1966年度国際アンデルセン賞作家賞
トーベ・ヤンソン(フィンランド)
(Tove Jansson 1914-)
―おとぎ話はたいせつなものです。
子どもにとっても、大きくなった子どもにとっても、そして語り手そのひとにとっても。―
1914年8月9日正午ヘルシンキで生まれたヤンソンは、既に新進彫刻家として知られていたヴィクトル・ヤンソンと、国内きっての風刺画家と言われていたシグネ・ハンマルステン夫婦の第1子として、ごく自然に、芸術家への道を歩み始めた。因襲にとらわれないたちの両親だったが、子どもたちの想像力を育てることと、互いの自由と意志を尊重し、自分の責任を果たすことの大切さを教えることには心をかけた。父は作品が出来あがると、母とヤンソンに批評を言わせた。夏の島暮らしでは、のちに写真家になる6歳下の弟のぺル・ウロフ、のちに作家となりムーミン漫画をともに書くようになる12歳下の弟ラルスとともに、ヤンソンを冒険に連れ出した。一方、家計を支えていた母は、インクの乾く間も惜しんで絵を書き続けた。父と母の姿に「冒険」と「信頼」を見たヤンソンは、その両価値のバランスの大切さを、のちにムーミン・サーガで描くことになる。
ヤンソン13歳の1928年5月26日、『アラス・クロニカ』誌(Allas Kronika)第21号子ども欄に掲載された、詩に添えたイラスト3点が、印刷物としてはじめて世に出た作品だった。のちに風刺画を多く寄せた『ガルム』誌(Garm)にも弱冠15歳で初掲載を果たした。16歳で留学したストックホルム工芸専門学校の学生展でも2年連続で1位になったりと頭角をあらわし、24歳でパリに留学、25歳にはすでにモダニズムの新進画家として世に認められ、その実力は年間40点もの油絵が売れるほどだった。
順風満帆に見えながら、ヤンソンの生涯にはふたつの世界大戦、内乱、冷戦といった暗い影がつきまとう。風刺画も検閲を受け自由に描けないなか、絵も色を失って灰色となり、ついには描けなくなってしまう。そんななかで生まれたのがムーミントロールのおとぎ話の世界だった。1947年ラルスとともに借りたフィンランド湾にある小さなブレードシャール島での生活に、祖父母の別荘があった島や、家族で夏を過ごした島を重ね、しあわせだった子ども時代の冒険や喜びに満ちた日々の記憶をひきだすことで、ムーミン谷を創造した。家族をはじめ、おしゃまさんのモデルとなった親友のトゥーリッキ、スナフキンのモデルと言われる哲学者・詩人・政治家だった恋人や、劇場経営者のビビカ・バンドラーらの助言や励ましを受け、ムーミン・サーガは書き続けられた。演劇、オペラ、映画、テレビドラマ、アニメにもなり、30以上もの言語に翻訳された。1953年にはニルス・ホルゲルソン賞、1963年にはフィンランド国家児童文学賞、1966年には国際アンデルセン賞など、次々と大きな賞を受けた。
母を亡くした1970年は転機となった。それ以来、子どもの向けの物語を書く筆は折られる。母との別れは、しあわせな子ども時代の象徴であったムーミン世界との別れでもあったのだ。その後は大人向けの小説や自伝的小説を書いた。1980年にはフィンランドのタンペレ図書館の地下にムーミン谷美術館(1986年にムーミン・サーガと漫画の原画が寄贈された)が、1992年にはナーンタリにムーミン・ワールドが作られた。1994年8月には80歳の誕生日を祝って、タンペレで国際会議「トーべ・ヤンソンの仕事」と絵画展が同時開催された。現在は島暮らしから離れ(1965年から借りていたヤンソン島も、1991年の夏を最後に引き上げた)、ヘルシンキ市内のアトリエに住んでいるが、依然として作品を書き続けているという。
『たのしいムーミン一家』 (Trollkallens hatt, 1948)

―小さきものたちのユートピア 〜自由・愛・安息〜 ―
ムーミン・サーガには、スウェーデン、ロシア、ドイツといった大国に挟まれ翻弄されてきたフィンランドの小国としての歴史と、その激動期に芸術家として生きたヤンソン自身が追い求めた理想の世界のあり方や価値観が織り込まれている。
ヤンソンは、ムーミンの物語世界を描いたのは現実逃避であり、しあわせだった子ども時代を取り戻すためだったと言っている。第2次世界大戦中の1939年に書き始められ、終戦と同時に出版された『小さなトロールと大きな洪水』(Smatrollen och den stora oversvamningen, 1945)では、家を洪水で流され、行方不明になったムーミンパパを探して、暗い森をさまようムーミンママとムーミントロールが登場する。ソ連軍による空爆や、ナチス・ドイツ軍侵入による砲弾に脅えるヘルシンキの戦火をぬって書かれたこの作品には、天変地異に翻弄されるムーミントロールたちの<小ささ>が描かれている。一家が再会し、偶然にも家が流れついていた「どんなところよりも美しい谷」に辿りつき暮らし始めるという結末には、しあわせな予感が満ちているが、翌年に発表された『ムーミン谷の彗星』(Kometjakten, 1946)でも、やっと手に入れた安全な住処と家族の暮らし、そして生命までをも脅かす危険が、4日後に迫る彗星の衝突の危機を通じて深刻に取り扱われている。
戦争の影も次第に薄らぎ、ヤンソン自身ものんびりと平和な島暮らしを始めた頃に書かれた『たのしいムーミン一家』(Trollkallens hatt, 1948)は、原題『魔法使いの帽子』にもあるように、トロールカルルという魔法の帽子をムーミン谷に持ちかえったことから始まる事件を中心に展開し、最後にはみんなの願いごとが叶えられるフェアリー・テイルだ。しかしムーミントロールの心のなかの悲しみさえも消すことができた魔法の力は、この作品を最後に見られなくなる。1950年以降の作品では、世界を変えたり問題を解決するのは超自然的な力ではなく、知恵、勇気、友情、家族の愛情などになる。『ムーミン谷の冬』(Trollvinter, 1957)を分水嶺として、その後の作品はフィンランドの自然を背景に、登場人物たちの心の内面を見つめたものとなる。また全編を通して、しあわせな安息の地であり続けるムーミン谷からは、不毛で険しいおさびし山が見え、迷い放浪するものたちという意味のニョロニョロが集う島が海に浮かんでいる。判然としない不気味なものの存在を通して、のどかな暮らしの隣に、常に不安や不確かさが潜んでいることを、冷戦の谷間を生きたヤンソンは描き忘れない。
ムーミン谷の一種の孤立性や、ユーモアとともに語られるムーミン一家のしあわせな有りようは、小国フィンランドのなかでも少数派(全人口の約6パーセント)の、スウェーデン語系フィンランド人のアイデンティティの表現でもあった。それはスウェーデン語系フィンランド人であり、「スウェーデン的・自由・北欧主義」をスローガンとした政治風刺雑誌『ガルム』(Garm, 1929〜1953)の風刺画家として活躍していたヤンソンの、サインがわりに書かれていた小さな生きものこそが、ムーミントロールの原型だったことからも明らかだ。ヤンソンが真っ向から反戦・反独裁を訴えた『ガルム』では痩せて怒った顔ばかりだった<黒いムーミントロール>は、子ども向けの物語という場を得て、怒りを忘れ、自由・愛・安息を謳歌する<白いムーミントロール>としての側面をあらわし、25年の歳月をかけて豊かに育ってゆく。
ムーミン・サーガがここまで国境や世代を超えてさまざまな人々に愛されるのは、真の自由、人間的で温かい心の交流、安心して暮らせる場所など、ムーミントロール――ヤンソン自身――が、また現代を生きる世界中の人々が求め探り続けてきたものが、簡潔ながらも鋭く本質に迫る文体と、甘さを排して世界を見つめた挿し絵の二重構造という、ヤンソン独自の作風に結晶しているからだろう。
トーベ・ヤンソン Tove Jansson 主要作品
*他とついているものは、他の邦訳あり。最新訳を記載した。
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作品名(原題) |
出版年 |
作品名(邦題) 出版社 出版年 翻訳者 |
●ムーミン・サーガ
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Smatrollen och den stora oversvamningen |
1945 |
小さなトロールと大きな洪水 講談社 1992 冨原眞弓 他 |
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Kometjakten |
1946 |
*ムーミン谷の彗星の原型(未邦訳) |
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Trollkallens hatt |
1948 |
たのしいムーミン一家 講談社 1990 山室静 他 |
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Muminpappans bravader |
1950 |
*ムーミンパパの思い出の原型(未邦訳) |
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Farlig midsommar |
1954 |
ムーミン谷の夏まつり 講談社 1990 下村隆一 他 |
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Trollvinter |
1957 |
ムーミン谷の冬 講談社 1990 山室静 他 |
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Det osynliga barnet och andra berattelser |
1962 |
ムーミン谷の仲間たち 講談社 1990 山室静 他 |
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Pappan och havet |
1965 |
ムーミンパパ海へいく 講談社 1990 小野寺百合子 他 |
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Kometen kommer |
1968 |
ムーミン谷の彗星 講談社 1990 下村隆一 他 |
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Muminpappans memoarer |
1968 |
ムーミンパパの思い出 講談社 1990 小野寺百合子 他 |
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Sent I november |
1970 |
ムーミン谷の十一月 講談社 1990 鈴木徹郎 他 |
●ムーミン絵本
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Hur gick det sen? |
1952 |
それからどうなるの? 講談社 1991 渡部翠 他 |
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Vem ska trosta knyttet? |
1960 |
さびしがりやのクニット 講談社 1991 渡部翠 他 |
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Den farliga resan |
1977 |
ムーミン谷へのふしぎな旅 講談社 1991 渡部翠 他 |
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Skurken I Muminhuset |
1980 |
*トーべと弟ラルスによるムーミン屋敷模型の実写絵本(未邦訳) |
●ムーミン漫画
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Moomintrollet |
1953 〜1975* |
ムーミンの冒険日記1 ムーミン英雄になる 福武書店 1991 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記2 ムーミンパパの幸せな日々 福武書店 1991 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記3 ご先祖さまは難破船あらし!? 福武書店 1991 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記4 ムーミン家をたてる 福武書店 1991 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記5 ジャングルになったムーミン谷 福武書店 1991 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記 ムーミン谷に彗星がふる日 福武書店 1992 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記 ムーミン南の海へゆく 福武書店 1992 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記 ムーミン谷のスポーツ大会騒動 福武書店 1992 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記 ムーミン一家とメイドのミザベル 福武書店 1992 野中しぎ |
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ムーミンの冒険日記 ムーミン谷に火星ジン!? 福武書店 1993 野中しぎ |
*1953年からイギリスのイブニング・ニューズ紙に連載され、1960年からは弟ラルスに引き継がれた。
●大人向けの小説
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Lyssnerskan |
1971 |
聴く女 筑摩書房 1998 冨原眞弓 |
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Solstaden |
1974 |
太陽の街 筑摩書房 1997 冨原眞弓 |
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Dockskapet och andra berattelser |
1978 |
人形の家 筑摩書房 1997 冨原眞弓 |
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Den arliga bedragaren |
1982 |
誠実な詐欺師 筑摩書房 1995 冨原眞弓 |
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Stenakern |
1984 |
石の原野 筑摩書房 1996 冨原眞弓 |
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Resa med latt bagage |
1987 |
軽い手荷物の旅 筑摩書房 1995 冨原眞弓 |
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Rent spel |
1989 |
フェアプレイ 筑摩書房 1997 冨原眞弓 |
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Brev fran Klara och andra berattelser |
1991 |
クララからの手紙 筑摩書房 1996 冨原眞弓 |
●自伝的著作
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Bildhuggarens dotter |
1968 |
彫刻家の娘 講談社 1991 冨原眞弓 |
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Sommarboken |
1972 |
少女ソフィアの夏 講談社 1993 渡部翠 |
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Anteckningar fran en o |
1996 |
島暮らしの記録 筑摩書房 1999 冨原眞弓 |
主な受賞歴
1953 ニルス・ホルゲルソン賞.
1958 スウェーデン文学者協会賞.エルサ・ベスコフ賞.ルドルフ・コイブ賞.
1963 ストックホルム新聞文化賞.フィンランド国家児童文学賞.
1965 レングマン夫人文化財団賞.A・スワン賞.
1966 国際アンデルセン賞作家賞.
1971 フィンランド国家児童文学賞.ルドルフ・コイブ賞.
1972 スウェーデン・アカデミー賞.
1973 ポーランド・子どもがえらぶ賞 <The Order of Smile> ほほえみ賞.
1976 Pro Finlandia-mitali(フィンランドの芸術家に与えられる最高位の勲章).
1977 文学振興財団大賞.トペリウス賞.オーストリア子どもの本賞.ルドルフ・コイブ賞.
1980 ヘルシンキ市文化賞.
1983 スウェーデン文化財団賞.
1984 フィンランド国家文学賞.
1990 セルマ・ラーゲルレーブ文学賞.
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