あかちゃんは4カ月の頃から、お母さんの血の流れる音や心臓の鼓動に耳を澄ませ、子宮の外の音も聞いているそうだ。お母さんの声はもちろん、お兄ちゃん、お姉ちゃんの声も聞こえている。お父さんの声は低いので少々聞きづらいらしい。
お腹の中にいるときから、周囲の人があかちゃんにたくさん語りかけていたら、生まれてきてから「この声、お腹の中で聞いていたのと同じや!」と反応してくれるらしい。
生まれる前からだいたい名前を決めておいて、愛称で呼んであげるのは効果的らしい。例えば「ま」ではじまる名前にしよう、と決めて、「まーちゃん」とお腹に語りかけ、生まれたら「まゆみ」っていう名前をつける。そうすると、あかちゃんはお腹の中にいるときから呼ばれていた名前だ、とわかるそうだ。
というわけで、我が家でも"ふたごちゃん"にそれぞれ愛称をつけようという運びになった。名前の候補を挙げていたわけではないので、「何にしよう?」と考えていたのだが、。14週の検診で、お腹の右側と左側をそれぞれの定位置にして育っていくだろう、と先生に言われたのを夫に告げると、息もつかずに、
「右近と左近(うこんとさこん)はどうや?」ときた。
夫は大の歌舞伎ファンなのだ。ちょっとオカシイくらいに歌舞伎が好きだ。だから即答で歌舞伎調のヘンな愛称が出てくるのだ。普通ではない。
だいたい、マサミツが生まれる前も、男の子だと先生がポロっと言ってしまったから、さあ大変。「仁左衛門はどうやろう?(十三世片岡仁左衛門が好き)」「猿之助もええな(市川猿之助も好き)」次々に出るわ出るわ。私は断固として「漢字が4文字も、サルがつくのも絶対イヤ」と反対した。
そして、今回はこりずに、ペアで名前を出してくる始末。この頃はまだ、性別もわからなかったのに「右近と左近」じゃあ、どうみても男の子の名前だ。ちょっとひねって「サクラとタチバナ」くらい言えんか?
すったもんだのあげく、お母さんの「右と左」にいるということを、お腹の中での呼び名につなげようと「ウーチャンとサーチャン」を採用することにした。それ以降、ひとつのお腹に向かって、いつも「ウーチャン、サーチャン」と呼びかけた。ふたりとも自分の名前は「ウーチャンサーチャン」という漫才師のような名前だと勘違いしないか、と心配したが、近くに住んでいる女の子のふたごちゃんのお母さんは、生まれるまで「サキチャン、アトチャン」と呼んでいたとのこと。そして、かわいいふたごの女の子のひとりには、「先」に生まれたから「サキ」という名前がついているので、「ウーチャン、サーチャン」もまかり通った。
無事に生まれて、ウーチャンはタイに、サーチャンはリョウに改名した。お腹の中で右と左が入れ替わっていたら、何度も改名しなければならなかっただろう。
普通、お腹の中でのあかちゃんの位置はコロコロ変わる。へその緒をつけたまま、子宮の中をグルグルと宇宙遊泳のように廻るあかちゃんもいる。俗に「逆子(さかご)」といわれるあかちゃん(医学用語では「骨盤位」)」でも、最終的に出口に足を向けていただけで、それまでにはでんぐり返りをしたり、右を向いたり左を向いたり前を向いたり後ろを向いたりと、好きな方を好きなだけながめている。
それが、"ふたご"の場合だと、少し話は変わる。ひとつの袋にふたりが入っている場合は、あまり宇宙遊泳をしすぎると、相手のへその緒が自分に巻き付いてしまったり、隣の子の手が足に絡まったりして、お腹を切ってあかちゃんを取り出す帝王切開でないと生まれなくなる。
ウーチャンとサーチャンは、ひとつずつの袋に入って成長したので、袋の中で運動しても、隣にいる子と絡まることはなく、子宮の中で右の袋と左の袋ができたので、左右が入れ替わることはなかった。もともと、ひとりが入ってもいっぱいの大きさになる子宮だ。そこにふたりいると、ギリギリの大きさに伸びきった子宮になってもギューギュー詰めの状態だったので、宇宙遊泳は無理だっただろう。
それでも、18週ではふたりとも頭を上にして並んで「右向け右!」をしているのが超音波診断で見えた。そうかと思うと、22週ではサーチャンが頭を下(医学用語では「頭位」)にして、出口に一番近い位置を陣取った。
お腹が目立つようになる前から、妊婦はうつぶせ寝は絶対にできなくなり、そのうちに仰向け寝も苦しくなる。したがって、右脇を下にするか、左脇を下にするかのどちらかでないと眠れなくなる。その頃の私は、右を下にして寝るのが好きだったので、サーチャンがウーチャンの上にのっかって、押しつぶしてしまわないか不安で、先生にたずねると、「そんなん、ぜんぜん気にしなくていい」そうで、「お母さんの好きな方を下にして寝たらいい」と言われ、安心した。まったく、お腹の中にふたりはいっているということは、余計なことにも気を遣う。
ウーチャンとサーチャンの位置関係は、それからも変わった。というより、ウーチャンはうろうろした。30週には頭を右にして下を見て、水平に近い形になった。32週で頭が下になり、それ以降は頭が重くて、ひっくり返れなくなり逆子にならなくてすんだ。
サーチャンは自分が先に出るんだ!との意気込みが強かったのか、はたまた、ウーチャンがあまりにもコロコロ動くので自分くらいはじっとしていようと思ったのか、検診のときにはいつも頭を下にしていた。
あかちゃんの子宮の中での位置というのは、出産間際まで常に注目される。経膣分娩ができるか、帝王切開になるかの判断基準になるのだ。先に述べたように、ふたりがひとつの袋に入っていて、手足が絡まっている場合は帝王切開で取り出すことがほどんどだそうだ。それに比べて、ひとりがひとつずつの袋に入っている私のようなケースは、ふたりとも頭を上にしている場合は帝王切開になるが、お互いがお互いの足を見ている格好で入っている場合でも、出口に近いところにいる子が頭を下にしていたら、経膣分娩が可能だ。後に出てくる子は、先に出る子を見送った後にクルンと頭を下に変えることもあるらしいし、袋に入ったままツルンと出てくるかも知れないそうだ。
私は30週の時点でサーチャンが先に出てくるのは間違いないと診断されたので、帝王切開はしなくてすむか、と少し安心した。"ふたご"を産んだことはないので、"ふたご"をイザ産むときにはどんなふうになるのかは想像がつかなかった(実際は、そりゃー、もう、すごかった)が、帝王切開VS経膣分娩では、一応一回経験済みの経膣分娩に軍配が上がった。
私があかちゃんの出し方を考えている間にも、ウーチャンとサーチャンは実によく運動している。足で子宮の壁を蹴り、「お母さん、元気ですよー!」と教えてくれる。超音波検診の時にちょうど足を動かしていると、画像で見えるのでとてもラッキーだ。本当に自分のお腹の中であかちゃんが生きているのが見えるのは、不思議なような、納得するような……。「ここにいるんやね」と語りかけずにはいられない。
はじめての妊娠のときには、これがあかちゃんにお腹を蹴られている"胎動"ってやつか?とわかるまでに時間がかかり、5ケ月半をすぎないとわからなかったが、さすがに二回目の妊娠になると、「ああ、これこれ!待ってましたー」ってなもんで、感動がちょっと薄い妊婦だった。
胎動は、外から手で触って感じるにはさらに週数を重ねないと無理なので、最初の胎動は、お母さんしか感じることのできない至福のできごとだ。ところが、幸せにひたってばかりもいられない。あまりきつく蹴られると、時にはお腹に向かって「もうちょっと静かにして!」と言うこともある。ふたり同時にガンガン蹴られてみろ!息も止まる。さあ、寝よーと思ったらサーチャンがトントントン。サーチャンが静かになったと思ったら、ウーチャンがドンドンドン。あんまり騒がしいときには「右近!左近!静かにしなさい!」と却下したはずの気に入らない名前でたしなめる妊婦だった。
ウーチャン、サーチャン。どんな顔をして出てくるのだろう。楽しみではあるのだが、このひと夏を越えなければいけないというプレッシャーが大きくのしかかる。「あと少し」と、もうどれくらい前から言われているだろう。「少し少しってどんなけやねん!考えようによっては3ケ月も1ケ月も1週間も1日も、1分先だってスコシといえばスコシなんだぞ!」もう暑さと重さのせいで、頭の調子が狂う。"ふたご"の妊婦に「少し」を連発するのはやめてもらいたい。気分的には、マラソンランナーが一生懸命に走っているのに、あと1キロというとこらへんから、ゴールのテープを持った人が同じ速度で離れていくようなもんだ。非常にツライ。
我がウーチャン、サーチャンはお腹の中で「げんきにでておいでー」というマサミツ兄ちゃんの声を聞きながら、狭いわ、隣の子の心臓の音まで聞こえてウルサイわ、の状態ながらもがんばって育ってくれている。
もう右近、左近なんて呼ばへんしね。(そんな呼び方をしていて、本当に歌舞伎顔のこどもが生まれたらどうしてくれる?とおそれていた。赤と白のボーボーの毛で頭をブンブン振る連獅子の踊りや、目の寄った弁慶の姿が頭をよぎる。アブナイアブナイ。)だが、28週でふたりとも男の子だと判明してからは、どうせなら「う」と「さ」ではじまる名前もいいかな、と夫に内緒で考えはじめた。
「うたのすけ、さすけ」「うたまろ、さだまろ」「うらん」「さんしろう」
どうも、歌舞伎調になってしまう。しかもパッとしない。なかなかいいのが浮かばない。特に「う」ではじまる名前がないのだ。このままでは「右近と左近」が一番カッコイイ名前になってしまう。「ほれ、みてみろ!」夫の鼻高々の顔が目に浮かぶ。ヤメだ。「う」と「さ」ではじまるペアの名前はさっさと却下。
ウーチャンとサーチャンはきっとお腹で呼ばれていた名前を覚えていない、ということにしておこう。第一、自分は「ウーチャン」なのか「サーチャン」なのか区別はついていないだろうし、別の名前をつけたって大丈夫、大丈夫。頭の切替えの早い賢い妊婦だった。