トピックス007

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 この状況に変化をもたらしたのは昭和45年(1970年)に朝日新聞に載った一つの連載記事です。これはのちに「ルポ・精神病棟(大熊一夫)」として出版もされますが、一人の記者がアルコール依存症者になりすまして精神病院に入院し、その実態を書いたものです。精神病院はそれ自体が強い偏見を持ったまま、密室性の強い状況で、人権も尊厳もないような世界におちいっていることがそこで明らかにされていきました。そしてさらに、昭和59年(1984年)、精神病院の准看護婦と看護助手ら4人が患者を撲殺するという宇都宮病院事件が起こったことで、日弁連やマスコミが中心となって、この閉ざされた問題にいよいよ本格的にメスが入れられるようになります。こうした事件を継起として「精神障害者の人権」ということがようやく日本の社会的な問題として表舞台で語られるようになったのです。

 当時、欧米の精神医療はすでに入院収容施設型の治療をやめ、精神障害者も地域で当たり前に暮らしていける環境整備が進められていました。日本の現状は当然のごとく国際社会からも強い批判を浴びました。先進国の一員としての人権意識というものが求められてくるわけです。こうした背景の中、昭和62年(1987年)、長く続いた精神衛生法は、精神障害者の社会復帰を目指す「精神保健法」へと大々的な改正を受けて生まれ変わることになります。この法律はその中に入院の際の様々な取り決めを細かく具体的に記ししたうえ、人権への配慮、社会復帰施設の増設などを明記していました。

 しかし、それでも福祉的に見るとこの法律も十分ではありません。現実的に長期の治療や再入院を繰り返している人たちにとっては、より積極的な対策が必要なのは明らかなことでした。日本の福祉は「障害者」という概念を中心にしています。それまで障害者とはすでに治療する部分が無くなり、結果として何らかの障害が残った状態の人を指しました。例えば手を失ったり、失明したり、何をしても取り返しのつかない状態になったということを指すわけです。その意味で治療継続中であり、わずかでも回復の可能性の残っている精神科の患者は、障害者に適用されるような福祉的援助が受けられないという状態にあったのです。長期の治療や入院を必要としながら、福祉的な面からも精神科にかかる人たちは孤立した立場にありました。

 そこで今度は平成5年(1993年)、障害者基本法が制定され、新たに「障害者」について「身体障害、精神薄弱または精神障害があるため、長期にわたり日常生活または社会生活に相当な制限を受けるもの」と定義することになりました。精神病者はこれを受け、ようやく精神障害者として認められるようになります。平成7年(1995年)には、先の精神保健法が、福祉的な観点を取り入れた「精神保健福祉法」と変わるようになりました。

 この精神保健福祉法ではその第1条において「精神障害者等の医療および保護を行い、その社会復帰の促進およびその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い、並びにその発生の予防その他国民の精神的健康の保持及び増進に努めることによって、精神障害者等の福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図ることを目的とする」と記し、それによって社会復帰という観点とそのための社会的な援助の充実ということを明確にするとともに、精神病を長期的にわずらう人にも障害者として権利を与えることになったのです。

 そして、平成12年(2000年)の今年、この法律はさらに有効に働くように、改定する準備が進められています。お気づきのように、この間はわずか50年でしかありません。終戦後のこの間に日本は大きく変貌し、その考え方も、生活のあり方もいろいろな影響を受けてきました。しかし、その表面的な豊かさの影で、私たち自身は本当に変わってきたのでしょうか。日本の精神保健の歴史はいつも社会の影響を強く受けてきたものです。そして、それは多くの人々の人生を確実に左右してきました。目に見えない病気とそれを背負って生きている人々。私たちは本当にこうした問題を理解し、お互いに協力しあうことができるのでしょうか。私たちは本当に自らの手で、豊かな明日を創ることができるのでしょうか。この問いに答えるにはまだ多くの時間が必要なのかもしれません。

冬の木
(2000/1/8記)
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