
| ここで興味を持たれ、さらに深く知識を深めたいと思われた方は、 より専門のホームページか、専門書籍等をごらんになられることをお薦めします。 |
神経症・心身症 10 |
無くて七癖 |
| 人は誰でも癖(くせ)というものを持っています。自分に癖はなんてないと思っていても、たいてい七つくらいはあるものだというので、「無くて七癖」という言葉もあるくらいです。癖というのは、もともと特に必要性のない、意味のない仕草や習慣のことを指しています。誰にも気づかれないほどの些細な仕草から、誰が見ても不思議に思える行動まで、癖の大きさにもかなりの幅があるようです。多くは生活上、特に問題になることもなければ、ほとんどは本人の意識にさえものぼることもないものでしょう。ただ、中には夫の癖からしっかりと浮気を見破る達人の奥さんもいますし、親のご機嫌を瞬時に見分けて対応する子供たちもいいます。野球の選手はこの仕草一つでピッチャーの投げる球種がわかったりするようです。どんな人にも癖というのはあるもので「無くて七癖」というのは、人間をなかなかによく表しているものだと思います。 心理学的にみると「癖」のはじまりは「緊張の緩和」ということに行き着くようです。それには精神的な意味の緊張だけではなく、肉体的な筋肉の緊張という意味も含みます。本題とは関係のないの仕草や動作を一瞬挟むことで、その緊張状態を和らげ、それによってまたその仕事を継続することができるようです。実験室でそうしたことを調べると、人間が一回に集中を持続できる時間というのはほんの数分だと言われています。人間がそれ以上集中しているように見えるのは、どこかで一瞬の息抜きをいれているからなのです(そういう意味ではキーボードの打ち間違いにも意味があります)。 癖の話しをしたのは、これが神経症の状態とよく似ているからです。心の傷ができたときにも、私たちは無意識のうちにそれを補なったり気をまぎらわせたりするような行動をとります。心に傷ができるときはというのは、まさに緊張状態にあるわけですから、その反応として起こるものを癖と呼んでもいいわけです。ただ、それが通常の生活で許容できる範囲を超えてきたとき、それを「神経症」という一つの病気として扱わねばならなくなります。癖も神経症も継続して同じことを繰り返していくことが特徴で、一度身についてしまうと人間は違う場面でも同じことをして緊張をやわらげようとしてしまいます。これまで見てきた過度の不安や恐怖、繰り返し行動、身体的な痛みや不調などは、それが度を超してその人の生活を邪魔し、苦しめるような影響を与えているから問題なのであって、もともとはとても人間的なその人らしい反応の現れと考えられるのです。 つまり、ここが人間のおもしろいところだと思いますが、癖や神経症は一見するとあまり良いことがなく、無くなっても平気なようなものなのですが、実際にはどちらも意味がないことにこそ意味があって、しかもそれらは人間が心や身体のバランスをとるために非常に重要な役割をしているということです。癖や神経症というものは人間には必要不可欠な問題なのです。 しかし、そうはいっても神経症は癖がひどくなって生活の邪魔になっている状態をさしていると言っているわけですから、これは本人も周りも大変な状況になっているわけです。やはり、なんとかしないといけません。どうすればよいのか。そうです、これまでのことから考えれば、神経症を治療していくというためには、そのもととなる心の傷や緊張を取り除いていくことが、重要なことになるのがわかります。原因がなくなり神経症が必要でなくなれば、それからも開放されるわけです。 私たちはともすると神経症自体に目を奪われて、こうしたことが考えられなくなっています。いえ、もともと神経症は大元の心の傷や緊張から目をそらすために生まれてきているのですから、これは無理のないことなのです。心の傷や緊張をやわらげるのは重要なことなのですが、そのやり方が少しまずかったというのが神経症の成り立ちだと考える方がスッキリします。神経症は特別な人がなる特別な病気ではありません。誰でもがなってしまう可能性を持っていますし、現実に癖と言ってしまえば「無くて七癖」というのが人間なのです。このホームページで何度も繰り返して「心の病が特別なことではないんだ」と言っている理由がここにあります。神経症はいたって人間らしい出来事の一つなのだと、私は思っています。 |
| (1999/10/06記) |