ムルタンへの道           

 インド人は異口同音にパキスタンは良くない、と口を揃える。治安が悪いこと、貧乏だというのもその理由に入っている。貧乏だというのが嫌いな理由になるのかなと思いつつインド国境を越えた。確かにインドより豊かではないが、極貧の人はインドのようには見当たらない。大金持ちと極貧部分をカットした平均部分がインドより豊かでない、というほうが的を得ている。もともとインドとパキスタンは同じ国であったが、パキスタンはイスラム国家としてインドと別な方向を歩んでいる。同一宗教への帰依が国としてのアイデンティティを保つ根幹部分かといえば、そうとも言えない。私が話したパキスタン人の多くはパキスタンは嫌いだと平然としている。これには正直いって驚いた。イスラム圏はもともと国境という概念が歴史的に希薄である。それが理由で国への帰属意識が薄いというならイラン、トルコも同様なはずである。ここいらの事情はこのあと出会ったパキスタンの人たちから聞くことができた。         

 パキスタンでは日本の中古車がやたらに多い。それもワゴンタイプが主である。車体の○×建設、×△商店などいうマークもそのまま使っているし、「バックします。ご注意ください」のアナウンス装置もそのままである。異国で見聞きする このような日本語はなんとも滑稽で顔が緩んでしまう。

 話は多少前後するが今回のツーリングで気を使ったのはパキスタン国内の通過であった。その理由は日本の外務省からのパキスタン国内の危険度情報がいくつもあったからである。 @カシュミール地方Aインダス川流域 Bカラチ周辺 Cアフガン国境沿いの山岳地帯他である。 @はインドとの国境線を巡って毎日のようにこぜりあいが繰り返されている。当然旅行者の立ち入り制限がおこなわれている。ABは反政府ゲリラ活動が活発なのに加えて、カラチ周辺は大都市特有の犯罪が多いらしい。Cは少し特殊である。アフガン境界の山岳地帯は地元民族の自治に委ねているから近寄るなということである。A〜Cの地域は自分で情報を集めて慎重に走ることにした。



 ラホール  

インド国境から30km程にあるのが東部の大都市ラホールである。街並みはインドよりはるかに清潔な印象である。ラホールでの安宿の評判は以前は良くなかったが、いまはマシなようである。インドより人波が少ないせいか街は静かである。


母なる大河インダス川

  
 

 
インダス川にかかる橋と青年           


パキスタンを走る日本の中古車


ムルタン

  ラホールからムルタンにかけてのインダス川流域は治安が良くないらしい。日本の外務省から注意勧告が出されている。ムルタンに向かうライダーは軍の護衛が付くという話も聞いた。ラホールでの人の話によるとムルタンまでは車から降りずに5時間一気に走るそうだ。だがバイクの場合はそうはいかない。確かにラホールから郊外に抜けると 豊かではない農村の風景がみられるが これはインドとたいして変わらない。インドでは裸足の人が多かったがここは裸足の人はいない。木陰で涼んでいたら自転車に木の実を積んだ子供が近寄ってきて買ってくれと言う。普通の日の学校が開いている時間帯である。この子は学校に行っていないのか…。やはりパキスタンは貧しいのだ。途中にインダス文明の遺跡「ハラッパ」があるが荒れ果てて見る影もないという。やはり寄り道しないでムルタンまで走ることにした。ムルタンはスィンド州の州都である。オートリクシャーがせわしく走りまわり、街中は結構騒がしい。運転マナーは最低の部類に入る。パキスタンがもう少し豊かになって車の通行量が増えるとインドと同じ状態になるのは間違いないようだ。泊まったホテルはマシンガンを持ったガードマンが24時間警備していた。ここでこの先クエッタに向かうルートについて少し悩むことになる。治安上の問題である。数年前の情報ではメインルートをインダス川流域沿いに南下し、サッカル経由でクエッタに行くのは問題があるとのことだった。北部の山を抜けたほうがいいということである。そして景色もたいそう素晴らしいとのことである。ところが現地の人は山越えは問題があると言う。まるで正反対の話である。サッカルを経由したメインルートのほうが問題がないという。そこでどんな問題があるのか詳しく聞くことにした。要するに危険度が高いのかそうでないのかである。その説明はこうであった。北部バローチスタン州の山岳部では強盗や誘拐などの凶悪事件はないが、地元の住民が勝手に道路で検問をして、ときたま通行料などを取ったりするというのである。生命に危害を加えることはないと思うが、あのあたりは評判が悪いからなるべくなら通らないほうが良い、ましてバイクだったら通せんぼしやすいから被害に遭いやすい、と。あんまりスラスラとしれっとして話すのでラホールでの件もあって信じてよいものか困ってしまった


ロラライ

 迷った挙句にサッカル経由はやめて西部山岳地帯を抜けることにした。手前の街、ロラライでさらに詳しい話が聞けたからである。2本の道があって片方は問題がないということであった。ロラライは山のなかのたたずむ小さな街で、さすがにこんなところまで日本人は来ないだろうと宿帳を見せてもらった。期待に反して埼玉県 某の名前があった。半年前の日付であったがさすが日本人、地球上のどこでも出没するようだ。

 ロラライの街を出て、慎重に道を進んだつもりが間違ってヤバイ方へと進んでしまったことに気がついた。ムルタンの人が言ったとうり道路にワイヤーを張って通せんぼのところがあった。最初子供が現れ、年寄りが顔を出し、あんちゃん、次いで首謀者らしき中年の男が近寄ってきた。パスポートか?というと金をくれと言う。100ルピー出したら通してやるが、出さなきゃ戻れと言う。 100ルピーは日本円で約300円だが現地の貨幣価値では1000円や2000円にも相当する。手のいい山賊である。 またしばらく走っていくと開けた場所に同じようなものがあった。今度は地元の部落民が集まってくつろいでいるような場所であったがAK−47ライフル銃を持って兵士のような格好までしている。金は要求されなかったが日本から来たと言うとチャイを飲んでいけという。 危害を加えられないことが判っていても平常心ではいられないものである。メンバーのなかにインテリっぽい人がいて比較的きれいな英語を話す人がいた。その人を介してこの地域の状況を聞くことができた。 内容は結構複雑で難しい。「パキスタン政府は何もしてくれないのにあれこれ言ってくるが、われわれはパキスタンという国ができる前から代々ここに住んでいてわれわれのやり方でやってきた」  要するに検問することで部落の主権を主張しているらしい。暑さに加えて緊張しているからやたらと喉が乾く。薦められるままにチャイのお代わりをしていたら、やかんが空になって「もう無い」と言われた。 


   

チャイをご馳走してくれた武装部落民

 

クエッタ
 ロラライからクエッタまでは変化に富む北部砂漠の雄大な景色で目を楽しませてくれるが、自然環境と道路状況は極めて過酷であった。道路状態は悪く、道路工事の迂回路はフカフカの砂のところや川底のようなところを走らされる。山越えの崖っぷち道路は舗装がないうえにガードレールもない。気温は40℃くらいになる。顔に当たる風がヘアードライヤーのように熱い。正午前後になると平地の砂漠では砂嵐がおきる。クエッタの手前で砂嵐に遭遇した。遥か遠くからこちらに向かってくる砂嵐の動きが見えたが、その中に入ってしまうと冬のブリザードのように前がまったく見えなくなってしまう。

    

         北部バローチスタン州 山岳地帯: 雄大な砂漠の景色が続く反面、気候と路面は過酷だ              



    クエッタは北部バローチスタンの州都である。ロラライ方面からクエッタ市内に向かうとクエッタの街並みの背後にそびえる屏風のような高い山々が立ちはだかって見える。この山の向こうがアフガニスタンだ。クエッタ市内では日本人と見まがう人を見る。アフガンでは日本人そっくりの部族があるという。クエッタはアフガンとの交易の要衝でもある。バザールに行くと外国タバコの種類の多さに驚いた。  なんとマイルドセブンまで売っている。聞くとタバコは無税だそうだ。マールボロが一箱100円!

ヌシキ

  クエッタからはアジアハイウェイは国境のタフタンまで約1000km、アフガン国境沿いの一本道である。道に迷うことはないが問題はホテルがない町があることである。1000kmの区間に主だった街・集落はヌシキ、ダルバンディー、ノックンディーとあるが、ホテルがあるのはダルバンディーだけらしい。クエッタからダルバンディーまでの灼熱の砂漠地帯を一日で500km走るのはつらい。ここをどう走るかがパキスタン通過のもうひとつの懸案であった

 

アブドゥラさんのオフィス  一晩おせわになったアブドゥラさんのお宅      

 

ヌシキの集落はどういう訳か国道沿いにはない。中心部は国道から離れている。ホテルの所在を尋ねてみると、やはり無いという。これは日本での情報どおりであった。ダルバンディーまでは あと200km、行けないことはないが かなり疲れ果てていた。これを見かねた街の人、アブドゥラさんが家に来いと言ってくれた。思わぬ有難いお言葉に甘えて一晩やっかいになることにした。

 アブドゥラさんはヌシキの街に店を構えている。営業内容は自動車の部品、雑貨、それに輸出入関係も扱ってるとのこと。アブドゥラさんの店にはいろんな人が出入りして商売関係以外の人脈もあり、話題もなかなか興味深いものもあった。訪れたSさんは地域のちょっとしたリーダー格らしい。滑らかにパキスタン情勢を「解説」してくれた。彼の話によると、われわれもヨーロッパや日本と同じように豊かな暮らしをしたい。パキスタンが豊かでないのは政治の指導者が悪いせいである。ごく一部の人間が権力を握り、彼らとその取り巻きだけが利益を独占している。反対する勢力には弾圧を加え、この国には民主主義は存在していない…。アブドゥラさんはSさんはマルキストだと後ほど教えてくれた。 パキスタンの片田舎でも世界の情報が衛星放送で飛び込んできているご時世である。欧米・日本の豊かなライフスタイルと現実のパキスタンを比較して自分たちの生活との落差を実感するのは当然である。しかしパキスタンの貧困の原因を政治の指導者の責任に短絡するのは「?」である。現実にはパキスタンに「売り物」「呼び物」がないのである。物的資源・人的資源・観光資源どれも乏しいのである。ロラライ近くの武装村民の話といい、Sさんの話といい、将来のパキスタンはどうなるのかとこちらが心配してしまう。

 ヌシキの町から隣のアフガニスタン国境まで10kmもない。国境が厳然と存在し、形式上のヒト・モノの流れの制限があっても ここいらの地域はそれらとは無関係に生きているようだ。なにせイスラム世界では古くから国境という概念が乏しかったのである。 密輸に関しては独特の方法があると聞いた。放牧のヤギを使うというのである。まず子供のヤギを捕まえ、その親ヤギにモノを積むという。親ヤギは子供の匂いを追っていく習性があるからこれを利用するらしい。なるほど、と感心してしまった。密輸は武器・麻薬の禁制品が主である。

 アブドゥラさん宅は住宅、調度品をみても かなりの収入のある人であることが判った。イスラム圏の常で奥様は男の客の応対はしない。友人、親戚の男たちが入れ替わり寄ってきて「宴会」になった。アブドゥラさんは大事そうに ご法度のウイスキーを隠し場所から取り出した。マリファナ(ハッシッシ)もパキスタンではご法度であるが、多くの人は隠れてやっているという。勧められたが日本ではご法度だというと、アブドゥラさんは私に遠慮して吸わなかった。私といた長い時間にサラート(お祈り)は見たことがなかったし、アルコールといい、ハッシッシといい、不真面目なムスリムに映ったが どうもアブドゥラさんのような人が意外と平均的なムスリムなのかもしれない。

ダルバンディー


  

          ダルバンディーの市街                ネパールへ向かうというフランス人チャリダー:ノックンディー付近

 唯一ホテルのある町ダルバンディーもバイクで通り過ぎれば数分もかからない小さな街である。日本で知り得た情報ではここから先タフタンまではひどい悪路で、まる一日200km以上走らなければならないと聞いていたので覚悟していた。その悪路の状況を町の人に尋ねたら全面舗装だというのである。路面をみると舗装工事が終わったばかりの真っ黒な独特の色をしている。それも一ヶ月やそこら前の状態ではない。いましがた終わったという印象である。嬉しい誤算であった。それにしてもクエッタを出てからは停電が頻繁である。2〜3時間停電なのも普通であった。

 

 

交通事情

  車両は左側通行。道路はよくない。道路におかれた規則的な石に注意をすること。絶対に無視してはダメ。工事中や迂回路を示す標識の役目をしている。対向車、特に大型トラックは追い越しの際に道をゆずらないから注意。ガソリン給油に困ることはないが軽油のみしか扱わないスタンドがある。クエッタ〜タフタンはガソリンスタンドが少ないが、代わりに民家の軒先にポリ容器に入ったガソリンを並べているところがあるので、そこから購入できる

ホテル

 一流ホテルは大都市にのみにある(1万〜1万5千円)。中級は500円〜2000円。安宿は200円〜600円 

お金

 1j=30パキスタンルピー TC・米jの両替は特定の銀行しかやらないが闇で替えてくれるところもある クレジットカードの使えるところは非常に少ない

食事ほか

 インドに近いところではカレー類が多い パキスタンはイスラム圏なので豚肉は食べない ケバ(肉の串焼き)が多い コーラや食事代はインドより安い

生活習慣他

 パキスタンはイスラム国家であるからアルコールはご法度 豚肉は食べない イスラム圏では写真撮影に注意すること モスクやバザールの中や女性は撮らないように 

危険情報

 危険情報は日本の外務省から出されているが、古かったり、内容が正しくなかったりする。新しい情報は現地で聞くのがよいが、内容をよく確かめること。カシュミールは立ち入り制限。インダス川流域、カラチ、北部アフガン国境山岳地帯は常時注意勧告が出されている。