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今の日本人は、年配の人を除けば、「チ」と「ティ」、「ツ」と「トゥ」の区別ができる。だから、むしろ訓令式の表記法のほうがおかしいと感じる人が多い。「シーズン」を「スィーズン」と発音する人はいないが、英語を習うとき、she と sea とを区別するのも、さほど難しくない。だから、ヘボン式で「シ」を shi と書くのも納得できる。違う発音なら違うように書くのが当然ではないかと思うのである。
ところが、ヘボン式には大きな問題がある。それは、これを作ったのがアメリカ人であるため、英語の読み方に従っているということである。chi は、英語では「チ」と読むが、フランス語なら「シ」、ドイツ語なら「ヒ」、イタリア語なら「キ」と読むことになっている。漢字の読み方が日本と中国と韓国でそれぞれ違うように、ローマ字の読み方も国によって違う。その中で、なぜ特に英語に従うのかということになる。「勝つ」という動詞が「勝たない」、「勝ちます」という活用をするように、日本語では「たちつてと」を一つの系列としないと説明のつかないことが多い。ヨーロッパ各国が自分の言語に合わせてローマ字を使うように、日本も日本語に合わせてローマ字を使えばいいではないか、というのが、訓令式の論拠となっている。日本語の「たちつてと」が古くは「たてぃとぅてと」と発音されていたというのは、いまでは定説である。 ヘボン式のさらなる問題点は、英語で区別しない音は、表記の上でも区別しない、ということである。たとえば、「ハヒフヘホ」は、「フ」だけが f で表されるが、実は「ヒ」の子音も、「ハヘホ」の子音とは違う音なのであって、ドイツ語では ch と書かれ、h とは明瞭に区別されている。ドイツ人に多い男子名ハインリッヒの「ヒ」である。「ニ」の子音もラテン系の言語ではnとは区別され、フランス語やイタリア語では gn、ポルトガル語では nh、スペイン語では ñ という特殊な文字でそれぞれ表される。フランスのエッセイスト、モンテーニュの「ニュ」である。 言語とは約束事であるから、音の違いは言語によって別の音として認識される場合もあり、無視して一つの音として扱われる場合もある。ドイツ語の ch は、Bach の場合と Heinrich の場合では発音が違うが、ドイツ語ではこの違いは無視される。しかし、外国人が聞くと印象がかなり違うので、日本では Bach は「バッハ」と呼ばれる。ドイツ人ラインバッハのアメリカでの子孫は英語にこの音がないため、「ラインバック」となる。阪神タイガースにいたことを覚えている人も多いだろう。
「キ」の子音も口蓋化している。「キョ」などは、k に yo がついた音というより、ky(口蓋化した k )に o がついた音である。口蓋化したkの発音は英語国民には難しい。かれらの発音で「東京」が「トキオ」と聞こえるのはそのためである。これが進むと、東北弁の「キ」のように、他の地域の人には「チ」に聞こえる音となるが、むかし社会党の委員長だった佐々木更三氏(宮城県出身)が「新聞記者はわスがちゃんとチミと言っているのにチミと書くのはけしからん」と憤慨していたように、「チ」とも異なる音である。ヨーロッパの多くの言語ではこれがさらにすすみ、イタリア語では Marco は「マルコ」だが、ciao は「チャオ」である。英語でも cap は「キャップ」だが、cement は「セメント」である。ロシアのエリツィン前大統領は英字新聞では Yeltsin と書かれていたが、これは l 音が口蓋化しているのを無視した表記である。ロシア語では普通の l とは違う音であり、文字の上でも書き分けられている。このように口蓋化は世界中の言語で広く起こっていることである。 Shinjyo という表記の場合、口蓋化した音を示す j を書くのなら、口蓋化を示す y をさらにつけ加えることは不要であるので、jyo はおかしい。なお、j を英語(および、この読み方のもととなったフランス語)のように読むのは、むしろ少数派である。日本をドイツ語では Japan (ヤーパン)というがこのように日本語のローマ字表記では y と書かれる音で読まれる例が多い。スペイン語にはまた別の読みぐせがあって、日本は Japon(ハポン)と読まれるし、サッカーの城選手もスペインでは「ホー」と呼ばれていた。 私は、訓令式を支持する立場に立つ。ワープロを打つとき、「ち」は
ti と入力する。chi では能率が悪い。ただ、訓令式にする場合、すでに日本語に定着している「ティ」などの音をどのように表記するかを決める必要があるだろう。日本人が同じ音としているのが実は違う音だという例はまだまだある。 |
