物語043

 
僕の、私の、
車窓

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人生の意味が何であるかなんて誰も知らない。
ここにあるのはただガタゴト生きる人の、がたごと物語。

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次の電柱まで走る気持ちで

会社員 28代 男性
病院で「うつ」と診断されてから早2年が過ぎようとしています。「うつ」気分を自覚することは最近ありませんが、
最初の症状であった不眠が治らず、通院を続けています。

きっかけは父親のガン再発でした。その頃仕事は非常に忙しい状態であり、毎日残業・休日出勤でかなり忙しい状態でした。
そして1ヶ月後に結納という時点でもあり、どんどん少なくなる父親といる時間と仕事・結納の準備の時間とをさばき切れず、イライラする日々でした。
そんな中、家族に思いをぶつけられず、婚約者に当たりちらす状態が続いていました。
そして、ケンカの挙句、婚約破棄したい(正確には婚約前ですが)と言われました。
1週間後、なんとかその話を撤回してもらいましたが、食欲不振・不眠等、体に変調をきたし初めていました(その時は一過性のものだったのかも知れませんが)。
この頃にはなんとか結納も済ませ、父親の容態・気持ちも少し落ち着きを見せており、気持ち的に楽になっているはずなのに仕事に力が入らない・・・。
仕事の遅れを挽回しようとすればするほど焦りは募り、しかも眠れない。限界でした。
1ヶ月後、病院(心療内科)に行き、「軽いうつ状態です」と言われました。最初は「もう少し頑張ります」と言ったのですが、2日後にあっさりダウンしました。
医者は「軽い」と言いましたが、自分ではかなりおかしい状態(頻脈・震え・発汗・なんともいえない焦り・その場にいられない感じ)でした。

それから1ヶ月半、会社を休みました。家族は父親の介護で忙しく、アパートのベッドの上で一人「自分は精神病患者になってしまった」
「自分が会社に戻っても一生ロクな仕事はできない」という絶望感を感じる日々でした。不眠(これが最も強い症状でした)も一向に直らず、
睡眠薬・抗うつ薬を飲むことにもものすごい抵抗がありました。更に、薬を飲むことについて、家族・婚約者からは全く理解を得られませんでした。

長く、苦しい1ヶ月半を経てなんとか会社に復帰しましたが、初めは一日が長く、恐ろしいものでした。
会社ではまともに扱ってくれないだろうな、と思っていましたが、だんだん仕事を増やしていき1ヶ月後には出張に行くまでになりました。
でもこれは正直かなり無理をしていました。なんとしてでも元の自分(仕事上の立場として)に早く戻りたかったのです。
寝台列車に乗るのに薬を持って乗るなんてマヌケだよ、と一人苦笑いしていました。
それでも(これは医者に言われていたことなのですが)、自分の仕事量・精神状態には細心の注意を払っていました。これは今も変わってません。
再発を防ぐためには、自分で自分の生活を変えていくしかないのです。どれが正しいのかは分かりませんが、自分で自分に気をつけるしかないと思っています。

その時の婚約者とは結局別れました。
会社を休む直前に「うつ病になったのかも知れない」と言ったときに2度目の「婚約破棄」を言い渡され(これも後で撤回されましたが)、もう一緒に人生を歩く気持ちにはなれませんでした。
でも、彼女を責めるつもりはありません。普通の人たちのこういう病気に対する理解など、僕が自分の病気を受け入れられずに苦しんだのと同じレベルだと思うからです。
そういう思いをする人が少しでも減ったらと思います。

そして2年近く過ぎ、周りの人たちは僕が通院していることすら忘れているみたいです。
僕にも新しい彼女ができました。

今も、過去の事を悔やむ日もあります。病気のことを言われ、「過去は消せないしな」と落ち込む日もあります。
そんな時は昔、友達が言っていたことを思い出します。
「マラソンで苦しいときは、とりあえず次の電柱まで走ろうって思うんだよ」

ゴールの日まで、なんとか走ってみようと思いながら、よく遊び、よく仕事をしようと思います。
休憩も非常に大事だと思いながら。
2002/8/17記

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