9.3 母の形見分け


 

夫の母、つまり義母は、整理整頓のできない人であった。そんな家があるのかというほど、家の中は"足の踏み場もない"を地で行くありさま。当然、私が家を訪れるのを恥ずかしがった。

義母は、荒れ果てた家を気にしつつ、入院し、一度は退院したものの、再入院して逝ってしまった。

彼女が入院している間、退院してきれいになった家に帰ってきてほしい、と私は義母の姉と一丸となり、黙々と家中を片づけた。

小さいもの大きいもの、安価なもの高価なもの、どこにでもあるもの珍しいもの等が散らばっている中、まるで宝さがしのようなゲーム感覚で掃除と整理を繰り返した。

自分や姉の結婚式での親族一同写真は、古着の入ったゴミ袋の下敷きになっていた。私たちの結婚式の写真が同様の扱いを受けていたら、私は義母を勘当(!?一応、そこは義母の家。私たち夫婦の家は、別にある)するつもりだった。後に、便箋の下敷きになっているのを発見したので、まあ、許した。

かばんやポーチを買うのが趣味だったらしく、大小たくさんのかばんがあった。そのどれもにティッシュと小銭が入っていたので、まさしく宝さがしとなり、ひと区切りついてから郵便局に重いビニール袋を持っていったら、機械で勘定するのを待つこと15分で、5万円ほどになった。「小銭で入金のお客さまー」と呼ばれ、赤面した。

外泊を許可されて、一応きれいになった家に帰ってきた義母は、目を真ん丸にしてびっくりしていた。

そんな義母に、私は2つの物を見せた。箱に入って、値札のついたままの皮の財布と、鑑定書のついたオパールのネックレスだ。

「掃除してたらな、こんなん出て来たん。これ(財布)持って、これ(ネックレス)つけてどっか旅行に行こ!」

もちろん、私は義母の外泊許可は最初で最後かもしれないとわかっていた。すると、義母は、自分では薄っすらと死期を悟っていたのだろう、私にこう言った。

「それ、結構いい財布やし、あげるわ。ネックレスも結構ええ。それもあげる。」

財布もネックレスも私の趣味とは少し違ったが、どう断ったらいいのかもわからなかった私は、素直に受け取った。

今から思えば、それが、私にとっての形見分けの初体験だ。

義母にしてみれば、その物の存在さえ忘れていたかもしれないが、なにかを息子の嫁である私に"あげる"という行為を、どう考えていたのだろうか。"形見分け"として意識していたのなら、もっと、使い込んだ大切にしている何かを、続けて使ってほしいと思ったかもしれない。

その後、1周忌を終えて、義母の買い込んでいたポーチやかばん、ワンピースやハンカチは、兄弟姉妹の間で分けてもらうことにした。幸い、目の飛び出るような貴金属はなかったので、ケンカにもならず、おばさんたちは「これ、あんたに似合いそうなセーターやで!」とか「こんなにたくさんハンカチもうてええの?」と、数々の品は引き取られていった。

3人の男の子の母親となり、ひと昔前のこんな記憶がときおり頭をよぎる。

私は、たくさんの貴金属をもっているわけでもなく、高級衣装持ちでもない。でも、この私が死んでしまったら、わずかながらある品々はどうなるのだろうか。

女の子がいたら、そっくりそのまま彼女に譲り渡すだろうことは間違いない。ここで、こどもが女の子か男の子かで雲泥の差が出ることにようやく気づく。

特別な時にしかつけないネックレスや指輪も、彼女なら価値がわかるだろう。初めて母に買ってもらった800円のハートのイヤリングだって、10年も前に作ってもらった、今や太ってしまってはけなくなったスカートたちだって、エメラルドのリングと同じくらい、いや、もっと愛着がある。そういう私の気持ちを、きっとこの3人の息子たちはおろか、夫さえ理解できないだろう。

この気持ちは、歯がゆく、じれったく、情けない。こどもにスカートをはかすことができない気持ちの延長線上に位置する。

ああ、形見分け……。

山ほどの宝は持っていないけれど、てのひらに収まるほどの宝は、お嫁さんにあげるしかないのか?

いやー、別にお嫁さんにあげるのが、嫌って言ってるんじゃない。息子3人が、3人共結婚する、とは限らないし、どんな女性を好きになるかもわからない。無理に形見を分けたって、無意味なケースもあるだろうし……。ずいぶん先の、しょうもない話で頭を悩ますこともある愚かな私。けど、実はちょっと真剣。

「捨てる」ことに関しての本がベストセラーになっているらしい。「ためこんだって、結局最後はアンタが死ねばみんなゴミ!」とくくっているらしいが、すべてをゴミにしてしまって地球環境はどうなる?と疑問を抱きつつも、妙に納得したりする。

まだ私は死ぬわけにはいかないし、持病も今のところない。けれど、こういうことでは、気持ちのズレてしまう男共と同居しているので、なんらかの方法を事前に考えておかざるを得ないだろう。

美空ひばりさんのように、博物館を建てて、当時着ていた衣装や愛用品を展示すれば、何の問題もない。黒柳徹子さんのように、徹子の部屋で着た衣装は、全てオークションにかけて売上金を寄付するのも、また良し。

いかんせん、私は名もなき庶民。ただの3人の男の子の母。

この何ともいえない気持ちは夫に理解してもらえるだろうかと、ここまでの文章を夫に読ませた。感想は?

「わからん。」

ちなみに、夫にとっては宝、私にとっては古雑誌に近い夫の収集している歌舞伎の番付(関東では筋書き、名古屋ではパンフレットというらしい。ご丁寧に横から解説をどうも!)を、どうしてほしいか?と聞くと、3人の息子の誰かは、その価値が分かる人間になるだろうから、後に見つけて嬉しがるだろう、もしくは、古本に出して誰かが喜んでくれるならそれでいい、との回答。実に簡単。あとは、たいそうな洋服も持たず、ユニクロのチノパンを愛用している彼は、遺す衣類もない。ああ、明快。

私の方は、ああ、やっぱり、母の手作りのスカートやよそゆきにしかつけない腕時計、就職祝いにもらった象牙のブローチ……ためいきはつきず。

私が分析するところによると、モノの評価はそのモノにまつわるエピソードや思い出の度合いで変わる。モノがたとえ高額であっても、そのモノを使った回数が少なかったり、いい思い出がついてこなかったりする場合は、手放してもあまり惜しくない。モノが安価であっても、手作りであったり、大切な人からいただいたりしたものだと、いきおいAクラスになる。使わずにしまってあるのは、大切すぎるからっていう理由からなのもたくさんある。

「箱入り娘」より「かわいい子には旅をさせよ」の精神で、何でも日の目を見させてこそ、モノの価値が出るのだろうけれど、なにせ貧乏性だから「大切に」に輪がかかっている。

さあ、これを機会に誓いを立てよう。

大切な洋服も宝石も、つけて出掛ける場所がなければ出番もない。だから、いい所へお出かけしましょ。決して気取って高飛車な態度で出歩くのではなく、上品に、清楚に。

ホレ!3人の息子よ。早く大きくなあれ。山でキャンプもいいけれど、凛々しく、紳士になるために訓練も必要。母と父を「こりゃー!何してんのやー!」と怒らせないように年に1度のディナーへ行こうよ。

 そのために、こどもを産んで、ふたごまで産んで太くなってしまったウエストをなんとか戻して、大好きなスカートをはけるようにシェイプアップせねば。幸い、昔から地味な柄が好きだったから、年を重ねても違和感はないだろう。

他人にはまったくの紙屑でしかない写真は、心をこめて写そう。私の小さい頃は、白黒フィルムで、厳選された場面しかシャッターは押せなかったはず。それに比べて今は、撮り放題。気軽に撮りすぎるからすぐに写真はいっぱいになる。けれど、その1枚1枚は、母と父の宝。

あなたたちが20歳になったら、それぞれにアルバムを作ろう。節目節目の記録や、これははずせないっていうベストショットを焼き増ししてプレゼントしよう。彼女やあなたたちのこどもに見せるといい。すくすくと、元気に大きく成長しなさい。

母と父の結婚式の写真はどうしよう?とっておきが1冊しかない。けれど、これはあなたたちが生まれた原点だから、大切にしてもらいたい。きっと5年に1度、いえ10年に1度くらいは見る機会もあるだろう。

そういえば、結婚指輪って、どういう扱いをするのだろう?んー。検討の余地あり。夫は、「既婚者だ」って、無言で証明するために、海外出張の時しか指輪をはめない。きっと、愛着はゼロだろう。

若い頃、髪を結んでいた何本ものリボンは、手が空いたらリース作りを再開して飾りに使おう。そうすれば、インテリアにもなるじゃない。

私は料理が得意っていうわけではないけれど、あなたたちに料理を教えるつもり。SMAPのみんなのようなシェフになれ、とは言わないけれど、助手の助手くらいはできるようになってほしい。母の京の薄味を伝授する。単身生活でもちゃんと生きて行けるように、料理上手ってだけで女性を選ぶはめにならないようにね。

形見分けって「形」あるものを分けるけれど、そういう意味では、母と父は、すでにあなたたちに「人」という「形」を分けて与えた。何よりも大切な生命を。

どうか、生命を大切にしてほしい。自分を大切にできない人は他人も大切にできないって思うよ。生命を考える時にはとびきり賢い大きな人であってほしい。

形見。分けることをいまさら考えなくても、もう分けてしまっていたね、大切なこどもたちへ。「お兄ちゃん+ふたごたち」っていう最高の組み合わせでね。





                 

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