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| 2009年2月5日(木) |
| 自サイト |
もう衣替えの時期かもしれません。
年初、塾経営時代に塾経営者で作るGEECというネットのお仲間と電話で話した折。
氏曰く。「でき物と商売は大きくしない方がいい」。
私の場合もそう思います。自らの個性の延長としての(かつての)塾であり、現在のささやかな仕事。
この奇妙な自サイトも、自らの個性と切り離すことができないささやかな仕事、という指向の反映として。
ただ、古くなり、自らの思いにももそぐわなくなってきています。
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| 2008年12月5日(金) |
| 山音文学 |
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昨日「山音文学 第114号」が送られてきました。作品の存在はサイト上に掲載するのとは異なって見えます。
「書き→投稿し→返ってくる」という一連の意味。サイトと同人誌では自らへの返り方が異なります。私にとっての自作品の意味。
机、PCに向かい作業をし、頭が疲れたらふと原稿用紙に小品を書くことがよくあるのですが、一昨日も「二人」という以前書いた二枚ほどの作品に「彼岸」という一枚ほどの詩を書き加え、一つの作品にしました。「山音文学」の会報向けにお送りするつもり。
私にとっての創作はどこか「解放」という意味合いをもっています。書くことで楽になる。さらに、自らの作品が自らの生の起点をなす。
同人誌に投稿するというのは「遊戯」に類していると考えるのですが、投げ、返ってくる遊戯。
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| 2008年12月3日(水) |
| 太郎と次郎 |
この七月に縁あって家に来た太郎と次郎はいま六か月。
詩の体裁で綴った心境。散々どたばたがありましたが、いまも書斎で二人(?)遊んでいます。
私が困ったときにはケージに引っ越し。猫の子らをみていると、毎日新鮮な発見があります。
ハナ、太郎と次郎、彼らのほかはなにがあっても、どんなに心が痛もうとも、もう育てることはできません。
私の限界。できないことはできません。
太郎と次郎
ハナの家に
太郎と次郎が来る
子供として
彼らの父は
育てる、そう
諦める、そう意志し
そう選択し
ああ!「運命と意志」
K.ヤスパースの切実ほどではなく
そう深みもあるわけでもなく
ちょっとばかりの愛情と
かなりの優柔不断と
しかし意志は意志である意志と
彼らもわたしの子供になった
亡父の月命日、七月二十四日
家は分断され
ハナも父も、のんきな太郎と次郎も
ちょっと変だと思っているだろう
空間は仕切られ
父はあっちに行き、こっちに行き
一挙に白髪の中年坂を転げ落ち
食事を作り、遊び
うんざりし、くたくたになり
愚痴をこぼし
うらみ、つらみ、嘆息し
しかし、後悔はせず、一片のそれはなく
これからの二十年の共生を想い
設計図は引き直され
父はただ、お前らがめんこい
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| 2008年10月2日(木) |
| 山音文学 |
9月に山音文学会に入会しました。ジャンルを問わない、長い歴史を持つ同人誌。知人に誘われ。
「対訳で読むグリム童話」を書いていくつもりでいます。いまは時間がないのですが。初回投稿は『時の空間』にするつもりでいます。
所属同人誌はほかに小樽詩話会。
小説は『彼ら』を時間がかかっても書き上げるつもりでいます。
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| 2008年7月12日(土) |
| 書き物 |
昨夜宿題原稿を書く。一昨日図書館でノートに書いたものをPCで若干直しながら。B5二枚。
今日編集の会。この原稿を渡し、私の役目は終了。
この頃毎日欠かさずつづけているのは、早朝、午前中行う独英対訳と文語訳での音読。少年時代から読んできた聖書(いまはルターによる訳、欽定訳、OXFORD/CAMBRIDGE版、文語訳)、DEMIAN、GRIMM童話(A
Dual-Language Book, Dover)。
後は現在取り組んでいるもの。
この日記はいわゆるblogではないので、更新圧力もなく。
パソコンもインターネットも必要不可欠な道具として使うけれども、ますます紙の本へ回帰しています。
ネットと紙の世界の間には質的な境界があり、融合してはならないものがあるように、ますます私には思われます。
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| 2008年6月12日(木) |
| さまざまに |
一昨日、秋葉原の事件から「時代狂気」という短詩を作る。会員となっている詩誌に投稿の予定。
ふと、一言。
美しい言葉でドストエフスキーを語る人は時代の中の具体的なこの事件と付き合わせて語るべきだ。宙に浮いた、足のないドストエフスキー賛ではなく。
幽霊のような言葉は安全だから。矢は通り過ぎるだろう。しかし、足のない言葉は儚い。身体と遊離した言葉は。肉化、受肉(メルロ=ポンティの言葉としてあったように思う。昔読んだ)は、すぐれて具体的な表現であるのを知る。
「時代狂気」とともに、小説『彼ら』の冒頭を詩の形にしたものを推敲。最初の一連の言葉を楽譜のように扱ってみる。句点、読点、中点、記号などによって文節を分解し。
「時代狂気」も『彼ら』の要素の一つに。
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| 2008年4月4日(金) |
| 詩誌 |
今年二月はじめに見た、なくなった柴の犬の子、Mutと私の夢を詩の形にして投稿した詩誌が来る。二冊。水曜日の「パソコン学習会」から帰宅して、酒を呑みながら改めて読む。
一冊を『時の空間』とともに恩師にお送りする。
少数の知人に同じく、プリントアウトした形でお送りする。今後も書いたものはこのような形で。
これから一年間の長丁場、『彼ら(仮題)』を書き継いでいく。その冒頭を詩の体裁に書き直した。それが、『時の空間』も同じなのだが(冒頭の詩を引き延ばしたもの)、小説の形になっていく。『マクベス』の粗筋に添うように。
体力気力が必要。
今月から自転車生活を始める。また、歩く。
翻訳は、契約書の対訳、用語、用例集編集。
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| 2008年2月15日(金) |
| 文字による切り取り(小品) |
『スープカレー』(2006年10月19日(木) 於 えちおぴ屋)
★カレーを注文して出てくるまでの間、食後サッと書いたもの。いま少し直し。このような小品、本を読んで重くなった頭を軽くする、ほぐすストレッチ。
「猫君、彼について」、と俺は語り始めた。一日の点景を記した彼の文章だ。
遅い時間に図書館に本を返しに行った。午後書斎を出、いくつか所用をこなした後、日の落ちかけた図書館前の広場を歩く。人の姿はなかった。
館内の入り口にあるベンチ、黒い服の女が本を読んでいる。ロビーには他に人はいない。
カウンターに向かう。三冊、本を返す。
もう閉館まで二時間も残っていないが、それからの時間本を読もうと思っていた。一日の何時間、書斎から場所を移すことが必要だった。彼は場の力を必要としていた。
自習室や資料室のある二階に上ろうと思った。すると、急に何かが目覚めたかのような猛烈な空腹を感じた。
高村はえちおぴ屋に入った。たまにコーヒーを飲む館内の茶店だ。メニューを開いた。なにか食べるものを。「茸たっぷりの和のカレー」とあった。「カレーを」とマスターに告げた。
「スープカレーですね」
「スープカレーなんだ。話には聞いているがぼくは初めてだ。じゃあ、それを」
テーブルにはこばれてくるまでにそう時間はかからなかった。茶店のただ一人のウェイトレスが卓に布を広げて米と麦が混ざった碗、カレースープを容れたどんぶり、それにカボチャとにんじん、皮付きジャガイモを茹でたものを置いた。フォークとスプーンが並べられた。
「どういう風に食べるのだろう」
「お好みで。スープとして召し上がっても、ご飯にかけていただいても、ご自由に」
注文の少ない料理店。図書館の一画にある。晩秋の候。夕食前の空腹。宥めるための、いくつかの器。
一口啜った。ズッペ。生姜類のスパイス。鬱金のような。どこかで味わったことがある。単にカレーのスパイスというのではなく、それに直に結びつく味だ。なんだったろう。思い出そうとしても思い出せない。
食べ終わって、カバンからノートを取り出した。文字を綴りたくなった。ルーズリーフにラミーのシャープペンシル、思いつくままに書き綴っていった。
「スープカレー」
しばらく忘れていた感覚だった。封印していたものを開いていくようだった。「作品」を書き終えてから、彼は書くということからどこか遠いところに自分を置いていた。一つの作品は、それが自己に深く食い入るものであればあるほど、書き終えた後の始末に時間がかかるものなのだ。職業的にものを書くのではない彼にはその内的な成り行きにある時間が必要だった。
「ターメリック!」。舌の記憶。お茶だ。「作品」に結びつくハーブだった。
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・という、一コマ。意味があるのだかないのだか。
・書いた当人には、多分、意味もあるのじゃないか。
・そうかな。
・どうかな。
・猫君、どちらなのか?
・どちらでも。読む人次第さ。意味があるならある、ないならない。どちらか一方強制できますか? 読むのはそれぞれが読むのだろう。まさか、1+1=2の算法の成り立つ訳じゃなし。読み人の名前で決まる場合もあるだろし、多数決で決まる場合もあるでしょう。であっても、読み人次第が真実と思うぞ。
こう気炎を吐いて後、猫はぺたぺた足舐めを始めた。
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| 2008年2月13日(水) |
| 詩を書く |
昨夜久しぶりに詩を書く。「その眼に見えるもの」→「なくなった犬の子の夢」に変更。
泉鏡花『続風流線』、芦部信喜著『憲法判例を読む』の後、D.H.Lawrenceの詩が読みたくなり、書見台に乗せた。「序」を読んでいると、今月初めだったか、亡くなったMutの夢を詩の形にしたくなり、ノートに綴った。
丁度その時、根保氏から電話。中断して、お渡しした同人誌投稿予定の小説原稿について話す。
学生時代、授業で使った「詩の解釈(独文)」の私訳の試みについても。
また、先にfaxした息抜きの小品についてもお話する。『草枕旅日記』として、「小説+詩+俳句+その他なんでも」仕立てで、続き物として書いてみようかと考えるようになる。こころの遊び。
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| 2008年2月3日(日) |
| 連絡用: Mcafeeの再インストールについて |
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| 2008年1月29日(火) |
| 鳥インフルエンザについて(2006年に調べたもの) |
【ネット(2006年1〜3月)から】
http://homepage1.nifty.com/gakuji/r_web/r_web9.htm
http://homepage1.nifty.com/gakuji/gaku21nichijyo6.htm
T.鳥インフルエンザについて。
鳥インフルエンザ関連の新レポート。いくつかのケースが考えられるとして、最悪「1億4千2百万人が死亡し、日本の年間生産高と同じ4.4兆ドルが失わ
れ、その影響から日本、世界の経済に大打撃を与える。香港経済など53パーセント以上も縮小する。日本はアジアとの経済的な結びつきが強い分、他の先進工
業国諸国よりもその影響の度合いは大きい。BBC、DW(イギリス、ドイツのNHKのようなもの)も大体同じような論調。ウィルスが変異すると(人間から
人間に感染する型へ)極めて深刻な状況に。
最悪のケースでは、日本では210万人の死亡が予想される。WHO(世界保険機構)の上級職員による新しい予測も1億5千万人死亡で、この研究と近い。(CNN)
http://www.cnn.com/2006/HEALTH/conditions/02/15/birdflu.cost/index.html
【考えられる4つのケース(上記から)】(数値は「大阪市感染症情報」による)
1.1968〜69年にかけて起こった香港カゼ程度。日本では約14万人が感染し、約2000人が死亡。
2.1958年のアジアカゼ程度。日本では約98万人の人々が感染し、約8000人が死亡。
3.1918〜19年のスペイン風邪程度。全世界で2400万人〜4000万人が死亡、日本では38万人が死亡。
4.スペインカゼ以上の、想定される最悪のケース。
【パニックになる必要はない】
「パニックになる必要は無いのだし、鶏肉を食べてはいけない理由はない。ヨーロッパの人々に冷静を保つように伝える必要がある」と欧州委員会衛生局長は指
摘。家禽に対しては生物学的な防衛手段が存在するということ。(DW)http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,1905465,00.html
WHOのサイトから
Avian influenza
http://www.who.int/csr/disease/avian_influenza/en/index.html
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| 2008年1月16日(水) |
| 新しい表札 |
カッティングシールの屋号表札を玄関フードに張ることに。18日予定。
依頼した看板制作会社の経営者と、依頼内容を離れてお話をする。会話の中で知人とともに一度酒を呑みながら話をしたことのある短歌を作る方のお名前が出た。
また、「iタウンページ」への広告。来週中に出稿予定。
昨年から集中して取り組んでいたものが終わり、昨日からまた新たに。
都合がつけば、20日の詩の例会には出席したい。創作についてどこか越えたい、という思いがあり、お話の場に身を置きたい。俳句について、「一茶俳句集」を書き写しながら読み込んでいくつもり。どうも一茶が一番好きだ。詩は「草の葉」を。
今年の取り組み、語学翻訳が主(関連領域の勉強を含めて)。パソコン設定・整備も同じく。それとともに、プログラミングを含んだ情報処理、法律系士業試験対策。すべて仕事に密に結びつく技能知識。
語学へ最も多くを割り当てるのは当然として、各分野、毎日一定時間を確保していきます。
今日はパソコン設定・整備の「パッケージ・サービス」について考えます。これまでの料金設定の見直しも含め。
今朝京セラソーラーの担当者氏から電話。太陽光発電について詳しくお聞きする。電化住システムを構成する要素としての太陽光発電システムという位置づけと理解する。
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| 2008年1月1日(火) |
| 謹賀新年 |
子らがお正月する旧暦
#今年は旧正月をお正月に、という思いがどこかにあり。
降る雪に 詩を書く人の 詩の言葉
#誌の同人誌を読んでいて、このような思いに。
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