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2006年12月16日(土)
「石さまざま」
シュティフターとその作品についてのサイト。
http://homepage1.nifty.com/lostchild/stifter/s_isi.htm

「石さまざま」は高校生の時、同級生から贈られ、いまも書棚にあります。

 「その頃ぼくは、ある同級生から本を贈られた。シュティフターの『石さまざま』という、小品集だった。それには手紙が添えられていた。彼女は、文芸部に属していて、彼女の書く小説のような、詩のようなものを、ぼくは読んだことがあった、校内新聞の欄に、彼女の書いたものが載ることもあった。そのような女の子はどこの高校にでもいるのだが、一時期、詩や小説などに熱中し、いろいろなものを書き、現実の世界と、虚構の世界の二つの世界に住んでいるような、そのような青春の時期というものがあって、それは、とりわけ女性には強いのではないか、そのような人だった、彼女は。

 手紙には、「この小説を読んでいると、何故か、G君に差し上げたくなりました。なにか、G君にはぴったりとするような、そのように思うんです。G君は小説はいつもは読んでいるのかどうか分からないけれども、G君はいつもなにかを考えているようなところがあるから。図書館で、G君の本を読んでいるところとか、G君の話すことを聴いていると。それで、たまたまこの小説を見つけて読んでみると、これをG君にも読んでもらいたい、なにか、G君に合うようなところがあるような、そのような風に思うんです。これは、外には、意味はないんですけれども」

 これが彼女との奇妙な交際の、ぼくにとっては初めての異性との、始まりだった。」
                                           (学生時代


2006年12月8日(金)
語の起源
語の歴史を遡上して、その淵源に至ると、「最初の語」はどのようなものだったかに思いが至る。ルソーの考えたように、音楽と同じようなものではなかっただろうか。人は音楽を創作する。音楽は創作者と演奏者、聴くものに言葉のように伝わってくる。聞き取る耳があれば。

言葉と音楽の絆。

語源という、言葉の変奏。

変奏にある、社会と精神の巨大なドラマ。いまの日本にみられる言葉の現象を前にして、その実況をみているよう。

「辞書は一語一語の出生、活動、老化、死という語の生涯の記録を読み取る場でなければならない」(大野晋編「岩波古語辞典」)


ふと、昨日の徒然。

今朝、徒然草(岩波 日本古典文学大系)を大野編「岩波 古語辞典」と広辞苑を引きながら、本文を読むのか辞書を読むのか分からないといった読み方をしていたのですが、一語一語を辞書にあたりながら読むのと注釈を頼りに読み飛ばすのではテキストの風景が異なる、という経験を新たにしました。

古文・古語とはいえ、母語の文章である徒然草を読むのもなかなか大変です。


2006年12月5日(火)
語源
enemy:敵、amiable:友好的、気だての良い

New SOEDより、

H. JAMES He had no enemies; he was an extremely amiable fellow, and universally liked.

W. PENN Vice, the Enemy of Religion.

amiableとenemyの語源はラテン語の「amicus:親しい、親切な、愛している」であり、enemyは「in+amicus=非+amicus」であることを知れば、前者はememiesとamiableで(語源的に)対句になり、後者では「宗教(信仰)の敵→宗教(信仰上)に親しまない者」という、微妙な含意に思いが及ぶ。

語源から語をみることによって、表現の陰影に触れることができる。


2006年12月3日(日)
辞書紛失→発見
ジャケットの内ポケットに入れて持って歩くSONYの電子辞書(DD-IC500S)紛失。

小ぶりなので専ら引くのは他の電子辞書(XD-R7100。引きやすく、独和・和独も付いているので)なのですが、このところ集中して「辞書読み」をしているので、久しぶりに使おうと探してみたところどこにもない。

鞄(複数)のいつもの場所にもない。書棚にも机の上にもない。

主に図書館で使うことが多いので遺失物について問い合わせるけれども無し。

喫茶店かどこかに置き忘れたのかとも思い、半ば諦める。しかし、今朝、念のため鞄の中をもう一度探す。ありました。ヒラメのように底にひっついる。

探す中でMutの写真。反省されるのは管理の悪さ。故Mutが諫めてくれたのかと、それならそれで福に転じようと考えていました。

紛失し→Mutの写真→反省→発見。

整理整頓、物の管理。反省の機会。しかし、見つけたときのうれしさ。


○「鏡花小説・戯曲選 全十二巻」をはじめから読み始める。

「高級な村上春樹」を読むような心持ちになります。鴎外・漱石よりも鏡花に新鮮さ、独創を感ずるようにも。不思議です。

鏡花、上田秋成、芭蕉、鴨長明などをじっくり読むつもり。


2006年11月29日(水)
案内チラシ
昨日業務案内チラシ作成。Office 2003、PublisherとWordで。

デザインは苦手ですが、手作りによってはじめてイメージ通りのものができます。時間がかかりました。内容とデザインの両方で。様々迷いもあり。

知は力である。
Knowledge itself is power.---Francis Bacon
http://www1.bbiq.jp/quotations/knowledge.htm


人間の知は力となる。
Human knowledge and human power meet in one; for where the cause is not known the effect cannot be produced. Nature to be commanded must be obeyed; and that which in contemplation is as the cause is in operation as the rule.
http://fly.hiwaay.net/~paul/bacon/organum/aphorisms1.html

#ベーコンの「知は力」は大きな問題を孕んでいて、手放しで首肯することはできないと思いますが、その人間による自然の支配という思想、しかし、「知は力である」、「知は力となる」という言葉そのものはベーコンの思想と切り離して、それ自体いまの時代、人生で意味深いものと思われます。

チラシにこのような意味合いで「知は力」の一行を入れます。

また、緩やかなネットワーク志向はずっとありましたので、仕事に関連した勉強、研究会の仲間を募ります。それも、一行。

→手作りで自サイトの更新。


2006年11月14日(火)
みそ汁
千葉道子著「四季のみそ汁」(農文協)

図書館で借り→書店注文。

みそ汁は漬け物と並んで食事の基本。このレシピを参考にしてこれまでとは少し違ったみそ汁を作っています。料理は作る楽しみ、食べてもらう楽しみ、食する楽しみ。

最終的には完全な禅寺の精進料理になるのが目標。

ウインドファームの紅茶。コーヒーと並んで自然の地味を感じさせる美味しさ、北村製茶のお茶もそうですが、言葉を換えれば身体が喜ぶ美味しさがあります。ストレートで飲むのもいい。


2006年11月11日(土)
翻訳開始
昨日を起点として、長い取り組みになるだろう翻訳の始まり。

この翻訳はこころの底から楽しい。

○フリーソフト紹介二サイト
・5 Free Windows Web Design Apps You Can't Live Without!
http://www.sitepoint.com/article/free-web-design-apps


・画像作成フリーソフト
http://www7.ocn.ne.jp/~otoku/free-s-gazousakusei.htm

○はてなから、集合知のサイト
http://q.hatena.ne.jp/1162890934


2006年11月8日(水)
禁断症状
しばらく飲まなくとも酒、コーヒー、紅茶には禁断症状を覚えない。

緑茶はそうではなく。数か月前、注文してから来るまでに数日の間があった。北村もの以外は飲まないので来るまではお茶なしで我慢をしようと思ったのだが、禁断症状。たまらずお茶買いに。一口飲んでほっとしたこと。

これはなんだろう。カフェインの問題ではないのは明か。コーヒー、紅茶にはカフェインがたっぷり。

ご飯、みそ汁、漬け物、緑茶。私の身体はこれらによって成り立っている。その基本構成要素の減少が禁断症状を引き起こす。「なじんでいる=調和」という言葉。欠如によって身体の調和が崩れる。禁断症状というのはこの不調和の感覚なのではないだろうか。

米の身体、麦の身体、肉の身体、などなどがあるはず。

緑茶、コーヒー、紅茶の身体。

コーヒーは肉食と合うように思います。糠漬けは菜食、ヨーグルトは肉類と。

乳酸菌を摂取するにしても、「菜食+糠漬け」を専らにするとヨーグルトは食べたくなくなります。不思議です。乳酸菌株同士の競合のようなものでもあるのだろうか?


2006年11月8日(水)
葛湯など
軽い風邪が居座り、いつものように自己流療法。

○葛湯:葛粉+蜂蜜(or 黒砂糖)+生姜。

○ハーブ茶:蜂蜜+レモン+シナモン。

○緑茶。

昔から薬は極力飲まず、食べ物とこのような飲み物、自己の免疫力で切り抜けてきました。身体を慣れさせるためにも軽い風邪はむしろ歓迎。大体は図書館や買い物でウィルスをもらってくる。

熱が38度を超えるようだと病院に。


○「浪費なき成長---内橋克人」(光文社)

一面識もないけれども、内橋克人さんは小生の終生の先生。特にこの本は自分の生き方、あり方の方向を指し示してくれるようで、生涯の一冊になるようです。

「社会的矛盾の解決に向けて仕組みを改める経済行為そのものが、経済の適正な成長をもたらす」という、既に現実の営みとして取り入れられている思想、北欧に於ける潮流。

引用されているドイツ前大統領の言葉。「エコロジー(生態系)にとって合理的なものは、経済にとっても合理的である」。

#このような「思想」への共感によって開かれるものと狭められるもの。人はそれぞれの顔をもって生きなければならないということ。

思うに一番困るのは「顔」の無い人びと。顔のない人びとの言葉には警戒した方がいい。

→「顔がある」とか「顔がない」というのはどのようなことなのだろうか?つまり、定見があるかないかということ。「顔」の問題は「言葉」の問題。その逆も真。詩をみても、顔が無いということがよくあります。風がどのように吹くとしてもその詩はその詩であるような、そのような詩と、風に寄り添う詩。詩詩詩(という擬音語)。

「顔」という題で小さな創作をしてみると、自らこのような表現で言おうとするものが自身より明確になるだろうと思う。まずイメージされるのは写真に残された「顔のある人びと」の「顔」。芸術家でも科学者でも職人でも、市井のおばちゃんでも、どろんこになって遊ぶ子供でも、その人びとの「顔」。しかしこの時代、そのような「顔」とは異なるのっぺらしたものが増殖しているように感ぜられる。つまり、仮面の人びとの増殖。ほんとうの職人、技術者、科学者は仮面を被る必要も暇もないだろうが、役者は仮面がむしろ職業上の顔。「顔がない」というのは演技上の仮面が素顔と切り離すことができないほどに皮膚を通って肉に浸潤して成り現れた像。

内橋克人さんには固有の顔があります。その言葉からその顔を思い浮かべることができます。

顔があるということは逆に言えば、その言葉からその顔を明瞭に思い浮かべることができる顔。

仮面化する時代。この時代を形容するなら。


2006年11月3日(金)
マタイ受難曲
CDからPCに取り込み、「マタイ受難曲」を聴いています。作業しながら。

この曲を聴いていると精神も身体も真っ直ぐになるようです。呼吸が整うように。

#昨夜、「上田秋成集」(岩波 日本古典文学大系)。


2006年11月1日(水)
フリーソフト
「はてな」で知り。代表的なフリーソフトの一覧。次のサイトから。

FreeSoft.nomaki.jp
http://freesoft.nomaki.jp/


○サイト更新のため、
ジャングル、「デザイン・テンプレート集 for ホームページ・ビルダー ビジネス編」

金曜日までには送られて来るはず。デザインはテンプレートを元にカスタマイズ。

上記テンプレート集、昨日(二日)到着。見ての感想。参考にはなるけれども使えない。利用するにしても部品として。(11/3日)

→更新作業。


2006年10月31日(火)
緑茶、紅茶、コーヒー
ほんとうに美味しいと思うのは上記の順番。

コーヒーは朝起きて一番に。目覚まし、脳覚まし。

しゃきっとするにはコーヒーが最適。

それからは、毎日かなりの量の緑茶と、一二杯の紅茶。

酒類は健康、体調を考えて疲れたとき、もしくは祝いの時に。

これら飲み物がますます大切なものになってきました。「お茶を飲む」ということの意味がこれまでとは少しく異なってきているように思われるのは不思議なことです。


2006年10月29日(日)
永遠の嘘をついてくれ
朝に三人の友人(昔の創作仲間)のことを思う。彼ら彼女はぼくのことを「友人」だと思っていないかもしれないが、ぼくにとっては彼ら彼女はおそらく永遠の友人である。

「永遠」という言葉は拓郎のつま恋いコンサート、中島みゆきが拓郎に贈った曲「永遠の嘘をついてくれ」から。

永遠の嘘をつく、永遠の嘘をついてくれと願う友人というものが、おそらく人生には存在する。感動がその真実であることを告げる。つま恋コンサート、中島みゆき、吉田拓郎、バックコーラス。

この逆、「永遠に真実を語ってくれ」というのでは、この感動はおぼえません。

人生の仲間という友人。虚実の彼岸にみえて在る。

彼ら彼女という奇妙な者たち。

#一種の創作としての徒然。創作性を帯びるネット表現。

このような嘘=共同による物語(虚構)化。相互に、虚構は虚構としてこころに置かれる物語。永遠の嘘とは共同的な物語のこと。その物語は生きられ、変容する。「友人」とは、物語的な友。虚実の彼岸の真実。

「永遠の嘘=共同的な虚構(物語)」を維持する力は、情熱。


2006年10月28日(土)
PCサポートは6時まで
PCサポートは午後6時までとさせていただいています。
その時間を過ぎた場合、勝手ながら日を改めて作業の継続をいたします。

#個人の方と並んで、今後は中小事業者を対象にしたネット利用コンサルにも重点を置きたいと考えているのですが(「Webを読む」はそのささやかな試み)→様々勉強が必要。

先日もある地元事業者の方とお話をしたのですが、ネット利用についてまず第一は初期コストをかけないこと。それを利用し利益を上げようとするものへの初期コストは最小限にすること。工夫次第でできます。

情報を適切にお伝えすればいいのですから、まずは見栄えなどは犠牲にしてもホームページなどは手作りすればよいし、必要な「道具」はネットを検索して最適なものを選べばいい。それと、セキュリティ対策は万全に、etc。

資材の調達なども、いまはネットを利用する時代です。例えば資材費は依頼者が負担し、技術者は技術を売る時代。そのような手法を導入することによって顧客の獲得を図る。事業者は工夫によって価格優位に立つことができます。


2006年10月26日(木)
創作
創作は別に人様に見せるものではなく、同人誌会の階梯の上下、それからの何らかの階梯に繋げるのでもなく、机の引き出し創作としてやはり自らの営みの原動力。それを繰り返し確認します。

机の引き出し創作の無益(ペンのマスターベーション的なもの)を言う人がいるとして、それは違うのではないだろうか。

自己の動力、原動力としての創作。その営みは確実に表芸(表仕事)に反映します。見る力、言葉を包丁に喩えるのなら、それを研ぐこと。

料理人の表芸として客に出すのは料理。その料理のために料理人は包丁を研ぐ。

わたしにとって創作はまさに包丁を研ぐようなもの。

#小品に加え、これから息長く取り組むものとしては「F君との対話」。昨年、一昨年のF君、および他の人びととの対話を素材に、それを想像的に変容した作品を書くつもりでいます。この街の一端、人の生き方、ITなどに焦点を当て。

→無論想像的なF君。F君他の対話は素材ではあるけれども、それは「私」によって変容され。現実の、生身のF君は「F君との対話」のF君ではなく。

焦点はあくまでもF君に。


2006年10月26日(木)
スパムメール
スパムメールは自動フィルタリングをして迷惑フォルダーに。

学習させればさせるほど精度が向上します。

#ネットの問題は白黒灰色の世界との境界が曖昧なこと。危険が一杯。
備えがなければジャングルは歩けない。それと同じ。

狼は狼を喰らわないけれども、人間は人間を喰って生きる。ネットにはまさにこの危険性があります。しっかりと対策をしなければ。このことは、その内アーカイブとして載せますが「Webを読む 初回」で書いたこと。

街では、危険な場所は危険な場所としてそれなりに分かります。ネットはそうではない。

ネットの隣人のほんとうの顔は分からない。パソ通、インターネットの草創期からネットをみてきての感想。

スパムについては一切無視、一切反応しないで(反応することは送り手にこちらの情報を与えることになります)、ポイ捨てすること。メーラー付属の篩い分け機能か専用対策ソフトが役立ちます。


2006年10月26日(木)
急須・足元の防寒
長らく使っていた急須を割ってしまい、買い換える。

お茶の味は急須次第というのがよく分かりました。

お茶は無農薬有機栽培の北村製茶。急須が変わると味ががらりと変わります。
最初に買ったものはあまりにも不味く、昨日美味しいお茶が飲めた急須と同型のものを購入。とろりとしたまろやかさ。美味しい。

これまでの急須、二番目、三番目、すべて味が異なります。

お茶は茶葉と水と器、入れ方。


○古い木造の家ですから冬は足元の備えが必要。

PCデスク、読書用の机の下にラグを敷き、周りを防寒シートで二重に囲みます(シートとシートの間に空気層を作るため)。PCデスクの下にはパネルヒーター、読書机の下にはデスクヒーターを置きます。

それぞれの部屋はアラジンとFF式ストーブで暖かいのですが、足元がスースーするのはストレスになります。コタツでは気が弛む。

なお、パネルヒーターは失敗でした。机の下にはナショナルのデスクヒーターが一番です。優れもの。


2006年10月25日(水)
スープ・カレー
先日、夕方図書館に本を返しに行く。その後二階に上がろうとしたら急に空腹をおぼえる。館内の茶店に入る。メニューに「和のスープカレー」とある。注文。ウエイトレス、マスターとスープカレーについて少し話す。カレーとコーヒーにはこだわりのマスターのこだわりのスタイルに共通したものがある。味にはスタイルがあり、それはコーヒーにもカレーにも通底している。

二人との会話が面白く。食べ終わってから鞄から原稿用紙を取り出す。

「スープ・カレー」という題で、いま二人と交わした会話を織り交ぜた記録とも創作ともつかないものを書く。原稿用紙三枚。

日々と記憶、思いのスケッチとしての小品。

デッサン、写真のように、小品。


2006年10月24日(火)
ゼロにする必要
人生ではこれまでの閲歴のあるものをゼロにする必要がある。

恋でも愛でも仕事でも、友情、場合によっては自己の由って立つ基盤でも。
気づき、壊し、ゼロにして(灰にして)、またはじめるという営み。

「時の空間」も、ゼロにするために。

ゼロにしなければ始まらないものがあります。

#数日前から、PC、机に向かって疲れたら鉛筆(またはLAMYのシャープペンシル)で原稿用紙に2~3枚程度の小品を書きます。消しゴムで消しながらですが、ほとんど一筆書きのように一気に。

この小創作によって頭のリフレッシュ。

お茶、コーヒーと鉛筆、原稿用紙は日の仕事の必需品。キーボードで書くのではなく、ペンで原稿用紙に。

不思議なもので、書き始めるとさらに書きたくなる。長いものとは違い、小品はただ楽しく。


2006年10月12日(木)
草鞋の数
翻訳掲示板で。ある方、時には五足の草鞋を。すごいなと、感動する。その見習うべき活力、生命力。

それぞれの翻訳との関わり方があると思う。

小生もこの数か月、どこか変わるところがあります。→翻訳の位置づけ。


2006年10月10日(火)
PCサポート
PCサポートの料金体系を変更。作業時間制から作業別に。ネットの例を参考に、平均的な料金に。

#Podcastは"National Geographic"の各番組が面白く。基本練習として時間があれば聴いています。毎日数時間は精神を集中し。集中して聴くと不思議と疲れない。ながら聴きは疲労につながります。頭資源と時間の無駄。

「英語は勉強してはいけない」というのは嘘で「英語(語学)こそ勉強しなければいけない」。

集中が最も合理的。


2006年10月9日(月)
早朝、居間ではFFストーブを付け、書斎に上がりPCで読み聴き書く。三拍子。

今日は個人的な記念日でもあり。

しばらく使わずにほこりを被っていたブルーフレームのアラジンに火を付ける。青いアラジンの青い炎。

寒さの楽しみはストーブの楽しみ。

夕食、酒の肴にクジラのベーコンを食す。なにもつけずにそのままでいただく。美味しい。

ベジタリアンというよりも、昔ながらの和食。

#フェアトレードコーヒー(紅茶など)のウィンドファームから有機・無農薬コーヒーの生豆が来る。紅茶も一緒。緑茶党で、コーヒーは主に頭をすっきりさせるために。


2006年10月8日(日)
ほんとうに美味しいもの

また食べたいと思わせるもの。

上善は水の如し。水のように。

登山で一番美味い食べ物はおにぎり、飲み物は水。

それがまた再びと思わせるものでないのなら、道は未だ遠く。→アマチュア料理人の我。

#ふと、自分の文体が妙に不細工に思われる朝。

#あくまでも私的な「詩の訳」が決定的に必要なものに思われます。それと創作。


2006年9月29日(金)
ネット読み
news読みと仕事関連以外、ほとんどネット閲覧はしなくなっています。掲示板もblogもほとんど読みません。

時代に逆行しているのか、もしくは先駆けているのか?→ますます活字媒体に帰ります。

#ネット読みの反省から。ネットはどこか疲れますし、どこか浅い。なにが真実かも分からない。ネットは人間退化の道具でないだろうかとすら思うところがあります。ソローのWalden小屋にPCやネットはあったろうか?

ネットの負の側面がますます感じられるようになっています。

そうであって、その中で最近のお気に入りは"Podcast"。iTunesでお気に入りを登録し、DLする。

BBC、CNN、NHKは毎日聞きます。英語教材なども単語から会話までいろいろあり、NewsweekにPodcastで語学を学ぶという体験記事が載っていました。

BBCをいま聞いていますがiTunes版の音質は直接サイトで視聴するよりも遙かに良い。

#昨日図書館で借りた本。「百姓仕事で世界は変わる」(ジュールス・プレティ著、築地書館)。

「オランダ語の"Landschap"はドイツ語の"Jandschaft"と同じく喜びの対象を意味する言葉で、人びとが暮らしを営む場という意味ももっていた」。"Jandschaft"→"Landschaft"の誤植に違いなく。しかし、このようなちょっとした間違いが蓄積し、増殖していくとしたら。ネットはそのような危険性を孕んでいます。


2006年9月26日(火)
新しい財布
昨日新たに財布を購入。新旧交代。これまでのは革製のREGAL。今度のはビニールのChampion。

布製を探したのですがなく、ビニールの機能的なものに。

○料理をしますから、昨日砥石購入。早速包丁を研ぎました。楽しい。研ぎ名人を目指そうかと。研ぐ時間、釣り人が竿を垂らす趣に通ずるところがあるのかもしれない。

○緑茶とコーヒー、紅茶。緑茶を主に、頭をすっきりさせるために朝はコーヒー。生豆を焙煎し、挽き、入れる。この一連も楽しく。これからは焙煎は一度に一週間分を→「七輪焙煎」。

七輪というのはなかなかいい道具なのではないかと思う。→永井荷風の独り暮らし。
http://book.shinchosha.co.jp/tonbo/html/602142-0/4-10-602142-0.html


2006年9月22日(金)
学而舎
学而舎(がくじしゃ)は旧塾名。ガクタイシャと誤って読まれることが多かった。

今朝大阪のeーラーニング関連企業から製品についての案内電話。CAI(コンピューター援用教育)はおそらく1994年に導入しましたから、最も早い部類で、この会社が販売しているTLTソフトも使用済み。

http://bellsome.newton-e-learning.com/

学而舎として電話がありました。この屋号には歴史があります。

新たな形態の、いまの時代に即した「学而舎」としての展開も視野に入れています。

#朝の図書館。「えちおぴ屋」でコーヒーを飲む。マスターと焙煎談義。

焙煎器、「煎り上手」を持参すると既にご存じ。

「えちおぴ屋」は大西林業の炭で焙煎。炭焙煎にはガスによるのとは異なる味わいがあるのかもしれません。

「七輪焙煎」のアイデアを思いつき、お話する。今度、「煎り上手」で七輪焙煎を試してみよう。炭のある生活。

#来週から、オフィスShimizuの新たな展開としての営業を始めます。重すぎる腰ですが。語学、翻訳とその関連分野も原点に帰って、修業。ただ足りない。

#語学学習、座右の四冊。
○関口存男著「新ドイツ語文法教程」(三省堂)
○江川泰一郎著「英文法解説」(金子書房)
○國弘正雄著「英語の話しかた」(たちばな出版)
○斎藤兆史著「英語達人列伝」(中公新書)

#数日前に本を開くと偶然目に入ったニーチェの言葉。「然るべき時に然るべく生きなかったものは、いかにして然るべき時に然るべく死ねようか?」→「ふさわしい時のすごし方をしなかったものには、ふさわしい死の時は訪れがたい」

原文は、"wer nie zur rechten Zeit lebt, wie sollte der je zur rechten Zeit sterben?"
(Also sprach Zarathustra)

その通りだと思う。


2006年8月31日(木)
朝の挨拶
早朝散歩をしていますと町内の或ご老人(男性)とお会いします。

氏は、小生に「おはよう」と言われる。

小生、「おはようございます」。

小生のこころ、段々と重くなっていきます。

長幼の序は十分に承知。しかし、小生のささやかな常識では明かな子供(だいたい高校生まで)以外には「おはよう」とは言わないし、言えない。微かな、ナノレベルの教養しか持ち合わせていない小生に於いても成人に向かって「おはよう」とは言わない。会社など組織の上下の関係ではそれはあるでしょうが、町内の散歩空間でそのような組織的な上下の意識が存在して然るべきとは思われません。

常識がない。

ご老人はもう十分に人生経験を積まれてきて日々があるのでしょう。

ご老人の常識とはなんなのだろう?

小生はこの頃は路のわきに一歩下がって、目礼をすることにしています。

2006年8月29日(火)
今日からスーツ
これまでの人生で服装は自営業故、基本的に「ジーンズ(綿パン)、(T)シャツとジャケットで通してきましたが(一時期のサラリーマン時代と営業、IT講習など必要なときは除いて)、今日からはスーツを基本に。

ぼくらは、図書館での勉強も仕事の内。図書館でもスーツ。若干違和感がありますが、外仕事と連続していますから、ラフな服装は不都合。

#ソローの"Walden"で注目されるのはその服装論。その記述通りを体験することはしばしば。基本的にはソローの考えに首肯。

但し、必要悪としての外枠である衣装。

また、スーツは単純に機能的な作業着。

#とは言うものの、と言うのも、偽らざるところ。
2006年8月18日(金)
変更作業
変更作業、ホームページ・ビルダーのテンプレートを使うことにしました。

簡素な情報ページに。

#創作への意欲がまた起こり始め、「F君との対話」も素材にして、個人的な表現の試みを。

小説を書かないと、どこか井戸が枯れていくような。日記(いまならblog)などは過去に散々書きまくりましたから、あまり意欲はなく。そうではない、書き続けるのが結構きつい(書き上げるのに苦労が伴う)作品に取り組んで、仕上げる。

#今日は自分で焙煎したコーヒーを。
I'll drink one more cup of coffee for the road.

2006年8月4日(金)
作り直し
いろいろと見直し、作り直しをします。
2006年7月26日(水)
創作ページへのリンク削除
創作のページへのリンクを外しました。
 
少し趣を変えるつもりです。

#掲示板のリンクを外したのはスパム投稿に対処するため。
 
今朝、国産ブラウザ"Lunascape Version 3.5.4"をDLし、インストール。

#ブラウザは複数使い分け。それぞれ長短があります。


「はてな」で存在を知ったのですが、次のようなサービス。

○出前館
http://demae-can.com/

○日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
http://www.jafp.or.jp/

# 「はてな」について思うのはシンプルさの不足。普通の人が普通に使えなければ普通の人に広がらないのは、おそらく自明。いまは一部の人たちの「はてな」のように。

なべて、単純にできないのは思想と能力の問題。


#金融について勉強をはじめるつもり。
昨日図書館で案内書を1時間ほどで読了。概略はつかめました。

Amazonで「基礎からわかる金融英語の意味」を購入。明日来る予定。


2006年7月3日(月)
朝の映画
ロマン・ポランスキー監督、ジョニー・デップ主演「ナインスゲート」をレンタルDVDでみる。

映像美。色彩と構図の美しさ。みた後で「エンゼルハート」がちらつく。

ポランスキーの「マクベス」も同様のスタイル。主題の類似性。

#悪魔(魔女)はなぜ彼を選び、彼はなぜ契約したのだろう? コルソは謎が明らかになった後、第九の門の城に向かって歩んでいく。そこで物語は終わる。降りる自由がある彼は降りなかった。マクベスも同じ。極めて時代的な、映像芸術の可能性をみることのできる作品。

面白い表現が。
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テルファーの未亡人と主人公のやりとり。

Don't fuck with me!:ばかにしないで。
I thought I already did.:もうしたろう。

注:"fuck"後の争い。しかし、単なるジョークにはならないで映像にしみこむ。

#字幕の訳は映画の様式に合致していて見事。字幕によって映像も台詞を語る。
字幕+映像=台詞。字幕が不味ければ映像は不味くしか語らない。
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棚に並んでいた中古販売の「時計じかけのオレンジ」と「ブリジット ジョーンズの日記」(各180円)を購入。

「ブリジット ジョーンズの日記」。思いがけない佳作。「時計じかけのオレンジ」には衝撃新た。

まず、映像。特に冬の街。映像のスタイルが映画を決める。

果実の熟し落ちる微妙な間を微妙な手でとらえる(制作者の才能、手腕)。

#この頃、戯曲、劇、映像に、ますます。

#今朝は3時起床で、「ナインスゲート」をPCでみながら(小窓)、作業。故Mutの終末介護で鍛えられ、睡眠時間は5時間で十分なのだが、3時起きはリズムが狂う。5時起きではまったく問題がないのですが。


○「いきなりボイスレコーダー」は使えます。ただ、オリンパスのVoice-Trek、MD、ラジカセ、「超驚録」、「聞き返し」と組み合わせて。

映画は「超驚録」でPC録音し、「聞き返し」で聞き取り。

製品の魅力として機能はもちろんのこと、シンプルさがあります。シンプルなほどよい。

理解のための精読→ネット活用をしながら、エディタでノート作り→ノートを読み上げ録音→聞き返し。

ネットでは辞書、事典は、

JapanKnowledge
http://www.japanknowledge.com/index.html

と、

IT用語事典
http://e-words.jp/w/DHCP.html