水の記憶
全てのモノに記憶が宿っている。
そう言って神にも似た異世界の弾き手は古代の船を甦らせた。
ならば水にもその記憶があるのだろうか?
あの時の事も水は憶え、そして海に還ったのだろうか。
俺は今、仲間達とその海を旅していた・・・。
「起きろ」
突然声がした。
マイエラ修道院の朝は早い。
規律、規律で縛られた修道院は例外なく時間にも厳しい。朝の点呼、食事の支度、礼拝と鍛錬。全てが分刻みで動いている。
しかし幾らなんでも起きるには早すぎる。ククールは寝床の中から何処のバカだと鬱陶しげに自分を呼ぶ男を見上げた。
「マルチェロ・・・?」
ククールを起こしに来たのは猛禽の目をした実の兄だった。颯爽とした青の聖堂騎士の衣に鉄の剣。文武に優れ、あと半年もすれば最年少の聖堂騎士団長が誕生するはずだ。
「起きろ。任務だ。何をぐずぐずしている」
彼は言うだけ言うとさっさと背を向ける。
「緊急の任務が入った。私は必要なものを倉庫に取りに行く。身支度をしたら正門前で待ってろ」
必要最小限しか話さない。おまけにまったく取りつくしまもない。何て嫌な奴なんだと何度ククールは口の中で呟いたか。
ククールは一度だけ深いため息をついて、身支度を始めた。洗顔を済ませ、髪を梳いて束ねる。聖堂騎士の衣に白銀のレイピア。
修道院とはいえ、騎士だから身支度も早い。10分はかからなかったはずだ。だが正門に駆けつけた時、倉庫に行ったはずのマルチェロは既に正門の前で待っていた。
ククールが来るのを感じて、マルチェロは閉じていた目を開いた。黙ったままククールの顔を見据える。
「・・・なんだよ。これでも急いだんだぜ」
嫌味の一つも言えば可愛げもあるのに、こんな時に限って彼は何も言わない。マルチェロは門につないでいた馬に乗ると、ククールに後ろに乗れと命じた。
規律の厳しい修道院では緊急か遠出の時以外に馬の使用は認めらない。つまりそれほど切羽詰った任務なんだろうとククールは感じた。
「走りながら任務を言う」
マルチェロは修道院から北の船着場へと馬を走らせる。鞭を当てられた馬はいななき走り出す。慌ててククールはマルチェロの服を掴んだ。
「昨夜北から巡礼に来た貴族のご一行が船着場へ行く途中で襲われた。幸い死者はでなかったが怪我人が出た」
「貴族なら護衛ぐらいいるだろ?」
「黙れ。護衛がいようと何がいようと、マイエラの巡礼者を守るのは我々の義務だ」
「それで?」
こういう時に口論してもまるで実りがないと分かっているククールは話を先に進めた。
「ご令嬢がさらわれた」
「やばいな・・・」
「大勢で探せばいいのだろうが、それでは身の安全を保障できない。目的は賊の殲滅でも奪われた財宝を取り返すことではないからな」
「へえ、それで少数精鋭ってわけですか?」
「・・・図に乗るな。他に暇な者がいなかっただけだ」
この男に余計な事は聞くんじゃなかったとククールは小さくため息をついた。
船着場のホテルの一角に貴族の夫婦が泊まっている。人の良さそうな夫婦は泣きはらした目で二人を迎えた。二人はすぐに話を聞いた。
襲われたのは船着場に着く直前だった。馬車が止まり不審に思って顔を出すと剣を突きつけられた。数日前に護衛代わりに雇った傭兵が、突然盗賊に豹変した。いつの間にか傭兵の他にも盗賊たちに囲まれていた。
「その時に言ったんです。巡礼者を殺せば地獄の果てまで聖堂騎士団が追ってくる。だから殺さない。財宝と念のために娘を頂いていくと」
妻が泣きはらした目にハンカチを当てて泣き崩れた。
チカリとマルチェロの目が光ったような気がしてククールは慌てて目を逸らした。悲しきかな兄弟の血というか、こういう時に何を考えているか分かってしまう。
(賊が。殺そうが殺すまいが、巡礼者に手を出した貴様らを地獄の果てまで追って寸刻みにして殺してやる)
・・・ククールは心の中で9割さらわれた少女のために、1割だけ盗賊たちのために祈った。世の中関わりたくない人種というものはいるものだ。
「連中に馬は少なかった。財宝と娘さんを乗せて逃げるとして、他の連中は徒歩だ。ここから東だと山越えか川をさかのぼってアスカンタ方面へ逃げるしかない。おそらく最終的にはパルミドへ逃げるのでしょうがね」
マルチェロはテーブルに地図を広げて考え込んだ。
「マイエラからアスカンタへの街道を行く方が早かったかも知れませんな」
「女連れなら山は越えないと思うけどね」
じろりとマルチェロは口出ししてきたククールを睨んだが何も言わなかった。
「船を用意しているか」
「今から急げば馬で追いつけるんじゃないか?」
「ぐずぐずしてはおれんな」
こういう時のマルチェロは早い。地図を直すと夫婦に一礼する。
「マイエラ修道院聖堂騎士団の名誉にかけて必ず任務を遂行いたします」
二人は宿を出ると東の森へ向かって馬を走らせた。
この辺の森は昔の遺跡が多く残っていて、それが今ではモンスターや盗賊の住処と化している所もある。
木や坂が多くなるにつれ、馬は速度を落としていく。二人乗りというのもあるのだろう。
そろそろ川が見えてくる。マイエラ修道院から向こう岸というだけでさほど遠いわけではない。まったくバカにしているとククールはおかしくなる。
「何を笑っている?」
マルチェロが背後のククールを見透かしたように声をかけた。
「何も」
「ふん。お前はいつもそうだな。本気でマイエラの名誉も少女の命も心配しているわけではあるまい」
「・・・俺は!」
「お前は傍観者でいたいのだ。いつでもな」
えぐるような痛み。この人はいつも急所を掴んで切り裂いてくる。まるで猛禽が爪の下にあるウサギを裂くように。
本気じゃないわけじゃない。心配してないわけじゃない。それはマルチェロも分かっているのだろう。多分これは自分が聖堂騎士であるという自覚の無さえの報復なのだ。一心不乱に高みを目指してきた彼にはそれがたまらなく侮辱に感じるのだろう。
兄の背中を見ながらククールは泣きたくなる。
貴方だって俺との関係に背を向けたじゃないか。何で俺が聖堂騎士であることに背を向けるのを責めるんだ・・・。
「ついたようだ」
マルチェロは唐突に馬を止めた。
おかげでククールもすっかり頭から感傷が消えた。とりあえず救出のことだけを考えようと彼は頭をふった。
「大人数の気配がするな。ここからは歩きだ。音を立てるなよ」
囁くような声でマルチェロはククールを促す。彼は無言で兄にうなずいた。
木々に隠れながら、川を目指していく。川はすぐ近くだった。対岸に渡すだけのための粗末な船がつないである。あれで何回か往復して後は陸路をつたってパルミドに抜けるのだろう。
盗賊たちは川岸でこれからの予定を話しているようだった。分け前、おとりになる者、逃亡ルートと話すことはいくらでもあるのだろう。
だがざっと見ても令嬢らしき娘の姿は無い。最悪の予感がククールの頭によぎる。まさかもう・・・。
「箱だ」
マルチェロは船につまれたいくつかの木箱を示した。
「おそらくあの中だ。賊の数は10人ほどだ。私一人で十分だが、人質までは手が回らない。お前は馬を引いて迂回してぎりぎりまで川上から近づいておけ。私が川下から飛び出して注意を逸らしたら一気に馬で船まで行くのだ」
「後は箱の中のお姫様を救って馬で逃げればいい。でもあんたは・・・」
「賊など私の相手にはならん。さっさと行け」
ククールは無言で頷いた。
襲撃は上手くいった。
元々修道院では二人とも優秀な使い手なのだ。そこらの賊など相手になるはずもない。
マルチェロは圧倒的な力で黒金の剣を振るい、盗賊をなぎ倒していく。逃げようとして船を出そうとした賊を、ククールが兄の剛剣とは対照的な優美な剣で阻む。
ものの15分もするとほぼ主だった盗賊は切り伏せられ、令嬢も無事に見つかった。
二人は船に上がり、木箱を一つ一つ開いていく。その中に小さな少女が眠っていた。
「だあれ?」
まだ5〜6歳だろうか?
あどけない表情、金色の巻き毛の少女は眠りから覚めると不思議そうに二人を見つめた。
「お兄ちゃん達だあれ?」
令嬢っていうから自分と同じ15歳ぐらいかそれ以上と思っていたククールは思わぬ展開に戸惑っていた。さして若くもない夫婦でこんなに小さな一粒種ならさぞや可愛いだろう。
「君の名前は?」
マルチェロが少女をゆっくりと抱きかかえた。
「リィナ」
「私たちはリィナのお父さんとお母さんから頼まれたんだ。迷子になったリィナを探してくださいってね」
優しい、優しいヒスイ色の目。遠い既視感がククールに甦る。初めて会ったときのマルチェロの目だ。何より優しくて泣きたくなるような哀しみのある。
「リィナ迷子になったの?」
「ああ」
「あの人達は眠っているの?」
リィナは船や川原に斬られて血を流している男達を見つめた。
「ああ。よく眠っているから起こさないように行こうね」
マルチェロは血で汚れた手袋を脱ぎ捨てリィナの髪をなでる。
ああ、この人は本当はこういう人なのだ。ククールはそんな兄を見ていられない。
領主だった父に追い出されたとしても、母親が死んだとしても、自分さえこの人の前に現れなければ。
もっと穏やかに、憎しみは憎しみで時間と共に溶けて消えていったはずだった。何も煩わせるものなく、穏やかで崇高な騎士として生きていけるはずだった。
そう自分さえ現れなければ。
キラリ。
うつむいたククールの目端に何かが光った。船の上で倒れているはずの盗賊が何かを懐から出している。短剣だと気づき、その狙いが誰かを悟る。
「兄さん」
ククールは兄とリィナの前に体を投げ出した。
短剣が背後から肺に突き刺さされ、引き抜かれる。
「ざまあ・・み・・・」
ククールを刺した盗賊は今度は最後の力を振り絞って彼を抱えるようにして川の中へ突進した。大きな水音がして、二人とも早い流れに流されていく。
「ククール・・・」
マルチェロは茫然として弟の名を呼んだ。
軽い。
そう思った。
線が細く、華奢で頼りない。
後続で追ってきた聖堂騎士団にリィナを預け、マルチェロは川からククールを引き上げた。リィナを優先したのは義務だし当然だ。そう思う心がククールの体温に触れるたびに冷えていく。
水を飲み呼吸が止まっている。呼吸の止まった体に回復魔法は効かない。何度も口付けるように呼吸を分け与える。
元々男にしては端麗すぎるが、髪をまとめていた絹紐は解けて余計に少女めいて見える。気を抜くとおかしな気分になりそうだった。年端もいかない少女に何かしているような気分になる。
(神はいない・・・いるなら私から何もかも奪ったりはしない)
まだ大して生きてもいないのに奪われてきたばかりの人生。今あるのは自分で築いてきたものばかりだ。だからこそどんなに歪んでいたとしてもそれは愛しい。
(また奪うのか。俺から憎む者すら奪うのか?)
「生きろ・・・お前だけは生きろ」
冷たく濡れたククールの頬に温かい水が落ちてきた。
「死ぬのは許さん」
何度目かの呼吸を分け与え、マルチェロは声を震わせて弟の頬をなでつけた。
ゴボッと水の音がして、ククールの口から水が吐き出された。ふうと息をついて呼吸が戻ってくる。
「・・・兄さ・・?」
意識が戻りかけたククールは小さく笑った。何てことだ。マルチェロが、あのマルチェロが泣きそうな顔で俺を見ている・・・?
だがククールはすぐに気を失った。
匂い。
ああ、なんだっけこの匂い。
俺はこの匂いがあまり好きじゃない。修道院や聖堂に流れている乳香の匂い。
そういえばマルチェロの野郎がいつも同じ匂いをプンプンさせていた。それだけ真面目にお勤めをしているせいだろう。
子供にはきつ過ぎる匂いだった。
「ん・・・」
暑苦しいなあ。重いなあとククールが目を開くと、目の前に男が横たわっている。
横たわっているというより、ククールを抱えるように眠っている。しかも全裸で。よく見ると自分も全裸だ。
頭の痛くなるシチュエーションだが、男が誰かを認識した時ククールはパニック状態になった。
「マ、マ、マル」
「私はそんな名ではない」
ヒスイ色の目が開き、マルチェロがククールの青い目を見つめた。表情の読めない冷静な目にククールの頭も冷えていく。
「なあ、俺どうなったの?」
ククールは起き上がってベットに胡坐をかいた。
「背中を刺されて川に落ちたので引き上げた。回復魔法をかけておいたが体が冷え切っていたのでな」
「リィナは?」
「無事だ。当然だろう」
「そっか。じゃあいいや」
ククールは一安心して窓の外を見た。朝日がカーテンから透けて入ってきている。今頃はリィナもまだ優しい両親の元で眠っているだろう。
「うわ、俺アザだらけ」
部屋が明るくなるとククールは自分の腕や足を見て嘆いた。
「川に投げ出されていたのだ(当然だろう)」
「そりゃそうだけど。俺にも色男のメンツってもんが・・・」
ブツブツと呟くククールをマルチェロが引き寄せ、体の下に敷いた。
「お、おい」
「アザなら他にも付けておけばいいだろう色男」
マルチェロの唇がククールの細い項や肩に触れる。こいつキスマークを残す気だとククールは真面目に貞操の危機を感じた。
(うわ、しかも上手い)
ぞくぞくするものが背に這ってくるような感覚。変に感じてしまいそうで思わず自分の口を手でふさいだ。
「なあ、これも俺が憎いからするの?」
ふとした疑問を口にすると、マルチェロが唇を止めた。
「ごめん俺、憎まれてもいいからこんなのはイヤだ。何故だかわからないけど、別に初体験だからどうだってわけじゃないけど。でも俺はあんたとこんな関係になるのはイヤなんだ」
「・・・」
聞き取れないほど小さくマルチェロは呟くと、ククールから離れ毛布を被って背中を見せた。
「二時間たったら起こせ」
「え?」
「今日は特別に休みをもらっている。だが仕事がたまっているのでな」
「ああ。わかったよ」
ククールはベットから離れ、綺麗にたたまれた着衣をとる。
濡れた俺を抱えて修道院に戻り、着替えを用意して一晩中暖めていたんだものなあ。寝る暇なんてなかっただろうに。
そう思う。だが礼や謝罪じみたことを言えばあの兄は嫌がるだろう。そういう不器用な男だ。
せめてこの二時間の眠りがマルチェロに安らぎになりますように。そう祈ろうとククールはそっと部屋を出た。
小さな呟き。多分聞かれなかったはずだ。マルチェロは目を閉じて夢に入ろうとしていた。
「お前が妹でなくて良かった」
そう呟いた。
銀の髪、宝石の瞳、白磁の肌。
妹なら禁忌を破りとっくに自分のものにしていただろうと自覚している。
妹ならば自分も母も追われることは無い。そして掌中にあるのは宝石で出来たような妹ならばとっくに道を踏み外して抱いているだろう。
それ故に妹を泣かせ、野心に狂って妹に近づく者を殺すだろう。
ああ、だからお前は気にしなくていいククール。
この先私が狂っていったとしてもそれはお前のせいじゃない。
私の運命はお前がどうあろうととっくに狂っているのだから。
お前を最初に見た時に。
「ククール」
ゼシカが呼んでいる。
「お昼でヤスよ」
ああ、ヤンガスか。お前本当に食事の時は元気がいいよな。
「次の航路だけどどうしようか?」
お前に任せるよ勇者君。
優しくて強い仲間。多分これが俺とあんたの違いの差だ。
俺はもう満たされてる。だからもう俺はあんたの背中を追わないよ。
だけど一度だけ、一度だけ聞きたいことがあるんだ。
本当のことは水だけが知っているのだろうけど。
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