議員を減らそうとするのは
もうやめよう

 選挙制度をめぐって国会がたびたび紛糾することがあります。それを見た有権者の中から、議員なんか減らしてしまえという声が出てきます。ここでは、そのような考え方は間違いだということを言いたくて筆をとりました。むしろ、そういう考え方こそが有権者不在の議員のもめごとを招いているのです。

 三権分立とはともすれば肥大化しがちの行政権の独走を防ぐために考え出された制度です。行政をするのは政治家ではなく官僚です。官僚は普通の人がリコールすることはできません。でも立法を司る政治家は、私たちの一票が積み重なれば、通すことも落とすこともできます。だから私たちの意見が少しは反映される政治家を通して、行政の独走を押さえようというのが三権分立の趣旨だったと思います。官僚は確かに行政の現場にいますから、それぞれの部署で何が大事かをよく知っています。しかし、有能であればあるほど、視野が狭くなりがちです。だから、行政の各分野についてのプロではなくとも、幅広くものごとを見て調整する政治家が必要になってきます。しかし、現代の広大で複雑な社会で政治家になろうとしたら、よほど勉強しなければなりません。今の政治家の多くは勉強が足りないから、官僚の言いなりになる人が多いようです。だから、私たち有権者が政治家にいうべきことは、もっと勉強しろということであるはずです。そしてもっと仕事をしろということであるはずです。やめてしまえというのは乱暴過ぎるでしょう。行きつく先は議会など廃止してしまえということにならないのでしょうか? 議会がなければ、政権交代は国民の頭上で行われる行政内部の権力闘争でしか起こりません。戦前における軍部の独走を思い浮かべてみるならば、そんな国には誰もしたくないはずです。

 国家公務員である官僚は身分が安定しているからいいのですが、政治家というのは、とても不安定な身分で、選挙で落ちればそれこそただの人になってしまいます。だからこそ、選挙制度の問題であれほど紛糾するのです。選挙制度に対する意見は自分の属する政党の規模によって違ってきます。大政党の候補者は自分たちに有利な小選挙区制を主張するでしょう。しかし、中小政党が中選挙区制や比例代表制を主張するのを、それと同列に扱ってからお互いさまだと思うのは間違いです。中選挙区制や比例代表制は、小選挙区制に比べれば確かに大政党には「不利」になりますが、それは大政党に極端に有利な小選挙区制を基準に考えるための錯覚にすぎません。比例代表制はけっして中小政党ばかりをひいきする制度ではなく、大政党にもきちんと得票に見合う議席を与える制度です。

 「政治改革」のときには、小選挙区と比例区の数の配分をめぐってすったもんだがありました。その結果決まった300対200という配分に、「政治改革」にかかわった人たちは、もっと責任を持たなければなりません。それなのに、比例区だけに限って20の定数削減が行われました。これは、選挙制度の変更以外の何物でもありません。これによって議席を失うのは、中小政党の真面目な政治家であり、議席にあぐらをかく偉そうな人たちではありません。議員の数を減らそうという主張は、そういういうタイプの政治家への反発からきているのでしょうが、意図と結果がまるで逆になってしまっています。

 選挙制度に限らず、社会の仕組みについて考えるとき、感情的になるのは禁物です。まして、その感情が他人へのねたみのようなものであるならなおさらです。議員定数の削減を唱える人の中には、世はリストラ時代なのだから、議員みずから身を切れなどという人もいるのですが、リストラの脅威にさらされている人は、議員定数が削減されたらその脅威が薄らぐのでしょうか? 得られるものは、自分だけが脅威にさらされているのではないという自己満足だけでしょう。むしろ国が率先してリストラをしているのだからということで、民間での脅威もいっそう強まるだけです。こういう時代には公務員への風当たりが強く、公務員の待遇を下げろというような主張が通りやすくなります。公務員がそれほど恵まれているかどうかは別として、仮にそうだとしても、民間の人が言うべきことは、自分たちの待遇を公務員並みに引き上げろということであるべきだと思います。公務員の待遇は民間の待遇の基準ともなるのですから、公務員の待遇を引き下げるということは、自分たちの待遇を引き下げることにもつながりかねません。私は、大多数の普通の公務員はちゃんと仕事をしていると思います。仕事もせずに高給をはんでいる人たちは、公務員の削減の対象とはなかなかならないでしょう。重ねて言いますが、感情的になるのは禁物です。ましてその感情が「劣情」であるならば、「劣情」を利用するつまらない政治家に利用されてしまうだけなのではないでしょうか?