内村鑑三語録  テーマ別  年代順  総索引  内村鑑三と韓国・朝鮮


「日清戦争の目的如何」

 日清戦争宣告せられて、勝敗の帰するところはすでに定まれり。これを兵の精鋭
に徴するも、これを国民の意嚮(いこう)に質すも、これを宇内の気運に問うも、
これを歴史の趨勢に照らすも、日本の勝利は疑うべきにあらず。余輩のこれを言う
は、余輩の愛国的偏執によるにあらずして、公平なる歴史的観察と、静寂なる哲学
的黙考とが、かく言わしむることを余輩に許すなり。


 ゆえに、戦場における勝敗は余輩の配慮にあらず。配慮は戦争の結果に存するな
遼東を蹂躙して、しかして後いかに。北京を占領して、しかして後いかに。言
を換えて言わば、われらはシナをいかにすべきや、これ問題中の問題なり。この最
要問題が決せられずして、われらの流血に目的なきがごとし。われらの方針に着点
なきがごとし。余輩の考察また全く無益ならざるべし。


 日清戦争の目的いかに。この問題に関し、余輩に供せられし答案は、要するに下
の三項に過ぎざるべし。

 一、
朝鮮の独立を確定するにあり。

 二、シナを懲戒し、これをして再び頭をもたげ得ざらしむるにあり。

 三、文化を東洋に施(し)き、長くその平和を計るにあり。

 一、朝鮮独立の確定をもって、日清戦争の目的と見なす者は、幸いにわが邦人中、
少数を占むるのみ。その直接原因のこれに基づきしがゆえに、朝鮮に確固たる独立
を供すれば、吾人の事は足れりと思う人は、わずかに東洋問題の皮相をうかがう者
にして、もってその目的とする朝鮮の独立だも供することあたわずしてやむ者なり。
この説たる、一時の経済的恐慌をおそれ、あるいは欧州がついに吾人の東洋政略に
干渉せんことをおもんぱかり、一日も早く罷戦(ひせん)の実を挙げんと欲する、
射利的、自屈的、偸安的(とうあんてき)人士の中にのみおこなわる説にして、深
く余輩の注意を価せざるの説なり。余輩はわが邦人の透察すでにかくのごとき皮相
見の上に達するに至りしをはなはだ喜ぶべき者なり。


 二、朝鮮の独立は、懲戒をシナに加えて、しかして後に就(な)るべしとは、賛
成の大多数を占むる議論なるがごとし。論者の言うところを聞けば、シナを倒すは
朝鮮を立つるの道にして、シナの勢力衰うるにあらざれば朝鮮の保安は計るべから
ず、しかして隣邦独立の妨害者として、東洋進歩の讐敵として、シナを砕くは、吾
人今日遠征の目的なりと。(略)


 されども余輩は論者に問わんと欲す。シナの討滅は実に吾人の目的なるかと。吾
人はシナを滅ぼさんと欲するか、はたまたシナを救わんと欲するか、シナを倒さん
と欲するか、シナを起こさんと欲するか、シナを殺さんと欲するか、シナを生かさ
んと欲するか。もし戦争の目的は必ず敵を殺すにありとする者あらんか、余輩はこ
れその直接の目的にして
終局の目的たらざることを弁ぜざるべからず。余輩はなお
問わんと欲す、朝鮮の独立はシナの廃頽より来たるか、日本の興起と安全とはシナ
の衰弱より望むべきか、東洋の平和はシナの滅亡より生ずるかと。


 シナの興廃は東洋の安危に大関係あるは、吾人の言を要せずして明らかなり。東
洋もし東洋として宇内に独歩せんと欲すれば、シナの独立は日本の独立とひとしく
必要なり。余輩は吾人目下の大敵たるシナ人につきて、かく言うことをはなはだ好
まざれども、シナ人は吾人の隣人にして、吾人の彼におけるは、欧米人におけるよ
りも親かつ密なることを、吾人は須臾(すゆ)も忘るべからざるなり。シナの安危
は吾人の安危にして、シナ敗頽に帰して、そのわざわいの吾人に及ばざるはなし。
シナを倒して、しかして後日本立つべしと信ずる人は、宇内の大勢に最も暗き者と
称せざるべからず。東洋の平和はシナを起こすより来たる。
朝鮮の独立、日本の進
歩、ともにシナ勃興(真正)の結果として来る
べきものなり。

 試みにおもえ、吾人が朝鮮政治に干渉するや、吾人は自衛の一手段としてこの処
置に出でたり。いわく、もし朝鮮にしてその独立を失すれば、日本の独立また保す
べからずと。今、同一の論法をもって、これをシナに適用し見よ。
日本の独立は朝
鮮の独立を要する
がごとく、朝鮮の独立はまたシナの独立を要すシナ倒れて、そ
の余響の直ちに日本に及ぶは、理の最も見やすきものなり。ゆえに吾人の利益は、
朝鮮の独立を計るにとどまらずして、またシナの独立を画するにあり。

 余輩はゆえに言う、東洋の平和と安全とをシナの廃滅に求むる者は、自欺の最も
はなはだしきものなりと。シナ衰えて、欧州のこれに乗ぜさるはなし。
欧州、シナ
を有して、朝鮮の独立は空言のみ
シナの敗懐に吾人の隆興を望むは、あたかも骨
肉の貧によりて吾人の富を増やさんとするがごときものなり。吾人外征の目的もし
シナの討滅にあらば、光栄かえりて悲惨の墓たらんことを恐る。


 三、よりて見る、シナ討滅論は迂謬(うびゅう)の最も甚だしきものなることを。
これ、吾人の目的を達せんと欲して、かえってこれを破るの論なり。吾人の目的は、
文化を東洋に敷き、長くその平和と進歩とを計るにあり。しかして東洋の平和はシ
ナを生かすより来たる。これ実に日清戦争の大目的ならずや。


 敵国の屈辱もし戦争の目的にあらずとすれば、戦うの要はいずこにあるや、敵人
の利を計りて戦う者は古今いまだその例を見ず、もしシナの安全と隆昌とを欲する
ならば、何ゆえに直ちに師を還さざる、なんじ夢想を語るをやめよと。これけだし
余輩の反対論者が余輩に向かいて言わんと欲するところなるべし。

 余輩はかく答う、余輩は、外科医が截断器をもって病体治療に従事する時の念
もって清国に臨む者にして、強盗が刀をさげて富家を侵す時の心をもってせず。余
輩は生かさんがために截(た)たんと欲する者にして、殺さんがために刺す者にあ
らず。もし劇療を今日シナに施すは、これを死に至らしむるの恐れありと言う者あ
れば、余輩はこれに答えて言う、彼の活路は単に彼の隣人なる日本が彼に割断的治
療を施すにありて、彼を今日の腐敗のままに放任するの危険は、吾人が一刀を彼に
加うるよりも大なりと。しかして彼の死は東洋の死を意味し、彼の壊乱はアジアの
廃亡を招くの恐れあれば、吾人は生を賭(と)し、否、国を賭して、この大事業に
従事せしなり。(略)


 日本の利はシナを助け起こすにありとすれば、吾人のシナに対するは、朝鮮に対
するがごとくならざるべからず
すなわち、その弊政を釐革(りんかく)し、これ
をして厳然たる東洋の一国民たらしむるにあり。


 吾人は半島政府より闇愚、暴虐、野蛮の徒を駆逐せしごとく、大陸政府より、常
に世界の進歩に抗して、アジア的圧制と醜俗とを永遠にまで維持せんと欲する、蒙
昧(もうまい)頑愚の徒を排除せざるべからず。しかり、もし清朝にしてとうてい
文明的政治をシナ全土に施すを得ずんば、吾人はこれを倒し、これに代うるに、人
道と開明とに基づく新政府をもってするも可なり。吾人が
閔族の横行を憎みて、朝
鮮国そのものを庇保せしがごとく、清朝の愚者を憎むと同時に、シナそのものをあ
われまざるべからず。吾人はシナそのものと戦うにあらずして、その吾人の同胞を
窘迫(きゅうはく)する、その文明の光輝を吾人の同胞に供せざる、そのアジア的
虐政の下に同胞四億人を永久の幽暗に置かんと欲する、北京政府と戦うなり。


 しかり、吾人はアジアの救主として、この戦場に臨む者なり。吾人はすでに半ば
朝鮮を救えり
これより満州、シナを救い、南の方、安南、シャムに及び、ついに
インドの聖地をして欧人の覇絆(きはん)より脱せしめ、もって初めて吾人の目的
は達せしなり。
東洋の啓導をもってみずから任ずる日本国の希望は、葱嶺(そうれ
い)以東の独立振起より小なるあたわず。軟弱シナのごとき困窘(こんきゅう)せ
しめ、その衰頽より吾人の名誉と富強とをいたさんと欲す、余輩は論者の聖望に乏
しきを惜しまざるを得ず。


 実際的達眼をもってみずから任ずる、余輩の批評家は言わん、これ詩人的理想と
してははなはだ賛すべし、されども実際的方針としては嗤(わら)うに堪えたりと。
彼、批評家は欧州諸強国の政略がことごとく優勝劣敗主義に基づくを見て、余輩の
提する仁愛的政略を非難する者なり。彼は、日本も英や仏や露にならい、彼らの

洋侵略主義
にのっとり、吾人の権力を拡強せよと言う者なり。彼は君子国の日本に
生まれて、他の時においては常に禽獣国(きんじゅうこく)をもって評する欧米諸
国に、この時においてはなろうべしと、吾人に勧むる者なり。彼は朝鮮国に関して
は、世界に向かいて義戦を宣言しながら、シナに関しては掠奪主義を自白する者な
り。


 オー、批評家よ、余輩もし「日本君子国」なるなんじの恒言はなんじの雑念より
出づるにあらずして、なんじが外教攻撃の際、なんじの言語を飾らんがための一時
の仮説なりとするも、なんじは口を開くべからず。もし世界が、なんじの揚言する
義戦なるものをもってなんじの虚託に出づるとなし、なんじの目的はやはり
朝鮮掠
にありとするも、なんじは何をもって答えんとするや。君子国の民はどこまでも
君子たらざるべからず。義戦はどこまでも義戦たらざるべからず。利を目的とする
君子、横柄を目的とする義戦、余輩はその何ものたるかを解するにはなはだ苦しむ
なり。

 ああ理想なるかな、理想なるかな。仁愛的大理想なくして大国民の起こりし例は
いまだかつてあらざるなり。四囲の蛮土にギリシャ的文明を布(し)かんと欲する
ペリクレスの理想が、彼のアテネ共和国を造れり。世界のすべての国民を公道の下
に支配せんと欲するローマ人の理想が、不朽の名誉をもって歴史に伝えらるる彼ら
の大帝国を造れり。世界における信教国の戦士(チャンピオン)となり、これを天
主教国の迷信暴虐より救い出さんと欲する
クロンウェルの理想が、彼の大英国を造
れり。今や日本国は世界の大国民たらんと欲す。これに大理想なからざらんや。し
かり、吾人の理想はアジアに独立と文化を供せんとするにあり。朝鮮半島は吾人の
慈悲心を満たすに足らず。満州政府の下に迷う黄河、揚子江の水域に住する四億の
民なり。(略)


 シナを救わんとするが日清戦争の目的なりとせば、この戦争において吾人の取る
べき方針は最も簡単にして最も明瞭なり。


 一、吾人は北京政府をして、吾人の真意の存するところを知らしむることを努む
べし。(戦いつつある間も、たとえ彼らが悔悟するの望みは今はほとんどなきにも
せよ)。これ少なくとも彼らが吾人に抗する名義を滅却するの効力あり。


 二、吾人はよろしくシナ国民に向かいて、北京政府今日の醜状を訴え、その政略
たる、ことごとく自己を利するにありて、シナ国の安福を計るにあらざるを示し、
一九世紀の今日、もし国家を挙げてこれをその軟弱なすなきの手にゆだねおくは、
亡国の悲運を招くの道たるをさとし、彼らシナ人をして、大いにみずから省みると
ころあらしむべし。しかして吾人の教示によるか、あるいは時機の危運に迫りて、
もし彼らの内に、清朝に代わりて、進歩的政略をもって、シナを開明の域に導くに
足るべき新王朝の起こるあらば、吾人は喜びてその輔弼(ほひつ)となり、あたか
も朝鮮においてシナ党を駆逐して
開化党に政権を握らしめしがごとく、シナにおい
ても、北京の頑愚党を排除して、シナ開化党の振興を幇助(ほうじょ)し、どこま
でもシナの autonomy(自治)を促すべきなり。(略)


(1894年10月 『国民之友』)(信21/135−)