アメリカ同時多発テロと
日本

ドイツ降伏後、「次は日本だ」と
第6次の戦時国債を呼びかける
当時のアメリカのポスター。

 アメリカ同時多発テロによる犠牲者がどれだけの数に上るのかは今のところ分からない。民間人を無差別に殺害する行為が許されるものではないということは、犠牲者の数の多少とは無関係に正しい。しかし、私には、テロをなくすために戦争をしようという人の気持ちが分からない。戦争はテロよりも悪い。だからといってテロが許されるわけではないが、テロに反対するのなら、なぜそれ以上の情熱をこめて戦争に反対しないのかと思うのである。先の大戦で中国やロシア、ヨーロッパでは地上戦が行われた。生まれ育った土地で多くの人が戦争に巻き込まれた。日本は沖縄を除いて地上戦の経験はないが、空襲や艦砲射撃を受けた。そういう経験をアメリカ人は持たない。今度のテロで少しはその片鱗を知ったかもしれないが、その状態が永続することがどういうことかはまだ知らない。ただ、これから日本の神風を賛美すれば、アメリカ人にも嫌われることは確かだろう。

 戦争となると、犠牲者の数は6000や7000では済まない。100万や1000万を単位として数えることもある。犠牲者は軍人か民間人かを問わない。つい50年ほど前まで、戦争となれば、民間人も犠牲になることなど、世界の常識であった。第二次大戦終結の翌年に生まれた私は、物心ついたときに周りの大人たちから、戦争の話を日常的に聞かされた。50を過ぎ、10年という月日がいかに短いかを知った今では、戦争が大人たちにとって、つい昨日までのことであったことがよく理解できる。大人たちが恐ろしそうに語る言葉に「グラマン」というのがあった。「グラマン」とはアメリカの戦闘機で、その役目は、爆撃機のB29を護衛することが一つ、もう一つは、爆撃によって逃げ惑う民間人を機銃掃射で狙い撃ちにすることである。急降下してくる「グラマン」は、子供だろうと女性だろうと容赦はしなかった。爆撃で建物の下敷きとなり身動きできない人が動いていたら、それを狙うのも当然の軍務だった。そんなことが私が生まれる前の年まで、世界中で当たり前のように行われていた。当時も建前としては、民間人を殺してはいけなかったのだが、戦争となるとどの国家も守ろうとはせず、わが日本もその典型以上(以下?)のものであった。

メッカのカーバ神殿を取り囲む人々。
イスラム教徒は、全世界で10億を
遥かに超える。

 大人たちの話を目に見える形で追体験したのは、「禁じられた遊び」というフランス映画が最初だったように思う。まだ5、6歳の小さな女の子を主人公とするこの映画は、女の子の両親が戦闘機の機銃掃射であっという間に殺されるところから始まっていた。何というひどいことをするのかと子供心にも思うとともに、大人たちの話が嘘ではなかったと思ったのではないかと思う。

 戦争で民間人が死ぬのは当たり前という常識が通用したのは50年も前のことじゃないかと、若い世代は思うかも知れない。しかし、わずか50年前のことなのだから、そのような考え方を、世界中の人が非常識と思うまでには、まだ至っていない。もう昔の常識だと思うのは、平和が続き豊かな生活を享受してきた一部の国々の人に限られるのであり、それ以外の国々では、「50年前」の常識が今にいたるまで常識でありつづけているのである。今回のテロ事件のテレビ報道で、日本人の女性レポーターがパレスチナの10歳になるかならないかの男の子たちにインタビューをするのを見た。男の子たちは、自分も(テロリストの)あとに続きたいと口をそろえる。レポーターが「でも、そんなことしたら、普通の人がたくさん死ぬよ」と言うと、男の子たちは、一瞬のためらいを見せながら、「でも、このあたりでもたくさん死んでる」と口をそろえ、レポーターはひどいショックを受ける。子供だと思って馬鹿にしてはならない。自分の体験をもとに意見を述べているという意味では、あるいは彼らのほうがレポーターより大人なのかも知れない。

 赤十字社は、イスラム圏ではこのトルコの切手にあるように、赤新月社となる。新月はイスラムの象徴として古くから用いられている。
 新月をフランス語では「クロワッサン」というが、あの三日月形のパンは、オスマン・トルコがヨーロッパを圧迫していたころ、「トルコを食べる(=やっつける)」というしゃれから生まれたもの。

 アメリカの世論調査では、報復を支持する人が9割にも達している。日本でもアメリカに全面的に協力するという政府の姿勢を支持する声が多数派である。自衛隊が武器弾薬を運んでもかまわないという人が半数を超えるというのは、カンボジアへの派遣のころには考えられなかったことである。アメリカにせよ、日本にせよ、なんでこんなに支持率が高いのか? 答は単純で要するに恐怖からであろう。「何が起こるか分からない」、あるいは「あいつらは何をするか分からない」という不安が、このような高い支持率となって表れているのだと思う。と、するならば、何より大切なことは、テロがこれ以上起きないように、最大限の努力をすることである。戦争で飢餓線上にあるアフガニスタンの一般市民を多数殺すようなことになれば、テロの新たな種を蒔くことになるだろう。テロは弱者の起こす戦争である。アメリカが力を見せ付ければ見せ付けるほど、反米感情は高まっていく。

 日本は、西アジアのイスラム圏とは、過去にしがらみを持たないし、キリスト教圏でもない。その利点を生かして外交に乗り出すことも可能である。しかし、そのためには、しがらみのある近隣諸国との関係をきちんとする必要がある。いまだに日本が起こした過去の戦争を侵略と認めない者が政府部内にいるようでは、関係がぎくしゃくするのは当たり前のことである。近隣との関係もきちんとできていないままで、国際外交の舞台に躍り出ることなどできない。自分のことがきちんとできない者に人のことに口をはさんでも、耳を傾けてもらえるはずはない。

 日本はかつて貧しい国であった。そのころには、多くの日本人がアメリカ人への反感を抱いていた。その気持ちを、豊かになった今の日本人は忘れているし、豊かになってから生まれた世代はそんな気持ちを初めから持たない。そのため、イスラム諸国のみならず、世界中に広がっている反米感情が理解できない。豊かな側の国として、貧しい国々の人々が豊かな国に流れ込むことなく、生まれ育った土地で生活を向上させていくことに力を貸すことを第一に考え、独自の名誉ある地位を世界において占めるべきである。アメリカに密着した行動をとり、アメリカと同一視されることは得策ではない。自衛隊の可否は別として、世界中どこでも軍事より政治を優先させている中で、国連での討議も見極めず、先走りする動きがあるのは心配である。来年にはW杯サッカーが日韓共催で開かれる。宣伝効果を考えるなら、これがテロの標的にならないとは言い切れない。教科書だの靖国だので争っている時代ではなく、日韓が力を合わせていくべきであることを肝に銘じなければならない。