イスラエル紀行(1995年10月訪問記)
イスラエルとは
ユダヤ人・ イスラエル・ヘブライ語、三つの異なるキーワードがこの一つの地に収束している。
「イスラエルの国にはユダヤ人が住み、言語はヘブライ語である」。正確な表現ではないが分かりやすく言うとこうなる。日本国-日本人-日本語 の図式に慣れている我々にとっては奇異に映るが、考えてみると日本だけが特殊なのかも知れない。
地理的には緯度は九州の南あたりに位置し、面積は四国と同じくらいで南北に細長い、人口は500万人弱、8割強がユダヤ人である。気候は地域差が大きい。地中海性気候から砂漠気候に分けられるというが 私の印象では緑と川が極端に少なく都市部を出ると、どこでも荒れ地と赤茶けた丘陵地が延々と続く。イスラエルという国を説明するには余りに多くの事がありすぎて簡単に述べるのは難しい。
現在のイスラエルは1948年、国連の裁定によってイギリスの統治下であったパレスチナを分割するかたちで成立したが、ユダヤ民族としての歴史は約4000年前アブラハムがこの地を訪れた事に遡る。その後紀元前1300年、ユダヤ人はモーゼが率いる脱エジプト(エクソダス)によって現イスラエルに定住するが、栄華を極めたのは紀元前993年「ダビデ王」から「ソロモン王」の時代である。イエスがユダヤ人として生まれたのが紀元7年。紀元87年にローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人は全世界に離散する事となる。以後2000年近く国を持てず、限りない迫害を受けてきたが民族として消滅しなかった。その理由はユダヤ教の信仰にある。旧約聖書ではユダヤ人は「唯一神」から選ばれた民であり、一度は世界中に散らされるがまたイスラエルに戻る、とある「いつの日かエルサレムで」という想いを持続してきたのであって、そのためユダヤ人にとって首都エルサレムは特別な存在なのである。

イスラエルの国土の変遷 テルアビブ市内
ユダヤ人とは人種ではない。一言で言うとユダヤ教徒がすなわちユダヤ人であるから、白人系・アラブ系・黒人系のユダヤ人が存在することになる。民族のルーツを遡るとユダヤ人の父祖アブラハムの本妻の子イサクがユダヤ人のルーツ、愛人の子イシマエルがアラブ人のルーツである。元を辿ればユダヤ人とアラブ人とは異母兄弟の関係にある訳である。以前、エジプトがイスラエルと国交を回復する際、当時のサダト・エジプト大統領がイスラエルから「父祖アブラハムの名において・・」という招待状を受けたのは有名な話である。しかしエジプト以外のアラブ諸国はイスラエルを認めておらず、アラブ側の地図にはイスラエルはパレスチナとある。またエジプトの地図でもイスラエル領のヨルダン川西岸地域はヨルダン領となっている。パスポートにイスラエル入国の痕跡があるとエジプト以外のアラブの国には入国できない。
イスラエルと宗教
「宗教の存在なくしてはイスラエルを語る事が出来ない」というぐらいユダヤ教は国民生活に密着している。ユダヤ教の信仰とは律法(タルムード)に従う事がすなわち信仰とされている。この点はイスラム教と似ているところである。この律法の原型はモーセの「十戒」であり、日常生活にとけ込んでいる。休日は安息日(シャバット)として金曜の日没から土曜の日没まで、(実質金曜は半ドン、土曜は全休となる。日曜は週の始まり)これはかなり徹底していて会社は勿論バスも動かない。食物の禁止規定(コシェル)もそうである。豚・ウロコのない魚・蟹・海老・たこ・イカはダメ。乳製品と肉は一緒に食べない、などが食生活上のタブーとされている。祝日はほとんどが旧約聖書上のできごとに由来する。9月から10月の一か月は日本で言うと盆と正月をミックスしたような休日が続き,旅行者泣かせと言われているが実は私も最大の祝日「ヨム・キプール」(贖罪の日:この日に悔い改めると神様のノートに罪が記されないと言う。この日は労働はおろか機械を操作する事、火を使うことさえためらわれる。)当日にエルサレムに居たが車が一台も走っていない状況に驚いた。

エルサレム旧市街 死海
キリスト教はユダヤ教を母体に、イスラム教はキリスト教を母体に成立した。ユダヤ教とキリスト教の決定的な相違は「イエス」を救世主(メシア)として認めるか認めないかである。キリスト教からイスラム教への派生は預言者マホメット(ムハンマド)が神の預言を受け、以後はコーランに従いなさい。との啓示があったからとされている。もっと分かりやすく言うと三宗教とも「旧約聖書」を読む。「新約聖書」はキリスト教徒は読む。イスラム教徒は認める。ユダヤ教徒は認めない。コーランはイスラム教徒のみ。イスラム教徒に言わせると「キリストはあくまで賢者・預言者の一人であって、これを発展させたイスラム教がいちばん正しい」 キリスト教徒に言わせると「余計な物をくっつけたイスラム教はけしからん」 ユダヤ教徒に言わせると「メシアでないものをメシアとしているキリスト教徒はけしからん」 とそれぞれの言い分である。日本で言う「神様」の概念はユダヤ教では「創造主たる唯一神」、キリスト教では「創造主とその子イエス・キリストそして精霊。(いわゆる三位一体神)」。イスラム教では「創造主・アラー」となる。「創造主」は三つの宗教とも共通の概念である。イスラエルではユダヤ教徒が82%、イスラム教徒が16%、残りがキリスト教徒他である。
イスラエルの交通事情
道路事情は非常に良い。都市部は多少混雑しているが郊外へ出ると車は少ない。車は右側通行で制限速度は市内で50km/h、郊外で80km/h〜100km/h、当然高速道路となるが無料である。面白いのは信号機は赤から青に変わるときにも黄色の表示になる。然るに青と同時にダッシュすることになるので、日本のように黄〜赤のタイミングで交差点に入ろうとすると大変な事になる。日本車の人気・評価は非常に高い。多いのは三菱・マツダ・ホンダ・スバル車で、トヨタは高くてなかなか買えないそうだ。バイクは絶対数が少ない。日本車が圧倒的だが7〜10年前の型であった。鉄道はハイファ〜エルサレム間にある。空港は国内に四カ所あるがセキュリテイ・チェックは非常に厳しい。私はベングリオン国際空港で人にものを聞くのにバッグから少し離れた事があった。するとすぐに「これは誰の物か?」と警備の人間が飛んできた。
イスラエル周遊
イスラエルの国内は遺跡の類がふんだんにあり、風景も日本とはまるで趣が異なる。そして遺跡の中に町、あるいは町の中に遺跡といったような感覚は独特である。まるでそこの住民が数千年も前から代々住んでいたのような雰囲気がある。これは私が帰りに寄ったエジプトの遺跡の印象との大きな違いであった。川が無いせいであろうか日本ではありふれた緑の平野部に畑と町というものがない。古い町は丘陵地の頂上から広がっている。国土自体は広くはないので一週間もあれば隅々まで回ることが可能である。死海の「浮遊体験」も驚きであった。当たり前だが「きをつけ」の姿勢で材木のように浮く。読もうとすれば新聞も読める。
私はこの国がすっかり気に入ってしまった。機会があったら又来たいと思うし、他の人々にも行ってみる事を是非お薦めしたい国である。

キリストがパンの奇跡をおこなったとされるテリベリア湖。後方はゴラン高原。 エジプトとの国境地点では 左イスラエル右エジプト。対岸の陸地は左がヨルダン、右がサウジアラビアと4つの国が見渡せる。
目には目を・・・
旧約聖書には「報復」についての記述があり、報復行為を肯定している。ユダヤ人にこの事を聞くと言下に「それは昔の事、本に書いてあるだけ・・・」と否定するそうだが私には そうは思えない。1948年のエルサレム攻防戦当時、アラブ人側のテロには同様のテロで応えていたし、ミュンヘン・オリンピックの選手村テロ事件の時も「モサド」(イスラエル諜報機関)が密かに犯人を突き止め、報復している。イギリスでイスラエル大使が殺害されたときは国内ではアラブ外交官へ報復の声が上がったという。パレスチナ紛争でイスラエル側の過剰な反撃行為(投石には銃弾、銃弾には機関銃や戦車の反撃)が非難される報道があるが、根底は報復の論理である。
私がイスラエルの最南端にあるエイラットにタクシーで移動した時の話である。死海からエイラットまでは何もないネゲブ砂漠が広がっているが、ここにイスラエルの核開発施設(地図には載っていない)がある。広大な敷地で警戒は厳重である。何事もないように運転手は「イスラエルは数十発の核兵器を持っている。こちらからは使わない。しかし核兵器がイスラエルに打ち込まれたら当然打ち返す。」さりげなく話す言葉に真実味が増幅されていた。敵対する国の核兵器の保有は、とりもなおさず それが打ち込まれる事への恐怖となる。「ホロコースト」が繰り返された歴史を持つ民族はそのことが即ち「現代のホロコースト」の悪夢へと直結する。これは他の民族と血で血を洗う征服劇を経験した事のない、又過去の歴史は「水に流して」と考える日本人には理解の出来ない、また想像し得ない部分であろう。私は1981年、イスラエルが完成寸前のイラクの原子炉を爆撃して破壊した事件を思い出した。そうすると附に落ちないのは「湾岸戦争」当時、イスラエルがイラクからスカッド・ミサイルの攻撃を受けて何の反撃もしなかった事である。
わからないこと・不可解な事・感心する事
イスラエルではわからない事、驚く事がたくさんあった。
その1
1948年建国以来のパレスチナ紛争はどちら側の主張を聞いても「なるほど」と思う。どちらの側を支持していいかわからない。
その2
イスラエル国内にはハイファ - テルアビブ -
エルサレム間に鉄道が走っている。運賃はかなり安いが一日に数本しか走らないし、走っている列車を見ても乗客は非常に少なかっ
た。採算は関係ないのかと思う。
その3
イスラエルは物価が比較的に高い。物は豊富であるが車、家電製品は輸入品(特に日本製が多く人気は高い)が多い。軍事費は国家予算の半分近くになるが、主な産業はダイヤモンド取引とサービス業、製造業であり、これで国を支えていけるのかな?と思う。
その4
雨は少ない、国のほとんどが砂漠に近いが水に不自由する事はない。山の上でも水洗トイレがある。
その5
国土は見えるところは荒れ地がほとんどであるが食料の自給率は高いと言う。特に柑橘類は豊富で安く、とっても美味しい。
おまけ紀行・シナイ半島からエジプトでのコワイ体験
イスラエルから日本への直行便は無い。したがってエジプト経由で帰国の予定をたてた。イスラエル最南端の街エイラットとエジプトのタバは隣街である。国境は徒歩で越えることができた。シナイ半島を南下し、シャルム・シェイクという港から小さな船で「紅海」を横断し対岸のハルガダから陸路ナイル川沿いのルクソールまで一日がかりで移動する計画でいた。船の中で、同じくルクソールに行くというスペイン人の男とイギリス人の男女がいたのでタクシーに相乗りすることにした。エジプトの道路はいたるところでテロ対策の為に軍隊・警察の検問がある。ルクソールまでもう少しという所の検問所で「ここから先は夜間、テロリストが出て危険だから通さない」と警官が言う。三度検問所を行きつ戻りつして最後に強行突破したときは警官が呆れて「神のご過護を・・・」の仕草をした。運転手はフルスピードで夜道を飛ばす。車内では誰も口を利かない・・・恐かった。
海外旅行と危険度
「旅行先がイスラエルである」と話すと 10人中9人までが決まって「危険なのでは?」という反応が返ってくる。帰りにエジプトに寄ると言うと「それはいいネ」と言う。行くからにはそれなりに情報を頭に詰め込んでいく訳であるし,それで両方比べて判断してみるとエジプトのほうがよっぽど危ないのではないかと感じた。実際に行ってみるとその通りであった。危険な部分はどこの国にでもあるし、要は自分でそれをどれだけ容認しているかであろう。テロ事件も同様である。マスコミでテロ事件が報道されるので恐ろしい、という印象があるが中東紛争はイスラエル対アラブの反目であって、テロの対象はユダヤ人の多く集まる場所が狙われ、地域はある程度限定される。
ユダヤ人はパレスチナ人の多く住むヨルダン川西岸地域のエリコ(世界最古の町)やヘブロンは危ない・汚い・何もないと言って好意を示さない。ユダヤ人の車が行くと投石にあうが、私のような日本人が行って話しかけると大変にあいそうが良い。要するに外国人は巻き添えをくらう可能性はあるがテロは日常的に起こっているわけではない。そして日本人に対して敵愾心がないとわかると妙な安堵感となる。ところがエジプトの場合は様子が違う。イスラム原理主義のテロは観光客が対象であって観光地の評判を落とす事が狙いである。世界中からの観光客の足が遠のくと観光収入が大きな柱であるエジプト政府にとって打撃となる。テロリストの目的はここにある。しかしイスラエルでは全然見る事のできなかった日本人の姿がより危険と思われたエジプトでそこいらじゅうで見る事となった・・・・。
(補筆:事実、この旅行の3年後、忌まわしい ルクソール観光客大量惨殺事件が発生した)
日本とイスラエル
日本とイスラエルを比べてみると大きく違う点がいくつもある。 例えば 国境を挟んですべて敵対する国々に取り囲まれている点、しかも地続きであること。縦に細長く狭い国では国防的な地勢上これほどの弱点はあるまい。しかしながら建国以来、それらの国と4度も戦火を交えてきたが ことごとく勝利した。一度でも戦争に負けたとしたらイスラエルの国が滅亡したであろうし、またそのことをイスラエル国民は理解している。なぜことごとく勝利したかの理由は他に項を譲ることにする。
国の周りを海に囲まれている日本は国の危機意識が希薄である。「平和」という概念は日本とイスラエルではまったく違う。日本の常識が通じないのは当たり前である。 日本の常識は世界の非常識などと揶揄されるが、大事なことは日本の常識をそのまま他の国々に用いようとするから良くないだけでの話である。
イスラエルは確かに不思議な国かもしれないが、よくよく考えると日本はもっと変わった国のひとつなのはどうも間違いないようだ。