ギリシャ

トルコと国境を接するヨーロッパの国はギリシャ、ブルガリアである。ギリシャには特別な興味はなかったが、とりあえずトルコの隣の国であるから一歩でも踏み入れてみようということである。また、ヨーロッパ人が一目おくというギリシャ人はどういう暮らしをしているのか見たい気持ちもあった。


アレクサンドロポリス 

トルコからギリシャに入国して印象的なのは、人種と言語が違うこと、走る車・バイクが欧州車・日本車が多くなること、そして建物の特徴である。トルコに比べると市街地の街並みは家壁が白く清潔感があって美しい

 

    アレクサンドロポリスの街   



ブルガリア  

ギリシャと国境を接するブルガリアはベルリンの壁が崩壊するまでは、国境の警備はことさらに厳重であったことを聞いていた。いまはそれはない。ただ、パスポートチェックの際にグリーンカード(自動車保険)のチェックがある。持っていないとブルガリア国内だけ有効のグリーンカードを買わされる。国に入ってすぐ国があまり豊かでないことは実感できる。

 

プロヴィフの街角                レストランのおねーさん

 日本ではブルガリアといえばヨーグルトが有名のようだが、ブルガリアでそれを言ってもあまり喜ばれない。ブルガリアはビール、ウイスキー、ワイン、ブランデーがとっても旨い、そしてとても安い。そのことを話すとブルガリア人は気を良くする。

プロヴィフ 

  南部の街プロヴィフはヨーロッパ最古の町といわれているほどの歴史をもっている。街の広場の一角に露店のバザールがあったので覗いてみた。品物の種類は多くはなく、質も良くない。雑貨が主体である。伝え聞くロシアの野外バザールのようである。ブルガリアはキリル文字、飛び交うロシア語風の言葉(ダー、二エット)、透き通るように白い美少女、醜く太った中年女を見ることでスラブ系の国であることを実感する。プロヴィフの街はしっとりとしてなかなか好感がもてた。

ソフィア

 ソフィアはブルガリアの首都。東欧の大きな都市の中心部の街並みは旧ソ連支配時代のいかにも洗練されていない建物と古くからの街並、それにロシア正教の教会が入り混じって特徴的である。旧体制の名残は非能率的な仕事の流れに見ることができる。要するに融通がきかない硬直したやり方でいまだにそれを変えようとしないのである。

 話は全然変わるがトルコとブルガリアでは犬に追いかけられて肝を冷やした。犬は放し飼いなので困ってしまう。身につけているのは皮ジャン、皮パンだから噛まれても平気なのに、つい急いで逃げ場を探す。そのため他の車とぶつかりそうになる。そういえば2度ともシェパード系の犬であった。他にも聞いた話であるが仲良しにしていた犬に皮ジャンを着たとたん噛まれたという。シェパードは皮製品の服がが嫌いなのだろうか。ブルガリアの通貨は隣のユーゴへ行くとゴミ同然。使いきらずに少し持ったまま入国してしまったが、これだったら残りの金で全部酒を買ってユーゴに入ればよかったと後悔。腐るものでもないしなおさらだった・・。

    

  ソフィアへの道




 ユーゴスラビア 

 ブルガリアのソフィアで日本人二人に会った。彼らは別々に来ていたが、聞くと東欧フリークの人のようだ。パックツアーの日本人とは印象が全然違う。韓国か中国系の人かと思った。もっとも風貌がそのように見えたせいもあるが…。彼らの話によるとコソボはマケドニアから入国でき、問題がないそうだ。ただしユーゴからは入国できないとのこと。マケドニアはいいところがたくさんあるそうである。こういう話をしていると尽きないし、ついその話の出た場所に行ってみたくもなる。ユーゴの通貨はあるが使われている主要流通通貨はドイツ・マルクである。ドイツ・マルクは東欧では絶大である。

   

 ユーゴ国境まで13km

 

 クルド人の問題でもふれたが民族問題は難しいし、日本人には理解できない部分がたくさんある。先の日本人二人の話によるとクロアチア人とセルビア人は同じ言語を話すし、外見上の人種の違いはない。列車の中などで同席して打ち解けてもお互いの素性がわかると、とたんに互いに見えない溝を感じるというのだという。もっと混乱するのはそれぞれの主張を聞くたびに、またそれぞれの主張がもっともだと感ずることだ。

ニス

  ブルガリアからユーゴに入国したときの最初の大きな都市がニスである。ニスはユーゴのサッカー選手ストイコビッチの生まれた場所だと国境のセルビア人が教えてくれた。ニスからはコソボまでは3時間くらいで行くことができるが、今は不可能である。ユーゴ紛争が地上戦になった場合は地の利でNATOが苦戦するといわれていたが、それが理解できる。平地が少なく、町から町へはは山間の峠をいくつも越えなくてはならないからである。ストイコビッチは現在でもセルビア人のヒーローである。

ベオグラード 

 旧ユーゴの時代からベオグラードは東欧の都市のなかでも洗練されていた街だという評判がある。たしかに中心部の街並みも垢抜けていて他の東欧の街の印象とは違う。NATO空爆のあとの修復も進んでいたが、まだその傷跡を見ることができる。ベオグラード周辺の住宅地域もユーゴの他の都市と比べると整然とした印象である。道路標識にザグレブ(クロアチアの首都)の表示があったので、街の人にクロアチアに行けるのか聞いてみた。問題なく行けるとの返事が返ってきた。

ノヴィサド

   ハンガリーに程近い北部ユーゴにノヴィサドがある。ここもヨーロッパの歴史を感じさせる 程よい大きさの街である。ホテルの人にユーゴ紛争、NATO空爆、コソボ問題を聞いてみた。彼はNATO空爆のときは対空防衛隊にいて対空機関砲をメクラ撃ちしたそうだ。NATO空爆はノヴィサドも例外ではなく、郊外の橋が破壊されたと言って、その破壊された写真の絵葉書をくれた。コソボ問題になると急に表情を変え怒り出した。

 

ユーゴ北部の都市 ノヴィサド

 

 

ハンガリー

ブダペスト

 

ユネスコの世界遺産に登録されているブダペスト市内の景観 ドナウ川と議事堂

 

 

 泊まったユースホステルのブダペスト市内    この界隈は大二次世界大戦以前の建物が多い。その傷跡も…・


オーストリア

 ハンガリー国境を越え、オーストリアに入国してまず気のつくことは、映る景色が急にキレイに感じること、そして走る車・バイクの種類が変わってくることである。車・バイクはそれまでに見られなかった日本車が格段に多くなる。バイクにしてもそれまで皆無といえる程だった日本製の大型のバイクが主流になる。まるで日本国内を走っているような錯覚を覚える。これはとりもなおさず、オーストリアが経済的に豊かであることの証左である。反面、物価が急に高くなる。

       

チェルシー地方

 オーストリアの景色の素晴らしさは 意図的な「景観つくり」が感ぜられる。それが市街地であろうと、郊外であろうと、山奥であろうと徹底している。これはなかなか真似のできないことである。どこに行っても飽きさせない。郊外にある「民宿」ガストフは値段も比較的にリーズナブルで料理が旨いし、部屋の居心地も中級ホテルと変わらない。  

 

ザルツブルグ郊外             ガストフは郊外にあるオーストリアの民宿



ドイツ

 オーストリアとドイツの国境通過に際しては何らの検問もないし、チェックポイントすら見当たらなかった。これは欧州全般に言えるようだ。これが所謂EUの思想なのかもしれない。ドイツの良さを感ずるのは田舎の街である。 たまたま訪れた イドシュタインは日本のガイドブックにものっていない小さな街である。歩いてまわれる範囲の小ささであるが、中世の時代の街並みが保存されている。こういう町はドイツ国内にはたくさんある。日本人はもちろん皆無.。

   

  北西部の町 イドシュタイン

  


 「
アウトバーン」と聞くと日本では速度無制限の高速道路のように何か特別な響きをもって聞こえるが、これが網の目のように国の中を網羅しているドイツでは、普通の道であるのがアウトバーンである。   一桁の番号(1〜9号線)のアウトバーンは幹線道路、二桁の番号のアウトバーンはローカル道路のような気がする。ローカルのアウトバーンは片側2車線で120km/h規制のようである。速度無制限区間は一桁ナンバーのアウトバーンにみられた。片側3車線で通常は130km/h 制限であるが、区間・時間帯によって解除指定があるのだ。これが速度無制限の実態である。アウトバーンかっ飛ばし王者の主役はなんとドイツ人の乗る日本製大型バイクである。隣の追い越し車線をおよそ100km/h の速度差で前車を蹴散らしていくシーンを見ると、日本で不遇をかこっているバイク乗りとして思わず溜飲の下がる思いがする。かっ飛ばしのライダーは中年域のそこそこの地位にある人が多い。分別のある社会的地位もある男がバイクに乗るからバイクは社会的にも認知される。だから300km/h で走ろうが人々は目くじらをたてることはないのである。バイクがガキの玩具としか思われていない日本とは大違いである。

 

アウトバーンの王者は日本のバイク           オルデンブルグのホテルのオーナーはバイクフリーク

 アウトバーンの駐車場で そのアウトバーンの王者をつかまえた。やはり中年のコンピューターエンジニアであった。愛車はスズキの「隼(最高速度300km/hを越える大型バイク)」で彼は隼はオレの宝物だと言う。思わずアウトバーンで隼を全開で飛ばせるドイツ人が羨ましい、と言ったら気の毒そうな顔をしてくれた。



ベルギー

  

アントワープの隣町ターンハウト            駐車場で見たフランスホンダ製のバイク

 ドイツからベルギー入国も国境の存在は道路を走っていても気がつかないほどである。ただそれらしき標識があらわれてくるのと、住宅の様式が微妙に違って感じられるだけである。国の違いを実感するのはやはり通貨である。注意しなければならないのは ドイツマルクほかヨーロッパの主要通貨はどこの国でも通用するが、紙幣だけであると考えたほうが良い。硬貨は断られる。これは高額の硬貨でも同じ。現地以外の国の紙幣を使うとお釣りは現地のお金で返ってくる。数日単位でヨーロッパの国々を移動する場合はクレジットカードが一番である。ただ小額のものを買ったりすることや、カードの使えない店もあるので千円程度の最低限の両替は必要である。

 


オランダ

 


 おそろしく全土が平坦な国である。変な話だが、山・丘の存在がいかに風景にコントラストを与える存在なのかがオランダにくればそれが実感できる。ただ、それを補う役目?に水路がある。いまや観光のシンボルとしてしか用のなくなった風車は、風のさえぎるもののない平坦な国であることを物語る。平坦さの地の利?として自転車の数も多いし、自転車通行の道路整備も日本より格段に良い。

  



 

 

デンマーク 

 日本より国土が狭く、しかも高緯度にあるのに農業国であることが不思議に思っていた。その理由はこの国に来て納得できた。農家が少ないのである。一軒当たりの耕地がとてつもなく広いのである。どこかの国の稲作農家のように隣の農家に石を投げて届くような状態ではない。土地の有効利用もはかられているのも素人目でもわかる。どこかの国のような塩漬けされている遊休地や休耕地の存在は、この国には無縁のように見える。デンマークの農業は常識的なことを普通にやっているとしか思えないのだ。

 デンマークには都市が大小の島に点在しているのが特徴である。首都コペンハーゲンもシェラン島にある。ヒューン島とシェラン島をつなぐ橋は20kmもある壮大なものである。デンマークのシェラン島とスェーデン本土を結ぶこれまた壮大な橋は今年完成したが、車の通行はまだのようである。

 

 

シェラン島をつなぐ20kmもある長大な橋        フェリーで30分、スェーデンは対岸



スエーデン

 対岸のデンマーク側からスェーデン・ヘルシンボウィまでフェリーで30分もかからない。船の便も30分おきに頻繁である。まるで道路の延長のような感である。地図上でも航路表示ではなく海峡上を点線の道路に記してあった。同じ緯度上でも海を挟むと気候が激変する。寒いのだ。スエーデンの景色をキーワード的に表現すると 山・湖沼・森林・・となる。どこへ移動しても森林の風景は途切れることがない。道を走っていて気のつくのはキャンピングカーの多さである。ヨーロッパに入ってキャンピングカーが多いと思ったが、さらに多く目につくのである。一家に一台は持っているのでないかと感じさせるほどである。キャンプ場の整備も行き届いている。驚いたのはキャンプの装備である。大型のキャンピングカー+テントであるが、そのまたテントがデカイのである。一軒家の大きさがあるのだ。聞くとこちらの人は皆そうだと言うし、シーズンになると敷地内が一杯になるという。

 アジア・ヨーロッパツーリングの最終地点をスェーデンをした理由は スェーデンに姉妹都市レクサンド市があり、機会があったときに訪れてみたかったからである。ツーリングの途中に出会ったスェーデンの人は一様にレクサンドを知っている。水と緑がきれいな場所だという。  

 

      

キャンプ場と大型テント                    良く見られる湖と街の風景

レクサンド

 レクサンド市は川と湖に接した街並みで美しい。ストックホルムの200kmほど北に位置している。都市の規模は私の街当別町と同じくらいに こじんまりした印象である。レクサンドの知名度はスェーデン国内でも殊の外高いのに比べて、当別町はどうなんだろうと考えてしまう。日本国内は仕方がないにしても北海道内でも当別町を知っている人がどのくらいいるか疑問である。レクサンド市庁舎は日本のような いかにも役所です、という外観ではない。職員の雰囲気も同様である。市庁舎のなかでパークさんと仲良しになり、パークさん宅での夕食の招待を受けた。一家揃って親日家で、熊本の高校生雅代さんがホームスティしていた。とっても素敵なスェーデンの家庭である

 

レクサンド市内                     パークさん一家と熊本の高校生雅代ちゃん




パーク夫妻。親日家のとってもすてきな夫婦でございます。ご主人は日本語がぺらぺら。私よりうまいかな・・・
この明るさで夜の11時近く。スエーデンでは夏の夜は花火ができないそーです。ウーン納得・・・・

 レクサンド市長はボ・パターソンさん。受け付けの方に市長に会いたい事情をお話した。「私はかねてからの夢であったバイクによるアジア・ヨーロッパツーリングを実現することができた。旅の終着地点をレクサンドに選んだのは他でもない。私の街当別と姉妹都市の関係にあるからだ。そして市長とのツーショットの写真を到達記念としたい・・」とかなんとか頼み込んだら、市長の予定を教えてくれて記念写真を撮ることに成功した。

 

旅のファイナルを締めくくるのにふさわしいレクサンド市長との記念写真

 

 

 最終到着地スェーデンのホテルで見つけた スタート地点ボンベイの標識
直線距離では6358km、しかし陸路では倍以上かかった・・・・