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限定の医学的な理由 |
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| 診断を限定していく医学的な理由は、病気そのものの原因と治療法を確定していくためです。症状の中で「刻印づけされる」「焼きつけられる」などと書きましたが、まさにそうした状態が「PTSD」の中核にあると考えられています。つまり、それは「体験の記憶」なのです。死に直面するような危機的な記憶は、通常の記憶とは異なり、より強く激しく頭の中に焼きつき、身体的・精神的に、平穏になった後もその状況を頭の中で再現してしまうというわけです。 他の疾患と比べます。「PTSD」を日本語に訳すと「心的外傷後ストレス障害」となります。「trauma(トラウマ)」を「心的外傷」と訳すわけです。「トラウマ」という言葉はフロイト以来使われている心理学の重要なkey wordの1つです。そうして思い出されるのが「神経症」という病気です。「神経症」は1番ホームでも解説をしていますが、ある問題が心の中で背負いきれなかったり、こころの内側に押し込められてしまうために、全体的なこころのバランスが崩れてしまうために起こります。本当は母親の小言が嫌いで怒りたいのに、怒れない。母親に反抗することができない。それどころかいつの間にかいい子になって言われたことをせっせとこなしてしまう自分がいる、というような時に、本当の「もう嫌だ」「自分の好きにしたい」という気持ちがどんどん胸のに中に溜まり、一方では「やっぱり言われたことはしなくてはいけない」という気持ちもあって、それがこころの中でぶつかりあってしまいます。それで、ある時急に何もできなくなる。学校に行ったり、言われた手伝いをしたりすることができなくなる。自分でもよくわからないけど身体が動かなくなる。学校行こうと思えば思うほど、体は動かなくなる。そういうことが起こります。自分では母親のいうことをきかなければいけないと思っているのに、身体はいうことをききません。悩んでいるとお腹や頭もどんどん痛くなってきます。母親は今まではとってもいい子だったのに、急にどうしたことかと不審に思います。学校でいじめにあったのではないか、先生が気に入らないのではないかとか、いろいろと考え始めます。本人に問いただしてもよくわからないので、双方共にイライラしてきて、いい子だったはずの子と急に親子げんかが始まったりします。 ここではわかりやすくするために先に内面にある母親との葛藤を例えに出しました。本当は不登校にはもっといろいろな原因があります。でも、こころの中は見えないので、実際には何が何やらよくわからないのが本当です。で、こういう時、こころの中で何かが強く引っかかっているのだと考えます。「もう嫌だ」「自分の好きにしたい」と思った最初のきっかけは、自分が大事にしていた「汚いぬいぐるみ」を母親に捨てられたからかもしれません。そういうショックな体験を人間は心の奥の方に隠してじっと耐えてしまうことがあるのです。本当はものすごく悲しいのに「いいよ、汚かったし」となんでもなかったフリをして自分でも忘れようとします。忘れたいけど心にしこりが残る。こういう時のショックも「心的外傷」というのです。そして、それを乗り越えるということは「母親にも間違いがあり」「自分にも意見をいう権利があり」「自分の考えで行動してもいい」ということを、見つけていくことにあるわけです。 さて、こうしてみると同じ「心的外傷」といっても「PTSD」にあるような刻印づけされた体験とは何か違うようです。「PTSD」は個人の感情は関係ありません。「神経症」はそうしたこころの葛藤を乗り越えることで人としての成長が見られる場合も多いですが、「PTSD」はそもそもそういうものではないようです。全く理不尽に、唐突に事件や事故に合うわけですから、そもそもが自分自身の心の問題ではありません。似ているのはどんな事件や事故にしても起こってしまった以上は、自分の人生の中の出来事であり、それを踏まえて暮らしていかなければならないということでしょうか。成長とは言わなくても、強くなるということはあるでしょう。しかし、基本的には「心的外傷(トラウマ)」の性質はどうも違うようです。逆に言えば、その人の暮らしてきた環境や性格などとはあまり関係がなく、そうした大きな事故や災害にあうと人間は「PTSD」になってしまうのです。個人の事情よりそのエネルギーの方が強いわけです。これはいうなれば強い力が加われば「骨も折れる(骨折)」ということ全く変わらないことです。 先にも触れましたが「うつ」という問題もあります。「うつ」は大切な人や物を失ってしまうことへの悲しみに対する反応です。「PTSD」の記憶の問題とは異なります。しかし、実際には多くの場合が両方の問題を持っています。発生率で言えば、「うつ」の方が圧倒的に多いはずです。それでもそのことを今の日本の社会はなかなか認めてくれません。まして、補償の対象にはなりません。事件や事故による「PTSD」の感情の中には「自分がああしていればあの人は助かったのに」「こうしていれば事故が防げたのに」と悩んでしまうことがあります。あの人が死んだり、事故にあったのは自分の責任ではないかと思い悩み、無力だった自分を責めるのです。これは人間のまじめさをよく表わしていますが、事件や事故はそもそも理不尽なものであり、誰が考えてもそんな思いに傷つく必要などありません。でも、そういう気持ちで苦しんでいる人はたくさんいます。こうしたことで人生観も大きく変わります。自分が生き残ってしまったことに罪悪感を感じ、幸せになることに素直になれないということまで起こるのです。こころのどこかで楽しんではいけない、喜んでは申し訳ないという気持ちが生じ、何かにつけても真剣に取り組めなくなって、ついつい身を引いてしまうということも生じます。こうした人生観の変化は誰にも気がつかれませんし、消極的なために気持ちの変化を再び起こすような援助を受けることも避けられてしまいます。そうして食欲がない、意欲がない、家事や仕事ができないなどの問題は、生活をどんどん追いつめてしまいき、「うつ」はひどくなれば「自殺」にもつながる大きな問題になってしまうのです。 「記憶の繰り返し」という点で見ると、実は「強迫」ということと関係があることがわかります。「強迫」というのは1つの考えや感情を繰り返し、繰り返し頭の中に思い出されて、それに関することを考えたり実行したりせずにはいられなくなる状態をいいます。有名なのは「戸締まり強迫」とか「手洗い強迫」などです。家の鍵やガスの元栓、電気のスイッチなどを切り忘れることが気になって1日に何度もそれらを確認しないと気が済まない。手にばい菌がついている気がして、10分も20分も、1日に何度も手を洗わないと心配で仕方がない。そういうことが起こります。思い浮かんでくることを「強迫観念」、それによって起こる繰り返しの行動を「強迫行動」といいます。これらはかつては神経症の1つとして、精神的に何らかのストレスが溜まっていたり、心の奥で何か葛藤していることがあると表われるように考えられていましたが、最近はどうも脳の働きによって「強迫観念」がどんどん沸いてくるということが重視されてきています。これは「PTSD」の繰り返しを考える上でも大切なことです。 |
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| (2006/6/13記) |