源氏ブームこの一年



河添 房江

 以下の文章は、源氏ブームについて寄稿を求められ、2000年12月25日の読売新聞夕刊の関西版に掲載された文章である。いまだに不可思議な源氏ブームが続いて、コメントを求められることもしばしばなので、遅ればせながらUPした次第である

 今年の源氏ブームには、年明けから、紫式部が物語を著して千年、というキッチフレーズが常について回った。『源氏物語』はミレニアムの文学として言挙げされ、ジャーナリズムをはじめ、様々なメディアで持てはやされ続けた。年頭から各新聞は競って、この物語がらみで千年紀の歴史を捉えなおす企画を打ち出した。それが軌道に乗った頃には、演劇界での源氏ブームである。東の歌舞伎座が五月に「源氏物語」を上演すれば、西の宝塚も負けじと「あさきゆめみし」を歌劇化し、これまでにない観客層を掘り起こした。

 そして、源氏ブームをピークに押し上げたのが、七月の二千円札発行であったことは言うまでもない。国宝「源氏物語絵巻」の図柄については、日本文化の伝統を沖縄サミットの参加国にアピールするため、外国でもよく知られた物語の権威を利用するという政治的意図が問題にされた。光源氏と不義の子冷泉院との対面の図を、「あたりさわりのない絵」とみるのも、源氏研究者にとって実は少なからぬ抵抗がある。しかし沖縄サミットを意識しての図柄であるならば、鈴虫巻の選択もなるほどと思う理由がある。それは、現存する国宝絵巻のなかで唯一、男性集団で構成され、その交歓を描くホモソーシャルな絵だからだ。図柄では二人が焦点化されたが、そこにはサミットに集う各国の首脳たちというのアナロジーも看てとれるのではないか。

 紙幣にこうした図柄を選ぶ男読みの発想は、なにも今に始まったことではない。男性達の交歓の場面を描いた源氏絵は、室町期には公家との連帯を求める武家からの恰好の贈答品だった。さらにいえば、足利義満・豊臣秀吉・徳川家康も、自己の権力簒奪の正当性を『源氏物語』に求めた歴史がある。この男読みの欲望の系譜は、『更級日記』の作者から、現在の瀬戸内寂聴に至るまでの女読みの歴史と響きあいながら、『源氏物語』を日本文化のカノン(正典)として、しぶとく延命させていった原動力でもあった。

 それにしても、平成の紫式部(二千円札)は、景気回復の決定打にはなり損ねたらしい。御簾にこもるがごとく、各家庭の引き出しの奥か、日銀の金庫に鎮座まします結果になったからである。同じ頃、女性雑誌から流行りはじめた源氏占いは、個性化や多様化とよばれる時代にあっても、なお自分の個性のルーツを高貴な登場人物に見出したい、という若い女性達の潜在的な欲望をあぶり出した。それは案外、古典に生き方の規範を求めるという、いつの時代にもあった意識の平成バージョンなのかもしれない。

 秋には、講談社ウェブの「源氏大学コム」での、瀬戸内源氏のオンデマンド出版も始まった。インターネット上での源氏人気も急上昇中で、源氏愛好者や研究者のホームページも雨後の筍状態である。もはや既存のメディアとニューメディアを超えたメディア・ミックスで、大衆化した情報と専門的な情報が錯綜しながら、増え続けている。

 九七年からの終わりそうで終わらない源氏ブームも、今年は政治的に利用され、その商品化にも一段と拍車がかかった気がする。しかし便乗商法や大衆化したイベントや情報だけでは、作品の真価の浸透には繋がらない。ブームの余恵というべきか、良質な源氏研究の書籍が多く出版された年でもあった。それらを糧に、今後の源氏享受と研究のあり方がいま真剣に問い直されなければ、新世紀の源氏文化が実あるものになるとも思われない。

 それにしてもブームの加熱は、現実逃避と生き方の規範の両極をもとめて彷徨する、世紀末の不安な人々の心理を象徴するのだろうか。国際化や情報化の嵐のなかで、先行き不透明感を癒して、自信を回復するよすがなのだろうか。

 来年秋には、アーサー・ウエリーやサイデンステッカーの英訳に続く、ロイヤル・タイラーの第三の英訳が、ペンギン・グループに収められ、世界を駆けめぐることになる。新世紀最初の年は、『源氏物語』の存在が世界にさらに強く発信された年として記憶されるかもしれない。二十一世紀の『源氏物語』は、どこへ行き着くのか。人々の欲望を映し出してきたメディアとしての千年の歴史をくり返すにしても、この作品の真価が新世紀にも再発見されていくことを願わずにはいられない。