"ふたご"は目立つ。"みつご"に負けるが目立つ。"よつご"や"いつつご"になるとテレビの取材も来て、全国的に有名になったりするが、そこまでいかなくても、町内では有名になれる。
"ふたご"を産んだおかあさんも目立つ。細身であるとなお目立つ。「あの身体でふたごを産まはったん!?」という半ば好奇の目で見られる。
おとうさんとおかあさんがひとりずつちいさなあかちゃんを抱いていたりすると、家計は苦しくないか、睡眠時間は足りているか、と言わんばかりの慰めのまなざしを受ける。
ふたり乗りのベビーカーにあかちゃんを乗せていると、行く人行く人の視線を浴びる。自転車で向こうからフラフラと走ってくるおばさんは、愛車を止めてまで見送ってくれる。
そうして、その人たちの最初の言葉はおおかたこうだ、
「いやぁーふたごちゃんや。」
いつから"ふたご"や"みつご"や"よつご""いつつご"に「ちゃん」をつけるようになったのか知らないが、90%以上の女性はこういう。
「いやぁーふたごちゃんや」の「いやぁー」は「嫌」をのばして発音したものではなく、関西での感嘆詞だ。「おやまあ」とか「あれまあ」とか言う意味で、単純に言うと「わぁ!」に値する。
私たち夫婦はふたりともスーツ姿で八坂神社にいた。そう、リョウとタイの初宮参りに来たのだ。ちょうど七五三参りの時期と重なっているために、境内にはきれいな着物のお嬢ちゃんや、袴姿で飴の袋を振り回しているやんちゃ坊主がたくさんいた。
しかし、私たちの腕の中に眠っているおくるみに巻かれたリョウとタイは、引けをとらず目立った。
そこではじめて「いやぁーふたごちゃんや」の言葉に出会ったのだ。
初宮参りでも七五三でも厄払いでも、神主さんのウンタラカンタラの祝詞と、巫女さんのシャンシャンという鈴の舞をいただくには申し込みが必要だ。
住所、名前、年齢、生年月日などを書いてお金を添える。"初宮参り=ひとり5,000円から"とさりげなく表示してあるところが憎らしい。"ふたご"だと1万円の出費だ。ふたご割引は、神様のご加護まで割り引かれるといけないので……無い。
私は、腰が悪いので、リョウを抱いてただ立っていた。夫はタイを抱きながら、中腰になって申し込み用紙に必要事項を記入していく。京都市内の住所は長いのでこういう時困る。正確に書くと34文字にもなる。どこにもタイを置くところがないので、タイを落とさないように、字を間違えないように夫はちょっと必死だ。
係の巫女さんが、見かねて先に提出した用紙の中で、夫が見落としていた空欄をうめるべくボールペンを持って書こうとした。
「こちらが長男さんですね。」
夫は2枚目の用紙にタイの名前を書いている最中だった。一瞬巫女さんの持っているリョウの名前を書いた用紙を見て、夫はあわてて言った。
「い、いえ、そっちは次男です。」
「へっ???」という不審な顔をして巫女さんは、夫が自分のタイの名前の下に「三男」と書くのを見届けた。
この巫女さん、混乱したはる……。
夫婦ふたりが両方ともあかちゃんを抱いて初宮参りにやってきた。両方が男の子のふたごだということは「性別=男」の欄を見ればわかる。だが、そのふたごが「長男・次男」でなければなんなの?っていう顔をしている。
「あそこにいるのが長男なんです。」
私は10メートル離れたところにいる、運転手役で来てくれたじじちゃんとマサミツの方を、リョウを抱いたままの不自由な手で指差した。
「ゲゲッ!」と口に出したら、巫女さんは後ろにいた神主さんにリストラされていただろう。でも、あきらかに「失礼しました」という言葉の端に「ゲッ!男の子ばっかり3人!お気の毒に」という同情がうかがえる。
そんな視線をサッとかわして、神殿に入り、「カーシコミカシコミィー」と祝詞をあげてもらう。リョウとタイはその間もすやすやと寝ている。マサミツは巫女さんのシャンシャンの鈴がお気に入りなので注視している。
「あー、この先も大きな病気をせず、事故にも遭わず、すくすくと大きく育ちますように。」すべて願いはそれにつきる。男の子でも女の子でも、自分のこども。元気に生まれて来てくれたことに感謝をして、この子たちの行く末が明るいものであるように祈るだけだ。キリスト教会で結婚式を挙げた私たち夫婦だが、にわか多神教信者だ。
「いやぁーふたごちゃんや。」
また言われた。観光で神社を訪れたらしき人、デート中のカップル、新婚らしい若い夫婦……。知らん顔するのもなんだなぁ、と、いちいちとりあえず会釈しておく。
普通は、抱いているあかちゃんを見たら「かわいいですね」を言われるくらいで済むのだが、"ふたご"だと、見てくれる人の年齢が上がるにしたがって、「まぁ、大変ですね」「あらぁ、頑張ってくださいね」と付け加わり、その人は"ふたご"を育てたことがあるかのように、「今は大変やけど、後で育ててよかったって思うようになるしね」とまで言われる。
世間話のひとつやふたつの最後をしめくくる言葉ではない。ただすれ違っただけで、いろいろとお励ましの言葉や感想をいただくので、申し訳ない。会釈もただ、カクンと頭を下げるだけのものになってはいけないと真剣に挨拶していると疲れてしまう。
見知らぬ人となら、疲れた笑顔の会釈ですれ違えるのだが、ちょっと知った人や、これから知り合いになる人とは、ちゃんとした挨拶が必要だ。
「いやぁーふたごちゃんや。」
そういう人たちの前に、私が初めてリョウとタイを連れて行くと、またこの言葉に出会う。
「そうなん。ふたりとも男の子。」と、私が言わないと、必ず、「女の子ぉ?」と聞かれる。私にはマサミツという男の子が上にいることを知っている人は、「ほな、男の子3人?」と改めて足し算をしてびっくりする。気の毒に、という顔にも慣れた。
「どっちがお兄ちゃんなん?」たいていこの質問も来る。"ふたご"と言えども、日付をまたいで生まれた来たわけでもないので、ふたりの間では兄、弟の差はつけないで育てようとしている身にとっては、あまり、本人たちの前で区別はつけたくないが、今は言ったとしても理解できるわけもないので、「リョウが16分だけ先に出て来たん」と言っておく。
「なんグラムで生まれはったん?」というのも割合ある質問だ。この場合はだいたいの数字で「2300と2900」と言っておく。たいてい聞いた人は足し算をするので、細かい数字を言って暗算のできないことを証明してあげると気の毒なので、適度にサバを読むのだ。合計5000グラムを越えていることは100%の人がわかるので、おったまげる。
「大っきいお腹やったんやろうね。」と続くことが多い。臨月の人にそう言われたときには、「そのくらいのお腹で7ケ月半くらいやったわぁ」というと、目を回しそうになるので要注意だ。
「ひとりくらい女の子やったらよかったのにねぇ」というのが一番嫌いだ。「図星!」ってどこかで思ってしまう自分が嫌だ。でも「元気に生まれてきてくれたからええの。」というと、たいていの人は「そうやね。」という。「そういえば、そうだった。あかちゃんは無事に生まれてくれるだけでいいんだ」と、思い出して、"女の子"と言ってしまったことを後悔する正直な反応を見ると、私は安堵する。
「女の子、欲しいでしょ?」と追い討ちをかける人もいる。そういう人はだいたいが、女の子のおかあさんだ。正直に「女の子ほしい」と言う。決してマサミツやリョウやタイと取り替えるのではない。「でもね、もう産むの無理やし、男の子3人育てるわぁ」と言う。そこから私の年齢の話になることも多い。
「うらやましー。男の子欲しいねん」と、ため息をつく人もいる。義理のおかあさんからやかましく言われる、という話を聞くとこっちまでため息が出る。
言われて嬉しい言葉、あまり嬉しくない言葉、興味本位の言葉、同情の言葉、励ましの言葉、いたわりの言葉、羨望の言葉……。分類すればきりがない。
たくさんの言葉をかけられて、私は嬉しいことのほうが多い。だって、声をかけてくれる人、質問してくれる人はすべて、リョウとタイの顔を見て幸せそうだ。ちょっとツライことを言われても、その人の事情が裏に隠されているだろうと思うと、なんとも思わない。
この子たちは、目立つことを約束されて生まれてきた。いい事をしても、悪いことをしても"ふたご"のどっち?と言われるだろう。なぜ"ふたご"なんだろう?と疑問に思ったり、恨めしく思ったり時期も来るだろう。ふたり揃わないと一人前と見てもらえない風潮が待ち受けているかも知れない。
でも、"ふたご"であることは与えられたこと。その枠を自分の力で破って成長していってほしいし、枠を大切にして絆も感じてほしい。
なんてったって、男の子3人、ベタベタしていたら気持ち悪いけど、イザとなったら団結してほしいな。あー、この子たちのお嫁さん同士が仲良しだったらいいのに……。うふふ、親バカなことで……。
「いやぁーふたごちゃんや。」
今度は誰?あ、向こうも"ふたごちゃん"や。わあ、男の子かな女の子かな。あらぁ細いおかあさんやわ、どうやってシェイプアップしはったんやろ?大きいあかちゃんやわぁ、何グラムで産まはったんやろ?この辺の人かな……。ブツブツブツブツ……。
「こんにちは。」
また、お友達が増えるよ!