『源氏物語』とニューメディア
接点と期待
河添房江

以下は、国文学研究資料館で1999年12月に開催された「第5回 シンポジウム コンピュータ国文学−21世紀の源氏物語研究−」の講演集(2000年8月刊行)より、私の講演録を転載したものです。
いま読み返してみると、情報として古くなっていることは確かですが、その修正は、「日本文学」の2001年4月号に掲載予定の「デジタル情報化時代の文学研究と大学教育」に譲りたいと思います。

1.ニューメディアとは

まず、ニューメディアの定義を明らかにしたい。ニューメディアとは、デジタル情報を基盤としたマルチメディアのなかでも、双方的なコミュニケーションシステムをもつハイパーメディアを指すと考える。さらにニューメディアは、CD−ROMやフロッピー、DVD−ROMなどパッケージ系のものと、インターネット、パソコン通信、CATV(ケーブルテレビ)やその他の携帯端末など、通信回線を使って配信されるものと、二つの形統がある(1)。ニューメディアが従来のマスメディアと違うのは、相互のコミュニケーションが可能であるという、いわゆるインタラクティブ性にその特徴があるところである。ニューメディアは、東京中心的な情報のギャップを埋めるという意味では地方の味方であり、また性差による情報ギャップを埋める可能性という意味では、女性の味方であるとも考える。日本近代文学会では、地方在住の会員がホームページを持つことが多いという現象が指摘されているが(2)、同様のことは中古文学の研究者にも該当するのではないか。

2.『源氏物語』との接点の現況

『源氏物語』とニューメディアの接点の現況ということでは、CD−ROM、インターネット、パソコン通信が中心となるだろう。今回のシンポジウムでは、『源氏物語』の三つのCD−ROMが中心であるが、その前にもすでに96年に富士通ソーシャルサイエンスラボラトリから、コンピューター・グラフックスを駆使して、一般向けに物語の内容やその背景を説明する『源氏物語CD−ROM 上下』が発売されていた。たとえば雅楽のコーナーでは音声や動画のデータなども含んでおり、まさにマルチメディアとしてのCD−ROMの強みを発揮していたのである(3)。

『源氏物語』のCD−ROMについては、しかし午後の講演に譲り、ここではインターネットと『源氏物語』との接点を中心に見ていきたい。現在では、インターネットが単なるコミュニケーション・ツールから、研究情報の知の源としてようやく整い始めたという感もある。研究用のコンテンツを流すものとしては、国立機関の電子図書館など画像データべースの存在を見逃すことがてきない。ここで参考にしたのは、アリアドネというホームページ(http://ariadne.ne.jp/ )の中の「日本語・日本文学」というサイト一覧である(4)。

大学図書館や博物館の電子図書館では、『源氏物語』や平安文学や美術関係の画像データベースを多く見ることができる。例えば「京都大学電子図書館」(http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/)は、『源氏物語』関係の資料でいえば、古写本の『源氏物語』をはじめ、『仙源抄』『紫明抄』『源氏小鏡』など注釈書や梗概書を画像データベースで見ることができ、その豊富さで一歩先を行く。奈良女子大学の附属図書館のホームページ(http://www.lib.nara-wu.ac.jp/nwugdb/)も、『伊勢物語』関係の資料、特に古注釈類が多く画像データベース化されており、充実しているところである。こうした画像データベースを私たちはパソコンの画面で見たり、あるいはそれをカラー印刷して見ることが可能である。電子図書館は、もともと93年、米国の情報スーパーハイウェイ構想のなかで提唱され、日本では通産省の主導で、国立機関の電子図書館プロジェクトが進んだ。私立大学でも青山学院大学や国学院大学、早稲田大学など電子図書館を始めたところもあり、これからますます増えていくと思われる。

それとはまた性格を異にするが、個人の研究室のホームページや研究所のホームページの存在も見落とすことができない。『源氏物語』のデータベースや共有するべき研究情報のコンテンツを流すものに、例えば、渋谷栄一氏「源氏物語の世界」(http://www.sainet.or.jp/ ̄eshibuya/)、伊藤鉄也氏「源氏物語電子資料館」(http://www.mahoroba.or.jp/ ̄genjiito/ )、伊井春樹氏の主宰する「日本文学データベース研究会」(http://ndk.let.osaka-u.ac.jp/ )がある。また、『源氏物語』の複合語彙検索ができる、上田英代氏「古典総合研究所」(http://www.genji.co.jp/ )や波平八郎氏「日本文学テキスト検索」(http://www.ics.meio-u.ac.jp/namihira/ )もある。さらに国文学研究資料館(http://www.nijl.ac.jp/)では岩波の旧版『日本古典文学大系』全般のデータベースが、『源氏物語』を含めて試験的に提供されている。

こうしたホームページは、『源氏物語』のデータベースや共有するべき情報を提供するというコンテンツであるが、もう少し若い世代の源氏研究者のホームページでは、研究者個人のショーウインドゥ的な色彩のものが多い。例えば、上原作和氏( http://www.asahi-net.or.jp/ ̄tu3s-uehr/index.html)、越野優子氏(http://member.nifty.ne.jp/computerature2/works.html )、原豊二氏(http://www.geocities.co.jp/Berkeley/5649/ )などである。ひとつには第一世代ともいうべき伊井春樹氏や伊藤鉄也氏や渋谷栄一氏の仕事があるので、第二世代である若手研究者たちは、そうした方向性を取らなくても済むということもあるかもしれない。その基本的なホームページの形は、プロフィール、研究業績、講義のシラバス、講義ノート、日記、関係するリンク集などで構成されているのが一般的である(5)。

また空前の源氏ブームを受けて、研究者のホームページばかりでなく、『源氏物語』の愛好者の草の根的なホームページとそのネットワークが激増している現象も指摘できるだろう。LYCOS Japan で『源氏物語』を検索すると、11284件という驚くべき数字が出る。源氏ブームのなかで大衆化した『源氏物語』が、老若男女にさまざまなホームペーシを開かせて、そのリンク化も進みつつある様子がうかがわれよう。99年5月には、読売新聞が「光の君ブレーク 源氏ホームページ続々」(5月29日夕刊)と報じて、アマチュア愛読者のホームページをいくつか紹介している。そして研究者のホームページと愛好者のホームページが相互にリンクを張るようになってきたのも、注目できる現象である。

一方、パソコン通信のフォーラムで『源氏物語』が取り上げられるということもある。ニフティでは「文学フォーラム」(FBUNGAKU)の12番目に、「源氏物語を味わう」という老舗の部屋がある。そこでは『源氏物語』の本文を、フォーラムの参加者が、登録形式で読み続けており、現在は行幸巻まで進んでいる。今日のインターネット社会に至る過程で、パソコン通信が果たした役割については、「人文学と情報処理」第22号などを参照されたいが(6)、ニフティの「文学フォーラム」(FBUNGAKU)も、一般の愛好者と専門の研究者の交流という点では同様な役割を果たしたといえるだろう。 

3.研究環境とニューメディアの変遷の歴史

源氏研究の側で進みつつあるニューメディア革命について見てきたが、以下、個人的な歴史を含めて、現在までのニューメディアをめぐる研究環境の変遷を簡単に振り返ってみたい。国文学の研究者の間ではワープロが便利な清書の機械ということで先に浸透していき、それがパソコンに移行していったという状況がある。その変化は、Eメールアドレスを持ち、インターネットに接続するという趨勢が促したといえよう。現在では、FORTRANやBASICなどのパソコン言語を知らなくても、様々に便利なソフトを使って、インターネットへの接続をはじめ、自在にパソコンを操ることができるようになった。

私自身は、ワープロの通信機能を使って、パソコン通信に接続するところから始めて、Eメールを使いだし、さらにインターネットへというふうに、ニューメディアとの関わりが広がっていった(7)。また勤務先が国立大学なので、学内LANの普及だけはいち早く行われ、研究室に学内LANの端末が引かれて、パソコンを接続さえすれば、大学の情報処理センターを通じてインターネットにつながるという便利なシステムが利用できるようになった。現在、Eメールアドレスを持つ人は増加しているが、今後は大学のホームページに研究室の案内を載せる形で、研究者のホームページがさらに増加すると思われる。

4.インターネットやパソコン通信で出来ること

以下、ニューメディアが研究にいかに資するかを、インターネットやパソコン通信を中心に見ていきたい。第一に、図書(古書をふくむ)や論文の検索や入手が、インターネットにより、いかに容易になったか、その点を挙げるべきだろう。国会図書館、OPAC、学術情報センター、国文学研究資料館、各出版社のホームページにより、空間や場所の制約をこえて図書や論文の検索や入手が可能になったのである。パソコン通信による情報提供サービスも、インターネットと重なるところが多いが、例えば、朝日新聞の過去の記事の有料データベース、あるいは国立国会図書館の有料データベース、日外アソシエーツの人物検索や図書検索など、有料の検索を使う時には便利である。私個人でいえば、これらの検索によって、論文の校正の際も直接図書館に赴く必要がなくなってきている。

また2で述べたように、『源氏物語』や『万葉集』その他の古典文学のインターネット上のデータベースにより語彙の複合検索まで行うことができ、研究に活かしていくこともできるようになった。

研究情報の収集という点では、メーリングリストやメールマガジンの配信も得るところが大きい。メールマガジンでは甲南女子大学の菊池真一氏が配信している「日本文学・テキスト情報」が、文学テクストのオンライン上のデータベース化の最新情報を伝えている。

インターネットでは、情報収集だけではなくて研究者間の空間的制約をこえた交流といった問題も大切な要素である。メーリングリストやホームページへの書き込み、フォーラムでの発言も、重要な交流の手段となる。特に便利なのは、海外の研究者とのEメールによる交流や情報交換で、時差の問題や電話代を気にせず、密なやりとりができるのが魅力である。少し前までは、海外の研究者とEメールのやりとりは、日本語に変換できるソフトを備えた大きな大学以外では、日本語のEメールを送っても文字化けしてしまうという難があったが、最近では個人でも日本語に変換するソフトを無料でダウンロードできるので、日本語のメールを簡単に受信・配信できるようになってきている。これも個人的な例だが、外国人研究生が本国に戻って博士論文を書く際にも、Eメールにより必要な指導を続けられるようになった。

また、インターネットによる共同研究(コラボレーション)についても、三人以上で一つの本を書くといった作業が格段にやり易くなってきている。Eメールで原稿を共同研究者に同時に送り、それに対して互いにコメントをしあい本を作っていく方法は、共同研究ばかりでなく、注釈書や現代語訳などを作る際にも効率的である。メールばかりか、チャットと呼ばれる、特定の人達の間で会議室を持ったり、電子掲示板やリアルタイム会議でコメントを付けあうという方法も可能である。海外の学者とも結んだ共同研究の促進が期待されるところである。

次に、雑誌や本の共同編集などでもインターネットは力を発揮する。例えば、三田村雅子氏・松井健児氏との共同編集で刊行している雑誌「源氏研究」でも、三人で編集の打ち合わせにEメールやEメールのFAX配信サービスをよく利用している。原稿依頼でも、出版社から依頼状の他に、個人的にEメールを送って、細やかなお願いをすることがある。海外研究者の論文の翻訳を載せる場合でも、Eメールによる著者や翻訳者とのやりとりは威力を発揮するのである。

また、出版社へ原稿を送る際には、まだテキストファイルのフロッピーとハードコピーを送るのが一般的だが、出版社によってはファイル添付つきのEメールの送信で許される場合も出てきている。私的な経験では、朝日新聞社などの新聞社関係の出版物はOKであり、小学館や中央公論新社など大手の出版社でも許されていると仄聞する。さらに、それが嵩じれば、オンラインでの出版や論文発表となるであろう。

研究会や学会の事務連絡でも、Eメールが使える研究者が多い会では、Eメールを使うと郵送料と手間が省けて便利である。米国の学会では、MAJLSのような日本文学専門の学会でも、学会の案内、発表者の募集、論文の募集はすべてメーリングリストを作り、Eメールで済ませている。

いま国内の研究者の公募も、学術情報センターのホームページに接続すれば、その研究者公募情報で知ることができる。それを眺めると、今日どのような分野で研究者が求められているか、学問の栄枯盛衰も一目瞭然である。

今後は、大学内での会議などの事務連絡も、学内LANの普及でEメールに取って代わられる。朝、大学に出勤したら、レターボックスから会議の案内の資料を取り出すのではなく、まずパソコンの電源を入れて、Eメールで事務情報を確認するという時代がすぐにやって来るのではないか。事務としては労力・時間・コスト全ての節減になるからである。

5.ニューメディアの落とし穴

以上のように、ニューメディア、特にインターネットの利用は様々な便益性があるが、そこに落とし穴がないのかといえば、嘘になる。よく言われることではあるが、インターネット上のデータベースであれば、その著作権の問題が常に大きくつきまとう。セキュリティやコストの問題も大きい。見ず知らずの人から、怪しげなメールが届いて、それを開けた途端にコンピュータウィルスが全部自分の持っていたデータを壊していくという自体もままありうる。あるいは、パソコンとそのソフトを買うというような負担のコストの問題もあるだろう。またしばしば言われるのが、人権問題、ネット上の誹謗中傷の問題である。

さらにインターネット上の情報は無報酬の場合が多いが、そうした情報提供というものに対して、私たちはいかに考えていくべきなのか。例えば、前に掲げたように、第一世代のホームページが提供しているものは、専門の研究者にとって得がたい情報がつまっているが、それが無料で提供されているという事実をどう捉えるかの問題である。

より基本的なところでは、オンラインと呼ばれる人々、つまりインターネットに接続している人々と接続していないオフラインの人々の格差をどのように考えるべきなのか。これが最も根の深い問題かもしれない。日本のオンライン人口より、国文学の研究者ではデータ的にもっと下まわるかもしれないからである。

また、ハイテクとハイタッチによる情報の格差という問題もある。ハイテクノロジーによって得られる情報と、例えば研究会の二次会のような飲み会に出て、そこで交わされるハイタッチな情報交換では、おのずと情報の質の差が出現するのは止むをえないであろう。

さらに、膨大な情報の中から、自分の必要な研究情報をいかに摂取するかも、問題である。例えば、データベースで検索したときに、ありがちな事態として、データが何千件も出てきてしまうということがあるだろう。国語学の方で、修士論文で7000件以上のデータを集めたが、その為にかえって分析不可能となり、考察が殆ど付けられず、結局その修士論文は落ちてしまった、というエピソードを聞いたことがある。人間の情報処理能力というのはせいぜい1000件や2000件止まりのもので、それ以上を超えたデータを集めると分析不能に陥ってしまうわけである。

以下では、研究におけるニューメディアの落とし穴に焦点をしぼるが、ホームページに発表された論文を業績としてどう評価するか、という問題もある。例えばこうしたケースはどうだろうか。同じ時期に同じようなテーマで雑誌や論文集など紙のメディアの発表された論文と、ホームページに発表された論文は、どちらに研究としてのプライオリティーがあるのか。そうした問題も含めて、ホームページに載せた論文をどう業績として評価するかということが、今後の大きな問題になってくるのではないか。特に日進月歩の『源氏』研究の世界では、ホームページと活字化された論文の先後関係を争う事態が起こってくる可能性も大いにありうるのである。

さらに、インターネットをはじめニューメディアを使っても、研究の質がとれだけ変貌するのかという問題もあるだろう。情報検索を使った研究は最短距離を行くので、非常に能率的ではあるけれども、だからといって、例えば、複合検索を従来の本の形になった索引類で行った場合とでは、どれだけ研究の質的差異が出てくるだろうか。

米国では既に、研究者の業績がすべてホームページに載るというガラス張りの状況があって、研究の量が質を駆逐する傾向が出ているという。それは日本でもこれから起こり得る事態だろう。つまり沢山の論文を書いている研究者の方がより評価が高くなる、という現象である。米国の場合、テニアという厳しい制度があり、例えば、学会で発表したり論文化したものを、講演で話すときには、全く違う題にして、それを別の業績のように見せてホームページに載せてしまうということも、しばしばあると仄聞する。

その問題は、ニューメディアが研究・教育環境の縛りを強化するという問題とも関わっている。少子化による大学間の競争の激化という状況にあって、どれだけ研究をしているのか、あるいは教育をしているのか、その量的蓄積をホームページで公開しなくてはならない体制になっていくだろう。逆にホームページで研究や教育の内容を公開しないと、研究者としては埋没してしまう危険性も出てくるわけである。

6.ニューメディアへの期待

このようにインターネット社会の未来は、研究者としても必ずしも楽観視できないが、以下では、これからのニューメディア革命に期待する点に言及して、まとめとしたい。まず最初に、論文データベースへの期待ということがある。たとえば国文学研究資料館の論文検索のデータベースは便利だが、その論文を読もうとすると、結局のところ資料館に行かなくてはならない、という不便さもつきまとう。有料でもよいので、論文を検索できたなら、そのままその論文をダウンロードできるようなシステムが望ましいし、それが期待されるところでもある。これは、簡単に行くことではないが、たとえば研究者が論文を発表したら、別にテキストファイル形式のフロッピーや、ファイル添付のEメールにして資料館に送るといったシステムは考えられないだろうか。今日、大学のホームページに紀要論文を掲載することは、多くの大学が考えはじめていることであり、その方向での論文データベース化は進行していくであろう。各出版社のホームページなどでも、本や雑誌の一部を、お試し版として公開することも始まりつつある。論文データベースも、国文学研究資料館や学術情報センター、国立国会図書館あたりが中心になって進展していけば、と誰しも思うところであろう。その前段階として、せめて論文検索をしたら、そのままインターネットで複写請求できるようなシステムを作っていただけると有り難い(9)。

また、ニューメディアはマルチメディアなので、その画像・音声・動画の利用ということでは様々な可能性を秘めている。インターネットを利用して、通信教育のシステムを整備していく、ということも考えられるだろう。大学に所属しなくても、インターネット上の通信教育で大学の講義を受けられるという制度である。既に村井純氏の主催するSOIというプロジェクトでは(10)、講義題目がいろいろ用意されて、それをクリックすると講義が聴け、レポートも提出して単位ももらえるというシステムが、無料で試験的に行われている。

昨年10月に関西の帝塚山学院大、甲南大、関西学院大、関東の成蹊大と武蔵大の計五大学は、2000年から共同でインターネットを利用した教育サービスを展開すると発表した(10)。各大学が教育コンテンツを共有し、9月から講義を一般に無料公開するという。東京大学のホームページでも、大学の研究や教育をインターネットで公開するデジタル・ユニバーシティというアイディアが示されている(12)。私立大学では少子化による競争の激化、国立大学では独立行政法人化と絡む問題であろうが、他の大学にも影響を与えて、こうした動きが徐々に拡大すると予想される(13)。また、学会や講演もインターネットで中継する動きが今後ますます広まっていくだろう。

さらに、画像データベースや音声データベースの進展も期待されるところである。インターネットやCD−ROMは、書かれた文字ばかりか、画像や音声や動画も、その相互浸透もすべて互角のテクストという認識を強化していくはずである。2で述べたように、画像データベースは国立大学の電子図書館構想とも連動して、急速に増加している。これからは『源氏』研究はもとより他の分野でも画像データベースを利用した研究が盛んになるだろう。画像データベースの利点は、いうまでもなく時間と空間の制約を飛びこえられる点と、所有者にいちいち許可を得る必要がない点である。画像データベースは今後さらに画像の鮮明化が進むことによって、本文研究や校異を作る際に資するところ大となろう。

またニューメディアでは、画像だけではなくて音声も自在にとりこめるので、雅楽の復元など音声データベースの増加も期待される。『源氏物語』の最近の研究傾向としては、文化的な背景へのアプローチが盛んになってきている(14)。こうした研究状況のなかで、増加する画像データベースや音声データベースの利用により、『源氏』の文化的な側面の研究がますます進展していくことが期待される。

次にニューメディア革命がもたらすものとして、オンライン・ジャーナルの可能性を挙げておきたい。たとえば日本教育社会学会では、潮木守一氏により、会員が各自のホームページに自分の論文を載せてリンクを張り、オンライン・ジャーナルを立ち上げるという提言がなされている(15)。氏に拠れば、オンライン・ジャーナルのメリットとしては、論文の枚数制限がなく、図・写真・音声までも資料として付けられることであるという。たしかにオンライン・ジャーナルは、今日の出版状況の悪化に対しても、低コストで学術研究の発表の場を確保するというメリットもある。学会誌や研究会の同人誌の刊行は、出版社でも二の足を踏むところが多いので、オンライン・ジャーナルには向いているかもしれない。

しかし、オンライン・ジャーナルには問題点もないわけではない。まずオンラインで発表された論文が、研究業績として正当に評価される状況が来ない限り、誰しも二の足を踏むだろう。また潮木氏に拠れば、各自が勝手にホームページに論文を載せた場合、ノンレフリーになり、論文の洪水状態も起こりかねない。もっとも、これは改善の余地があり、レフリーをつけて、審査を通ったものだけホームページに載せる方法をとれば、問題は解消されるだろう。また、インターネット上の論文は、他者により改竄や剽窃が簡単に行われやすいという欠点もよく指摘される。人が発表した論文を勝手にダウンロードして、それを適当にアレンジして、あたかも自分の論文のごとく別の場所で発表してしまう事態も起こりかねないのである。そうした課題もあるが、しかし将来的にはオンライン・ジャーナルの試みは増えていくことが予想される。

最後に、今回の講演でもっとも強調したいことが、以下の点である。国文学という学問自体が、いま大変揺れ動き、国文学科は縮小や廃止・再編の嵐に見舞われている(16)。そうした状況下で、例えばメーリングリストなどにより、研究情報ばかりでなく、それぞれの大学が国文学科あるいはコースをどのように再編していったか、その情報が流れるシステムを作ると良いのではないか。改組・縮小の嵐のなかで、上からの情報ではなくて、横からの情報によって、国文学という学問の枠組みが活きてくるような改革の方法も学びうるのではないか。

現在の国文学の状況は、解釈共同体というべき研究会や学閥により、研究の方法や解釈の仕方にしても、ある共通理解の上に成り立っているように思われる。今後のデジタル・コミュニケーションの普及は、むしろ解釈共同体の枠を壊して、情報共同体ともいうべき時代をもたらすのではないか。急速に進むニューメディア革命は、源氏研究者の思考や感性の枠組みにも組み替えをもたらしていくはずである。インターネットをはじめ、さまざまなニューメディアを通して、ある種の解釈共同体をこえた別の情報共同体ができる可能性があるのである。

もとより、それは良くも悪くも、の意味でもあり、解釈共同体の枠組みが崩れたからといって、もっと始末の悪い情報共同体の時代が到来するかもしれない。あるいは今までの解釈共同体の限界をこえた情報共同体ができる可能性もあるということだろう。その為には、どのように先の時代を見通し、しかるべき思想なりコンセンサスなりガイドラインを作っていくか、ひとえにそれにかかっていると思われる。国文学という学問の枠組みのなかでも、そうしたガイドラインなり思想を養って、よりよき情報共同体の構築を目指していくべきだと考える。今回の講演が、そうした情報共同体の時代に向けての、一つの提言ともなれば幸いである。


(1)榎本正樹「マルチメディアと文学」(『文学するコンピュータ』彩流社、1998)、同『電子文学論』(彩流社、1993)も参照。

(2)木村功・信時哲郎「近代文学研究に関するインターネットのインフラ整備を」(「日本近代文学研究」第59集、1998・10)

(3)富士通版のCD−ROMの内容については、『源氏研究 2』(翰林書房、1997)のインターセクションでの小山利彦氏の紹介を参照されたい。

(4)これについては、アリアドネ編『思考のためのインターネット』(ちくま新書、1999)でも見ることができるが、資料として配布したものは、アリアドネのホームページに載せてあるものを、主宰する二木麻里氏の許可を得てダウンロードしたものである。この一覧表の方が、ちくま新書より詳細なものになっている。

(5)もっとも上原氏のホームページのリンク集は、国文学関係の研究機関や平安文学研究者のホームページが網羅された充実したもので、研究情報のコンテンツとしても有り難い。

(6)「人文学と情報処理」第22号(1999・7)では、「日本史研究の情報化」という特集を組み、ニフティの「歴史フォーラム」(FREKI) やパティオが果たした役割にも言及する。ほぼ同様の役割を「文学フォーラム」についても考えてよいのではないか。

(7)本講演後に、筆者も簡単なホームページを開設した(http://hompage1.nifty.com/fusae/)。

(8)99年9月には『週刊光源氏 総集編』の新装版が刊刊された。

(9)国立国会図書館では、今春からホームページに「電子図書館」のコーナーを設けて、図書の書誌情報データベースを提供しはじめた。また2002年を目標に、雑誌記事をデータベース化し、インターネットを通じて複写資料を請求する手続きも検討しているとのことである。

(10)『インターネットII』(岩波新書、1998)

(11)日本経済新聞99年10月18日朝刊

(12)「学内広報」No.1172 (1999.10.19)の「東京大学の経営に関する懇談会最終報告」に拠れば、総合研究博物館のデジタル・ミュージアムを基礎に、画像、文字、音声情報を高次に統合しもデザインした情報の発信を行うことが考えられるという。

(13)その後、今年の1月26日には、三重大と三重県立看護大、岩手県立大、東京大学社会情報研究所、米ノースカロライナ大が共同で、ネットを使った遠隔授業や公開討論会による交流を2月から始めると発表した(日本経済新聞1月26日夕刊)。さらに、早稲田大学と横河電機も、提携により新会社を設立して、四月から社会人向けに、文学や歴史の教養講座をインターネットにより配信するサービスを開始するという(日本経済新聞2月19日夕刊)。

(14)例えば、99年11月に出た『週刊朝日百科』の「世界の文学24 源氏物語」は、『源氏物語』のなかの文化的側面、あるいは『源氏物語』を享受する後の時代の文化史をたどる構成で、今日の『源氏』研究の流行を象徴している。

(15)潮木守一「オンライン・ジャーナルの可能性と課題」(岡本真編集発行「ACADEMIC RESOUCE GUIDE」第38号、1999-08-25)参照。

(16)中西進「学会の未来に向けて」(「文学・語学」164号、99・10)。また「日本文学」誌上の子午線欄でも、しばしば国文学の将来を憂う発言が続いている。

(補記)上記のほか、上原作和・後藤祥子・近藤泰弘・近藤みゆき・根岸泰子・原豊二・山口仲美・依田富子の各氏から、さまざまな情報や教示を受けたことを記して感謝したい。