恐怖の報酬-W杯印象記-

韓国発行の記念切手シートに描かれた
韓国チーム。向かって後列右端が洪明甫。

 2002年W杯の決勝を見た。外は土砂降りだが、西から進む雨雲は、まだ横浜まではあまり行っていないらしく、キックオフの時には小雨だったが、だんだん雨脚がしげくなっていた。雨が降ると、ボールの回転がよくなり、高さで勝るドイツより、ドリブルを得意とするブラジルに有利だということは前から言われていた。しかし、このような天候による差はわずかなものであり、1−0ではなく2−0だったのだから、やはりもともと世界一はブラジルであり、カーン一人では止められなかったということだろう。

 いろいろと予想外のことが起こった今回のW杯だが、トルコと・  いろいろと予想外のことが起こった今回のW皮れないようなことがおこった。キックオフ後まもなくバックパスを受けた韓国の洪明甫(ホン・ミョンボ)が、前線へ出そうとしてボールをもてあそんでいるうち、すきを見逃さなかったトルコ選手がボールを奪い、開始後わずか11秒後のゴールということになった。洪明甫は、それまで主将として、あるいはディフェンスの要として韓国の快進撃を演出してきた選手である。3位決定戦ということで気が抜けていたとしか思えない凡ミスであった。その後まもなく、韓国は同点においついたが、ディフェンス陣の乱れは覆うべくもなく、洪明甫は途中で交代させられた。試合は、前半は3-1でトルコリードのまま折り返した。後半はなかなか点の入らない展開となり、最後のロスタイムで韓国が1点返したものの、結局トルコが3−2で3位の座を獲得した。

 年齢の限界があって次回のW杯への出場は望むべくもない洪明甫の凡ミスを見ていると、むかし見た「恐怖の報酬」という映画を思い出す。1952年制作のフランスのモノクロ映画で、のちにハリウッドでややストーリーを変えてカラーでリメイクされた。ブラジルのアマゾン奥地を思わせる地域の油田で大火災が起きる。それを止めるには、ニトログリセリンの爆風しかないということになる。ところがニトログリセリンは、ほんのちょっとの刺激で爆発するという難儀な代物である。しかし、それ以外に油田火災を止めるすべはないので、油田までトラックでニトログリセリンを運ぶ運転手が募集される。生還率のほうが低い危険な仕事なのだが、応募者は殺到し、試験まで行われるほどだった。こうして選ばれた2組4人が二台のトラックでニトログリセリンを運ぶことになる。そのうちどちらか一台でもついたら、火災を鎮めることができるという設定であった。

 オフロードの極みのような設定である。油田にたどりつくまでには、鬱蒼たるジャングルを走り抜けなければならない。人間が歩いて渡るだけでも危ない吊り橋や、一日や二日ではとうてい除去できない巨大な倒木が、運転手たちの前方に立ちふさがる。こういう難関の連続をクリアーして油田にニトログリセリンを届け、油田の火災を鎮めることができたのは、2台のうち1台だけで、しかも一人は途中で命を失っていた。

 ニトログリセリンを無事に届けた主人公の最期はあっけないものであった。莫大な報奨金を受け取り、意気揚々と引き上げる途中、何でもないところで運転を誤り、トラックごと谷底に転落してしまう。ホンのちょっと気をつけていたら避けられた洪明甫の凡ミスも、この映画のようなものかも知れない。日本を遥かにしのぐ韓国のサポーターの熱狂も、準決勝のドイツ戦での敗戦後、急速にさめていた。選手も連戦で疲れ、3位決定戦ではモチベーションが低く、注意力が散漫になっていたことは否めない。しかし、結果は結果である。一挙に4点が入ることもある野球や、数点のちがいは僅差にとどまるバスケットボールとは異なり、サッカーでの1点は大きい。

 決勝が始まる前、テレビがドイツとブラジルの市民にインタビューをしているのを見た。ドイツでは「難しいと思うけど勝ってほしいね」というのが一般的だったが、ブラジルでは「勝つに決まっている」という反応が一般的だった。やはり、経済力からくる余裕の違いかも知れない。韓国での応援の盛り上がりは日本を遥かにしのいでいたが、準決勝敗退後の急速な冷却ぶりにも、同質の違いを感じ取ることができる。他国のチームを応援する日本のサポーターほどの余裕は、韓国サポーターにはないのである。しかも、韓国人には、自分たちの国家がなくなったという歴史の記憶もある。

 それにしても、今回の韓国の快進撃を予想した人は少なかったと思う。大会前には、日本だけがグループ・リーグを突破するのではないかと心配した韓国市民も多かったらしい。しかし、結果は日韓の力にさほどの違いはなかったということだろう。決勝トーナメントの初戦を突破できたかどうかは、ひとえに運の違いによるものとしか思えない。勝ったり負けたりを繰り返す野球のペナントレースと異なり、短期決戦ではいろいろと意外なことが起こる。韓国の快進撃が、今期の初めの阪神タイガースのようなものなのか、それとも実力が飛躍したのかは、今後を見なければ分からない。

 運といえば、決勝トーナメントのイタリア戦、スペイン戦については、審判の問題が取り沙汰された。イタリア戦はともかく、スペイン戦は審判が違っていたら、韓国はGゴールで負けていたと思う。あのボールは明らかにゴールラインを割っていなかった。しかし、シュートよりずっと早くゴールラインを割ったと思った瞬間に副審が旗を挙げていたのだから、あれをゴールと認めたら、今度は韓国がおさまらないに違いない。シュートの阻止が難しい状況だったことは確かだが、旗を挙げたから阻止しなかったのだという反論は十分に可能である。

 勝負が運だということは、審判の問題にとどまらない。クロスバーに跳ね返された幻のゴールは、今大会でも数え切れない。わずかな角度の違いでブロックされたシュートも多い。その数センチの差は、もはや選手の実力の域を超えており、単なる運だというほかはないと思う。しかし、こと人間がからむと、負けた方はそれも運だとは認めたがらない。ファウルとしてPKを与えるかどうか、オフサイドと認定するかどうかは紙一重であり、負けた方は相手を圧倒する力がなかったとあきらめるほかない場面はしばしばある。マラドーナの「神の手」による決勝ゴールが今は遠い語り草になっているように、今回の判定をめぐるごたごたも時が経てば忘れられることになるだろう。とはいえ、審判の問題が大会の後味を悪くするのは望ましいことではない。FIFAでは、ゴールネットの後ろにもう一人の審判を置くことを検討しているというが、いいことだと思う。ビデオを判定の資料に使うかどうかは他のスポーツとの関係で慎重にならざるを得ないだろう。

 韓国・スペイン戦の主審はエジプト人、副審はウガンダ人とカリブ海のトリニダード・トバゴ人だったらしい。いずれもW杯に出場していない国であり、審判の技量に問題があった可能性も高い。満場の韓国サポーターの歓声にまどわされたこともあるかも知れない。また、韓国が試合前に大量の水をグラウンドに撒いていたという話も聞く。ドリブルが速くなるため、身長の低い韓国に有利になるからだという。競技場の管理は主催国に任され、こんなことについての規定はFIFAにはないらしい。しかし、いくらなんでも、イタリアやスペインの一部のメディアのように、審判が韓国に買収されていたなどということは、よほどの根拠がない限り、書き立てるべきではないだろう。韓国は準決勝で敗れたが、ドイツを相手に善戦した。3位決定戦も後半で本領を発揮したし、洪明甫の凡ミスがなかったら結果はどうなっていたか分からない。韓国はやはりベスト4に残るべくして残ったのである。安貞桓(アン・ジョンファン)をめぐるペルージャのガウチ会長の発言をみても分かるように、ヨーロッパには、東洋人に対する偏見が、少なくともサッカーに関する限りはかなり根強く残っているわけで、日本も韓国も区別していないのだから、同じ東洋人である日本人がイタリアやスペインの一部メディアに軽々しく同調するとはおかしいと思う。

 さて、「恐怖の報酬」の舞台になった密林の中の油田は、現実のブラジルにはないが、死ぬ確率のほうが遥かに高いニトログリセリンの輸送に応募する人は、貧しい国では確かに多いかも知れない。古い映画だけに、作られた当時には設定への違和感はさらに小さかったと思う。今のブラジルではあれほど危険な設定は非現実的になっているだろうが、サッカーなど一つのことに人生を賭けるハングリー精神は今も健在と思う。やはりブラジルは優勝すべくして優勝したのである。

 決勝戦が行われた横浜総合国際競技場。
今では日産スタジアムと名を変えている。

 W杯のアジアへの出場枠は、人口を考えるときわめて小さい。W杯である以上、レベルを維持するため強いところに多くを配分するというのは分かるが、それにしても小さい。今回のW杯では、日本と韓国は活躍したが、中国とサウジアラビアはいいところなく敗退した。人口大国である中国がサッカー強国となる可能性はあるが、選手が自由に外国と往来できるようにならないとにわかには難しいという意見もある。今回の結果を見れば、アジア枠を増やしてほしいというのは、虫がよすぎる気もするが、次回からは前回優勝国の無条件出場枠(フランスにとっては試合経験が乏しくなり、今回必ずしも有利に働かなかった)が廃止されるので、その分をアジアに回すというのはどうだろうか? しかし、FIFAでは、この分を五大洲のうち唯一独自枠のないオセアニアに割り当てようという意見が優勢なようである。しかし、五大洲という区分自体まったく恣意的だし、オセアニアに固定枠を1与えたのでは、オーストラリアがほぼ毎回出てくることにもなりかねない。今まではオセアニアの一位は、南米の五位とプレーオフをしてどちらかがW杯に出ることになっている。それなら、対象を南米からアジアに代えてみてはどうだろう? レベルの高い南米から常時5つの出場が確保されることになる。オセアニアとしては、固定枠1を望むだろうが、相手が南米のときよりは可能性が高まるのだから現行よりはいいだろう。アジアとしても、出場枠が増えることになるので、三方丸くおさまると考えるのだが、いかがであろうか?

 映画「恐怖の報酬」の「報酬」とは、莫大な金銭であった。しかし、体力気力の限界に近づいた運転手にとっての最大の報酬は「やすらぎ」であったようだ。今回の3位決定戦で最後の笛が吹かれたとき、ピッチに倒れこんだ韓国選手をトルコ選手が促して立たせ、一列になって取り合った手を挙げて観衆にアピールしたのはよかった。参加32国中、一ヶ月をフルに戦わなければならないのは、わずかに4ヶ国である。結果はともあれ、この長い緊張と身体の酷使からの解放こそ、選手たちにとって最大の報酬だったのだと思う。