| ここは「駅売りタブロイド」。心の話には不透明で不確かな話も、矛盾だらけの話もたくさんあります。 ここでは独断や偏見が混ざることを承知でそんな話をあつかっていきましょう。 よって、ここでの記事には特にご注意ください。読まれた方のご批判・ご意見・ご感想をお待ちしております。 |
大人たちにできること 3 |
| 心の問題と医療の周辺 |
| 新聞やテレビの報道は速報性を重視するために、情報が断片化したり、内容の変化や修正が十分でないままに、人々の記憶に残ってしまうことがよくあります。今回のバスジャック事件でも考えておきたい点はいろいろとあります。 まず、少年はすでに「いじめにあっていた」といい、実際に学校にも行けなくなっていました。この時点で両親は精神科、児童相談所、教育センターなどに相談に行き、両親が月一回のカウンセリングを受けていたといいます。本人自身はカウンセリングを受ける気持ちにはなっていませんでした。 心の問題を扱うとき、本人ではなく、両親がカウンセリングを受けるということは特に珍しいことではありません。あとにも出てきますが、人間というのは他人から無理矢理に何かを押しつけたり、決めつけたりされても、抵抗感が増すばかりで、よい方向に変わるということはなかなかできないものです。それに心の問題はそれまでの人間関係や状況によって生まれてくるものです。誰にとっても家族というものは非常に大きなウェイトを占めています。ですから、「不登校」ということについて考えるときも、その本人だけを取り上げているのでは不十分なのです。家族の誰かが「私には関係ない」と思っているうちは、何も変わっていきません。家族が変わることで、本人も変わるということは往々にしてよくあることなのです。ただ、残念ながら、彼の場合にはそこまでにいたりませんでした。 以前にスクールカウンセラーということに触れましたが、実際にカウンセラーに会うということは日本ではまだ一般的とは言えない現状にあります。カウンセラーや心理士という存在が、日本の医療の中でさえも十分に認められてはいないからです。カウンセラーが行うカウンセリングや心理療法は40分から1時間程度の時間を使って、じっくりと話をしたり、時には絵を描いたり、道具を使ったりしながら進められて行くものですが、現在の医療法の中ではこうしたことに正式な位置づけがありません(ちなみに法的に「精神療法」というのは精神科の医師が行ういわゆる診察のことで、それが1分間でも5分間でも「精神療法」と言います)。このためカウンセラーや心理士が病院にいる場合でも、カウンセリングや心理療法が受けられるとは限らないのです。 そうした現状の中でスクールカウンセラーも、名称や制度ばかりが注目されることが多いようです。制度をよく見るとわかりますが、スクールカウンセラーは週8時間の非常勤の存在です。いろいろな批判の的になっている教師の方々も現実には非常にたくさんの努力をしているのです。学校という閉ざされがちな環境に、外側から風を送るということには意味があるでしょうが、スクールカウンセラーを学校という大きな環境に週8時間一人だけ配置しようというこの制度の非力さは否めないのが現実でもあります。多くの場合は、それらの時間を超える分については、カウンセラーが所属する医療機関に受診してもらうか、あるいはカウンセラーの個人的な努力に依存することになってもいるようです。 また、スクールカウンセラーは「臨床心理士」という資格を持つ人に要請が行くことが多いのですが、その数は7000人ほどで、しかも、その中のかなりの人は精神科医か大学などの教員となっています。スクールカウンセラーの必要数に対し、これも不十分な数字でしょう。病院に勤めている場合でも、カウンセラーや心理士の派遣には職員を送り出す病院の理解や協力が必要でもあります。 学校側にしても、まったく違う領域の人が急に入ってきても、何をどう準備し、どんな形で協力体制が作れるのかといった部分から試行錯誤の取り組みとなることも多いと聞いています。カウンセリングという非常にプライベートな事柄における、先生との情報交換という点でも大きな課題があります。まして、カウンセリングを受けることも日本の精神科に対する偏見同様に、子供にもまた敬遠されがちなことでもあります。 話を進めると事件直前、彼の両親は危険性を感じて警察や病院へ相談をしていたことも明らかになっています。しかし、警察も病院もこれに対応しきれず、結局はたらい回しといった状態になっていました。 最近、児童虐待法案が成立しましたが、これにも関連してよく言われることに「法は家庭に入らない」「民事不介入」というものがあります。これは普通には親子ゲンカや夫婦ゲンカ、金銭的ないざこざ、教育方針などそれぞれの家庭内の事情には立ち入らないということを指しています。しかし、今回の事件を含め、児童虐待などについても、もう一歩も二歩も踏み込んで対処しなければならないということが、今後強く求められるだろうと思います。先日も栃木県で「事件になっていないから」といって、警察が家族の要請に応えようとしなかったという出来事がありました。バスジャック事件では警察の突入についての議論はありましたが、「事件を未然に防ぐ」という問題についても、その方法論を含めた議論が必要です。 一方、病院でも同様のジレンマがあります。本人が受診しなかったり、特別な問題が起きているのでなければ、当然その人を「病気」だから病院に来なさいなどと言うわけにはいかないのです。それは家族が相談に行っても同じです。最近はインフォームドコンセント(医療に対する説明と同意)ということも注目されていますが、例えその人に内科や外科的に明確な病気があっても、本人の同意が得られなければ注射も輸血も、もちろん手術も医師の一方的な判断では行うことはできません。当たり前のことではありますが、時に医療としての判断においてこれは重要な意味を持ちます。 精神病院では「医療保護入院」や「措置入院」と言って、ある特殊な状況に対して本人の意志を無視して入院を行うことが認められています。しかし、こうした強制力を発するのは緊急性を持って「自傷他害」の恐れがあると判断したときのみです。「自傷他害」とは自殺なども含め自分や他人を傷つけるような行為をしそうか、そういう直接的な意志がなくても食事をとらなくなったり、フラフラ出かけたりして安全性が確保できないときなどを指しています。この場合でも経験を積んだ精神保健指定医の診断が必要で、当然制限についてもさまざまな規定があります。この少年がしたように入院について不満があれば、病棟にある電話から各都道府県の精神医療審査会に判断をしてもらうこともできます。あとにも触れますが、こうした制度も決して本人の人権や人生を取り上げてよいという意味ではないのです。 |
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