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| 人生の意味が何であるかなんて誰も知らない。 ここにあるのはただガタゴト生きる人の、がたごと物語。 |
幸せの代償 |
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| まちゃみ大好き 女性 | |
| 我ながら苦しい路を選んでしまったものだ。結果発病した。 あの時もう1人の人を選んでいれば・・・ふとそう思う時もある。 デも、どうしても主人を他の人に渡したくなかった。 他の人と幸せに生きる主人を想像したくなかった。 私には2者択一ではなく、他に選ぶ路がなかったのも同然だ。 大学2年の時に私は主人と知り合った。私にとって主人は恋愛対象ではなかった。 年下の男性。まだ、幼ささえのこる、わがままな男性。 私には異性ではなかった。私は当時2つ年上の先輩とつきあっていた。 大学院に進んでいずれは学者の方面へすすむだろう、男性。 家にも遊びに来ていた。両親にも紹介していた。 一緒に食事をしたりもしていた。 誰もが認める公認の仲だった。 「あなたはああいう学者さんが相性がいいのよ、あの人と結婚なさいね」 両親からはそういわれていた。 私は人生について「そんなもんだ」と思ったり 「こんな理屈っぽい私とやっていける人は、ほかにはいない」 と思ったりもしていた。 私は、もてる人か、と聞かれたら、違います、というだろう。 そんな私を思ってくれる人が1人から2人に変わった。 どういうわけか、主人が果敢にアタックしてくるのである。 私は断わりつづけた。ごく平凡な家庭を築く自信はなかったし、 年下の男性を受け入れる自信もなかったからだ。 3年それが続いた。私は1年海外に留学しているので卒業は主人と同じであった。 断わっても、断わっても、へこたれなかった主人がある日いった。 「本当にさよならかもしれないね。俺は来年から海外に赴任になるから」 おかしな会社で「結婚していない事」が赴任の条件だという。 私は動揺した。激しく動揺した。 「この人が本当に私の元からいなくなるの?」 ようやくその時私はもうとっくに主人に恋をしている自分に気付いたのだ。 最初、主人の2年の赴任の前、私は楽観的に考えていた。 「2年くらい」そうおもっていたのだ。甘かった。 最初の半年で幻聴が出始めテレビがみられなくなった。 皆が自分のことを話している、そんな気がしてならなかった。 悲しいかな、両親はこの種の病気に全く知識がなかった。 母はテレビが好きでよくみていた。 私の部屋に筒抜けだった。 「テレビを消してほしい」何度懇願しても母の言い分は決まっていた。 「気のせいよ、うるさい子ね」 2年後主人が帰ってきた時には私は15キロ痩せていた。 結局27で私は主人と結婚した。そして3ヶ月で入院した。 非定型精神病だった。34の春、一応の回復宣言はでた。 でも、主人と離れて暮らした2年の間、自殺する勇気もなく、 主人のところに飛び込む勇気もなく、 ただただ「誰か私を殺して下さい」と 毎晩願いつづけて暮らしたあの日々を今でも忘れられない |
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| 2000/8/9 | |
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