北有馬
歴史や史跡の宝庫、北有馬町!!
北有馬は長崎県南部島原半島の南西部に位置しています。
雲仙山麓の南部裾野の丘陵地で最高標高490m、東西部は有明海に面し
有馬川の上流に沿って北西に広がり略々三角形で、しかも7谷7峰があり
大地は大小の渓谷に刻まれ水田は河川に沿って広がり
畑は丘陵地に開けています。
 
北有馬の湧き水 流水の里
沢山の方が水くみに訪れています。
駐車スペースが少ないので混雑してるみたいですね。
  
上果物北有馬の特産品
こめ、バレイショ、メロン、みかん、イチゴ、インゲン、わさびなどなど

大自然にふれあいここちよい北有馬をご堪能ください!!
平成20年3月31日島原鉄道が路線縮小で廃止路線(南島原〜加津佐まで)寂しい〜!!
何もかもがなくなっていくと地方はかなり厳しい状態になるのではと思うが!!

こんなになっちゃいました(*^。^*)島原鉄道廃止路線です。
今2009年だんだんと線路が取り外されていってます。
 
西洋の記録が示す日野江城と神学校セミナリヨ
時は約400年前の天正時代、キリシタン大名有馬晴信が当主となったとき、
城下町に初めて西洋式の神学校「有馬のセミナリヨ」が誘致されました。
また、イエズス会の影響で日本一豪華な教会や病院が立ち並び、有馬は
外国人宣教師や海外の商人たちが闊歩していた当時の国際交流の
最先端の1つでした。以下の記録は有馬に滞在した宣教師たちが
ヨーロッパに報告したイエズス会年報や日野江城を訪れたポルトガル人の
商人たちの記録に見られる日野江城や有馬のセミナリヨに関する
報告の1部を紹介させていただきます。
日本で初めて有馬に作られたセミナリヨ
有馬の城下町に我らは非常に良好な場所を所有しており、我等の住まいと
立派な聖堂の外に貴族の子弟のセミナリヨを設立した。
これは30人を収容するだけであるから小規模ではあるが
非常に便利でよく設計されている。
1583年アレッサンドロ、バリーニャーノ編イエズス会総長宛イエズス会年報
改築された日野江城と内部の屋敷

ある日、食事を済ませてから、巡察師やドン、ミゲル、その公子たちを
一軒の屋敷に案内した。ついこの間工事が完成したばかりで
まだ誰一人の目にもふれていなかった。
この建物の美しく雅やかなたたずまいは一同気に入った。
大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。
この屋敷は最近彼の手で建てられ、見事な出来栄えとなった城郭の中にある。
その城郭をみたポルトガル人達は、日本にこれほど壮麗な建造物があるなど
考えても見なかった。
1590年ルイス、フロイス編イエズス会総長宛イエズス会年報
セミナリヨの1日
4:00 起床、修道者と朝の祈り
5:00 ミサ聖祭、規定の祈り、座敷の掃除
6:00 学習
7:30 教師訪問、宿題、説明を受ける、上級生は下級生の宿題を見る
9:00 食事、休憩
11:00 日本語、習字、作文の練習
2:00 音楽、合唱、楽器の練習
3:00 ラテン語、作文、講義または朗読
4:30 自由時間
5:00 夕食、休憩
7:00 ラテン語復習
8:00 良心の糺明、夕べの祈り、就寝
夏、冬や週末、祭日などイロイロ違うみたい。
夏休みもありました。
朝4:00起床は今では考えられませんね!!すごい!!

セミナリヨに寄進された新しい土地、家と教会
あそこにある1番立派なところで、海の辺りに城の麓にある大きな広場の
端にこの家を有馬殿は側にあった庭園を家来の家と一緒に巡察使神父に
与えました。わたしに与えた家の側の適当なところに三廊式の立派な教会を
建てることを決めました。城の前で、海に向かって広い中庭があり
眺めが美しく、風向きがよく北風から守られたいます。
1600年ヴァレンティン、カルワリョ編イエズス会総長宛イエズス会年報


400年の眠りから甦る日野江城
金箔かわら出土
平成10年8月金箔かわらが出土しました。
このことは4万人の小大名にすぎなかった有馬氏が秀吉と密接な
関係があった事を意味する証拠として極めて重要なものです。
自然と歴史にふれあう町
アーチ式石橋、原山ドルメン(原山支石墓群)、お告げの聖母の会の印
縄文の館、湧き水、蛍の生息地、八十八ケ所、セミナリヨ跡、キリシタン墓碑
青面金剛像、願心寺の天井絵、ふれあい交流広場などなど散策してみてはいかが?
北有馬のお祭り
10月7,8日 春日神社大祭、11月中旬 日野江ほろば
12月中旬 フェスティビタスナタリス 

郷神祭、夏越祭、北有馬町夏祭り、パロス夏祭り等等!!

鈴木代官の墓
寛永16年鈴木三郎九朗重成は島原の乱後有馬地方の代官として赴任。
乱後の治安維持と人心安定に力を注ぐとともに現願心寺を創建。
仏法による教導に努めました。
寛永18年9月天草初代代官として赴任後領民貢納の半減方上申しましたが
容れられず承応2年10月その責めを感じ江戸字自邸において自決しました。
有馬村民その徳政を偲び分骨を願心寺境内に葬り墓碑を建立したのです。
 
願心寺の天井絵です。すごいですよ〜。いつでも見ることができます。
和尚さんに一言見ますと言いましょう(●^o^●)
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感謝
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