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| 人生の意味が何であるかなんて誰も知らない。 ここにあるのはただガタゴト生きる人の、がたごと物語。 |
光の出口へ生きたい |
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| マミー 女性 24歳 | |
| 私は物心が付く頃には、殴られていた、蹴られていた、家から閉め出されていた。 鬼のような顔をした母親が、私に罵声をあびせながら頭の上から棒を振りかざしてくる。 毎日、紫色のアザを作っていた。私は小さいからひたすら謝った。 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。・・・」 体を小さくして、全身に力を入れて耐えていた。毎日が恐怖だった。 中学に入って鬱状態になった。死にたいとも思った。 ある日、母親が突然「もう、あんたたちの体力には負けるから叩くのやめるわ。」と言い放った。 「ふざけるな!私達(姉と妹がいるので)がどれだけ苦しんだか。 そんな簡単な言葉で終わらせるな!!!!!」私は今まで以上に許せなかった。 高校には一応入った。なんの魅力も感じなかった。友達も信用できず、行かなくなった。 この頃、一度だけカウンセリングに行ったことがある。机に向かい合わせに座り、話をする。 それだけならいいのだが、私の話した事をいちいちカルテに書きとめていた。 不愉快だった。まるで、私が精神病扱いみたいで・・・ 過呼吸は毎日のように襲ってくる。母親は酒を飲み、叫ぶ。 そんな家に居たくなくてフラフラし、シンナーに逃げ、結局、高校も辞めてしまった。 自分の生きる意味が分からなかった。 家を出て、しばらくして帰ってきたときには、体は痩せ細って自分でも気持ちが悪いくらいだった。 何もしなくなり、全てが嫌だった。 過呼吸がひどく、安定剤を飲むことになった。 そんな毎日が2〜3年位続き、仕事をしてもすぐ鬱になり、辞めたりしていた。 いい加減な毎日だった。 そして、22歳の時妊娠・結婚 23歳で出産 妊娠したときは降ろしたくない気持ちでいっぱいで、生きていく理由もできると思い 産むことを決めた。 もちろん子育ては人並みに出来ると信じてた。 −−−−出来なかった−−−− 子供が泣く・・・過去の記憶が甦ってくる 鬼の顔をした母親が私を殴ってくる 私は泣き崩れる 私は「子供を叩かない」そう思ってきたのに、叩いた・蹴った・子供から逃げた 自分が許せなかった。母親みたいになる自分が許せなかった。 ノイローゼになった私は、嫌だったカウンセリングに行くことを自分で決めた。 薬を飲む事になった。 カウンセリングではもちろん子供の話はするが、ほとんどが私の過去の話になる事が多い。 ただ、最近気づいたことがある、自分は二重人格ではないかと・・・ 記憶に関しては自分でも分からないのだけれど、頭の中で誰かが私に話しかける。私と会話したりする。 いつも誰かに見られて居るような気がしてならない。 そのことをカウンセリングで話したとき、突然頭の中でパーンと風船が割れたような感じになって真っ白になり、声が出なくなって、後ろからものすごい勢いで引っ張られる状態になった。「もうだめだ」と思った時、先生が、私の手を握って「大丈夫、大丈夫、大丈夫だからね。」と言ってくれた。 −−助かった−− そして、「まだこの扉を開くのは少し早かったね。焦らずゆっくり行こうよ。」と言った。 私としては、早くこの状態から抜け出したいのに・・・ ここ(ガタゴト)と出会ってから自分と向かい合う余裕が出来るようになった。 そしてわかった。 母親の事が大好きだったこと。 私の中にいるのが幼い頃の私だったことが・・・ 幼い頃の私が体と一緒に成長できず、心の中で生き続けていたらしい。 二重人格ではないことが分かった。 彼女は必死に私に話しかけ、気持ちを伝えようとしていた。 家族にそのことを話した。そんな私をみんなは受け入れてくれた。 すると彼女は感情までも表に出すようになった。今の私の体を使って暴れ、泣き、叫んだ。 昔、表に出せなかった自分の感情・・・成長した私の体にはとても辛いものだった。 毎日、泣き叫びながら頭を壁にぶつけ、救いを求めている。 途中、今の私に戻るときがある。辛すぎてその時は全て終わりにしたい気持ちでいっぱいになり、 母に「殺して、お願いだから私を殺して。もう嫌だ・・。」と叫んだりした。 「ごめんね。抱いてあげられなくてごめんね。」そう言いながら母は私を抱きしめた。 昔した自分の過ちに苦しんでいた。 幼い頃の私は納得したのか、最後に「お姉ちゃんバイバイ」といって消えていった。 未だに話しかけられることがある。誰かは分からない。 まだ私の心には何人か住んでいるらしい。いつまでかかるか分からないけれど、 一人一人、向き合って解決していかなければいけないと思っています。 ここまでの人生で、私が置いてきてしまった私の心なのですから・・・。 |
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| 2001/5/6記 | |
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