トピックス010

駅売りタブロイド


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ここは「駅売りタブロイド」。心の話には不透明で不確かな話も、矛盾だらけの話もたくさんあります。
ここでは独断や偏見が混ざることを承知でそんな話をあつかっていきましょう。
よって、ここでの記事には特にご注意ください。読まれた方のご批判・ご意見・ご感想をお待ちしております。
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大人たちにできること 2

「心の病」と「心の闇」
 前回は子供たちの教育に取り組む姿勢との関係で話をしました。そこでは非行や犯罪に向かう子供たちもいれば、一見普通に生活しながらもいろいろな問題に直面している子供たちもいるということを書きました。こうした子供たちの心の問題を見たとき、はたして彼らは精神病になるのでしょうか。確かに殺人を犯したり、多額の恐喝をしたり、悪質ないじめをしている人は、精神的に健康で健全であるとは言えません。犯罪としての意識が薄いDVと言われる夫婦間暴力や幼児虐待をすることにも精神的に何らかの問題を抱えています。現実には大人たちが起こす犯罪もあとを絶ちません。しかし、そうそした人たちを精神病や精神障害とは言いいません。こうした人は犯罪を犯しながら、一方で自分なりの生活を営んでいて、何がよいことで悪いことなのかも理解しています。そして、その行為についてその人なりの人間的な動機を持っています。この人たちは病気なのではなく、生きる道を間違えたり、自分を社会のルールの中でコントロールできなかった人たちです。

 彼らの持っているものは「心の闇」と言っていいようなものです。これまでの多くの体験や出会いが折り重なって、とうとうそれが犯罪や人を傷つけるような、あるいは社会の常識とは異なるような行為に結びついてしまったのです。悪いことだと知りながら、もう一方でその誘惑に勝てなかったのです。

 「心の病」も「心の闇」も、どちらもその人が生きてきた人生と深く関わっています。本人の性格やそれを取り囲む家族を中心とした人間関係、学校や会社といった社会的な人間関係や立場、状況によっても、人は常に影響を受けています。このホームページに訪れて、いろいろな記事を読まれた方はすでに考えておられると思いますが、「心の病」にしても、「心の闇」にしても、これらはそもそも特殊な状態のことではなく、私たちこの世に生きている全ての人の中に存在しているものです。生きていくということは、美しいだけのものではありません。傷つくことも、辛いことも、努力することも、ねたむことも、うらやむことも、くやしいことも、欲望も、絶望も、愛することも、裏切ることも、自由も、束縛も・・・それらさまざまなことの織りなす物語なのです。その中で「心の病」に苦しむ人もいれば、「心の闇」に落ちてしまう人もいます。

 「心の病」と「心の闇」の違いを見ると、「心の病」というものが基本的には自分自身を抑え、むしろ社会の中で生きていくことが悩みや苦しみとなったり、その感情を抑えるあまり体の不調にななったりして現われてくるものなのに対して、「心の闇」は逆に社会的・対人的に誰かに迷惑をかけても、時には犯罪という形になっても、自分に何らかの利益を得ようとして自己中心的な行動になって現われるものである、ということになるでしょうか。「心の病」になる人は心の中にいろいろな形で葛藤を持っています。「心の闇」に負けてしまった人は、この葛藤をどんどん失って自己を正当化することにこだわるようになるのです。

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