河添 房江

 以下の文章は、平成12年度全国大学国語国文学会春季大会シンポジウムへの感想を求められて「文学・語学」168号(2000年12月)に寄稿したものである。

二十世紀の国語国文学研究に関わってきた私たちが、今日、ある種の閉塞感に陥っていることは間違いないところであろう。大学・短大の国文学科は、改組や縮小や消滅の嵐に見舞われ、従来の学問の枠組じたいも空洞化し、その意義が問い直されている。情報リテラシー教育の必要性が叫ばれるならば、前提にある日本語のリテラシー教育の重要性が再認識されてもよいと思うが、実益志向に結びつきにくい学科の人気は下がる一方である。いよいよ二十一世紀を迎えるなかで、大学の未来は、そして冬の時代と呼ばれる国語国文学研究の希望は、どこに見い出すことができるのか。タイムリーに開かれた全国大学国語国文学会のシンポジウム「変革期を迎えた大学と国語国文学研究」に私もまた期待し、切実な思いをいだいて参集した一人であった。

前半では、阿部國学院大学学長と基調講演の有馬朗人氏が、ともに大学のユニバーサル時代にあった教育と研究を、と提唱された点がまず印象に残った。二十一世紀の日本の大学は、もはやヨーロッパ型の少数精鋭のエリート教育をモデルとする時代から、アメリカ型のユニバーサルな大学へと転換を大きく迫られている。両氏が、グローバル・スタンダード、国際的競争力という観点から「フルタイムの研究・教育」(阿部氏)、アメリカン・スタイルの「七割の教育、三割の研究」「外部評価」「リベラル・アーツの重視」(有馬氏)を提唱されたのも頷ける。二十一世紀は、日本の大学をアメリカ型の市場原理の強く働く機関へとさらに再編していくだろう。個人的には新世紀のバーチャル・ユニバーシティの行方に注目しているが、まさにそこにある問題も、SCSやインターネットを使った遠隔地教育の24時間体制、グローバル・スタンダードによる国を越えた単位互換制度なのである。

次に基調講演で、有馬氏が「資料の電子化」を挙げられたのは、国語国文学研究にもっと情報化の要素を取り入れるように、との提案であろう。すでに国文学研究資料館をはじめ、研究機関や個人の研究者間でも、資料のデータベース化は急速に進みつつある。シンポジウムで仁平道明氏が東北大学での漱石文庫のデジタル化に言及されたように、最近では国立機関の電子図書館の充実と、それに刺激を受けた私立大学の電子図書館の隆盛も注目される。さらに、早稲田大学で進行しているように、文学部の教育・研究こそデジタル化に相応しいという逆転の発想もある(松岡一郎『早稲田大学デジタル革命』アルク出版、二〇〇〇)。

また有馬氏が最後に挙げられた「外国の研究者との協力」とは、要するに国語国文学研究における国際化をいかに図るかである。それは、何も外国人研究者や留学生の受け入れというレベルにとどまらない。研究の国際化は、情報化とも絡まって、むしろインターネットによる海外の研究者とのコラボレーション(共同研究)という形で別の展開も見せている。

続くシンポジウムでは、井出祥子氏が最後に「時代別とジャンル別」ではない日本文学研究、もっと普遍的な研究へのパラダイム・シフトを提言されたのが印象的であった。実は私は昨年夏に短期間ながらソウルに行き、韓国外国語大学での「日本古典研究会」という集いに参加した。若手中心の二十数人ばかりの日本文学研究者の集まりであったが、そこで深い感銘を受けたのは、司会の金鐘徳氏が、自己紹介をする時に、自分の専門と同時に、いま一番関心を持っているテーマを話しましょう、と提案した時であった。彼らは、型通りに「時代別とジャンル別」の研究テーマを告げた後、それとは関係なく「古代日本の他界観」「日本と韓国の昔話の比較研究」「韓国と日本の古代歌謡」「日本の自然観」「日本文学と死」といったテーマを生き生きと語ったのである。日本の研究者養成系の大学院で国文学の教育を受けた彼らが本国に戻り、韓国人の研究者としてのアイデンティティに関わる形で、別のテーマに興味をもったことは、まことに印象深いものがあった。

やはりシンポジウムの小森陽一氏の発言でも、外国人留学生を指導する時のスタンスを述べられた部分が、最も興味深かった。そこでは、まさに日本(語)文学研究が国際的競争力をもつとはいかなることか、グローバル・スタンダードの核心が語られていたと思う。小森氏の日本語−日本人−日本文学の三位一体の欺瞞性を暴く発言も興味深かったが、聴衆の一人としては、その起源や歴史、現段階へのカルチュラル・スタディーズ風な批判よりも、新時代をつむぐ具体的な提言に、より大きな期待を寄せていたからである。

さて、話をソウルの研究会に戻すと、若手研究者たちから、さまざまな韓日の比較文化的なテーマを告げられた私は、国文学の困難な時代に、日本の研究者たちも、次第にそうした普遍的、比較文化的なテーマを専門とするようになるだろうと応じた。私も平安の物語文学の研究者としてばかりでなく、「日本文学における──」のテーマの研究者として名乗りを上げる日もそう遠いことではないから、その時はインターネットを使ってコラボレーションをしましょう、と話を結んだのである。ちなみに、彼らはインターネットを介した研究情報の収集にも熱心で、私が開いている簡単なHPでさえもかなりの人が見ていて、そこから初対面とは思えないほど話も弾んだのである。まさに研究の国際化と情報化は、連動しながら進行していると実感された一時でもあった。

くり返すように、国立大学の独立法人化や少子化による大学間の競争の激化は、グローバル・スタンダードへの要求と相俟って、日本の大学をアメリカ型の競争原理の強く働く機関へと再編していくだろう。急速に進むデジタル情報化の流れは、そうした大学改革の動きとも連動して、個々の研究や教育環境を否も応もなく縛りつつある。国語国文学研究や教育も例外ではありえず、デジタル情報として公開され、商品化されていく趨勢は避けられないだろう。しかし情報化時代は、上からの改革ばかりでなく、従来とは違った地球規模のコミュニケーションとコラボレーションのスタイルを生み出していくはずである。そこには、絶望だけでなく、いくつかの希望も残されている、とやはり信じたい。