トルコはアラブと同族か?

 昔、江利チエミという歌手が「ウスクダラ」という歌を歌ってヒットしたことがある。トルコ人なら誰でも知っている民謡で、原詩はつぎの通りだが、トルコ語独特の文字がウェブで表現できないので、下記の注を参照されたい。前の3行は、それぞれ2回ずつ繰り返して歌われる。

Üsküdara gideriken aldda bir yamur:
(ユスキュダラ ギデリケン アルドゥダ ビル ヤームル)
Kâtibimin setiresi uzun etei çamur.
(キャティビミン セティレスィ ウズン エテーイ チャームル)
Kâtip uykudan uyanm
gözleri mahmur,
(キャティプ ウイクダン ウヤンムシュ ゲズレリ マームール)
Kâtip benim ben kâtibin elne kar
r ?
(キャティプ ベニム ベン キャティビン エルネ カルシュル)
Kâtibime k
ulal da gömlek ne güzel yakr !
(キャティビメ クラルダ ゲムレック ネ ギュゼル ヤクシュル)

(トルコ語独特の文字の説明) ……発音は英語の sh にあたる。  ……小文字でも上の点がないi。「イ」の口の形をして「ウ」という感じの発音。ハングルのに似ている。一方、日本語の「イ」にあたる音の大文字はIの上に点を打つ。……本来はの発音だったのが薄れて前の母音の延長記号として用いられる。(この画像フォントは、大福屋より)

 江波戸昭氏の「世界の民謡をたずねて」(自由国民社)では、これをつぎのように訳している。 「ウスクダラに行った時は雨だった。キャーティップの着物の裾が長く、はねあがっていた。キャーティップは起きたばかりなのか、目はぼんやりしていた。キャーティップは私のもの、私はキャーティップのもの、腕を組めるのは私だけ。」 ここまでは正確だが、5行目の訳が書いていないのと、あとで述べるが「ウスクダラ」には感心しない。5行目は、たしか、キャーティップにはトルコ独特のある服装がとても美しく似合うというような歌詞だったと思う。キャーティップとはもともとアラビア語で「書記」という意味だったが、下級役人の意味に転じ、ついで愛する彼氏というような意味に変わったものである。日本語で本来は茶室の主を意味した「亭主」が夫をややいやしめていう言葉に変わったのを連想させる。結局、この歌の元歌は女性からのラブソングである。二番には道でハンカチを拾い、菓子を買って拾ったハンカチにくるんでキャーティップを探していたら、いつの間にか私の横に立っていたというような歌詞に続いて、「腕を組めるのは私だけ」のリフレインが入るという純情可憐な歌詞である。

 左は有名なブルー・モスクを描いたオスマン・トルコ(第一次大戦後まで続いた)時代の切手。革命により文字もアラビア文字からローマ字にかわったが、字形をアラビア文字に似せているのが面白い。

 さきの江波戸氏の本によれば、この歌ははじめアメリカのポップ歌手であるアーサー・キットがブロードウェイのミュージカル「1952年のニュー・フェース」で歌ってヒットしたのだという。アメリカで流行ったものはすぐに日本にも入って、江利チエミが歌うことになったのだが、その歌詞はたしか、「ウスクダラはるばる訪ねてみたら、世にも不思議な噂の通り、町を歩いて驚いた、これでは男がかわいそう」というようなものであった。細部は記憶していないが、男がなぜかわいそうかというと、女性にもてすぎてかわいそうというような内容だったように思う。つまりアラビアン・ナイトのイメージなのである。元の歌詞を考えるなら、「これではトルコがかわいそう」だと思う。そういえば、日本では、ソープランドのことを「トルコ風呂」といっていた。そのころ、横浜のある「トルコ風呂」が「トルコ大使館」という看板を掲げ、本物のトルコ大使館からの抗議で改名したことがある。本場の「トルコ風呂」でもマッサージはあるが、出てくるのは筋骨隆々たるレスラーのような男たちで、思わず「イテテ」と悲鳴をあげるほど荒っぽいマッサージだという。

 ところでトルコには「ウスクダラ」という町はない。海峡をはさんでイスタンブールの対岸に「ユスキュダル」という町ならある。「ル」に「ア」がついて「ラ」となっているが、「ア」は日本語の「に」または「へ」という助詞にあたる後置詞である。英語ならtoが先に来るが、トルコ語の語順はこのように日本語に似ている。ただ、「アルドゥダ(急な)」という形容詞と「ヤームル(雨)」という名詞の間に「一つの」を意味するbirが入るなど、細部の構成は日本語と異なっている。kâtibimin setiresi は「彼氏の裾」ということだが、kâtibまでが「彼氏」、imが「私のもの」、、inが「の」。setireが「裾」、siは前の語に誰々のという限定がついたとき、名詞の側でそれを受けて修飾関係を確認する語尾である。こういうと難しそうだが、全体的には、トルコ語の語順も文節にあたるものの作り方も日本語ときわめてよく似ている。

  a e o ö u ü i i
舌が前に出る - + - + - + - +
口を大きく開ける + + + + - - - -
唇を丸める - - + + + + - -

 5行目のkâtibimeは「あの人に」の意味であり、最後のeは、Üsküdaraのaと同じく、日本語の「に」にあたる後置詞であるが、トルコ語では前の音節の母音が何であるかによって後置詞の母音が分かれ、前の音節の母音に近い母音が選択される。このように感じの似た母音をそろえることを母音調和といい、音楽的な印象をトルコ語に与えている。日本語では「悩む」から「悩ましい」という言葉ができるが、「恐る」からできる言葉は「恐らしい」ではなく、「恐ろしい」である。このような例から、母音調和は古くは日本語にもあったと思われる。トルコ語の母音は8つあるが、3つの指標によって2×2×2=8となるという整然とした体系をしている。iについてはすでに説明したが、ö、üはそれぞれ唇を丸めながら「エ」「イ」という発音で、ちょうどドイツ語のウムラウトと同じである。+は当てはまるということ、−は当てはまらないということとして、右の表を見ていただきたい。

 「ウスクダラ」という歌が流行ったころ、アラブ民謡の「ムスターファ」も流行った。アラブ世界では誰でも知っている歌だという。ところが日本では、たしかつぎのような歌詞で歌われていたと思う。「遠い昔のトルコの国の、悲しい恋の物語、純情可憐な優しい男、それが主人公ムスターファ」。なんと、アラブ民謡がトルコの話になっているのである。アラブはもとから西アジアにいた民族であるが、トルコ民族は歴史上かなり新しい時代に東からこの地域にきた民族である。今日のトルコ共和国の住民の見かけはコーカソイド(白人種)的だが、東方に住むカザフ人、キルギス人などは、モンゴロイド的であり、地域によっては、両方の顔立ちが親族の中でさえ入り乱れている。もともとトルコ系の言語はかなり北極に近い地域で話されていたようで、ロシアのサハ共和国のヤクート人は、今も原住地に近いところに住むトルコ系の民族である。旧ソ連から独立した国の中にも、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンとトルコ系の国が5つもあり、ロシアの中にもトルコ系の自治共和国がたくさんある。中国に住むウイグル人も同系である。

 トルコというと今日のトルコ共和国に限定されるイメージがあるので、広範な地域にひろがるよく似た言語群の総称としては「トルコ」より「テュルク」を用いるのが普通である。隋唐時代に中国をおびやかした「突厥」は「テュルク」を漢字で表現したものと考えられている。テュルク系の言語の分布はきわめて広く、話し手にはモンゴロイドもコーカソイドもそのどちらともつかぬ人もいるのだが、東西の両端でもかなり会話が通じるほど、その言語は互いによく似ているという。これに対し、アラブ系の言語は、強いて言えばヨーロッパの言語と共通点が多く、トルコ語とは似ても似つかない。 

 遠いところのことで接する機会が少なく、同じイスラム教徒であるために混同されがちだが、トルコとアラブは全然別の民族なのである。身近なところで日本語と朝鮮語には共通点が多いが、中国語はまるで共通点がないなど、言語同士の距離は空間的距離とは別のことだと思っていたほうがいい。1890年、訪日したオスマン・トルコの軍艦が帰途和歌山県串本沖で沈没したとき、地元の人々が命がけで多くの乗組員を救ったことがある。この話は、トルコでは教科書に載せられていて、きわめて有名だが、日本ではほとんど知られていない。

 上の切手は、1890年をもって日本との修好の始まりとしてトルコが出した修好100周年記念切手。


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