はたから見れば臨月のようなお腹でいた8ヶ月(妊娠28週)の私は、8月上旬に1週間、夫がスウェーデンへ出張に行くので、その間、じじちゃんとばばちゃんのいる実家へ帰ろうとたくらんだ。
お腹はもうパンパンに大きくなり、スーパーのレジのおばさんには「そんなお腹で買い物に来ていいの?」というような顔をされた。実際、日々の食料品を買うことが難しく、マサミツの遊び相手もなかなか簡単にはできない。午前中の少しでも暑さのましな時に、公園に連れていってやりたかったが、歩いて20分の距離がしんどかった。
こう私自身が重くなると、マサミツを思い切り遊ばせてやるためには、母子ふたりのマンション生活を一週間続けることは無理だと判断し、宿泊予約を入れた。
と同時に、私は厚かましいながら、ひとつ注文を出した。
「庭から蚊入ってくるし、網戸つけて。絶対。」
京都市の中心街だが、家の前は一方通行の狭い道幅。しかし、そこを大型トラックが通り、排気ガスのにおいがする。家々はひしめき合って建ち、土地に余裕はないのだが、坪庭(家の敷地内に、一坪の大きさくらいである庭のこと)がついている家が多く、思ったより蚊が多いのである。
そこで寝泊まりするのであれば、ひどいことになると予想したので、今回網戸をリクエストした次第だ。網戸のあまりのすばらしさは、結婚してからのマンション生活で初体験し、その快適さは、実家で生活していたときには想像できなかった。若いピチピチの肌から血を簡単に吸われる蚊天国で暮らしていたのだ。夏になると、庭に面している窓は開け放たれ、蚊取り線香が渦を巻いている。ハエハエカカカのキンチョール(ものすごく古い?)は各部屋に1本あった。
なぜ、こんなに網戸にこだわるかといえば、ズバリ、足の先の方を蚊に食われたら、かゆくてもかけないのである。お腹が大きすぎて手が届かない、前かがみになれない。かきすぎて血が出ても見えない。爪についた血を見て「!!!」。
妊婦なら、だれでも、靴下がはきにくい、とか、足の爪が切れないなどどいう非常事態に遭遇する。だが、靴下は、そうしょっちゅう、はいたりぬいだりするわけでもなく、爪は一度切ったら10日ほどは切らなくてもいいので、切るときには、ものすごい努力とテクニックが必要だが、割合なんとかなるもんだ。
だが、しかし、それに比べて蚊に食われたときに、足先に手が届かないもどかしさといったらない!ウナとかムヒは二の次で、やっぱりカリカリ掻きたいのだ。なのに、それができないのである。お腹が大きすぎて!
だから、蚊に食われないように、防衛するしか手段はない。防衛手段の虫除けのスプレーは汗ですぐに落ちてしまうし、私とマサミツのねる場所はクーラーがついていない、自然の風で涼む風流な部屋(どこが風流や!暑いんじゃー!)なのだ。つまり、窓を開けて扇風機をブンブンをつける。蚊ははいりホーダイだ。
だから、「網戸!網戸!網戸!つけてー!」とお願いした。
数日後、夫は無事にスウェーデンへ旅立ち、私とマサミツは実家へお泊りに出かけた。一歩踏み入れたリビングの、庭に面したガラス戸は片方が開いていて、そこにまぎれもない網戸がはまっていた。うれしい。めちゃくちゃうれしかった。もともと冷房はあまり好きではないので、夜になると自然の風の方がいいし、なによりも冷え過ぎが妊婦にはいけないのだ。
しかーし!網戸がついているのはそこだけだった。なんということだ。トイレの小窓も庭に面しているのについてない。洗面所の窓にもついてない。二階の私とマサミツの寝る場所は、坪庭が見下ろせる部屋だ。肝心のそこにもついていないじゃーないか!蚊は飛べることを知らんのか。あの網戸は飾り?一枚きりじゃ、ついていないのと同じじゃーないか!開いた口がふさがらない。
おまけに、昼間でも、「今日はわりと涼しいから(気温は34℃でも)」と窓を開け、「うっとおしいから」網戸も開けてしまうじじちゃんだった。あー。
おかげで、マサミツも私もブチブチの足になった。私はもう、どう抵抗することもできず、蚊に血をさしあげた。せめてマサミツの血を献上することは阻止したいと、昼寝中のマサミツの足に止まった蚊をパーン!とたたいて、やっつけた。だが、当然マサミツは文字どおりたたき起こされて「ワー!」と泣いた。
一枚の網戸は、マサミツが庭に向けて放ったボールをはねかえすだけが使命だった。網戸としてのプライドはあるのか?
まぁ、網戸に関しては、冬には必要がないものなので、初秋にお腹がパンパンになってくる妊婦さんは、真夏に蚊に食われても、まだ、手が届くだろうから、私の二の舞にはならないだろう。
ここで、妊婦の暮らす家での、網戸以外の「いる・いらない」ものについて説明しよう。
オールシーズン、家についていたほうがいいものは、「手すり」だ。階段に手すりのない家に住んでいる妊婦さんは、是非、「手すり!手すり!手すりつけてー」と叫んでみよう。冗談ではなく、歩いていて足元が見えない。階段でこけたらどんなことになるかは考えただけでもオソロシイ。全体重をかけても、たわむことのない頑丈な手すりをつけよう。
手すりに関して付け加えれば、エレベータのない住宅の階段も危険だ。駆け上がってくる宅配便のお兄さんと衝突する危険もある。気を配ってくれる家族だけが階段を利用するわけではないので、人の来る気配や様子にも気を付けよう。
そして、階段はだいたいにおいて、昇るときよりも降りるときのほうが注意を必要とすることも覚えておこう。
家にないほうがいいものもある。すべる玄関マット、キッチンマットはもちろんヤメておく。意外にけつまずくのが、端がめくれあがったじゅうたん。この際、端をガムテープで押さえるなどというブサイクな処置でもいいから、こけないように手を加えよう。
最近、ダイレクトメールもナイロン袋の封筒に入ってくるのがあるが、あれもアブナイ。床におちているのがわからず、踏んでしまうとツルッとくる。
上の子のおもちゃにも注意が必要だ。死角におもちゃが隠れていて、踏みそうになってバランスを崩すこともある。踏んでもたいしたことはないのだが、踏んでしまってからとっさにアッ!と避けようとする行為もあぶない。バキッと音がして、何かを壊してしまったときには、見て見ぬふりをして、そっと片づけよう。こどもに目撃されていた場合は、こんなところに放おっておくアンタが悪いのだ、ということをこんこんと言い聞かせ、お母さんがこけたら大変なことになるので、散らかしっぱなしはダメだ、と言い聞かせよう。
ポイントは、お母さんは足元が見えないので、通る道におもちゃを置いておく方が悪いと、何気なく責任転嫁をすること。
これらは、お腹にあかちゃんがいる妊婦さんすべてに危険なものなので、家族には目くじらを立てて抗議し、この際取り付けてもらったり、なくしてもらったり、気を配ってもらおう。
ちょっとあれば結構役に立つものとして、1メートルくらいの棒は重宝だ。片手でもてるくらいの重さでないと意味がないが、"ちょーっと向こうのアレ"をとりたいけど、自分で取るには遠く、人を呼ぶには迷惑がられるときにいい。ただし、常に自分の側に置いておくこと。その棒を取るのに人を呼ぶのは反則。1メートルくらいあれば、すわっている姿勢から立ち上がるときの杖にもなるので、便利。
しかし、上の子が我が家のように3歳前後だと、その棒は必ず、「魔女の宅急便」のキキの「魔法のほうき」になる。またがるだけではなく、なげる、ひきずる、釣り竿になり、刀になるのは時間の問題。ふりまわして、障子とふすまに穴をあけるので、御用心。ガラスを割らず、目をつくことがなければセーフである。
実際には、私は棒は使ってはいない。マサミツが、立てかけてあった破魔矢にまたがる(罰あたりめ!)のを見て、棒を使うのをあきらめた。
夫は涼しい顔で帰国して「いまどき、網戸のついてない家なんてあるのか?」と何気なく一言。そう言えば、マンションにはすべての戸に網戸がついている。一戸建ては?都会は?田舎は?川沿いは?海沿いは?山は?たぶんみんなついているだろう。網戸のない家というのは私の実家だけだったりして……と思いつつ、「ある、ある。」と答えておいた。
網戸がないことがどれほど重大問題だったか、夫にはピンとこないらしい。思い直してみれば、夫であれ、こどもであれ、親であれ、"ふたご"を産んだ人でなければ"ふたご"がお腹にいるときの不便さ、重さはわからないのだ。普通ならできることができなくなる。同じ妊婦でもお腹に"ひとり"と"ふたり"では、また話が違うので、できる範囲もまたせばまることを、周囲の人にわかってもらう努力をおこたらないことが大切だ。
不自由で、不便でどうしようもない身体でも、24時間の介護が必要な状態ではないので、自分ひとりで起きたり寝たり、食事をしたり、トイレ、シャワーもしなければならない。なるべくそれらが安全に、できるだけ簡単にできるように周囲の人に協力をしてもらい、知恵を出して上手く毎日を過ごすことが、"ふたご"の妊婦が動きづらくなる8ケ月くらいから出産間際まで求められることなのである。
"バリアフリー"という言葉も市民権を得つつある。車椅子に乗った美人の図書館司書と、腕のいいカッコイイ美容師さんとの恋物語も流行っていた。神様にお恵みをいただいた健康な女性だからこそ妊婦になったことに感謝をしながら、一時的な不自由の身で、暮らしている家の、住んでいる街のバリアフリーについて考えてもいいかもしれない。