
| ここで興味を持たれ、さらに深く知識を深めたいと思われた方は、 より専門のホームページか、専門書籍等をごらんになられることをお薦めします。 |
躁うつ病 6 |
躁うつ病の治療 |
| 「躁」や「うつ」というのは心が弾みすぎたり、落ち込んだする一つの状態のことですので、「治療」とかという言葉はあまりそぐわないかもしれません。そのことはこれまでの何回かの話しの中で感じていただけたと思います。しかし、この状態は普段の状態からすればとてもつらい状態ですし、自分自身の力で気持ちの整理が付けられない場合は、いろいろな助けを借りることも必要なことだと思います。 うつの話の中ではいくつかのパターンがあることを説明してきましたので、それらに合わせて話をしようと思います。 まず病気としての「躁うつ病」についてです。理由はありそうだけど、よく考えるとうつが何度も続いていたり、長期にわたって気持ちの整理がつかなくなっているようなときです。実は「躁」や「うつ」といった感情の問題に対しては薬がよく効くことがわかっています。効果の出るまでにちょっと時間がかかることが多いようですが、ほとんどの人で気持ちが楽になり安定を取り戻しやすくなります。むしろ、躁の人は自分が絶好調であると錯覚するために、うつの人はこれ以上病気などと考えたくないために、病院への受診が遅れて、薬を飲むまでの時間が長くなることの方が多いのです(もちろん、感情と病気とが結びつかないせいでもあります)。 私は病気としての躁やうつに対して、ときどき「スイッチが入った」と表現したりします。医学として正しいかどうかは別として、実感としてはそういう感じです。ちょっとした拍子に脳の中の喜びや悲しみの「スイッチ」が入ってしまう。理屈に関係なく躁やうつになる。それを薬でもとの状態に「スイッチ」を戻すと、それまでのことが嘘のように感じられます。うつの時に悩んでいた問題も、落ち着いて考えればそれほど重要でなかったり、それなりの解決策がちゃんと見えてくることもよくあって、とても不思議なものです。 もちろん、躁状態やうつ状態にも薬はよく効きます。脳に対する影響としては同じだからです。しかし、うつ病と違うのは実際に何らかの原因があって、そういう状態になってしまっていることです。たとえば、夫が亡くなったショックでうつになったからといって、夫を生き返らせることはできません。それでもこんな時は薬の手助けを借りるのは悪いことではないと思います。薬によって気持ちが切り替われば、新しい道も見えてくるでしょう。闇雲につらい毎日を送ることを誰も望んではいないはずです。薬によって気持ちが落ち着いてきたら、それに合わせて気持ちの整理を付けていくようにすればよいのです。 こういうときに精神療法やカウンセリングというものを使うことができます。これらの療法は自分の過去や今を振り返りながら、少しずつ気持ちの整理をつけて、これからの生活を考えていくというものです。夫を生き返らせることはできませんが、自分の新しい人生を見つけていくことはできるからです。これは自分一人でもできそうな気もしますが、たいてい一人で考えていると堂々巡りで、同じ答えばかりが出てくるものです。精神療法やカウンセリングは中立で専門性を持った第三者を相手にして話しを進めることに特徴があります。「三人よれば文殊の知恵」ということわざもありますが、この関係を手がかりにして、自分なりの生活を探していくといこうというわけです。精神療法やカウンセリングを初めて受けるときは、期待したような答えがなかなかもらえなかったり、あまり関係のなさそうなことをやらされて、ガッカリすることもあるかもしれませんが、人生の道がそう簡単に見つかるはずはありません。自分が思ってもみなかったところにきっかけがあることも珍しいことではありません。医者やカウンセラーの手助けを借りながら、時間をかけてゆっくりと、自分の人生を見つめ直し、苦しみや悲しみを乗り越えていく作業がカウンセリングというものです。 身の回りにうつと思われる人がいる場合、うつの人に接するときに注意しておきたい大事なことがあります。このことは以前にも触れましたが、繰り返して言っておきます。うつの人はその時点で、ものすごく悩んでいます。悩んだ結果がうつなのです。私たちはつらそうに頭を抱えた人をみると、なぐさめ応援したくなる気持ちになることが普通です。しかし、うつの人に対して「ガンバレ」というのはコクなことです。「ガンバレ」と言われると、その人は「もっとガンバらなくてはいけない」「こんな自分ではダメなんだ」とまたさらに自分を追い込んで考えるようになります。うつに対する「ガンバレ」の一言は、強いプレッシャーになるのです。先にあげた精神療法やカウンセリングも、うつが強いときにはやれません。話をますます深刻にしてしまうからです。うつのひどい人に接するときは、つかず離れずの距離で、そっと見守るくらいの気持ちがよいと思います。 そのために休養をちゃんととるということも大事なことです。うつの人はそんな気持ちになかなかなれないものです。時には強制的に社会と切り離してしまうことも必要です。入院という手段はこういうときに使います。これも一つの方法なのです。 また、うつは自殺と関係があります。不思議なのはとことん落ち込んで力がなくなったときの自殺が案外少ないことです。こうなると自殺する気力も無くなるようです。むしろ、こわいのは快復し始めて、少しずつ笑顔が出始める頃です。本人も周りの人も安心して気がゆるむのか、人生の遅れを取り戻そうとするのか、このときにちょっと先のことをあわてて考えてしまうことがあります。すると、再び現実の厳しさだけが急に感じられるようになって、一気に追いつめられて自殺に向かう傾向があるのです。私たち医療者はこの時期を一番注意しています。本人が本当に安定するまで、しっかりと待ってあげることも、うつの人に接するときには重要なことです。 「アパシー」はうつとは違った状態です。医学的には診断や分類も実は違うものに分けられています。これを同時にあつかったのは現実的には似たような状態に見えて区別がつきにくいことと、本人も出口のない状態に閉じこめられていることを「うつ」と感じている人が多いからです(時間がたって本当に「うつ」になることもあります)。「アパシー」は悩まないと書きましたが、本当は悩み出すときりがなくなるために、考えないようにしているというのが正しいのかもしれません。最近増えていることは確かなのですが、医療者の間にもまだいろいろな見解の多い問題で、このページでの話が全てではないことも強調しておきたいと思います。 「アパシー」でも薬や精神療法・カウンセリングなどは有効な解決の糸口になります。薬で気分が高められると、意外と気楽に社会のレールに戻れることもよくあります。ただ、やはり重要なのは本人がそうした援助を利用する気持ちになれるかどうかなのだと思います。自分の人生に迷っていること、出口のない状態に入り込んでしまっていることを自分で認められなければ、誰かに手助けを求める気持ちにもなれません。そして、自分でやる気になれないときは、人の助言も口うるさく聞こえるだけです。アパシーがモラトリアムに変わることも、その逆も珍しいことではありません。自分に納得できる何かを見つけて動き出すと生活はすぐに変わっていきます。あとから思えば「あんな時もあった」と言えたりもします。 もし、アパシーに対人恐怖や社会恐怖などの不安が入ってきたら、精神療法やカウンセリングを受けに病院に来ることは恥ずかしいことではありません。恥ずかしさの代償が人生であるなら、その取り引きは不公平というものです。 モラトリアムもアパシーも、もともとは無目的であることが特徴なのわけですから、急ぐ必要はないかもしれません。しかし、それがどんな結果でも、その責任をとるのはやはり自分自身であることは知っておいてください。結果がどうであれ、この時期の価値は自分自身を発見する旅であるということにあるからです。 治療ではないのですが、うつの人の中に「アルコールの多飲(たいん)」に走る人がいるので、そのことにも触れておきます。誰でも経験することだと思いますが、ゆううつな気持ちをまぎらわすのに、お酒は非常に効果があるのです。社会的なストレスを発散するためにもこれは有効な手段の一つでもあります。しかし、このような状態が長く続くと、アルコールへの依存性が高まって、精神的に抜け出せなくなります。この状態が数年続けばさらに身体的な(脳の)依存も始まって「アルコール依存症」になることもよく知られています。これには注意しなければなりません(一般的ではありませんが、こうした心の隙間につけいって「覚醒剤」をすすめる人間もいます。「覚醒剤」はその字のごとく、気持ちを元気にさせる作用があるので、最初は「この薬を使うと元気になる」「受験勉強に役立つ」などといって忍び寄ってくるようです)。こうした依存症の問題はまた別の機会に話しますが、最近、増えている軽症のうつの問題は、このようなこととも合わさって静かにその人の生活を狂わしていくことがあります。一人で抱え込むことがやはり一番よくないようです。うつは特殊なものではなく、どんな人にも訪れる問題です。そのときのためにも誰か心をわって話せる人を見つけておくことが、うつに対するもっともよい防衛方法と言えるのかもしれません。 |
| (1999/7/9記) |