長良川紀行 河口付近
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| 河口 左岸より右岸の桑名市を望む |
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河口 上流の河口堰を望む |
長良川紀行の出発地点 長良川河口に立つ
岐阜県を流れる木曾三川といわれる木曾川、長良川、揖斐川。その3本の川の真ん中を流れる清流・長良川は奥美濃の源流から延々たる166キロの旅を終え、最終地点で揖斐川と合流をし伊勢湾に注ぎこまれる。
私は岐阜市より国道31号線(旧国道21号線)で安八郡墨俣町方面へ車を進め、墨俣町の手前、長良川にかかる長良大橋を渡ったところから今度は右岸堤防を下り、およそ60kmの道のりを経て、やっと、念願の三重県長島町の長良川左岸河口に立った。1999年2月27日(土)、時計は午前10時10分をさしていた。
こここそ、大河の源までをたどるスタート地点なのだ。
実のところ、この旅の当初の計画では、スタート地点は源流であったが、2月はじめ高鷲村役場へ電話を入れると、分水嶺公園からか源流へ行く叺谷沿いの道はまだ雪の中だという。それではと、逆の河口からスタートしょうと計画変更をした次第である。
遥か彼方の対岸は三重県桑名市である。お伊勢参りに来る江戸からの旅人は、名古屋の熱田からこの桑名まで舟でやって来ては伊勢と向った。ご存知、「その手は桑名の焼き蛤」という言葉も生み出した所でもある。
その桑名を右岸河口とする長良川は、かっては舟運が盛んだった。川は昔から人間の生活の源であり、人間は川の恵みによって生きてきたのである。生活用水、農業用水、工場用水、水力発電と火力・原子力発電の冷却水、動物性蛋白源の魚貝の供給の場として、観光、リクリェーション、憩いの場、かっては交通路として等々、沢山の恵みを受けて・・・。
ところが、最近になり、ようやく国民の間にも環境問題についての関心がめばえ、自然を保護しょうという動きが活発になり、河川においても現状を見直す気運が高まってきた。すでに欧米では幾多の反省を踏まえ、ダムを取り壊したり、コンクリートで固め直線にした堤防を、昔の蛇行した自然の川に戻すことも考えられているそうである。
今日は生憎黒い雲が立ち込め、まだ海から吹きつける風は冷たく春はまだ先のようではあるが、どうどうたる河口はなぜか私の心をやさしく、そして温かく迎えてくれたように思えた。それは母なる思いに似たようなものでもあった。
河口や広大な伊勢湾をじっくり眺め、その光景を瞼の奥に焼きつけた後、私は長良川河口堰のすぐ近くの「なばなの里」に立ち寄った。広大な園内は、絵画の中にでもいるようなアンデスの花園ベゴニアガーデン、9000平方メートルの大温室で咲く色とりどりの美しい花に感嘆した。その後はここの露天風呂もある天然温泉で、ひと時をゆっくりとくつろいだ。
河口付近は潮の満干の影響を受け水位は高くなったり低くなったりする。この長島町の長良川左岸では、いま急ピッチで幅100mという桁外れの大堤防工事が行われていた。
長良川の舟運の歴史
長良川は、かつては舟運が盛んで、風で帆を膨らませた大小の舟が頻繁に往来していました。川湊としては、立花湊、上有知湊(以上美濃市)、芥見湊、長良湊、中川原湊、鏡島湊、大野湊(以上岐阜市)、墨俣湊(墨俣町)などが存在していました。
江戸時代、長良川を下る主な舟荷は、年貢米のほか、酒・竹皮・薪・炭・紙・木材・石・瓦・茶・和紙・生糸などの産物が多く、又、筏による流送も盛んで、桑名や四日市を経て、遠くは江戸、京、大坂、北陸、東北などの消費地へ運ばれて、上がり舟荷は主に塩・灰(肥料)で、長良川の舟運は美濃一帯の経済や文化の発展に大きく寄与してきました。
江戸時代の荷舟には、五寸榑舟(大舟、長さ8間=概ね50石)が主に運航していました。小舟(長さ5間=概ね10石)のほか、上がりの灰舟や下りの灰舟といった機能別の名称もありました。
江戸時代から近代にかけては、岐阜から桑名や名古屋まで荷舟が頻繁に往来していました。明治から大正時代になると、名古屋方面からの舟は長良川河口から12キロ程さかのぼったところの船頭平閘門を経て溯上することが可能になりました。鏡島湊では、瓦・傘など岐阜の特産物が積み出され、鉄器・陶器、雑穀、酒などが移入されていたほか、人の往来も盛んになりました。
しかし、 その後は道路、鉄道等の発達に伴い次第に水運は衰退し、昭和34年の伊勢湾台風で、長良川の主役であった大舟が洪水に流されたのを境に完全にその姿を消したといわれています。
長良川は
1.日本の川のなかで年平均流量が、だんぜん豊かです。
2.水質は日本最後の清流といわれる四万十川よりもきれいで、岐阜県の誇る清流です。
3.川にすむ魚の種類の多さは、日本一です。
岐阜県基盤整備部河川課・砂防課発行パンフレット「ふるさとは水街道」より |
港町・城下町・宿場町 三重県桑名市 ●
三重県の北端にあって、揖斐・長良・木曾の三大河川の河口に位置し長い歴史と文化を秘めた人口約10万人の水郷の街である。
江戸時代は松平十一万石の城下町、また東海道の五十三次の宿場町・港町として明治に至るまで商業経済の重要拠点として栄えた。現在では、鉄工業は桑名の基幹産業として伊勢湾臨海工業地帯の一翼を担っている。時雨蛤・乾麺・履物などの伝統産業はいまでも盛んに行われている。
観光では昔の面影を残す東海道の渡し場跡の「七里の渡し」や「住吉浦」などがあり、桑名城跡の「九華公園」は桜・つつじ・花菖蒲の名所である。
水の郷 三重県桑名郡長島町 ●
三重県の東北端に位置し、東は木曽川を境に愛知県及び木曾岬町に、北は長良川を境に岐阜県に、
西は長良・揖斐両川を境に桑名市及び多度町に接する。人口約1万5千人。
「全国水の郷」の認定も受けている。3.5キロにもおよぶ「千本桜通り」は有名、
「長島温泉」、「なばなの里」、「長島スポーツランド」などの有名レジャー施設もある。
海抜0メートル以下の土地が多くデルタ地域の沖積地に一輪中を形成している。
昭和34年には、伊勢湾台風により全町水没の被害にあったが、
町民の努力により完全に復興し現在に至っている。
長島温泉 最大級の大浴場のある温泉施設と大遊園地「ナガシマスパーランド」がある。
一度に2000人が入浴できる千人風呂があり、連日有名タレントのショーが行われている。
ナガシマスパーランドは、世界最大級の木製コースターなどスリル万点・楽しさ一杯の施設である。
宿泊はグレードの高い「ホテル花水木・TEL 0594‐45‐1111」がよい。
[湯量] 一日当たり1万立方メートル(天然温泉) [泉温] 摂氏60度
[効能] 浴用/慢性関節リウマチ、結合織炎、神経痛など 飲用/慢性胃炎、腸炎、胆のう症など
問い合わせ 長島観光株式会社 TEL 0594‐45‐1111
なばなの里 長良川の水辺の夢のような小さい村。
豊かな自然と多彩な施設が調和した広大なオアシス。
なかでも大温室のアンデスの花園ベゴニアガーデンは、その美しさに思わずため息が漏れる。
大浴場や美味しい料理も楽しめる。
問い合わせ なばなの里 TEL 0594‐41‐0787
長島スポーツランド 花と緑に包まれた快適な施設で、ゴルフ、乗馬、テニスなどのスポーツを
楽しむ事が出来る。天然温泉を利用した11種類の浴槽がある本格的施設である。
問い合わせ 長島町役場産業課 TEL 0594‐45‐4121