![]() |
| 駅長が出会った人たち、抱く疑問、ぶつかる壁・・・。 このホームページを作った一番の理由は、このページを作りたかったから。 |
| この物語に登場する人物・病院・企業などは全て実在の物とは関係ありません。 この物語は駅長のこれまでの経験や出会いを複合して作られたものです。 |
見えない風景 |
| 僕は自分の中学・高校時代を一人でこっそり「魔の6年間」と呼んでいる。「こっそり」と呼んでいるのは、僕がそんなことをいっても誰も信じてはくれないと思うからだ。僕は世間的にはごく普通でまじめな学生だった。小学校低学年まではよくいじめられていたけど、卒業するまでにはそれも終わっていた。本当にいろんなことがあってジタバタしていたのは小学生の頃だったけど、あの頃は「魔」の時代とは思えない。どういうわけか成績も普通で、特にいじめも非行もなかった6年間が、僕にとっては重苦しい時代としてずっと残っているのである。 発達心理学の世界では思春期を「嵐の時代」だと考えている。小学校時代が人間の基本を作るための「準備の時代」だとすれば、思春期は身体的にも精神的にも、その変化が大きく出始めて、自分というものを「発現させるための時代」と言ってもよいかもしれない。人によってその過程はいろいろだが、この時期に何かが変わってくるのは確かなようだ。 僕の中学・高校時代は校内暴力が吹き荒れる少し前の時期だったおかげで、そうしたことにほとんど巻き込まれずにすんだ。中学の頃にちょっと問題になったのは、僕が部活をやめたことだ。今ならさして珍しいことではないけれど、受験戦争も不登校もないあのころの田舎の中学で、そんなことを言い出すのはやっぱりちょっと変わった人間だった。誰にとっても当たり前で疑問すら持たなかったレールに、僕は乗ってていけなかった。中1の夏休みから行くのが嫌になって、秋にはいると放課後は部活にも行かず、かといって帰ることもできずに、最後まで教室に残っていた。はじめは部活の仲間や先輩が呼びに来て一緒に行っていたが、次第にそれも嫌になって、最後には教室の机の影でうずくまって動かないようになっていた。当時の学級担任の先生は中年の気の弱い女性の先生で、授業中もよく泣いていたが、僕のことでもオロオロしているばかりだった。友達も先輩たちもすぐにあきれてこなくなった。そして、その冬になって僕はとうとう決心をして、部活を辞めることを宣言した。 あの頃、不登校があれば間違いなくそうなっていたのではないかと思う。おもしろいことに校内暴力とか、不登校とか、援助交際とか、そういうことにはブームがある。昔に比べてマスコミの影響力が大きいのかもしれない。これらはもっともらしい理由がついてはいるけれど、思春期の止められないエネルギーが、そのときのブームにのって形を変え、やり方を変えて出てきているという部分が根底にある。本人にとって本当につらいのは、例えそれがブームの中で流されて起きた出来事であっても、その傷が人生のあとあとまで残ってしまうことかもしれない。幸か不幸か、僕の場合は人生を左右するような大きな傷にはならなかった。その影響は空欄の多い内申書と、創立以来初めてかもしれないという校長先生の危惧だけだったと思う。宣言したあとは逃げ隠れすることはやめた。僕は堂々と家に帰り、なぜか思った以上に誰もそのことに触れるものもいなくなってしまった。 こうして僕の「魔の6年間」はスタートを切った。僕もそのときは気づきもしなかったが、たぶん、「思春期の嵐」が始まっていたのだと思う。思春期が自分を発現させる時期と書いたが、このころはどんな人でも自分を中心に世界が回っていると感じるのではないだろうか。自分の持っている考えがそのまま全てに通じていくように感じて、世の中や社会というものに戦いを挑む。自分に自信のある人はどんどん積極的になって何でもできてしまうように思え、自信のない人は世の中の全ての人が自分を責めているように感じたりする。日常の些細な変化に敏感になって、何でも自分にくっつけて考えてしまう。「ハシが転がってもおかしく」なったり、恋愛に夢中になったり、一つのことに全身全霊をかけて取り組むことができるのは、この時代の特権である。 |
| 次のページへ |
![]() |