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前回の話を読みながら不思議に思った人は多いかもしれません。「ヒーロー」や「責任をとる子」は、ふつうに見れば非常に立派な子です。「慰め役」の子も気持ちの優しい、親切な子なのです。機能不全家族といったところで、よい子が育つじゃないかと思われるかもしれません。しかし、他人から見てとても立派な子に見えようとも、その子が背負ってしまったことについては知るよしがありません。ACはその心の奥に深い傷を持ち、重い荷物を背負っているのです。
彼らは今や成人して、自分の人生を生きているように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。今回は機能不全家族で育った子供たちが大人になって抱えている問題というのは何なのかということを見たいと思います。
前回家族というのは本来いろいろな役割を分け合って、お互いに助け合うことで成り立っているということを書きました。それが機能不全家族では、ある偏った生き方しか身につけられなくなるのです。「ヒーロー」は「ヒーロー」であるがゆえに、家族にとっての存在価値があります。「慰め役」も「マスコットも」もそうした存在としてしか家族の一員になれません。もし、「ヒーロー」が「ヒーロー」でなくなったらどうでしょう。子供時代、野球が得意だったとしても大人になってプロ野球に入れることはまれなことです。勉強も同じです。高校生ぐらいになれば自分と似たような成績の人が実際はたくさんいて、自分だけが特別では居続けられないことは遅かれ早かれわかるのです。自分を隠して生きてきた「順応した子」では、社会に出て自分の意見を求められると、それがなんなのかわかりません。今まで耳をふさぎ、目をふさいでただじっと片隅で生きてきたからです。自分に価値があり、自分の意見が求められることなど考えてもいなかったのです。
このようにどの役割も自分が成長し、家庭から出るころになって、はじめて自分と周りの状況とのギャップにぶつかって、困惑します。今までの家庭と違う環境で、違う責任を求められたとき、そこには新たな悩みや苦しみが生まれてくるのです。ようやく家庭から離れたというのに、今はまた違う何かに立ち向かわねばなりません。そして、そこでまた新たな悪循環が始まるのです。
この悪循環の特徴をいくつか見ていきましょう。
例えば、こうした人たちは、何事にも完璧を求めたり、白黒をはっきりさせてもらわないと落ち着かないということがよくあります。ACの特徴は他人に合わせて生きてきたことにあります。ですから、どちらでもいいから自分で決めてよいという状況はとても不安になるのです。親が自分中心にルールを決めている家庭では、子供が考えて決めたことも、親の気が変われば意味がなくなるからです。そこでは自分に何かを決める価値があるとは教わることができませんでした。そして、子供は自分の考えが否定されると、やっぱり自分はダメな人間だと感じてしまいます。家族がうまくいかないときは自分が悪いと押しつけられてきたので、そう感じてしまう癖がついているわけです。他人からは人一倍責任感が強く、しっかり者に見えても、内心はいつもビクビクして暮らしています。失敗すればすべてが無になってしまうと思っているのです。こうした人はその過剰な責任意識のためにうつになりやすい人でもあります。
完璧主義が強くなると、周りの状況が思い通りにならないとおかしいと感じます。仕事でも恋人に対してでも自分の思っている行動をとってもらわないと許せなくなってしまいます。仕事も家庭もバリバリとこなし、誰よりも努力して、社会的な評価も高いのですが、一方でマイペースすぎて、周りの人がそれに振り回されていることには気がつかないのです。自分はこんなに一生懸命やっているのに、それを理解してもらえないと感じます。かつて、自分の親がそうだったように、今や自分がその偏ったバランスの中心にいることも珍しくはないのです。
親に合わせてきたために、他人の意見にNoと言えない人もいます。頼まれると断り切れずに、本当は嫌なのに何でも引き受けてしまうのです。こうした人はいろんなところに気配りをしてくれます。本人はそれが当たり前だと感じていますが、客観的に見るといつも割の合わない役を引き受けてしまう人です。周りの人も、そうしてくれると助かりますので、いろんな仕事を持ってきます。本人はニコニコとそれをいつも引き受けて、一人で苦労しています。自分の意見が言い出せないので、がまんも多くなりますが、本当は自分の意見が持てないのです。自分の価値は、他人の次にくるものだと、その家庭で学んだからです。
自分が遊んだり楽しんだりすることに罪悪感を感じてしまう人もいます。どんなときにも心から楽しんでいるという感じがありません。お腹を抱えて笑い転げたり、思いっきり自分を吐き出して、いいたいことを言ったという体験がありません。家族のために生きてきて、もうそうすることがどうだったのかさえよくわからなくなっています。この人は楽しんでいるときも、誰かのためにニコニコしているのです。自分が喜べば誰かが喜ぶから喜んでいるのです。激しい暴力や虐待を受けてきた人は、その相手から、いつもお前が悪いから殴るのだと言われて殴られ続けています。これは暴力をする側のゆがんだ価値観の押しつけなのですが、やがて自分が悪い、価値のない人間だから殴られて、責められても当たり前だと感じてしまうようにもなるのです。何事にも心から楽しめず、楽しんだあとにもなぜかむなしさを感じてしまいます。
人間関係の距離感がつかめないのも特徴です。機能不全家庭では役割があるから必要とされていました。それは、そうでない自分はいらないと言われているのと同じなのです。だから、誰かと深く付き合おうとすると、同時に自分がいつ捨てられるかもしれないという恐怖感も同時に持ってしまうのです。このため好きになって付き合っていても捨てられないように相手に従いすぎたり、逆にその不安から相手を縛りすぎたりします。お金をみついだり、相手のした失敗の責任をとって回るようなこともあります。捨てられる不安を埋めることと、愛情とを間違ってしまうのです。それはもともとの家庭に本来の愛情がなかったからです。自分勝手な家族の尻ぬぐいをしてきたように、今は好きな相手の尻ぬぐいをしているのです。
精神科医の斎藤学はこうしたACの特徴を簡潔にまとめています。(「アダルトチルドレンと家族」 学陽書房)
1, ACは周囲が期待しているように振る舞おうとする。
2, ACは何もしない完璧主義者である。
3, ACは尊大で誇大的な考えを抱いている。
4, ACは「NO」が言えない。
5, ACはしがみつきを愛情と混同する。
6, ACは被害妄想におちいりやすい。
7, ACは表情に乏しい。
8, ACは楽しめない、遊べない。
9, ACはフリをする。
10,ACは環境の変化を嫌う。
11,ACは他人に承認されることを渇望し、さびしがる。
12,ACは自己処罰に嗜癖(しへき)している。
13,ACは抑うつ的で、無力感を訴える。その一方で心身症や嗜癖行動に走りやすい。
14,ACは離人感がともないやすい。
嗜癖とは依存症に近い言葉です。何かをやめられなくなって、そればかりに走ってしまいやすいということです。離人感とは自分が自分でないような感覚のことです。もともと自分のために生きていないので、自分の現実感をしっかりと受け止められず、宙に浮いたような感じを持って暮らしているとでも言えばいいでしょうか。
いろいろなことが出てきましたが、普通こうしたことを本人は意識していません。周りの人も気がつきません。多くの場合は自分が何かの依存症(嗜癖)におちいったり、うつ状態になったり、あるいは自分の子供が不登校や非行に走って、はじめて自分の生き方がこれでよかったのだろうかと考えがおよぶのです。最近は恋愛ができなかったり、アパシーとなって自分の人生が見つけられなかったり、生きていく価値を見失って抑うつ的になる青年が増えてきました。アルコール依存症とか、機能不全家族というと、何か大げさなもののように思いますが、その本質は家庭の中の相互の思いやりの問題なのです。この問題の種はどこの家庭にもあるはずです。わかりやすくするために極端に例をあげていますが、今このページを読まれた多くの人は自分にも少しはそんなところかあるのではないかと、感じるのではないでしょうか。心の問題を大きく取り上げる必要のある現代では、これらは決して特別な家庭で育った、特別な人の話ではないのです。これを機会に一度ご自分の家族のあり方やバランスについて、素直に考え直してみてはいかがでしょうか。
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