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高須輪中 おちょぼさんで賑わう平田町


水田風景岐阜県の南端に位置する海津郡平田町は、西は養老町、東は羽島市、北は輪之内町、南は海津町にそれぞれ隣接。揖斐川の上流に当たる大垣市からは15kmの距離。大垣ICまでは11km、桑名ICまでは26kmの地点にあります。
地形的には、西方に養老山地を望み、西に揖斐川、東に長良川、町の直ぐ北側には大槫川と雄大な流れに囲まれた見渡す限り水田地帯。その中に14の集落が点在しています。
海抜は0〜3mと低く、豊かな水の恵みを受ける一方で、水との戦いを繰り返してきました。住民は今から約1300年前から住みはじめたといわれていますが、古くから洪水に備えて堤防を築き輪中を形成しました。この地域はわが国を代表する「高須輪中」なのです。

■大槫川(おおくれがわ)薩摩堰
薩摩堰遺跡の碑輪中地帯を南下し平田町に向かう途中、輪之内町で「大藪洗堰跡」という小さな標柱を見つけました。早速、標柱に示す矢印に沿って左に進むと田んぼの中に小さな神社があり、少し小高くなった社の右に「薩摩堰遺跡」という碑が立っていました。
大槫川は木曾・長良・揖斐川が網の目のように輪中地域を流れていた時代、長良川と揖斐川を結んだ川で、大雨が降る度に多芸・福束・高須などの周辺一帯に氾濫し輪中地域に住む人々を苦しめてきましたが、宝暦治水により、宝暦5年(1755年)、長さ178m、高さ1.2m、幅43mに渡って青竹作りの蛇かごに石を詰めた石畳(洗堰)ができあがりました。これによって、長良川と揖斐川とを分流し、平常の場合には長良川の水が揖斐川へ流れ込まないようにし、長良川の水かさが1.3m以上増すとい水は自然に揖斐川に石堰を越えて流れ込み洪水調節ができるようになりました。
大藪洗堰工事は油島の工事とともに難工事であり「薩摩堰へ来て見やしゃんせ、残る石こそ血と肉よ」というように多くの犠牲が払われました。この洗堰はその後、河川改修がすすむ中で明治38年にとりのぞかれましたが、昭和3年に「薩摩堰跡」の碑が建立され現在でもその証しとして残されています。この工事はその後、明治の三川分流工事と引き継がれ、これにより洪水の被害はほとんどなくなりました。
近年、宝暦治水で難工事を極めたこの「大槫川薩摩堰」が、平田町勝賀から安八郡輪之内町大藪にかけた長良川堤内の地中から確認されました。
現在、平田・輪之内両町は、薩摩堰を中心として、大槫川流域の遺跡公園化を進め、歴史ゾーン、水と生活ゾーン、レクリエーションゾーンに分けた開発整備を計画しています。

■洗堰公園 平田町勝賀大池隣
ヘラブナ釣りでも知られる勝賀大池は、長良川にかかる大藪大橋を過ぎてしばらく進むと「勝賀」の標識があり、右下に降りた所。この南東隣にあるのが洗堰公園です。洗堰の役割などにつて分かりやすく学べる公園です。

洗堰公園 洗堰の模型


■町名は薩摩藩士・平田靭負に由来していました
揖斐川にかかる大垣市万石の揖斐川大橋から約15km南下したところに今尾橋があります。私は今尾橋の近く大槫川が揖斐川へ合流するところで「今尾渡し道標」を見つけました。揖斐川は上流の川湊と桑名・名古屋方面を結ぶ物資運搬や交通の重要な通路であり、各所に渡し場があり「今尾渡し」もその一つであったようです。
この集落に「水屋」があるというので、この堤防から狭い道を下り集落に入り見に行きました。輪中地帯の宿命を象徴する水屋を持つことのできるのは、地主などの一部の家に限られていたといわれいるだけあって、門構えの旧家を思わせる屋敷の中にありました。今では、あまり見ることができなくなりましたが、当時を偲ばせる貴重な建物でした。
続いて僅か行くと寺の墓地に「薩摩義士の墓」がありお参りをしてきました。治水の歴史の中平田靭負の銅像で最も難工事といわれる宝暦治水、この工事に当たったのが薩摩藩。陣頭指揮をとった平田靭負(ゆきえ)は巨費を費やしたことと犠牲者を出した責任をと平田公園横を流れる大榑川って自害しましたが、町名はこの平田靭負に由来すると聞いて驚きました。

■平田靱負翁の銅像が立つ平田町輪中公園
揖斐川と長良川に囲まれた輪中の町、平田町の新しいランドマークとして、大榑川堤防の傍に生まれた平田町輪中公園に平田町の歴史を語る時に忘れてはならないのが宝暦治水、その功労者である平田靱負翁の像が、おだやかな風景を見守っています。

■大勢の参拝者が訪れるおちょぼさん
平田町といえば、何といっても商売繁昌を願い一年を通じて大勢の参拝客が訪れる「おちょぼさん(千代穂稲荷神社)」。参道にはたくさんの店が軒を連ねています。最近、食べ物で人気のあるのは串カツ。どこの串カツ屋さんの前も大勢の人だかりです。しかし、なんといっても秘伝のタレで仕上げたこの地の名物・ナマズの蒲焼き、これは絶品です。たくさんの参拝者にまじり、私もお供え用のアゲを買っておちょぼさんに参拝。そのあと、川魚料理の老舗でちょっとグロテスクでしたが美味しいナマズの蒲焼きを堪能しました。

■平田町の揖斐川は野鳥の楽園
木曾三川の中で最も自然が残っているといわれる揖斐川下流。
平田町の今尾橋付近の揖斐川には、11月ごろから飛来するマガモなどが越冬生活をします。同町の今尾橋から安八郡輪之内町の福束大橋までは鳥獣保護区になっており、文字通り野鳥の楽園。カモたちは、温かい日差しの中、川の流れに身を任せ、のんびりと一日を過します。
時折、群れが水面から大きく羽ばたく瞬間は激しい羽音が上がって圧巻。川辺を訪れる人たちの目を楽しませてくれます。


今尾橋付近のカモ

<伝統の寒ブナ漁>

”寒ブナ漁”は木曾三川下流域・揖斐川の支流である大江川や中江川などの水郷地帯を中心に、身がしまる冬場に行われている。
「巻き網」を仕掛け、体長20センチ以上のマブナ、ヘラブナ、コイを捕らえる。
海津郡漁業協同組合によると、同郡海津町で4ケ所、平田町で1カ所の池に禁漁期間が設定されており、解禁は毎年12月25日から約1ヶ月間。同漁協のフナの年間水揚げ量は69トン(2003年年度)で、甘露煮や煮付け、みそ炊きなどに調理され、おらち料理としても珍重される。

池の周辺は昭和30年代前半まで細い水路と田んぼが入り組んだ「堀田」で、たくさんいた魚は農家のいい小遣い稼ぎになったが、「今は捕まえても銭にはならへん。好きでやっているだけ」と地元の人は笑顔で言う。

千代穂稲荷神社 今尾渡し道標
千代穂稲荷神社
京都の伏見稲荷、愛知県の豊川稲荷とともに日本三大稲荷。 庶民の神様、おちょぼさんは、全国から商売繁栄に多くの参拝客が訪れ、門前町は毎日が縁日のような賑やかさ。昔懐かしい店が100軒も軒を連ね食べ物では 、串カツ、ナマズの蒲焼き、もろこの甘露煮、タイ焼き、みたらし、つけもの、草餅が人気。
今尾渡し道標
今尾は江戸時代以来、大垣・桑名間の重要な中間河湊であり、西は養老方面、北は岐阜・大垣への要所でした。昭和のはじめ今尾橋が架けられ今尾渡しは廃され、道標は大槫川堤防に移された。

水屋

水 屋
長谷川宅の水屋。輪中地帯において昔の人の知恵が生んだ建物。水害に対処するために、避難場所、食糧貯蔵庫として母屋に隣接した高い石垣の上に建てられ、軒下には上げ舟が吊るされている。
薩摩義士の墓

薩摩義士の墓
洪水に苦しむ美濃の人々のために鹿児島から赴いた薩摩義士・黒田唯右衛門ほか5名の墓があります。
今尾橋からの揖斐川

今尾橋から自然豊かな揖斐川下流を望む

この後、私は平田町から揖斐川に架かる今尾橋を渡り、養老町大巻を通り養老山地の麓・南濃町津屋へと入りました。南濃町は平田町の西方にあたります。
このあたりの揖斐川は、高い堤防に囲まれ川幅も一段と広くなり、流れもかなり穏やかになってきました。

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