医者の勤務時間が決まっていないといっても、1日何十人と診ることはとてもできないわけです。医者が一日に数人しか診ないとなると病院の経営はできません。厚生労働省の発表では平成13年6月現在、日本の開業医の平均月収は240万円を超えているのです。とてもじゃないけれど、わずか数人の「心理療法」ではこんな額にはなりようがありません。どうしても薬物療法を中心にしないとやれない面もここにはあります。少なくとも医者に「心理療法」だけやられては、病院が経営できないわけです。それで「精神療法」と言いながらも、実質は普通の診察となっているということになります(ここには精神科の医療費が内科などより安く設定されている、同じ仕事をしても精神病院の収入が内科の病院より低いということとも関係があります)。 |
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