| 現代はちょっとした「楽観」ブームで、「前向きに考える」とか「プラス思考」などということがよく言われる。人生の三割が成功すれば強打者と言っていいのではないかということだ。全ての責任を背負い込んでいると思っているピッチャーこそ勘違いで、本当は一週間に一回くらいしか出てこないじゃないか。最近はたった一回3人の打者しか相手にしないピッチャーだっているくらいだ。 なるほど、これは素敵な考え方だと僕も思う。僕自身が人生観としてどちらに近いかと聞かれると、どうやら僕は悲観的な立場になるようだ。これは「待合室」をみれば一目瞭然で、たいていうまくいかなかったり、どうしようもできないことばかり書いているではないか。ピッチャーと同じで、打たれてやられたシーンはよく覚えているが、打ち取ってうまくいったということはすぐに忘れてしまう。「プラス思考」と言われる人の話を聞けば聞くほど、僕もマネをしなければいけないと最近よく思う。僕だってできれば豪快に三振できるバッターになりたいと思っていた。それでなければせめて西部の松坂のように大口のたたけるピッチャーになりたいと願ったりする。 …だけど、現実はなかなか思うように変身できないらしい。どうしてもセカンドにいつもランナーを背負っている気になってしまう。三振をとろうと狙いながらも、その裏でホームランを打たれやしないかと気がかりで仕方がない。本当に気の弱い性格で嫌になる。結局、いまだに相も変わらず心配性のピッチャーをやっている。それでも、最近は悲観主義も進歩をするらしくて、打たれても打たれても点だけは取られない粘りのピッチングを信条とするピッチャーになってきたようだ。30才も過ぎていよいよズウズウしくなってきただけだと言われるかもしれないが、まあ、それもいいかもしれない。最近は自分に似合わない無謀な変身はあきらめてきた。阪神の新庄だって、肩がいいだけではピッチャーになれないだろう。彼の魅力はホームランだと思う。僕のようにセコく内野ゴロで世渡りするピッチャーも世の中には必要なのだ。自分なりのピッチングを大事にしよう。自分の生きてきた道を大事にしていこう。草野球でいいじゃないかと、近頃は開き直ることにしている。 悲観と楽観の狭間で僕は揺れている。さて、これを見ているあなたの人生はどちらのタイプに入っているのだろうか。この文章をみていろいろ考えるまじめな人は悲観タイプ、この次は懸賞ページに行こうと考えている人は楽観タイプと分けてみるのはいかがなもんだろう。 |
| (1999/6/18記) |